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ロストナンバー  作者: 宇野 宙人
第二章 転校生編
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第四十二話 鎧袖一触

「これほど簡単に乗っ取れるとは、やはり所詮は子供。恐れるに足りません」


 景の体を乗っ取ったハーネスは、歪な笑みを浮かべる。


「全く最初から、こうしとけばいいものを。上の連中は慎重すぎるのが欠点ですね」


 景の姿で、景でない人間が喋る。その様子をライラは複雑な思いで、眺めていた。

 その視線に気づいた景、もといハーネスは軽く頭を下げる。


「おっと、すいません。まず先に、貴方を解放しませんとね」


 言うや否や、ライラを縛っていた鎖が消失した。拘束を解かれたライラは立ち上ると、ハーネスの元へ歩み寄る。


「……あの」

「ん、どうしました? 目的は果たしたのですから、早く戻りましょう」

「……えっと」

「ああ、もしかして自分の力で捕らえきれなかったことを悔やんでいるのですか? でしたら、大丈夫です。貴方は彼をここに連れて来てくれただけで、十分役立ってくれましたから」

「……いや」

「それとも、このことに難癖をつけて、妹さんを解放しないと言われると思いましたか? いやいや、そんなことはありませんので、ご安心を」

「…………」


 一気にまくしたてるハーネスに、口を挟む隙も与えてもらえなかったライラは、何一つ納得していない顔で黙りこむ。

 そんな彼女に対し、ハーネスはニヤつくの止めると、鋭い目で問いかけた。


「まさか、彼らを騙したことを、後ろめたく思っているのですか?」

「…………いえ」


 一瞬、言葉に詰まったライラは首を振る。

 しかし、ハーネスはその一瞬を見逃さなかった。


「言っておきますが、余計な気は起こさない方が身のためですよ。貴方だって、私たちの組織の強大さ、そして恐ろしさは身に染みているでしょう」

「……分かってる」


 ライラの声はやや憮然としたものだったが、それでもハーネスは満足そうに頷いた。


「なら、いいです。あっ、これは返しておきますね」


 ハーネスは拳銃とスケッチブックを手渡し、ライラはそれを黙って受け取る。


「それと、貴方がさっき何を口走ろうとしたのかは、上には伝えないでおいてあげますから。まあ、でも、これからは余り迂闊なことを口にしない方がいいですよ。妹さんを救いたいなら、ね」

「…………」


 ライラは無言で、唇を噛みしめていた。


「さて、もうここには用が無いですし、さっさと仲間の元……ガッ!!」


 突如、さっきまで意気揚々と喋っていたハーネスが、何かにぶつかったかのようにのけぞった。


「……ハーネス?」

「バ、バカな! こんな、こんなことがっ。有り得ない! 有り得ないィィィ!!」


 頭を抱えて、絶叫しながら狂ったように景の体で暴れるハーネス。

 何度か彼の“乗っ取り”を目撃しているライラも、こんな光景は初めてだった。


「くっ、そがァ!」


 その言葉を最後に、景の体は動きを止めた。どうしていいか分からず、おろおろするばかりだったライラは、恐る恐る景に近付く。


「……あの、ハーネス?」


 半信半疑で呼びかけてみると、彼はゆっくりと顔を上げる。


「――――――ったく、勝手に、オレの精神に入ってきやがって。不法侵入で訴えるぞ」


 返ってきた声色は、完全に景のものだった。


「……は、早房なの?」

「当たり前だろ。これがオレ以外の何に見えんだよ」


 親指で自分を指しながら、景はいつも通りのかったるそうな口調で応える。


「……くそっ! まさか、まさかこの私が」


 地面に落ちていた人形が再び宙に浮くと、憎々しげな視線をこちらに向けてきた。


「よう、人形。やはり、お前にはその姿がお似合いだな」

「黙れっ! 一体、お前は何なんだ!? どうやって、私の憑依を退けた!?」

「ああ、オレは昔からそういう精神操作系の能力に耐性があるんだよ。今回は不意を突かれたせいで、若干抵抗すんのが遅れたけど」

「耐性、だと……」


 有り得ない、とハーネスは驚愕する。

 確かに、今までもそういう類の人間に取り憑き損ねたことは稀にある。しかし、完全に憑依した状態から抗い、さらには自分を弾き出すなど、最早それは『耐性』とかいう次元の話ではない。


「くっ、不破ァ! 何をしているのですか! 早く、その男を捕まえなさい」


 苛立ちを隠せないハーネスは、呆然としているライラに怒鳴る。

 その声で我に返ったライラは銃を構えるが、景はそれを手で制した。


「止めとけ。お前にオレは撃てねえよ」

「……見くびらないで。私にも覚悟くらいある」

「なら、こう言おうか。オレを撃ったら、もう戻れないぜ」

「…………」


 ライラの瞳がかすかに揺れる。

 何を躊躇っているのですかっ、と人形の怒鳴り声が続く。


「……あなたは、ひどい」

「そいつは意外な評価だね」


 ライラは撃てない、と高をくくっている景は、余裕綽々な態度を崩さない。

 だからこそ、彼女が引き金を引き(・・・・・・・・・)肩を撃たれた時も(・・・・・・・・)別に驚きはしなかった(・・・・・・・・・・)


「ま、そうくるよな。ハーネス(・・・・)

「ぐあっ!」


 ライラは、いやライラに憑依したハーネスは腕を押さえ、痛みに呻く。

 ハーネスの放った銃弾は、景の肩に着弾すると同時に自分の方へ弾き返され、右腕をかすめた。


「……貴方が、へらへらしていられた理由がようやく分かりましたよ。まだ、能力を隠し持っていたとはね」

「奥の手は取っておく主義だからな」


 景は睨んでくるハーネスの胸にトン、と拳を置く。


「“鎧袖一触(がいしゅういっしょく)”斥力砲」


 直後、凄まじい力がライラの体を襲い、軽々と四、五m先まで吹き飛んでいった。


「ガハッ!」

「……やっぱ、ナイトの言うアンチカノンより斥力砲の方がしっくりくるな」


 手をプラプラさせながら、景は一人で納得する。


「い、今のは……」

「“鎧袖一触”は斥力を衣服のように纏う能力。そして、それを一点に集中させたのが斥力砲だ」


 地面に激しく体を打ちつけたハーネスに、景は淡々と説明する。


「正直言うと、オレはこれあんま好きじゃないんだよね。まあ、今は非常事態だから、そんなこと言ってられないんだけど」

「……随分……と、やって……くれますね……」


 たった一撃で既に満身創痍のハーネスは、地面に倒れ伏した状態で口を開く。


「この……体は、彼女の……もの……なんですよ」

「悪いけど、オレはサディストではないが、フェミニストでもないんでな。つーか、これでも大分威力は抑えた方だぜ」

「……へぇ、それは……何とも、恐ろしい」


 人一人をあそこまで吹っ飛ばし、しかもそれが手加減された結果と聞いて、苦笑するハーネスはよろよろと起き上り、再び拳銃を構える。


「止めとけ。今のオレは、あらゆる物理攻撃が効かないチート仕様だぜ。そんな拳銃じゃ、一万発放ったところで傷一つつかねえよ」

「でしょう……ね。しかし、貴方は確か二分しか能力を使えないと聞きましたが」

「まあな。だが、それを知ってどうする?」


 景はあっさりと肯定した上で問い返す。


「今のオレから、二分間凌げる自信がアンタにあんのか?」

「全くないですね。貴方がその気になれば、自分は二分どころか、一秒だって保つかどうか怪しいものです」


 潔く認めるハーネスだが、その目や声からは任務失敗に対する気負いが感じられなかった。

 つまり、まだ彼は諦めていない。


「私では、貴方に到底敵わないでしょう……ですから、責め方を変えることにします」


 ハーネスは景に向けていた銃口を、あろうことか自分のこめかみに突きつけた。


「お前……」

「何とでも言って下さい。私は、目的の為ならば手段は選びません」

「まだ、何も言ってねえけど……それじゃあ一つだけ。このゲス野郎」


 景にしては珍しいストレートな罵声。静かに怒り、見下げた視線を向けるも、ハーネスはそれを一笑に付す。

 長い間、互いに睨みあい、手を出せないまま、あっという間に二分が過ぎた。


「……チッ。忌々しいが、お前の勝ちだ。どこでも連れてけ、このヤロー」


 景は盛大に舌打ちをし、軽くやさぐれたよう態度で足元の小石を蹴る。


「彼女の役目も、全く無駄ではなかったようですね。こうして人質にとれるくらいの情を抱かせることに成功したのですから」

「全くだ。自分でも、この優し過ぎる性格は問題だと、常々思ってる」


 ハーネスは自分に銃を突きつけたまま、何かまだ能力を隠しているのではないかと疑いつつ、じりじりと慎重に近づいていく。


「それでは、貴方を拘束させてもらいます」

「好きにしろ」


 乗り移った人間の能力を扱えるのか、手の届く距離まで近づいたハーネスはスケッチブックから手錠を実体化させる。

 あれから景は、一切抵抗する素振りを見せていない。

 流石に打つ手を失くして、諦めたのか、とハーネスはようやく警戒を解いた。


「なあ、最後に一つ言いたいことがあんだけど」

「何ですか?」


 手錠をかけようとする寸前、唐突に話しかけてきた景に、ハーネスは応じる。


「お前、もうちょい用心深くなった方がいいよ」


 そう言うと、景は素早くライラの手に触れた。




 ◇◇◇◇◇◇




 そこは真っ黒な世界だった。

 例えるならば、星の無い宇宙。

 ただ空間をひたすら黒で塗りつぶしただけの何もない場所を、景は黙々と歩いていた。


(……案外、殺風景なもんだな。精神世界ってのは)


 もしかしたら、ライラだけなのかもしれないが、そんなこと今はどうでもいい。

 今、自分が踏みしめている所は、感触からいって金属のような硬さがあるが、歩く度に足下からは水面のように波紋が現れ、広がり、消えていく。

 何とも不可解なこの世界を突き進むと、やがて一本の白い十字架を見つけた。

 高さは五m程の十字架の先には、白い髪の少女が両腕を水平に伸ばした状態で磔にされ、眠るように目を閉じていた。

 景は近づき、十字架に触れる。堅そうでもあり、脆そうでもあり、冷たくもあり、暖かくもある。

 多くの矛盾を孕んだこの十字架の素材は、きっと『心』なのだろうな、と景はそう感じた。


「……貴方では、壊せませんよ」


 声と共に十字架の背後から現れたのは、二十代半ばのスーツを着た青年だった。


「しかし、まさか貴方がここに直接侵入するとは、迂闊でした」

「精神干渉系の能力者がお前だけだと思うなよ」


 希初の以心伝心(テレパシー)応用技の一つ、深層潜心(マインドダイブ)。相手の深層心理に、自分の意識を入り込ませる。

 ちなみに、命名者はナイトである。


「取りあえず、テメェをぶっ飛ばして、ライラの体を返しもらおうか」

「出来るのですか、貴方如きに」


 意味深な笑みを携えて、ハーネスは挑発する。


「そもそも、ここは私の世界なんですよ」

「違う。ここは、ライラの世界だ」


 景はきっぱりと否定する。しかし、ハーネスは嗤った。


「いえ、今彼女を支配しているのは私です。だから、今この世界は私の物なのです」

「だから、違ぇって」


 頑なに否定する景に、ハーネスはやれやれと肩をすくめた。


「まあ、いいでしょう。そこは見解の相違ということで。ですが、これだけは言っておきましょう」


 突如、ぞわっ、とハーネスからドス黒い瘴気のようなものが溢れ出し、空気が物理的な意味で重たくなる。


「貴方がここへ来たのは間違いでしたね。この世界で現実の力は一切作用しない。つまり、貴方の能力は何一つ意味をなさないんですよ」


 ハーネスが話している間にもとめどなく湧き出てくる瘴気は、やがて渦を巻き、彼を覆い隠した。


「ここでの強さとは、すなわち――――」


 黒色の竜巻と化した瘴気は、次の瞬間、一気に晴れる。


 そして、そこにいたのは。


「―――――精神力。心の力です」


 巨大かつ禍々しい、悪魔となったハーネスがこちらを見下ろしていた。




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