第四十一話 陰謀
「……これは、一体何の真似だ。不破」
剣呑な空気を纏い、まるで別人のような荒んだ目を向けてくるライラに、景は重々しく問いかける。
「……見て分からない」
「状況は理解してるさ。オレが知りたいのは、お前がこんなことをする理由の方だよ」
銃口から目をそらした景は、ライラと正面から対峙し、言葉をぶつける。
しばらく無言だったライラは、構えを解かないままフゥーと息を吐くと、おもむろに語り始めた。
「……私の組織が、あなたの身柄を欲している」
「組織?」
「……安心して。抵抗しなければ、命まではとられないから」
「抵抗したら、殺されるのかよ」
そんな危ない組織に連れてかれるのに、一体何を安心しろというのやら。
「つーか、オレはいつの間にそんな組織に目ぇつけられたんだ? これでも地味に生きてきたつもりなんだが」
「……必要なのは、あなたの力じゃない。組織はあなたを人質としたがっている」
「身代金でもせしめる気か。悪いが、うちはそんなに裕福じゃないぞ」
「……お金でもない」
「じゃあ、何だよ?」
拳銃を向けられているのにも拘らず、景は妙に落ち着いた様子で訊き続ける。
そんな景を、ライラはいつも通りの感情の色がない目で見下ろし、一言、ポツリと呟いた。
「……鳳景政」
唐突に自分の祖父の名前を出された景は、若干目を見開き、そして納得する。
「……政治絡みか?」
「…………」
返って来た答えは沈黙だったが、景はそれで間違いないと確信する。
「なるほどね。黒幕は大方、祖父ちゃんが今進めている能力者関係の法整備に不満を持つ奴らってとこかな」
「…………」
またもや沈黙。最早、言うまでもない、ということだろうか。
「だが、それが目的なら、オレを組織に連れてったところで無駄だぜ。祖父ちゃんは、身内を人質に取られた程度で屈するような人じゃない」
断言する景。しかし、内心では、
(……かもね)
と、こっそり付け足していた。
実のところ、景は祖父の人柄についてあまり詳しくない。
何故なら、景の父親、すなわち鳳景政の息子、早房景虎は景が生まれるずっと前に、祖父と絶縁していており、そのせいで景もこれまで祖父と直接会う機会がなかったのだ。
(それでも、こうして被害を受けてるあたり、オレが祖父ちゃんの孫という事実は変わらないわけか)
この危機的状況の中で、生まれて初めて祖父との繋がりを自覚する景に、ライラが拳銃を構え直し、急かすように近づいてきた。
「……訊きたいことは、それだけ? なら、早く一緒に来て」
「まあまあ、そう焦らずに、ってそれは無理な話だよな」
ついに拳銃を額に突きつけられた景は、しかし態度を変えず、話し続ける。
「つーか、そもそもオレを連れ出したって、すぐバレると思うけど」
「……ぬかりはない。“天眼”も監視カメラも既に私の能力で偽装済み」
「“天眼”? ああ、風紀委員の崎守か。いや、それより偽装って……」
「……最初に言ったはず。ここには敵も味方も来ない、と」
そう言われて、景はおもむろに辺りを見回した。
さっきまで気付かなかったが、確かにこの辺りは、妙に静かすぎる。
「……この辺一帯を覆う形で景色を、私の画竜点睛で描き出した。他の人間は入ることも、私たちを見ることも出来ない」
銃口をぐりぐりと押し付けながら、ライラは語る。
「……ついでに言っておくと、この近くには時限式で妨害電波を出す機械を隠してあるから、あなたが自分のカプセルを破壊して居場所を知らせようとしても無駄」
「用意周到だな。だが、試合中に生徒が消えたとなれば、学校側は血眼になって捜すはずだぜ。それこそ、生徒会や風紀委員を動かしてでもな」
ただでさえ、今年は一学期にあんな事件が起きたばかりだ。
世間には余り知られてないとはいえ、立て続けに不祥事が起これば光輪の信用に関わってくる。
だからこそ、学校側はなりふり構わず自分を助けに来るだろうと、景は読んでいた。
「お前の組織がどれだけ強大かは知らんが、Aランク、Bランクを何人も相手に出来はしないだろ」
「……それが、あなたが余裕でいられる理由?」
冷めた目つきで見下ろすライラは、ハァーと失望したようなため息をつく。
「……だったら、残念。あなたを誘拐した後は、私の能力であなたの絵を実体化させる手筈になっている。だから、光輪は生徒を誘拐されたことに気づくことは出来ない」
「そんなの、すぐボロが出るだろ」
「……そうならないために、私はあなたをずっと観察していた」
ライラの画竜点睛は、描いたものを実体化させる能力――――より、正確に言うならば、描いたものをイメージごと実体化する能力である。
だからこそ、想像の世界にしか存在しない竜やケルベロスも実体化できるのだが、それは裏を返すとイメージが足りなければ、どんなに上手く描いたとしても、その絵は実体化した時、中身や機能の伴わないただのハリボテになってしまう。
人間もまた同様で、完璧に描き出す場合は、その人の人物像を明確にイメージしなければならないのだった。
「……まだ完全とは言えないけど、幸い、あなたはあまり人と関わらない性格な上に、もうすぐ夏休みに入る。その間まで、誤魔化し通せれば、後は夏休み中に事故として処理できる」
「……完全じゃないなら、何で今行動に移した?」
拳銃でぐりぐりしながら淡々と話すライラに、景はもっと情報を引き出すべく、訊ねてみる。
それはもちろん自分の為であるが、同時に彼女の為でもあった。
「……それは、組織の事情であなたの身柄が早急に必要になったから」
「事情って?」
「……それは分からない」
首を横に振るライラ。
「……だけど、そのせいでプランを大幅に変更されて、結局この対抗戦であなたがコピーした能力を使いきる方に賭けなければならなかった」
「そいつは何とも危い賭けだな。オレが能力を使いきるとは限らねえし、そもそも使いきったとしても……」
と、そこまで言いかけた時、景は「ああ、そうか」と呟く。
「さっき追いかけられた4組の連中は、お前の絵だな」
「……そう」
あっさりと肯定するライラに、どうりで、やけにタイミングよく現れたはずだと、景は納得する。
「それと、もう一つ訊くけど…………」
景の目が若干、険を含んだものに変わる。
「もしかして、希初が倒れたのもお前の仕業か?」
「…………」
しばらく無言だったライラは、少し目を伏せるとやがてゆっくり首肯した。
「不破、お前……」
「……仕方なかった。彼女の能力は計画を遂行する上で、どうしても邪魔だったから」
「それで、良かったのかよ」
景の問いにライラは答えず、黙って拳銃を強く握りしめた。
「……これで、話せることは全て話した。だから、そろそろ来てもらう」
「待てよ。一番肝心なとこがまだ訊けてねえぞ」
話を終えたライラは彼を連れて行こうとするが、景はそれを拒否し、まだ訊くことがあると言った。
「……何?」
「最初にオレがした質問に、お前はまだ答えてない」
「……あなたの言ってる意味が分からない。私はちゃんと―――」
「お前自身の理由については、まだ喋ってないだろ」
正直に言えば、景にとって自分が連れ去られる理由についてはどうでもいいと思っていた。
どうせろくでもないことは想像できたし、知ったところでどうしようもない。
それよりも景が知りたかったのは、ライラがこんなことに加担する理由の方だった。
「……そんなの、あなたが知る必要はない」
「急にそれかよ。まあ、大体予想はつくけどさ」
「……無駄話をし過ぎたみたい。あなたを早く組織に連れていく」
ライラは有無を言わせない瞳で、今度こそ景を連れて行こうとする。
だが、景はその目を強く見返した。
「家族でも人質に取られたか?」
ビクッ、とライラが初めて動揺を露わにする。その反応で、景はやはりな、と確信した。
「……だったら、何なの」
平静を装ってはいるが、声が若干、上ずっていた。密着している銃口からも、微かな揺れが伝わってくる。
「いや、別にどうでもいいけどさ。お前が、そこまで無理する必要があんのかな、って思って」
「……私は無理なんて」
「してないわけないだろ」
言葉の途中をぶった切って、景は断定した。
「……何で」
「はい?」
「……何で、そんなことが分かるの?」
出会ってたった一週間くらいのあなたに、とでも言いたげなライラに、景は何の気なしに答える。
「だって、お前、オレを組織に連れていきたくないんだろ」
「……えっ」
拍子抜けた声が、ライラの口から漏れた。
「……な、何を根拠に」
「下手な演技は、もう止めろや。もし、オレを連れてく気があるなら、最初に拳銃を突きつけた時にそうしてたはずだ。わざわざ、理由やら計画やらをペラペラと喋って、時間を無駄にする必要なんかどこにもない」
「…………」
「お前は無表情の割に、結構分かりやすい性格してるよな」
景の言葉に、ライラは口を閉ざす。ここにきて一体、何度目かという沈黙が、二人の間に流れた。
「……私だって」
ライラが口を開き、絞り出すようにして声を出す。
「……私だって、好きでこんな―――――ッ!」
途端、何かが下から彼女の手を突き上げ、拳銃を弾き飛ばした。
いきなりのことに面食らうライラは、反射的に発生源であろう地面に目を向ける。
すると、そこにあったのは、鎖の絵が描かれた一枚の紙。
だが、その絵は今まさに実体化し、紙から飛び出していた。
先の方に尖った錘をつけた黒色の鎖は、じゃらじゃらと金属が擦れ合う音を鳴らしながら、一瞬のうちに彼女の体へ巻きつき、縛り上げる。
「……あぐっ」
抵抗する間もなく、全身を鎖でぐるぐるにされたライラは地面に倒れる。
「……くっ、早房」
「形勢逆転だな」
身動きのとれなくなったライラに近付いた景は、彼女の拳銃とスケッチブックを拾い上げた。
「……な、何であなたが私の能力を? それに、そもそもあなたは……」
「ああ、オレのストックが四つって話、あれは嘘だ」
空いた口がふさがらない、というのはきっと今の彼女を表すためにあるのだろう。
「……な、な」
「はっ、いっつも無表情なお前が、そこまで驚くとは。騙したかいがあったぜ」
意地の悪い笑みを浮かべ、景は興味深げに黒い鎖を眺める。
「しかし、本当にラノベの武器まで実体化できるとは。自由度高いな、この能力」
実は、この黒い鎖は景が愛読するファンタジー系ライトノベルに出てくる、この世に存在しない架空の武器だった。
正式名称は追縛黒鎖。
敵と定めた者を自動で縛る能力を持つ魔武器の一種で、作中では敵がよく主人公サイドの人間を捕らえるのに使っている。
イメージのクオリティ次第では、想像上の生物すら実体化出来るのだから、想像上の武器だって実体化出来るはず、と景は確信していたが、やはりファンとして本物を目の当たりにすると、好奇心が抑えられない。
とは言え、状況が状況だ。観察するのはまた今度、と決めた景はこの場からそそくさと逃げる。
「……ま、待って!」
離れていく彼の背中に、ライラは芋虫のように地べたを這いながら声を張り上げた。
「……私はあなたを連れていかなければならないっ」
「いや、諦めろよ。いい加減」
執念にも似たライラの行動に、景は半ば呆れたような目で応じる。
「……じゃないと、私の、妹が」
「いや、そんなこと言われても……」
今にも泣きそうなほどに弱々しく、震えた声を出す彼女に、景は困り果てる。 気の毒には思うが、だからと言って景にはわざと捕まってやるなんて真似、出来はしない。
(ラノベの主人公とかなら、ここで“組織からお前の妹を救い出してやる”って台詞が出てくる場面なんだろうけど)
残念ながら、景にはそんなことを言ってやれるほどの正義感も実力もない。
彼女には悪いと思いつつも、我が身可愛さに景はこの場から立ち去ろうとした。
その時。
“どうやら、私の出番のようですね”
落ち着いた青年男性の声が、辺りに響く。
「誰だ?」
景は周りを見回すが、それらしき人物は見当たらない。
“私はここですよ”
景の視線がある一点に収束する。そこにいたのは、ライラがお守りと言って持っていた微妙な出来の人形だった。
“初めまして、早房くん”
その人形が宙に浮き、声を発していた。
「……不破、これ何?」
“これ、とは失礼ですね。私にはちゃんとハーネスという名前があります”
「それ、本名か?」
“まさか、コードネームですよ。職業柄、名前を明かすとまずい立場にいる者で”
紳士ぶった口調で、人形は喋る。
(何だ、こいつ? 薄気味悪ぃ)
いつかの貝塚を彷彿とさせる雰囲気に、景は一歩距離をとる。
(取りあえず、情報を引き出そうとする振りして、隙が出来たら逃げよう)
突然現れた相手は、正体不明の能力者。目の前にいるのは人形だが、油断は出来ない、と景の直感が告げている。
“さて、お喋りはここまでにしておきましょう。仕事は迅速に片づけなければなりませんから”
「はっ、お前に一体何が出来んだよ」
挑発的な態度で迎え撃つ景に、人形は不気味なほど穏やかに話を続ける
“確かに、今の私は非力な人形です。しかし、貴方は知らないでしょう。私の能力を”
「そりゃ、知らねえけど」
“ならば、教えてあげましょう。私の能力は……”
そこまで言ったところで、人形は黙り、やがてポトリと落下する。
しばらくの間、静寂が続いたが、それは不意に破られる。
「……『憑依』なんですよ」
景の口から放たれたのは、人形の台詞の続きだった。
敵の手に落ちた景!
一体、どうなってしまうのか。




