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ロストナンバー  作者: 宇野 宙人
第二章 転校生編
35/70

第三十一話 逃走中

 午後四時半。


 授業が終わった放課後の校舎は、異様な静けさに包まれていた。

 普段は聞こうとしたって聞こえない、自分の足音すら響くほどに音が無い。


(人のいない校舎ってのが、ここまで不気味とはな)


 辺りに気を使いながら、少年は慎重に廊下を進んでいく。

 よく見知った場所のはずなのに―――いや、よく見知った場所だからこそ、なおさら異常に感じられた。


(あと、二十分)


 生徒手帳で時間を確認した少年が、そのまま曲がり角にさしかかろうとした時。


 ―――――グルルルルッ。


 明らかに人ではない、獣の唸り声。咄嗟に身を隠すため、壁に張り付いた少年は恐る恐る顔を出す。

 そこにいたのは、体長五mはあろうかという怪物。その姿は犬に酷似しているが、驚くことに頭が三つもある。

 それはギリシャ神話より生まれ、今ではゲームや漫画で有名になった想像上の魔獣。


 冥府の番犬、ケルベロスが目の前で闊歩していた。


(やべぇ)


 慌てて廊下を逆走しようした少年だったが、運悪くケルベロスの首の一つがこちらに曲がり、おおよそ生物とは思えない赤黒い眼に姿を捕えられた。


「ガウッ!!」


 ケルベロスは吠えると、四足に力を込めて勢いよく駆け出す。。

 通常、獣にとって“吠える”というのは“威嚇”を意味する行為だが、今の咆哮は例えるとすれば“歓喜”。獲物を見つけたことに対する喜びだ。

 少年は一目散に逃走するが、獣と人ではそもそも初期スペックが違う。

 案の定、神話の魔獣はあっという間に追いつき、少年の小さな背中に跳びかかる。


 しかし、その躯体が少年に届くことはなかった。


「ギャウッ!?」


 突如、上空から現れた網が体に絡みつき、ケルベロスは身動きを封じられる。抜け出そうともがくが、既製品ではなく能力で作り出された網はそう簡単に破れはしない。


「へっ。能力者嘗めんな、犬っころ」


 少年は得意げに言うが、足だけはしっかりとケルベロスから離れるように動かしていく。

 これこそが少年の能力“一網打尽(キャプチャーネット)”。

 瞬時に網を作り出すという、役に立つのか立たないのかが微妙な能力ではあるが、少なくとも今は役に立ったと言えるだろう。

 

 ぐんぐん距離を離しながら、少年は快心の笑みを浮かべる。

 普段Dランクとして肩身の狭い思いをしてきた彼は何としてもここを生き残り、自分もやれることを証明したかった。


(見てろよ。他の奴らに一泡吹かせてやる)


 意気揚々と走る少年。

 理想の未来を掴むためとなれば、風切る足にも力が入る。


 ―――――そして力が入れば、当然足音も大きくなる。


「…………ま、マジか」


 彼の派手な足音は厄介な敵を呼び寄せてしまった。

 ケルベロスと同じくらいの巨体にして、上半身は羽毛に覆われた目つきの鋭い鳥、下半身はしなやかな力強さを窺わせる馬の姿。


「ぐ、グリフォンまで」


 急いで戻ろうとするも、振り返った先にいたのはボロボロになった網の一部を引っ掛けた、どこか気が立っているように見えるケルベロス。


「ひぃ、う……うわあああああ!!」


 前門のグリフォン、後門のケルベロス。

 二つの脅威に挟み撃ちされた少年は成す術もなく、ただ悲鳴を上げることしか出来なかった。




 ◇◇◇◇◇◇




「益岡は脱落したか」

「まあ、頑張った方だけど、詰めが甘かったな」


 二匹の幻獣に襲われているクラスメートの姿を、紫苑と景は真上から眺めていた。

 彼らの足元はガラス張りの様に透明になっていて、真下の階の様子がよく分かる。


「これで残り六人か。まだ十分しか経ってないのに、もう半分になるとはね」

「だが、裏を返せば、これで鬼組の実力者は軒並み消えたってことだろ。だったら、俺たちが生き残る可能性もぐんと上がったってことじゃねえか」

「だと良いけど」


 紫苑が嬉しそうに言うが、景はややテンションが下降気味。

 それはこの状況を楽観視できないからではなく、ただ単純にあと二十分逃げ回らなきゃならないことがすんごく煩わしく、とても紫苑のように喜べる気分じゃなかったからだった。


(なのに、負けるわけにはいかないんだから、本当難儀な話だよ)


 景はため息をつきながら、十分ほど前のことを思い出していた。



 ◇◇◇◇◇◇


 

 午後四時ニ十分ごろ。

 授業が終わり、本来ならば部活に向かう者たちや世間話で盛り上がる放課後。

 だが、期末テストを一週間後に控えているため、部活動は全て禁止になり、ほとんどの生徒は勉強のため帰宅する。

 そんな理由で、今現在ガラガラに空いている体育館に、景は昨日希初に言われた通りやって来た。

 体育館の中は景以外にも二十名ほどのクラスメートが集まっており、希初が壇上に立って人数を一人一人数えている。


「えっと、これで全員だね。それでは、先輩。お願いします」


 全員が揃ったのを確認した希初は、隅っこの方にいる小学生に見紛うほどに小柄で、幼い顔立ちをした少年に声をかけた。

 希初が“先輩”と言うからには上級生なのだろうが、どう見ても年上とは思えない。


 彼は軽く頷くと、ポケットに手を突っこんだまま呟く。


「“反転”」


 その瞬間、周りの景色が、空間が、世界がぐにゃりと歪む。

 かと思ったら、すぐにいつもと変わらない、元の見慣れた光景に戻っていた。

 

 だが、そこはもう景の知っている場所ではなかった。


 何も変わっていないのに、全てが同じはずなのに、何もかもが不自然で、全てが異質に思えて仕方が無い。

 まるで鏡の中にいるような倒錯感が、景の全神経に伝わってくる。

 

(なるほど)


 無意識に、本能的に、景は理解させられる。自分は、さっきまでとは違う世界にいるのだということを。


「すげぇ。俺初めて来たぜ」

「これが噂の“裏世界”?」

「西表先輩、パネェ」


 四方八方から、高揚感に満ちた話し声が聞こえてくる。

 ざっと見回してみると、この世界に飛ばされたのは景を含む、あの場にいた1年2組の生徒二十四人。

 当の先輩は能力による制約か、はたまた単に来る気がなかったのか、姿は見えない。


「やあやあ、景君。どう? 驚いたでしょ」

「……うん、まあ驚いたかな」


 何故かドヤ顔で近づいてきた希初に、景はいつも通りのしけた対応で応える。


「で、そろそろ説明してもらえるか。わざわざ“異界の門(メビウスゲート)”を呼び出してまで、オレをここへ連れて来た理由をさ」


 すると、希初が物凄く意外そうな顔をした。


「驚いた~。まさか、他人に興味の無い景君が、西表先輩のことを知ってたなんて」

「名前があの天然記念物と同じだったから、珍しく記憶に残っていただけだ」


 西表蔵人(いりおもてくろうど)

 その幼い外見とは裏腹に、順位は一桁順位(ファースト)に次ぐ10位。光輪高校きっての実力者だ。


「あと、能力がかなり珍しかったこともな」

「“表裏一体(ツーサイドコイン)”でしょ。“表”の世界に存在する私たちを、別次元である“裏”の世界に反転移させるっていう」

「そうそう。まあ、本人を見るのは流石に初めてだったけど……って、そんなことより」


 話が逸れてることに気付いた景は、視線で“説明、求む”と希初に促す。


「ハイハイ、分かってるよ。でも、私が説明する必要は多分無いと思うけどな~」

「? それは……」


 どういう意味だ、と聞こうとした矢先、壇上から良く通った男の声が響いてきた。


「お前ら、優勝したいか―!」

「「「おー!」」」

「強い奴と戦いたいか―!」

「「「おー!」」」

「ニューヨークに行きたいか―ッ!!」

「「「おおー!!」」」

「では、これより。校内対抗戦レギュラーメンバー選抜、“校内サバイバルランニング”を開始するッ!!」

「「「うおおーーッ!!」」」


 皆が白熱していく中、景は呆然と立ち尽くす。一応、大体のことは理解できたが、気になることが一つ。


「ニューヨークのくだりはいらねえだろ」

「そこはノリというものだよ。景君」

「で、帰っていいか」

「あのことバラすよ」

「…………」


 かくして、2組の生徒による光輪高校の校舎全体を使った、壮大な“鬼ごっこ(サバイバルランニング)”が幕を開けた。




 ◇◇◇◇◇◇



 そして現在。

 ルール説明を受け、くじ引きによって逃組となった景は、同じく逃組となった紫苑と共に校内を逃げ回っていた。

 

 校内対抗戦に必要なメンバーはレギュラー十人、補欠が二人の計十二人。

 よって、この校内サバイバルランニングは半分を鬼組にし、もう半分が逃組となっている。

 鬼組の生徒は、制限時間の三十分以内に逃組の生徒を捕まえればレギュラー入りとなり、捕まえた生徒共々、自動的に元の世界に戻される。

 そして逃組は、制限時間まで逃げ切れればレギュラー入り。

 

 名を上げるため。成績のため。実力を試すため。様々な思いを胸に、2組の生徒はレギュラー枠を争い、静かながらも張り詰めた空気が校内に溢れていた。


「しっかし、不破さんも容赦ないね~。まさか、ケルベロスとグリフォンを使って追い詰めるなんて」


 紫苑は透明化させた廊下を元の色に戻すと、Bランクの圧倒さを茶化すように言う。

 すると、すぐ近くの曲がり角から、黒い霧みたいなものに覆われた巨大な塊が現れた。


「否、あれはグリフォンにあらず」


 黒い塊の中から声がする。

 見るからに怪しさ満点の代物だが、その正体を知る二人にとっては特に驚くことでもない。


「グリフォンじゃないなら、あれは何なんだよ、ナイト」

「あれはヒッポグリフ。グリフォンは鳥の頭と獅子の体を持つ幻獣なのだぞ」


 得意げに語るナイトに、紫苑は呆れ交じりに口元をゆるませる。

 持病のせいか、こういうことに関しては、やたらと詳しいナイトであった。


「つーか、それよりもお前のその格好は何だ? カモフラージュのつもりなら逆に目立ってんぞ」

「ふふっ。そうか、そうか。やはり隠しきれぬものなのだな。我のこの圧倒的なまでの存在感は!」

「いや、そういう意味じゃ……まあ、いいか」


 本人が満足そうなので、水を差す気になれなかった景は、取りあえずナイトの纏っている闇については置いておくことにする。


「で、どうすんだ。このまま固まってても的になるだけだし、そろそろ個人で動く時だとオレは思うんだが」

「う~ん、早房の言うことにも一理あるけど……」


 紫苑が何かを言いかけたその時、ダッダッダ、と誰かが走る音が近づいてきた。


「おい、これって」

「いや、心配ない」


 焦る紫苑に、景は冷静に窓の外を指し示す。


「外だ」


 次の瞬間。下から垂直に壁を走り登る少年と、宙を駆けながら彼を追う少女の姿が見えた。


「待~て~、こ~た~!」

「誰が、待つか!」


 お互いに叫びながら、他とは圧倒的なまでに違う機動力を見せつける二人に、紫苑は唖然となる。


「さ、流石、2組きっての機動力コンビだな」

「まあ、あの二人が鬼ごっこに夢中になってるうちは大丈夫だろ。こっちは眼中に無いみたいだったし」


 窓から顔を出し、景は二人を目で追う。


 石川孝太と七瀬ルイ。

 陸上部でも俊足として知られる二人だが、真に恐るべきは彼らの能力によるフットワークの軽さだ。

 足場があればどこでも走れる石川の“縦横無尽(ウォールウォーカー)”。

 そして、足場の無い空中を自在に駆ける七瀬の“羽化登仙(エアステップ)”。

 正直、この種目(サバイバルランニング)は二人の独壇場と言ってもいい。


 そんな二人の勝負を眺めていると、少し遠くの方から誰かの声がした。


「いたぞ、あそこだ!」


 見れば、二人のクラスメートがこっちに向かってきている。どうやら徒党を組んでいるのは逃組だけではなかったらしい。


「見つかったか。ナイト」

「承知」


 黒い塊は前に出ると瞬く間に膨張し、目の前を光届かぬ闇の牢獄へと変えた。

 だが、クラスメートならば能力のことは互いに熟知しているし、ましてあのナイト(・・・・・)ともなれば尚更だ。

 案の定、辺りを真っ暗にされても足音が止むことは無く、さらに後ろからもう二人の鬼が標的目がけて近づいてきた。

 直線の廊下で挟み撃ちにされた三人。かなり危機的状況だが、この程度の作戦を予想できない景ではない。


 後方から近づいてきた鬼組は、景たちの手前の何も無いはずの所で何か(・・)にぶつかり、ガシャン、ゴトンとけたたましい音を立てて倒れた。

 前方の暗闇からも同様の衝突音と、かすかな呻き声が聞こえてくる。


「悪いね。こっちも必死なもんで」


 景は軽く詫びると彼らの屍(別に死んではいないが)を越えていく。

 紫苑とナイトもその後を追い、三人は階段近くで身を潜めるとこれからの行動について相談を始めた。


「やっぱ、固まってても良いことなさそうだし。そろそろ、バラけた方がいいと思うぜ」

「う~ん、そうかな~」

「くっくっく、我は一人でも構わぬぞ」


 景の提案に、ナイトは賛成するが紫苑はちょいと否定的な素振りを見せる。


「何だよ、紫苑。どうしてもオレたちと一緒にいたい理由でもあるのか?」

「いや、無いけど」

「じゃあ、いいだろ」


 景はその言葉で終止符を打つと、さっさと行ってしまう。


「早房…………いや、景」

「何?」

「生き残れよ、絶対に」

「……はあ」


 まるで死地に赴く戦友にかけるような声に、景は生返事をする。別に、一人になったからといっても、そこまで危険があるわけでもないと思うのだが。


「まあ、頑張ってはみるよ」


 こうして、三人は各々別行動を開始する。

 紫苑とナイトは逃げ続ける方を選択したようだが、体力にあまり自信の無い景は時間いっぱいまでどこかに隠れることを考えていた。


(この場合だと、隠れる場所が多くて、人目につきにくい……いや、むしろ人目につきやすい方が……)


 色々と考えた結果、景が隠れ場所に選んだのは通い慣れた1年2組の教室。


(ま、取りあえずここにしとくか)


 景がガラガラと扉を開けて入った途端―――


 ガタン!


 ―――掃除用具入れのロッカーが大きく揺れる。


「…………」


 景はロッカーに近付くと、遠慮なくその扉を開けた。


「ひぅ、ご、ごめんなさい。ごめんなさい」


 中にいたのは頭を抱えてうずくまり、カタカタと震えながら何故か謝っている小柄な少女。


「何やってんだ? 久坂」


 かつて実習で一緒だった、久坂の姿がそこにあった。




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