第三十話 嵐神
……最近、筆が進まない。
光輪高校における「異名」や「二つ名」というのは、希初が所属する新聞部によって人為的に作られるものだった。
二週間に一回のペースで発行される電子新聞「光輪タイムズ」。
その紙面の実に七割を占める能力決闘に関する記事はメインであるが故に人目を引くよう、やや派手で演出がかった文章で書かれている。
異名や二つ名というのは、その演出のために新聞部員が考え出したものであり、載せることでそれは生徒たちの間に広まり、定着していく。
つまり、異名などを持つ能力者はそれだけ紙面を賑わすほどの派手な活躍をした者、ということになる。
もちろん、彗の“暴走正義の風紀委員”、星笠桃の“修理工”などのように能力決闘以外の活躍によって異名をつけられた例外も中にはいるのだが。
そして、その選ばれた「異名持ち」の中でも特に有名な三人の内の一人が、嵐神派のリーダー、五十嵐迅であった。
「悪いね。助けに入るのが遅くなった」
五十嵐は景に謝罪すると、うつぶせで倒れている渡辺と向かい合った。
「どういうつもりだ、嵐神。能力決闘に外野から手を出すのは、反則だろ」
痛みに顔を歪めながら、のそりと起き上った渡辺の問いに、五十嵐は若干固い声色で返す。
「それを言うなら、一対一が原則の能力決闘に、三人がかりで襲い掛かった君たちは反則じゃないのかい?」
正論を言われた渡辺は口を閉ざすと、忌々しげに睨みつける。
「基本、僕のグループは自由主義で、君たちが何をしようと干渉する気はないけど、流石に下級生を嬲るような真似を見逃す程甘くは無いよ」
声を荒げたわけでもないのに、五十嵐の言葉からはどこかヒヤリとさせられる空気が放たれていた。
「…………ちっ、わーったよ」
そう言うと、渡辺の体を覆っていた甲冑とレイピアが光の粒子となって消えていく。彼の叱責が効いたのかは分からないが、これ以上戦う気はなさそうだ。
「もう次はないからね。渡辺君」
念を押す五十嵐に、渡辺は「けっ」と悪態をつくと去っていった。五十嵐はその背をしばらく眺めていたが、ため息を一つつくと、景の方へ振り返る。
「大丈夫だったかい?」
「ええ、まあ、おかげさまで」
「それはよかった」
心の底からほっとした笑みを浮かべる五十嵐。女子だったら思わず赤面してしまうような爽やかな笑顔だ。
「すまない。僕の目が届かないせいで、君には随分と迷惑をかけたね」
「はい、全くその通りです」
遠慮無く言い切る景に、五十嵐は苦笑する。普段は謙虚とまではいかないまでも、初対面の相手に皮肉で応じるような真似はしないのだが、今の景はそれだけ不愉快な思いに駆られていた。
「彼らは最近、柏木派から移ってきた新参者でね。どうも、暴力的な面が目立つ上に、こっちの空気に合わないのか度々、派閥のメンバーと諍いを起こしているのさ」
頭が痛いと、再び苦笑。正直、笑ってられるような問題なのかと思ったが、自分には関係ないことなので何も訊かないことにした。
「っと、それよりも早く彼女を解放してあげないと」
五十嵐がライラに向けて軽く右手を振ると、ヒュンという空気を裂くような音が生まれる。
途端に、ライラを縛り付けていた鎖はバギンと音を立てて、切断された。
鎖から解放されたライラは、そのまま受身も取ろうとせず、前のめりで地面に倒れる。
「えっ!? ちょ、ちょっと、大丈夫?」
予想外の事態に慌てて駆け寄ろうとする五十嵐だったが、ライラは―――ライラの形をしたものは塵も残さず霧散した。
五十嵐は一瞬、「えっ!?」と驚いた顔になるが、景が平然としているのを見て、納得した表情に変わる。
「そうか。人質を取られてるのに、やたらと冷静だなって思っていたけど……そういうことだったのか」
「理解が早くて何よりです」
景がそう応えると、遠くから「じ~ん」と五十嵐の名を呼びながら、上級生らしき男がやってきた。着ているユニフォームから、サッカー部の部員だということが分かる。
「おっと、そう言えば、ミーティングをすっぽかしてったんだっけ」
「そうですか。それなら、あっちに行ってあげて下さい。ここは、オレたちでやっときますから」
「? ああ、任せるよ」
景の台詞に若干、違和感を覚えつつも、五十嵐は仲間の元へと走っていく。
彼が遠くに行ったのを確認すると、景は気絶した二人の上級生に目もくれず、ある一点の空間へと声をかけた。
「……で、お前らはいつまで隠れてる気だ?」
何もないはずの場所から、ビクッと何かが動いた気配がした。そこをじーっと凝視すると、観念したかのように三人の男女が姿を現す。
「……何でばれた?」
不思議そうな顔した紫苑に、景は素っ気なく答える。
「バレバレだ。気配でな」
「暗殺者かよ」
「そこはせめて武道家と言え。ま、長いこと一人でいると他人の存在に敏感になるもんさ」
景は肩をすくめると、例によって希初が話に割り込んでくる。
「流石は景君。伊達にぼっちじゃないね」
「ぼっち言うな」
「でも、まさかあの嵐神が現れるとはね」
「聞けよ、オイ」
景は軽く抗議するも、自分のペースで話を進める希初は聞いちゃいない。
「いや~、でも、ホント凄かったね。五十嵐先輩」
「ああ、俺も初めて見たけど凄えって思ったよ。これがAランクか、ってな」
やや興奮気味な希初と純粋な羨望を露わにする紫苑。その横では、ライラ(本物)がどこか思いつめたように呟く。
「……嵐神、あの人が」
「ん? 何何。、不破さん。もしかして、興味湧いちゃった。まあ、無理ないよね。あれ程のイケメンなら……」
「ねえ、どんな能力持ってるの?」
「……ああ、そっち」
期待した方で無かったためか、希初のテンションがやや下がる。
「五十嵐先輩の能力は“疾風怒濤”。風を自在に操って、竜巻やかまいたちを作り出せる、嵐神の異名にふさわしい力だよ」
「……風」
希初の説明を聞き、ライラは何かを掴むように虚空へと手を伸ばす。
「どうしたの?」
「…………」
ライラは何も言わず、そのまま手を下ろす。謎の動作に希初と紫苑は首をかしげるが、訊き出す間もなく、景の不機嫌そうな声が響く。
「おい。そんなことより、こいつら運ぶの手伝ってくれよ」
景が足元にいる二人を指し示すと、二人はキョトンとした表情で彼を見る。
「何だよ、その顔は。能力決闘の時は見てただけなんだから、せめてこっちくらいは手を貸してくれてもいいだろ」
「「えー」」「……えー」
「何でそんなに不満げ? そして、不破さんは無理して合わせようとしなくていいよ」
景のツッコミに希初と紫苑は吹き出し、ライラは黙々と何かを描き始めた。
◇◇◇◇◇◇
「それでは、お願いします」
一礼して、保健室を出ていった景は、脇に抱えた担架を壁に立てかける。
紫苑は用事を思い出したと言って、既にここにはおらず、残っているのは希初とライラだけだった。
「担架ありがとな。不破さん」
景が礼を言うと、ライラはペコリと頭を下げる。役目を終えた担架は、画竜点睛による実体化を解かれて、消えていった。
「何か、今日は疲れたな」
「そう言えば、景君は能力決闘、今日が初めてだったね」
「ああ、能力決闘はな」
景は光輪唯一の順位を持たない、ロストナンバー。
それ故、順位に関係する能力決闘は、仕掛けたところで相手が得することなど何一つないため、わざわざ彼と戦いたがるような人間なんて、常識的に考えれば普通はいない。
まあ、あいつらのように、ただ単に人を痛めつけたいという歪んだ目的のために能力決闘を行う生徒も少なからずいるので、全く存在しないわけではないのだが。
「でもさ、何で景君は能力決闘受けたの? 不破さんが偽者なのは分かってたんでしょ」
戦う理由がないのなら、能力決闘を拒否しても良かったし、電光石火を持っていたなら逃げることは容易かったはず。まさか面倒くさがりの景が、あの程度の挑発に乗ったとも考えにくい。
そんな希初の疑問に対する景の答えは、
「ん~、何となくかな」
「……何それ」
すごく漠然としたものだった。
「は~あ。つまり、気まぐれってことだね。景君お得意の」
「そんなとこだ。まあ、アイツらの聞くに堪えない戯言にカチンときたのも少しあるけど」
「へ~、景君がカチンとね~」
「何だよ。言っとくけど、オレにだって感情はあるんだぞ。それに、一応本人だという可能性も捨てきれなかったしな」
胡乱な目つきをする希初に、景は不満げな声を出す。
(つーか、それよりも……)
スタスタと廊下を歩いていく景は、右に希初、左にライラと両側を女子二人に挟み込まれる形になっていた。
一人の男に美少女が二人。
(男子からの視線が、痛い)
図太いようで意外と神経質な景は、グサグサと突き刺さる怨嗟の視線に辟易しながら、どうにか昇降口まで辿り着いた。
「あ、そうそう、景君。明日の放課後、体育館に集合ね」
靴を履き替え、校門で別れようとした時、希初が突然思い出したかのように伝えてきた。
「何でだ?」
「それは、来てからのお楽しみだよ」
じゃ、と希初はライラを連れて、街の方へと歩いていく。
(……何か、面倒なこと企んでんな、アイツ)
上機嫌な希初の後ろ姿を見ながら、景はバックレてやろうかとも考えたが、その後を想像すると怖いので止めておく。
(しかし、転校生に続いて派閥の連中。オレも厄介な奴らに目をつけられたもんだな)
平凡な学校生活など、この光輪では望めそうにない。だが、それでも波風立てず穏やかな暮らしを手に入れたいとは思っていたのに。
「どこで間違えたのかね~。オレの人生は」
やり直したいわけではないが、自然とそんな呟きが景の口から漏れるのだった。




