第二話 天才との一戦
「ハァハァ。な、何とか撒けたか」
景は人通りの少ない路地裏の壁に寄りかかり、疲れた足を休ませる。
逃げ出した二人を風紀委員の彗は、当然のことながら追いかけてきたので、景と祐はイチかバチか二手に分かれてかく乱させる作戦に出たのだが、別れた途端、どういうわけか彗は何の迷いもなく景の方を追ってきた。
「ったく、何でオレの方を追ってくるんだよ。能力を使ったのは祐の方だってのに」
散々追い掛け回された風紀委員の少女に対する恨み言を吐きながら、自分の家に帰ろうとすると、
「待ちなさい」
この十数分間で随分と聞きなれた声が後ろから聞こえてきた。
「全く、手こずらせないで欲しいんだけど」
煩わし気に、こちらへ近づいてくる風紀委員の少女、彗。
その手には、いつの間にか修学旅行先での土産店にでも売ってそうな木刀が握りしめられていた。
(マジかよ。つーか、あんだけ走っといて、息も切らしてねーのか)
彼女の驚異的な体力を前に、逃げられないと悟った景は手を前に出し、駄目もとで説得を試みる。
「あ~、ちょっと、待ってくれ。まずは落ち着いて、こっちの話を……」
「何、この期に及んで言い訳する気?」
「状況を説明させろって言ってんの」
そもそも能力を使ったのは祐であって自分ではないし、あくまであれは人助けのためであることを景は彼女に伝えようとした。
「ふん。女の子を無理やり連れていこうとする男の下衆な事情なんて、知る必要ないわ」
「だから、話くらい聞いくれてもいいだろ。オレたちだって好き好んで……って、えっ?」
「とぼけるつもり。私はあの子から聞いて全部知ってるのよ。“光輪高校の制服を着た男の人たちに、無理やり連れてかれそうになった”ってね」
彗は侮蔑のこもった視線を向けてくるが、それによって、景は大体の事情が読めてきた。
おそらくあの時逃げた女の子が、助けに入った二人の身を案じて誰か止めてくれる人を探し、そこで出会った彗に頼んだのだろう。
しかし、その場所に行ってみると、肝心の三人組はすでに逃げた後で、彼女は残った景たちを見て、彼らが女の子を強引にナンパしようとした奴らだと思い込んだのだ。
(……つまり、勘違いってわけか)
真実を知り、景は脱力する。今まで自分たちはあの三人組と間違えられて無駄に走らされていたのかと思うと、さらに疲労が増した気分だった。
「アー、江ノ本さん? それはオレたちじゃ……うわっ!!」
誤解を解こうと口を開いた矢先、彗は一瞬で景との間合いを詰めると、手に持った木刀を横に振るった。
かろうじてそれを避ける景だったが、その際、木刀にかすった髪の毛が、ヒュンと空気を裂く鋭い音と共に断ち切られ、ハラリと空中に舞う。
「危なっ!! オイ、人が話をしている最中に攻撃すんなよ。つーか、それ木刀じゃないのか? 普通に切れたぞ!?」
「これは正真正銘、木刀よ。私の能力“快刀乱麻”は、あらゆる物体に切れ味と硬度を付加させる能力。私にかかれば、たとえ紙切れでもダイヤを切り裂く名刀にできるわ」
「あ~なるほど……って、メチャクチャ危険じゃねえか!! もし、オレが避けられてなかったら、どうすんだよ!!」
「大丈夫よ。死なない程度の切れ味にしてあったから」
「……いや、死なないとか、そういう問題じゃないだろ」
こいつ、怖っ! と景が物凄く引いた顔で彗を見るが、当の本人は気にせず木刀を握り直し、正面に立って構える。流石は暴走正義の風紀委員。話を聞く気がまるでない。
(あ~、こりゃ、ダメだな。多分、今説明しても聞きやしねえ)
景がそう思った時、彗の方から鋭い突きが放たれた。慌てて避けるも、彗は次々と木刀を振るい、景を追い詰めていく。
(……「型」のある動き。こいつ、剣道やってんな)
追い詰められながらも、冷静にかわしていく景は、一度大きく距離をとる。彗の方は、連続で木刀を振り回したせいで、少し疲れが出始めたのか、構えたままで近づいては来ない。
(さてと……仕掛けるとしますか)
景はポケットに手を突っ込むと、ある物を取り出し、彗に向かって投げつける。
警戒状態の彗は手を出すことなく、注意深く見ていたが、突如それが目も眩むほどの強い光を放った。
(しまった!)
警戒心を逆手に取られ、思いっきり目をやられる彗。その隙に、景は彼女に近づき、木刀の柄を狙って蹴り上げた。
彗の手からはじかれた木刀はクルクルと回転しながら上昇し、やがて落ちていく。それを危なげにキャッチした景は、上手くいったと一息つく。
「……くっ、何でアンタが閃光弾なんか持ってるのよ」
「護身用」
ようやく視覚を取り戻した彗に、景は素っ気無く答えた。
(まあ、もっともオレだってこんなの、普段から携帯しているわけじゃないけどさ)
地面に落ちている、元々空だった制服のポケットから取り出した閃光弾をチラッと見た後で、景は話しかけた。
「さてと、これで少しはこっちの話を聞く気になってくれたかな?」
武器を取り上げられ、少しは冷静になってくれたかと期待して話しかけてみるが、彗は表情を曇らせる。
「何それ。偶然、私の武器を奪ったくらいで調子に乗らないでくれる」
“偶然”の部分を強調しながら、見下すように言う彗に、景はやれやれと首を振る。
(どこまで頑固なんだよ、こいつは)
景はため息をつくと、彼女と話をするのは無理だと判断した。せめて誤解は解いておきたいところだが、ここまで敵視されていては何を言ったところで信じてくれないだろう。
「じゃあ、もういいや。話聞いてくれなくても」
景は諦めて、家に帰ろうとした矢先、彗が前に出てきて行く手を阻む。絶対に逃がしはないというオーラが目に見えるような気合の入り方だった。
「まだ、続ける気かよ」
「当たり前よ。私はアンタみたいなやつを絶対に逃がしたりしないんだからっ!!」
彗はそう宣言すると、これ以上ないくらいのうんざりした顔をしている景に向かって手刀を振り下ろした。それを景は反射的に木刀で受け止める。
ガキィィンと、硬いもの同士がぶつかったような音が辺りに響き渡る。
勢いに押され、やや後退した景が木刀を見ると、手刀を受け止めた部分が欠け、全体的にヒビが入っていた。
「まさか……自分の腕に能力を」
「一桁順位の名は伊達じゃないってことよ」
彗は真正面から右手を貫手の要領で直線上に突き出す。それを、景が避けると彼女は腹部に向けて鋭い蹴りを放った。彗は確実に不意をついたと思ったが、景はバックステップで距離をとって、かわす。
(ちょっと、ヤバイな)
自分の体であるためか、木刀を扱っていた時よりも断然いい動きをする彗に、景はさっきから押されっぱなしで、息も荒くなった。
「くっ、ちょこまかと。にしても、私相手に能力を使わないで対抗しようなんて、随分と舐めた真似してくれるじゃない」
攻撃が当たらないせいかイライラした口調で、彗は挑発的なことを言った。
目の前にいる彼がどれほどのランクかは知らないが、同じ一年である以上、一桁順位である自分よりも下であることは確実のはず。その彼が能力を使わないでいることが、何となく軽んじられている気がして、彗のプライドを傷つけていた。
「いや、校外でも能力の使用が認められている風紀委員ならともかく、オレがここで能力使ったら罰則くらうだろ。そもそも、今のオレは能力を使えないしね」
彗の言葉に、景は自嘲するように言った。
「使えない? どういうことよ?」
「ご想像にお任せするぜッ!」
景はそう言うと、使い物にならなくなった木刀を捨て、足に力を込めて地面を強く蹴った。一気に距離を縮めてくる景の予想だにしない行動に、彗は面食らう。
彗の快刀乱麻は典型的な近接系の能力、故に戦う時は距離をとるのが常識だ。そのセオリーを無視して、接近戦を挑むということは何か策があるのかと彗は測りかねた。
しかし、それは余計な勘繰りだった。景は別に勝算があったから、接近戦に持ち込んだのではなく、体力がそろそろ限界に近づきつつあったため、短期決戦で決着をつけようとしたに過ぎなかったのだ。
とは言え、一瞬だが彼女の無駄な邪推が作り出した隙は、景にとっては千載一遇の好機。
やや遅れて反応した彗は、景に右手を振り下ろすが、あっさりと避けられる。それでも負けじと、今度は左手を振るおうとするも、その前に景が重心のかかった彼女の右足を払う。
「きゃっ!?」
バランスを失い仰向けに転倒した彗の両腕を、景は制服の上から掴む。
「くっ、放しなさい」
「おい、ちょ、暴れるな」
ジタバタともがく彗に覆いかぶさって両腕を押さえつける景。傍から見たら、襲ってるようにも見えるが、当人はそのことを気にする余裕すら無かった。
「このっ、いつまでも、人の上に、乗ってんじゃ、ないわよ!」
彗の抵抗がますます強くなっていき、段々景では抑えきれなくなってきた。元々、男子の中ではかなり非力な部類に入る景が、いくら女子とはいえ人一人を抑え続けるのは流石に無理があったらしい。
上半身を起こそうとする彼女を必死になって押し戻そうとするが、ついに力負けし、今度は景が地面の上で仰向けになる。
その直後、ムニッと何やら心地よい柔らかな感触が景の顔全体を包み込んだ。
(……あ~これって、もしかして)
景が思うよりも先に、その大方予想がつくソフトな感触は消えて、代わりに左の頬に鋭い痛みが走る。
「――――痛ッ!!」
ヒリヒリする頬を抑え、涙目になりながら前を向くと、顔を羞恥で真っ赤にして左手で胸を守るように押さえている彗の姿が目に入る。そんな彼女の様子から、ああ、やっぱりそうかと景は納得した。
景を押し返したあの時に、彗は勢い余って前のめりになり、逆に景が押し潰されたのだ。
……あの彼女の、そこそこある双丘に。
「こ、こ、この変態!! ひ、ひひひひ、人の胸にっ!!」
わなわなと震える唇から、しぼり出すように声を出す彗は、景をキッと睨んでくる。
「不可抗力だろ」
「っ、うるさい! 死ね!」
冷静な反応が癪に障ったのか、彗は叫びながら快刀乱麻で硬度・切れ味を付加させた手刀を突き刺してきた。
すぐさま景は避けようとするが、彼女に乗っかられてる状態では動くことができない。
目の前まで迫り来る手刀を、景は咄嗟に左右の手で挟んで受け止める。
(……初めてやったわ。真剣白刃取り)
景は手刀を横にそらして、彗の態勢を崩し、すり抜けると素早く後ろに下がった。
顔を上げると相変わらず彗は、怒りに満ちた顔を景に向けている。その視線は快刀乱麻でも付加させてるのかと思うほどに鋭く、射殺されそうな眼差しだ。
(ヤベェな。洒落じゃなく、マジで殺されそう)
落ち着き払ったように見えて、内心ではそれとなくビビっている景は、これからどうすればいいか考えていると、景のポケットに入っている二つ折りの携帯から軽快な音が聞こえてきた。
「もしもし」
「あっ、景か。そっちはどうだ? 逃げ切れたか?」
悠長な親友の声が、携帯を通して伝わってくる。
(こっちの状況を知らないとは言え、元凶のこいつがこんな調子だとイラっとくるな。まあ、でも、いいタイミングだ)
景は携帯を強く握りしめると、要件を早口でまくし立てる。
「一言で言うと、めっちゃやばい。だから、とっとと許可をくれ」
「ん?」
「早くっ!!」
「あ、ああ、わかったよ。許可するぜ」
いつになく切羽詰った景の勢いに気圧され、祐は何が何やら分からない状態で言われるがままに許可を出す。
「ありがとよ」
景が礼を言って携帯を切ると同時に、彗は駆け出してきた。
「逃がさ、ないっ!」
彗が再び行く手を遮ろうとした時、足元からバチバチという音がしたかと思うと、目の前にいた景の姿は消える。
「……えっ?」
その直後、彼女の横をビュンと風が吹き抜けていった。何が起こったのか分からず、彗はしばし呆然とその場に立ち尽くす。
十秒ほどかけて、ようやく逃げられたということを理解した彗は、自らの怒りを地面へ発散するかのように足を踏み鳴らした。
「絶っっ対、許さない!!」
彼女の怒りをにじませたその声は、夕日で赤く染まった空に虚しく響き渡るのだった。