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ロストナンバー  作者: 宇野 宙人
第一章 退学組編
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第二十五話 後日談

 光輪高校には体育館とは別に、主に剣道部が使用する武道館が存在する。


 パシン、パシンと周りから竹刀を叩く乾いた音が木霊する中、面と防具をつけた彗が三年の先輩を相手に練習試合をしていた。


「はぁ~、凄いね江ノ本さん。剣道部主将と、互角に渡り合ってるよ」


 二人の試合を観戦している希初は、感嘆の声を漏らす。二人の剣士は互いに竹刀を激しく打ち鳴らし、一挙手一投足に至るまで目が離せない。


「互角? どこがだよ。完全に遊ばれてんじゃん……主将が」


 その隣で景はしゃがみこみ、興味無さげに、されど目をそらさずに眺めていた。

 景の言う通り、彗の動きは主将に合わせたものであり、彼女本来の実力とはかけ離れている。

 そもそも、中学時代とは言え全国大会二連覇を成し遂げた彗が、名門でも無い一高校の剣道部主将と同レベルなはずが無い。


 パシィィン!


 鮮やかな面打ちを見事に決めると、一礼し、彗は面を外す。


「若竹先輩の攻撃は及第点ですが、攻撃に集中するあまり防御が雑になっているのが欠点です。もっと守りを意識した―――」


 そして、さっきの試合での問題点を事細やかに指摘する。


「もう、あれって稽古つけてる感じだよね」


 見たままの感想を言う希初に、景は頷く。しばらく主将と話した後で、彗はこちらに向かってきた。


「お疲れさま。いや~、話には聞いてたけど、すごい腕前だね」

「ありがと。偶には、こうして剣道部に顔を出すのも悪くないかもね」


 希初が惜しみない称賛を贈ると、彗は笑みを浮かべて応える。だが、常に憮然とした表情をしていた弊害なのか、ややぎこちない。


「本当に凄いわね。このままうちの部員……いえ、いっそ顧問になって欲しいくらいよ」


 試合をしていた若竹という先輩も、タオルで汗を拭きながら近づいてくる。


「ありがたい話ですが、私には風紀委員の仕事がありますので」

「そう、残念」


 大仰に肩をすくめてみせると、若竹は離れ、素振りをしている後輩たちへの指導に向かった。


「じゃ、着替えてくるから、校門前で待ってて」

「うん。じゃあ、後で」


 彗は剣道部女子用のロッカーへ入っていき、景と希初は鞄を担いで武道館を後にした。




 ◇◇◇◇◇◇




 退学組事件が終わってから一週間が経ち、光輪高校はいつもの日常に戻りつつあった。

 だが、彼らが与えた影響は思いのほか大きく、当分はこの事件を忘れられそうにない。

 今回の一件で、青島先生は警察に、退学組に罪をかぶせた生徒数人は一ヶ月の停学処分を受けた。

 青島先生がネメシスだったということは伏せられ、公式には一身上の都合による辞任と生徒たちには伝えられている。当然、生徒会や風紀委員など真実を知る一部の生徒には箝口令が敷かれ、元風紀委員の景と希初、そして現場に居合わせた祐にも他言無用と先生方から念を押されていた。


 一方、主犯である退学組は全員捕えられ、能力者専用の鑑別所に入れられることになっていだが、輪島以外の三人が護送途中に脱走。

 その数時間後に、貝塚だけは隣町で気絶しているという匿名の通報を受けて再逮捕できたが、梅宮と佐藤については行方知らずとなっており、現在も捜索中。

 また、退学組のバックに潜んでいたシャドーの所属する謎の組織については、結局何一つ分からず、謎のままだった。


(これで、退学組事件はとりあえず終了。色々とすっきりしない点もあるが、そこは警察と生徒会が何とかしてくれることを期待するしかない……か)


 カラン、とアイスティーの氷が溶ける音を聞きながら、景は馴染み深い『喫茶 オアシス』の店内で今回の事件について追想する。


「にしても、そんな糖分の塊みたいなのを、よく平気で食えるな。お前ら」


 真向かいで巨大なパフェ……いや、アイスとフルーツと生クリームの山とでもいうべき物体を切り崩している希初と彗に、景は呆れ顔で言った。


「ふっふっふ、景君。甘いものを食べるとき、女の子のおなかは異次元へつながるんだよ」


 次々にパフェをすくい、口へと放りこみながら希初は幸せそうな表情をする。

 あの小さな体にこれだけの量を苦も無く入れているとこを見ると、あながち冗談とも思えないから恐ろしい。


「ん~、おいし~い。流石、店長オリジナル」

「デラックスリベラシオンパフェか。相変わらず、味はいいのにネーミングセンスは壊滅的だな。一体、何を解放しているのやら」

「女の子の甘いものに対する欲求とか?」

「……上手いこと言ったつもりか、それ」


 景はアイスティーを飲み干すと、氷を口に含み、ガリガリと噛み砕く。


「でも、確かにおいしいわね。このパフェ」


 こちらも同様にパクパクと、しかし普通の表情で食べ続ける彗。

 二人の共同作業によって、既にパフェは半分以下になっていた。


「そりゃ、他人の金で食う飯がマズイわけねえわな」


 この無駄にバカでかいパフェのせいで懐に大ダメージを受けた景は、苦々しい顔で空になったグラスを置く。 


「まあまあ、景君。これ一つで、あの時のことは全部許されるんだから、安いもんでしょ」

「は? 何言ってんだ。お前らを見捨てたことに関しては、お前らを助けた時点でチャラだろ」

「いやいや、そうじゃなくて……」


 あからさまに不本意な様子の景に、希初はもったいぶった態度で言葉を続ける。


「江ノ本さんの胸に顔を埋めたことと、私へのセクハラ発言についてだよ」

「そっちかい!」


 思わず、景は全力でツッコんだ。


「ていうか、アンタ今完全に『見捨てた』って言ったわね」


 呆れたように彗が言ったが、景はそれに気づくことなく、テーブルの上に突っ伏した。


「は~……まあいいか。どうせ明日には仕送りが来るし」


 景は顔を上げると、空になったアイスティーのグラスに水を注ぐ。


「あ、なら、もう一個注文してもいい?」

「ふざけんな。つーか、まだ食う気か」


 殺気立つ景に、希初は冗談、冗談と笑いながら、パフェの残りを片付けていった。


「……仲、良いのね」


 二人の気兼ねないやり取りを見て、ポツリと彗は呟く。


「いや、ただこいつが馴れ馴れしいだけだ」

「むぅ。そんな言い方しなくても」


 バッサリと否定する景に、希初が不満そうに頬を膨らませる。


「安心しろ。いい意味で、だ」

「ならば、良し………ってなるかー!」


 ノリのいい希初のツッコミが響き渡る中、彗はフフッと口元を緩ませた。


「ほら、景君のせいで、江ノ本さんに笑われちゃったじゃん」


 希初が文句を言ってきたが、彗は笑みを浮かべたまま首を横に振る。


「ううん、そうじゃなくて……自分がこうして放課後に友達と過ごしてるなんて、何か信じられなくて」

「だろうな。何せ、以前のお前は近づく者全てを切り捨てる刃物みたいな奴だったし」

「景君!」


 相変わらず口さがない景を咎めるように、希初は声を上げたが、意外にも彗の方は何も言ってこなかった。


「刃物みたい……か」


 特に怒った様子もなく、どこか諦観にも似た感情を垣間見せる彗は、少ししてから徐に口を開く。


「……早房は知ってるでしょ。私の家が剣道の道場をやっていること」

「ああ」

「その影響かは分からないけど、私は物心ついた時にはもう竹刀を振るっていたの」

 

 突如、自分の過去を語りだした彗。

 その声はいつもと変わらないようだが、どことなく辛そうな雰囲気が伝わってくる


「自分で言うのも何だけど、私には才能があったみたいでね。小学校に上がる頃には、みんなが私のことを『天才』とか『神童』とか呼び始めて、それで私はますます頑張るようになったの」

 

 そこで彗は一旦、口を閉じる。やや経って、再び彼女が開いた口から出てきたのは、かなり暗い話だった。


「……だけど、次第に私がどんどん実力をつけていくのを、やっかむ奴らが出てきて、色々と嫌がらせしてくるようになったのよ。竹刀を隠されたり、陰口をたたいたりとね」

「ひどい話だな」

 

 景は思わず率直な感想を漏らした。

 自分より優れたものを、素直に認めることができない心狭い奴らは、いつの時代にも、どこの世界にもいるものだ。


「本当にひどかったわ。だけど、その頃の私には剣道しかなかったし、何よりあんな奴らに負けたくなかった。だから、私は嫌がらせを受けつつも、毎日毎日休むことなく練習に励んで、遂には全国大会で優勝するまでになったの。まあ、この頃にはもう、私に嫌がらせをしてきた連中もおとなしくなり始めてたから、ようやく私もこれで下らないことに悩まされずに済むって安心していた」

 

 そこまで話すと、彗は視線を下に向け、言いにくそうに続ける。


「……でも、あいつらはちっともおとなしくなってなんかいなかった。むしろ、より最悪な形で私を陥れる方法を練っていたのよ」

「それが、中三の話か?」

 

 景が尋ねると、彗は静かに首を縦に振った。


「ええ。中学三年の全国大会決勝戦。その日、私はいつにも増して緊張していたけど、正直負ける気はしなかった。決勝戦の相手は、私が準決勝に戦った相手よりも強くないことが、前の試合を見て分かってたから。

 ……だから、自分が落ち着いていつも通りにやれば、負けるはずないと思ってた。

 けど、決勝が始まって少ししてから、何故か急に自分の体が重くなったように感じて、上手く動けなくなっていたの。追い詰められていく最中、彼らが観客席から嘲笑うような表情をしているのを面越しに見たとき、全て理解したわ。

 あいつらは決勝の舞台で私に無様な姿を晒させようと、私の水筒に何か薬を入れたのよっ!」

 

 彗はそのときの怒りをぶつけるように、拳をテーブルに打ちつける。


「その時、私は“こんな奴らの卑怯な策に屈してたまるもんか。何が何でも勝つ”って思いながら、向かってくる相手に力一杯、竹刀を振り抜いた。

そうしたら次の瞬間、目の前が真っ赤に染まって……それが血だって分かったのは、防具を切り裂かれた相手がバタッて床に倒れる音を聞いてからだった」

「それって……」

「そう。私の能力、快刀乱麻(ブレイドモード)が発現したのよ。誰よりも剣で強くなりたい、という私の思いを核にしてね」

 

 彗は一呼吸置くと、心の中に溜まったものを吐き出すかのように、一気に喋った。


「それで、会場はもう大騒ぎ。対戦相手は大急ぎで病院に担ぎ込まれて何とか一命を取り留めたけど、私は大会の運営委員と警察に質問攻め。最終的には、故意に能力を発動させたわけじゃないことは分かってもらえたけど、大会規定により私は不戦敗。大会から除名されたから、中学最後の大会は何の結果も残せずに終わったの。……人生最後の大会でもあったのにね」

 

 最後の言葉を、つらそうな表情で紡ぐ彗。

 通常、能力者はスポーツなどの大会に出ることは、全面的に禁止されている。理由は言うまでもなく、能力が使われた場合、圧倒的に事故の危険性が高くなるからだ。

 ならば、使わないように規制すればいいと思われるかもしれないが、暴走や無意識での発動など万が一のことを考えると世間は保守的な姿勢を取ってしまうものである。

 

 しかも、能力者の数はまだ少なく、対応できる施設も限られているため、能力者専用の大会は存在していない。光輪高校にも部活動はあるが、他校との練習試合すら組めないのが現状である。

 

 つまり、彼女はもう剣道の大会には出れないのだ。


「皮肉な話でしょ。誰よりも強くなりたいと思っていた私は、結果的に能力という形でそれを叶えることができたけど、代わりに私の唯一の生きがいを犠牲にしてしまったのよ」

 

 全ての過去を話し終え、彗は自虐的な言葉を紡ぐ。

 何故、彼女がやたらと人と関わろうとするのを避けるのか。その理由を景は今ようやく理解した。


「結局、私のしてきたことは全部無駄に――」

「無駄じゃないっ!!」


 ダンッ! とテーブルを強く叩き、希初は立ち上って大声で否定する。その声量に彗だけでなく、周りにいるお客さんまで驚き、皆ア然としていた。


「希初。目立ってんぞ」


 彼らの存在を知らせ、注目されてることに気付くと、希初は我に返り、恥ずかしそうにそそくさと椅子に座る。


「……無駄じゃないよ」


 もう一度、彗の目を見ながら希初は言う。


「確かに、もう大会には出られなくなったし、江ノ本さんがそれでどれだけつらい思いをしたのかは分かるけど……でも、無駄じゃないよ」

「慰めなら――」

「慰めじゃない! 私は本気でそう思ってるよ!」


 希初の真っすぐな言葉に、彗は口を閉じる。

 台詞だけなら同じようなことを言ってきた人は何人もいた。

 両親や道場の兄弟子たちに仲の良かった友人。事件当初は多くの人たちが、彼女を励まし、やさしい言葉をかけてくれた。

 しかし、当時の彼女にとっては、それすらも苦痛だった。


(何も、何も分かってないくせに)


 能力を持たない彼らが何を言おうと、彼女の心には届かない。

 あれから一年経った今でも、心の底ではそんな思いがくすぶっていた。


 …………だが、目の前にいる彼女の言葉は違う。


 以心伝心(テレパシー)。心を以て心を伝えるこの能力は、単に携帯の代わりになるだけではない。自らの本心を、むき出しの感情を直接相手の心にぶつけることもできる。

 だから、彗には希初の言葉に宿る偽りのない想いが、ひしひしと伝わってきており、反論の言葉が出てこなかった。


「えっと……だから……景君!」

「感情的に突っ走ってしまったけど、なんかいい感じに納得させられるような言葉が出てこないからって、オレにパスするのかよ」

「うっ……」

「まあ、いいけど」

「えっ?」


 呆気にとられる希初を余所に、景は淡々と言葉を紡ぎだす。


「さて、江ノ本さん。よく知らないけど、武道ってのは詰まる所、己を磨くためにあるものなんだろ。試合や大会なんてのは、あくまで自分の強さを証明する手段であって、それだけが目的ってわけじゃないはずだ」

「…………」

「努力し、自分を磨いて、『能力』という結果を出した。結局は、それでいいんじゃねえのか。その結果を否定するなら、それこそお前の努力は無駄になる……と思うぞ」

「早房……」


 景はそう言うと、一気に残りの水を飲み干した。

 希初とは違い、無感情で事務的な口調だったが、それは裏を返せば慰めや同情といった余計な感情が入ってない、混じりっけなしの”本音”であるということに他ならなかった。


「うんうん、そうだよ。私も、そういうことが言いたかったの!」

「ホントか?」


 楽しそうに同調する希初に、景は疑わし気な目を向ける。

 そんな二人を見て、彗の口元が再び自然と綻んだ。


「……ふふっ」


 二人には気付かない程、小さな笑みを浮かべる彗は、意を決して声をかける。


「ねえ」

「何? 江ノ本さん」

「……彗でいい」

「えっ?」

「……彗、でいいわ」


 頬を赤く染め、少し恥ずかしそうに言う彗に、希初は満面の笑顔を向ける。


「分かったよ、彗ちゃん。私のことも希初って呼んでね」

「う、うん。き、希初」


 若干不自然さが残りつつも、彗は友人の名前を呼ぶ。すると、希初は満足そうに頷き、二人は笑いあう。


(……オレ、もう帰っていいかな)


 二人の世界から完全に放置され、空気と化した景は、再度自分のグラスに水を注ぎ、それを飲みながら静かに時が過ぎるのを待つのだった。



 ◇◇◇◇◇◇



「そーいやーさー、江ノ本」


 パフェとアイスティーの代金(計3500円)を支払い、『オアシス』を出た景は、すっかり打ち解けてガールズトークに花を咲かせる二人との疎外感を感じつつ、割り込んだ。


「景君」

 

 しかし、返って来たのは、嗜めるような希初の声。


「名前で呼ぶかどうかはオレの自由だろ。そんなことより、結局青山先生が理事長室から盗み出そうとしていた物って何だったんだ?」


 希初の非難げな視線を軽くスル―し、景は訊ねる。


「確か、卒業生も含めた光輪高校全生徒の能力リストのデータって、聞いたわ」

「能力者のデータねえ。そんなものネメシスはどうする気だったんだろうか」

「さあ? 対策でも取る気だったんじゃない」

「“敵を知り己を知れば百戦危うからず”ってやつだね」


 希初が偉大なる孫子の兵法を得意げに語る。


「そういや、希初。遠峰やシャドーのいる組織については、本当に何も分かんなかったのか? お前も手伝ったんだろ」

「うん。貝塚の記憶を覗いてみたけど、その遠峰って人どころかシャドーって子の記憶すらなかったよ」


 希初の話に、景は首をかしげる……振りをした。


「はあ? どういうことだよそれ」

「私に訊かれても分かんないよ。一応、貝塚が自分に能力をかけたって可能性も疑って、お姉ちゃんにも協力してもらったけど、結果は同じだったし」

「……だろうな」

「えっ?」

「何でもねーよ」


 これ以上喋ると、勘づかれそうなので早々に打ち切った。


「シャドーって言えば、アンタ、あの後どうしたの?」

「何だよ、あの後って?」

「ほら、二度目に貝塚の前に現れた時。シャドーを自家薬籠で閉じ込めたでしょ」

「……あっ」


 景の呆けた顔を見て、彗と希初が騒ぎだした。


「ちょっ、まさかずっとあのままなの! もう一週間経ってるのに」

「不味いよ、景君! 絶対にシャドーって子、餓死してるよ」

「ちょっと、待て。落ち着けって」

「「落ち着けるわけないでしょ」」

「見事にハモッたな……じゃなくて、大丈夫だ。奴は死んでない!」


 迫る二人を手で制し、景は声を張り上げ、強く断言する。

 そこで、ようやく二人は離れてくれた。


「根拠はあるの?」

「ある。自家薬籠の異空間内は時間の流れが十分の一以下になるんだ。つまり、現実世界こっちで一週間経っていたとしても、奴にとってはせいぜい半日程度ってこと」

「な、なるほど」


 景の説明に、納得する希初。まださっきのドタバタから落ち着いてないせいか、反応がややオーバー気味だったが。


「でも、彼女がまだその異空間にいるなら、出すときには場所選ばないといけないわね。下手をすると逃げられちゃうし」


 彗の提言に、景が尤もだと頷きかけたその時。


「いえいえ。もう、とっくに逃げてますよ」

「「「!!?」」」


 突如、響いてきた第三者の声に、三人はそれぞれ辺りを見回す。

 すると、曲がり角にある塀の影から、長い黒髪を携えた色白の少女が現れた。


「お久しぶりで~す。先輩方」

「シャドーっ!」


 彗は木刀を取り出し構え、希初も警戒するように、後ろに下がる。


「アハハ、落ち着いて下さいよ。もう、私たちは光輪に手出しする気はありませんから」

「そんな言葉、私たちが信じるとでも」


 射殺すような眼差しの彗と終始ニコニコ顔のシャドー。水と油。絶対に相容れない二人が、バチバチと火花を散らす。


「まあ、正直信じてもらわなくても結構ですけど。今日の私はアナタではなく、景先輩に用があるんです」

「オレに? 何だよ?」


 問いかけてはみたものの、景は何となくだが彼女の目的を察していた。


「それはですねえ……」


 勿体つけながら、スキップで近づいてくるシャドー。

 それを見て、女子二人は身構える。

 彼女の周りに身を隠せるほどの影はないが、用心するに越したことはない。


 だが、最も用心しなければいけないはずの当人は、不用心にもシャドーの方へと歩み寄っていく。


「早房!」

「景君!」


 彼女たちの諌める声を意にも介さず、景は一歩一歩進んでいく。

 

 やがて二人の距離が、互いに触れられるくらいにまでに狭まった時。

 後ろからやって来た軽トラが二人の隣を横切った。

 巨大な車体によって日光が遮られ、二人の体はすっぽりと軽トラの影に覆われる。


 そして、彗と希初が止める間もなく、一瞬のうちにシャドーと景はその影の中へ消えていった。




 ◇◇◇◇◇◇




「ようこそ、先輩。私の“暗中飛躍(ハイドインシャドー)“の世界へ」

「わざわざ、どうも」


 真っ暗で静かな影の中で、面と向き合う二人。


「しっかし、影の中とはいえ本当に真っ暗だな。お前以外何も見えないし、何も聞こえねえ」

「ああ、それは私が外の情報をシャットアウトしてるからですよ。その気になれば、外の景色を見ることもできるし、音も聞こえます」

「あっ、そう」


 そう言えば、輪島を脅した時、貝塚やシャドーは外の様子が分かっているようだったな、と景は思いだす。


「で、話ってのは」

「はい、それはですね……」


 ここでもまた、シャドーは無駄にためる。


「……景先輩、私たちの組織、『ホープ』に入りませんか」

「断る」


 風紀委員会入りを断ったときのように、景は速攻で拒否した。


「そこを何とか―――」

「やだ」

「……取り付く島もないですね」

「当然だ。オレはお前らの野望に興味は無ぇよ」

「……分かりました」


 シャドーはがっくりと肩を落とす。


「……でも、先輩って意外と度胸ありますね」

「どういう意味だ?」

「いや、私が『仲間に入らなかったら、ここから出さない』って脅す可能性もあったのに、あんなにあっさり断るんですから」

「……ああ、そうだな」


 正直、その辺のことを景は深く考えていなかった。

 もっとも、彼女は初めに「もう、光輪には手出ししない」と言っていたので、身の安全は保証してもらえるとは思っていたが、それを鵜呑みにするのは、流石に安直だったかもしれない。


(つーか、そもそもこいつは何となく”敵”って感じがしないんだよな)


 最初に会った時もそうだが、シャドーは景に対して一切の敵意が無く、それどころか親しみすら感じる程、気安く接してくる。

 だから景は、あまりこの少女に警戒心を持っていなかった。


「ってか、それを言うなら、お前も随分あっさり諦めるんだな」

「ああ、それはですね。この勧誘、実はシャドーの独断なんです」

「ほう」

「だからぶっちゃけ、『入ってくれたら儲けもん』くらいの気持ちだったので、別に先輩の力が必要不可欠ってわけでもないんですよ」

「なるほど。しかし、何でまたオレなんかを勧誘しようと思ったんだ?」

 

 景が訊ねると、シャドーはニンマリと笑った。


「フフフ、何言ってるんですか、先輩。退学組事件を解決したのは、実質先輩でしょう。それほどの実力者を引き入れたいと思うのは当然じゃないですか」

「オレはそこまでご大層な人間じゃないと思うけどね」

「謙遜しないでくださいよ~。先輩は、もう少し自分を誇ってもいいと思います」


 シャドーに称賛されるが、景は皮肉げに口元を歪める。


「仲間を見捨てて逃げ出し、一人で勝手に助けへ向かったオレをか?」

「でも、先輩。後悔してませんよね」


 シャドーは断定するように言うと、景の顔を覗き込むようにして見る。


「あの状況じゃ、撤退こそが一番適切な判断でしたよ。それに、帰るふりをして風紀委員と別行動をとったのは、学校内にいる内通者の目を欺くためだったんでしょう」

「…………」

「感情に流されず、状況を的確に判断して対応する。他の人がどう思うかは知りませんが、シャドーはそんな先輩の味方です」


 シャドーの言葉に、沈黙を貫いてた景は、やがてゆっくりと口を開く。


「……なあ、そろそろここから出してくれない?」

「いや、第一声がそれですか」


 予想外の台詞に、思わずツッコんでしまうシャドー。


「だって、お前に持ち上げられても、オレがホープに入る気無いのは変わらねえし」

「いや、あれはそういうつもりで言ったわけじゃ……あ~、もういいです。何か思い返すと、恥ずかしくなってきましたし……」


 ぶつぶつと呟きながらシャドーは景の袖を乱暴につかむと、ふわっ、と二人は空中へ浮き上がる。そして、どんどん高度を上げていくと、真っ暗で何も見えなかった景色が徐々に白ばみ始めた。


「ここでお別れですね」

「そうだな」

「シャドーは寂しいです」

「オレは寂しくない」


 むぅ、と可愛く頬を膨らませるシャドー。白い光にどんどん近づいていき、もうすぐ地上に出られると景は感じた。


「……ねえ、先輩。一つ聞いていいですか」

「何だ?」

「先輩から見て、この世界は――――」


 白い光に包まれ、気がつくと景は一人で道路の真ん中に立っていた。

 いつの間にか、シャドーはいなくなっており、見慣れた町の風景とこちらに向かって走っている彗と希初の姿が視界に映る。

 だが、景の頭の中では、自分を先輩と呼ぶ不思議な少女に訊かれた質問のことで埋め尽くされていた。


(……シャドーの奴、何であんなことを)


“先輩から見て、この世界はどう思いますか?”


 あの時のシャドーの声が、脳内でリピートされる。

 まるで世界の在り方に疑問を持っているような問いかけ、と言うのは大袈裟だろうが、シャドーが最後に見せた表情はどことなくこの現実世界を憂いてるように感じられた。


「どう思うって訊かれてもな~、どうも思わないってのが本音なんだけど…………ま、次会う時までに考えとくか」


 景はそう呟くと、向かってくる彗と希初の方へ歩き出す。


 



 ――――彼らの変わらぬ“非日常”は、こうして今日も続いていく。

 


 



これにて、ようやく退学組編終了です。


連載から、約二年。長かった~。


次回から新章に入ります。


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