第二十二話 決着
「ぐあああああっ!!」
耳をつんざくような絶叫が、ただっ広い空間に響き渡った。
それは徹底的に打ちのめされた男の断末魔にして、完全にこの戦いの決着がついたことを示す終了のお知らせでもあった。
焼けつくような痛みが全身を襲い、敗者は心の底から全てを吐きだすかのように叫ぶ。
「……何で……俺がァ!?」
鉄パイプを握りしめたまま、正体不明のダメージを全身に食らった貝塚は、膝をつき、その場に倒れる。未だに自分の身に起きていることが信じられない彼は、何度も何度も叫び返した。
「……何なの」
「ん~~?」
彗と希初もまた何が起きたのか分からず、言葉を失っている。そんな中、おそらくこの事態を引き起こしたであろう張本人が口を開いた。
「あ~、マジで痛かった」
緊迫感が欠片も感じられない台詞を吐きながら、のそりと起き上る景。
あれだけ手酷くやられておきながら、まるでダメージなど最初から無かったかのように平然としている。
「全く。お前、本気でオレを殺す気か? 久しぶりに、死ぬかと思ったぞ」
「……何で? ……どうして?」
「お~い、無視すんな~」
景は動揺しまくっている貝塚に近付いて話しかける。そこで、ようやく貝塚は我に返ると、激しい嫌悪感をむき出しにした顔で怒鳴った。
「貴ッ様ァァ!! 俺に何をしたァ!!」
「……一人称は『私』じゃなかったのか。相変わらず、キャラがブレブレだな」
パンパンと服についたホコリを払いながら、景は澄ました顔で受け流す。
「あっ。あと――」
「ぐあっ」
「――あんまり叫ぶとあばらに響くぞ……って、遅かったか」
床の上で苦しそうな呻き声を上げる貝塚の傍で、景は立ったまま静かに見下ろしていた。
「くっ、くそっ」
貝塚は必死に体を動かそうとするが、痛みがひどくて体が言うことを聞いてくれない。特に、脇腹辺りの痛みが酷く、感覚からして何本か折れている。
(くっ、この痛みは……まさか)
「分かったようだな」
ようやく貝塚は、自分が何の攻撃を受けたか気付いた。
全身にくまなく受けた鈍い痛みとそこだけ手酷くやられた肋骨。
これは、貝塚がさっきまで景に加えていたダメージそのもの。
「お前、佐藤の……」
「そ、因果応報をコピらせてもらいました」
景は軽く言うが、貝塚は元より彗と希初ですらその事実を素直に受け入れられなかった。
何故なら、景の他力本願はどんな能力もコピーできるが、その際相手に許可を取らなければならないという条件があるため、基本的に味方の能力しかコピーできず、敵の能力をコピーするのはまず不可能に近い。
それに……
「記憶を消したはずなのに、何でお前は能力を使える!?」
貝塚のどこか恐れにも似た問いかけに、景はいつもの面倒そうな口ぶりで答える。
「あ~、確かにオレはお前に能力に関する記憶を全て消されたけど、あくまで消されたのはオレの能力に関する記憶だけで、他の、つまり既にコピーしておいた他人の能力までは消されてなかったんだよ」
だから、使えた。そう説明を終えようとした景に、貝塚が否定の言葉をぶつける。
「嘘だっ!」
「嘘じゃねえよ。現にこうして使えてんじゃん」
「けど……じゃあ、お前が江ノ本の能力を使っていた時のことは、どう説明するつもりだ? あの時、お前は全く能力を使えなくなってたじゃないか」
「さあ?」
「さあ、って何だ! ふざけてんのか!」
何がそんなに腹立たしいのか。足元で喚き散らす貝塚のことを、景は理解できないとばかりにため息をつく。
「まあ、快刀乱麻は江ノ本の能力だけど、あの時使ってたのはオレだったから、広い意味で“オレの能力”として効果が及んだんじゃねえの」
「そんな……そんな、バカな」
「つーか、そんなことはどうでもいいだろ」
再び錯乱しかける貝塚に、景は冷めきった口調で淡々と告げる。
「お前は負けた。その事実さえ理解できればね」
ぐっ、と貝塚は押し黙り、目の前に立つ表情が乏しい少年を睨む。
景はしばしその視線を受け止めた後で、何も言わず彗と希初の方へ向かって行った。
「よう、無事か?」
「……そう見える?」
「だな」
彗の皮肉に肩をすくめて応じると、景は希初の口に貼られているガムテープを勢いよく剥がした。
ベリッ!
「~~~っ、痛いよ! 景君」
涙目になりながら非難する希初。だが、その顔には体中の力が抜けたような、安らいだ笑みが浮かんでいる。
(一件落着、ってとこか)
戦いが終わり、ようやく張り詰めていた空気が緩やかになったと思った矢先、突如低く、暗い笑いが聞こえてきた。
「……フフ、フハハハッ。全く、つくづく不愉快な連中ですね。私の計画をことごとく邪魔してくれて……フフフ」
不気味な含み笑いが木霊した後、貝塚は三人へ向かって吐き捨てるように言った。
「許さねえ、許さねえぞ、お前らァァ!! 特に、早房景。今度会うときはこの恨み、百倍にして返してやるっ!!」
「……随分と、小物なことを言うようになったな、貝塚」
正直、憐れみさえ感じるレベルの三下の台詞だ。
「そもそも、お前に次なんて無いだろ。風紀委員に引き渡したら、そこでゲームオーバーだ」
「うるせぇ! つーか、まだ終わっちゃいねぇ」
そう叫ぶと、貝塚は自分の胸ポケットに手を突っ込み、赤いドロップのようなものが詰まった透明なケースを取り出すと逆さまにし、水でも飲むかのような勢いで口へと流し込んだ。
瞬く間に飴らしきものが無くなっていき、ケースが空っぽになると、貝塚はフラフラと立ちあがり、凄まじい形相でこちらに顔を向ける。
「忘れてねぇか。俺の能力の事をよ」
貝塚の茫然自失は、記憶を消す能力。
物を破壊したり、人を傷つけたりするわけではないが、極めて恐ろしく、危険な能力だ。
目撃者の記憶を消してしまえば、完全犯罪だって可能になる上に、茫然自失自体は回避することも防御することもできない。
ならば、今のような状況で貝塚が能力を発動し、三人から自分に関する全ての記憶を消してしまったら―――
貝塚が逃亡するのを、止められる人間はいなくなる。
(まずい!!)
そのことを即座に理解した彗は、すぐに貝塚に向かって駆け出そうと立ち上がったが、時すでに遅し。
「フフフ、それでは皆さん、御機嫌よう。また会う時を、楽しみにしてますよ」
貝塚は丁寧な口調と共に自身の能力を発動させる。
その瞬間、景たちから貝塚に関する記憶は一切なくなり、犯人は誰にも追われることなく、この場から悠々と逃げられる―――
「…………なっ!?」
―――はずだった。
「だから言ったろ。お前に次なんて無いって」
「ど、どうして、俺の……ぐっ」
得意顔から一転。再び信じられないという表情になった貝塚は、切り札を破られたショックでそのまま膝をつく。
そんな彼に、景はゆっくり近づいていった。
「て、テメェは一体……」
「言わなかったか。オレは一般人。無様な形でしか人を救えない、正真正銘のモブキャラだよ」
それだけ言うと、景は貝塚を蹴り飛ばす。
「……くそ、がっ」
その言葉を最後に貝塚は、意識を手放した。
彼を一瞥した景は二人の元に戻ると、ポケットからハサミを取り出し、希初と彗を縛っているロープを切り始める。
「ねえ、景君。一体何したの?」
何が起こっているのかいま一つ理解できていない希初は、ロープを切られて自由になった手足を伸ばしながら、全ての元凶であろう彼に問いかけた。
「いや。茫然自失をコピーして、貝塚から“能力”に関する記憶を消しただけ」
あっさり言う景に、希初は目を丸くする。
「えっ、いつ?」
「さっき、あいつが立ちあがる少し前にな。もう切れちまったけど」
「そうじゃなくって、一体いつ貝塚の能力をコピーしたの? 他力本願は相手の許可が無ければコピーできないはずでしょ」
当然とも言える希初の疑問に、景は露骨に面倒くさそうな顔をした。
「……ま、いいじゃねえか。そんなことは、どうでも」
「ダメっ! 話してくれなきゃ、死んでもつきまとうよ」
「怖いわ」
ぐいぐいと迫って来る希初を引きはがしていると、急に彗が声を張り上げた。
「二人とも、そのへんにしときなさい」
凛とした声で、二人を止める彗。
その顔にはいつも通りの強気さが戻っていたが、同時にどこかさみしげで、気の抜けた感じもする。
「ん? どうした、江ノ本。何か元気ないみたいだけど」
「……アンタって、ホント最後の最後まで……はぁ」
気遣いの言葉をかける景に、彗は呆れたようにため息をつく。
「でも、一応、お礼は言っておく。助けてくれて、ありがとう」
「……お、おう」
「星笠さんも。あの時、かばってくれて」
「……ああ、うん。どういたしまして」
素直に礼を言う彗に、景と希初は若干身構えながら応じた。
「何? 二人とも、その反応は」
「いや、だって今までのオレらに対する態度と大分違うし」
「なんか、素直な江ノ本さんって、ちょっと……ね」
「どういう意味!?」
恐る恐るといった調子で口に出す景と希初に、彗は少しだけ怒りを見せたが、すぐにそれを引っ込める。
「……まあ、私が二人に色々とひどいことを言ったのは事実だから、仕方ないかもしれないけど……最後くらいは、意地を張るのを止めようと思っただけよ」
「最後?」
「江ノ本さん、最後って?」
同じ疑問を抱く二人に、彗はゆっくりと語り出す。
「私、貝塚に能力に関する記憶を消されて、もう能力使えなくなったから。近いうちに、光輪から離れることになると思う」
彗の告白に、景と希初は驚きつつも納得する。光輪高校は能力者のみが入学を許される学校。能力が無くなり、一般人になった彗にはもう光輪に居場所が無い。
「そんな……」
「ま、別に光輪にいられなくたって、私としてはそれほど大した問題……」
「……折角、仲良くなれたと思ったのに」
しんみりとした空気を漂わせ、希初が涙ぐむ。
「ううっ、ぐすっ。ねえ、景君。江ノ本さんの記憶を取り戻す方法ってないの?」
「あるぞ」
乱暴に涙をぬぐい、問いかける希初に、景は平然といつもの調子で答える。
「……うん、そうだよね。そんな都合よく記憶を取り戻す方法があるわけないって最初から分か……えっ?」
思いっきり落ち込みかけていた希初は、信じられないといった表情で景を見る。
「……今、何て?」
「いや、だから記憶を戻す方法ならあるって」
「…………」
その言葉が彼女たちの脳に染み込むまでの数秒間。辺りは完全な静寂に包まれた―――――が、次の瞬間。
「「ええ~~!?」」
二人の女子がそろって、驚きの声を上げた。いきなり至近距離で大声を上げられ、軽く鼓膜をやられた景は若干ふらつくも、そんなことはお構いなしとばかりに二人は詰め寄ってくる。
「そそそ、それって本当なの?」
「適当なこと言ってるんじゃないないでしょうね」
「当たり前だろ。つーか、少し落ち着け」
やや興奮気味の二人を引き離し、景は冷めた目で話を続ける。
「ったく。大体、『立ち方』に関する記憶を消されたオレが、今こうして立って歩いている時点で気づけっての」
「あっ、言われてみれば。でも、どうやって?」
「それは、ほら。お前の姉」
「あっ、なるほど」
サクサクと話が進む中、彗が待ったをかける。
「ちょっと、待って。星笠さんのお姉さんって、まさか生徒会の?」
「うん。生徒会会計の『修理工』こと星笠桃」
何故か誇らしげに、希初は平らな胸をそらす。
「ま、そんなわけだから。とっとと連絡とって“原点回帰”で記憶を戻そうぜ」
そう言って景が携帯を取り出した時、神海と天川が音も無くふっと目の前に現れた。
「おや、どうやら、全てが終わった後のようだね」
「そうだな」
突如現れた二人の先輩に、彗と希初は面食らう。
「どうしてここに、先輩たちが?」
「ああ、オレがメールしといた。ここに来る少し前に」
希初の疑問に答えると、景は二人の前に立つ。
「にしても、随分と遅かったですね」
「面目ない。色々、こっちも大変でね」
すまなそうに言う神海の制服には、あちこちに切り裂かれた痕がある。
確かに、大変な目にあってきたようだ。
「さてと、みんな無事かい?」
神海が辺りを見渡しながら尋ねると、希初はコクリと頷き、彗は「……何とか」と返す。
「おい、神海。取りあえず、こいつはどうする?」
いつの間にか天川が倒れている貝塚の傍に立ち、襟首をつかんで持ち上げていた。
「ああ。警察に引き渡すまで、風紀委員の特別指導室に入れておいて」
「分かった」
言うや否や、貝塚の体が瞬時に消える。おそらく神出鬼没で特別指導室まで飛ばしたのだろう。
「よし。じゃあ、僕たちも帰ろうか」
神海に言われ、景、希初、彗は黙って頷く。
正直、訊きたいことは山ほどあったが、まずはどこかで休みたいというのが、三人の中で共通した思いだった。




