第十九話 貝塚の能力
置いてきてしまった鞄を取りに戻るために、自分の教室へと向かう途中で、景は珍しい場面に遭遇していた。
それは、天井に届きそうな程高く積み上げられたダンボール箱を、あっちへふらふら、こっちへふらふらと非常に危なっかしい動きをしながら運んでいる一人の女性だった。
(……何やってんだ、あの人は)
景は呆れつつ、ぶつからないように気をつけて通り過ぎる。
その数秒後。
「きゃあああああっ!!」
背後から叫び声と共に、ドタッ、バタッと何かが落ちるような派手な音がした。
振り返ると、案の定そこには、おそらくダンボ-ル中身だった資料らしきプリントが床に散乱し、中心にはイタタ、と呻きながら若い女性が尻もちをついていた。
「……大丈夫ですか。青島先生」
景は立ったまま、自分のクラスの担任兼能力学の教師でもある青島由紀先生に話しかける。
去年から着任した新米の先生だが、美人で優しいし、教え方も上手くて誠実。生徒の事を一人一人ちゃんと見てくれていて、相談事にも真摯に向き合ってくれている。
唯一の欠点として、若干ドジな所があげられるが、それすらも魅力の一つと捉えられ、多くの生徒たちに人気があった。
「う、うん、何とか」
「それは何より。では、これで」
無事を確認した景は、すぐにその場を立ち去ろうとしたが、青島は立ちあがると、慌てて景を呼びとめた。
「ちょ、ちょっと待って」
「何ですか?」
「片づけるの、手伝ってもらえると嬉しいかな~、って」
「いや、オレはこれからちょっとした用事があるので。あ、それと、これ返しといてください」
にべもなく断った後、景はふと思いついたかのように、ポケットから風紀委員の腕章を取り出す。
「これは……風紀委員の腕章ね。早房君、風紀委員辞めるの?」
「まあ、そんな感じです」
素っ気なく景は言ったが、青島から探るような瞳を向けられ、少々気まずい。
「……何か、あったの?」
「特には。まあ、強いて言うなら、やはりオレには荷が重かったってことですかね」
言葉の割に、平然としている景。だが、青島は何かを察したように頷くと、聖母の如き優しい表情を見せた。
「そっか」
青島は、目の前にいる一生徒の肩にそっと手を置く。
「早房君。君に何があったのか訊く気はないけど、後悔があるならそれをそのままにしておくべきじゃないと思う」
「…………」
「先生からの助言はそれだけだから。じゃあ、また明日」
そう言って、青島は散らばったプリント類を手早く集めるとダンボールの中に詰め直し、ヨイショと持ち上げ、再び運び始めた。
しかし、相変わらず見てる者をハラハラさせるような足取りで、ダンボールもグラグラと揺れている。
(あ~あ。また、こけるな)
さっきの二の舞を容易に予感させられた景は、手の中にある腕章をそっと握りしめると、足早にその場を去っていった。
◇◇◇◇◇◇
江ノ本彗が目を覚ましたのは、薄暗い部屋の中だった。
前にいた廃ビルとは床や壁の質感からして違うことが分かるが、かなり老朽化していることから、おそらくここもどこかの廃墟なのだろう。
(ここは、一体?)
冷たい床から体を起こそうとした瞬間、ズキンと頭に痛みが響く。
手で押さえようと、右腕を動かそうとした時に、初めて自分がロープでがんじがらめに拘束されていることに気付いた。
(そうだ。私はあの佐藤とかいう奴の能力で、やられたんだっけ)
まだ十分には働かない頭を使い、彗は自らの状況を省みる。
「お目覚めですか。お姫様」
「!? アンタはっ!」
声のする方へ首を動かすと、そこには貝塚がニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて見下ろしていた。
「やはり貴女はタフですねえ。気絶してから、まだ三十分と経ってないのにもう気がつくとは」
「黙れっ!」
彗の怒鳴り声が、静まりかえった廃墟の中で反響する。
「おお、怖い怖い。それにしても、やはりAランクというのは特別なんですね。身体能力一つとっても、我々凡人とは違うのが良く分かりますよ」
「ど~も、ありがと。お礼に、その気色悪い笑顔を泣き顔に変えてやる!」
さも愉快そうに言う貝塚に対して、怒りに燃える彗は今すぐこの拘束を解くため能力を発動させようとした。
彗を縛っているのは、どこにも売られている荷造り用のロープ。それなりに丈夫ではあるが、コンクリートさえも切り裂いた彼女の能力の前では全くと言っていいほど強度が足りていない。
だが、彼女の能力を把握しているはずの貝塚は微笑を絶やさず、その場で見下ろし続けていた。
まるで、彼女が自分を傷つけられないのを確信しているのかのように。
「アンタはこの私の能力……能力で……えっ?」
怒りで鋭さを増していた彗の目が、驚きと混乱に変わっていく。
そして、信じられない、信じたくない事実を、彼女は否応なしに気づかされる。
(……私の能力って、何?)
彗は自分の能力に関する記憶を全て失っていた。
自分がどんな能力を持っていたか、今までどんなふうに使っていたか、ついさっき退学組と自分が戦っていた時の記憶すら、今の彗は持っていない。
「フフッ、どうやら気付いたようですね」
意味ありげな含み笑いをする貝塚を見て、彗は一気に悟った。
梅宮が四面楚歌、輪島が手枷足枷、そして佐藤が因果応報ということは、残った貝塚の能力は必然的にあの能力しかない。
「アンタが……記憶を消す能力者!」
「その通り。私の能力は“茫然自失”。相手の記憶を消し去ることができる些細な能力です」
言葉とは裏腹に、貝塚の表情は自尊心であふれかえっていた。
実際のところ、自分たちの能力を隠蔽することで、対策を立てれなくした上に、風紀委員のエース、光輪の中でも数少ないAランクにして一桁順位、江ノ本彗の能力を疑似的に無効果した彼の能力が、退学組の中で最も大きい功績を上げているのは間違いない。
「フフフ、Aランクとはいえ、能力が使えなければ、ただの小娘。今の貴女など、恐れるに足りません」
「くっ」
見くびられ、嘲笑され、耐えがたいほどの屈辱を味わうも、手足を縛られてる故にどうにも出来ない。
そんな自分を彗は恨めしく思っていた時、唐突に鈴を転がすような澄んだ声がどこからともなく聞こえてきた。
「いや、小娘って。貝塚さんと年ほとんど変わらないじゃないですか。」
呆れたような口調とともに、貝塚の影からぬるりと一人の少女が長い髪をなびかせて、姿を現した。
「おや? シャドー。君には佐藤君と同じく見張りを頼んでおいたはずですが」
「いや~、あまりにも暇だったんで、ちょっと息抜きに」
「困りますねぇ、好き勝手されては」
相変わらずの神出鬼没っぷりだが、貝塚はさして驚いた様子もなく話しかける。
しかし、シャドーは貝塚のことなど気にも留めずに、彗の方に寄って来た。
「どうも、江ノ本さん。御気分の方はいかがですか?」
「……見ての通り、最悪よ」
「ですよねー。『アンタ達は、私がまとめて粛清するわ』とか格好いいこと言いながら、このざまですもんねー」
楽しげな様子でからかってくるシャドーに、彗はこれ以上無いくらいにイラッときた。
「シャドー。その辺にしておきなさい」
貝塚がたしなめるようなことを言うと、シャドーははいは~いと軽い返事をして後ろに下がる。
そして、彼女と入れ違いに貝塚はゆっくりと彗へ近づいた。
「私に何する気」
反抗心むき出しで噛みつくような態度をとる彗。能力を失ってもなお、彼女の気丈さは健在だった。
「フフ、ご安心を。私は輪島君とは違って、女性を辱める趣味は持ち合わせていませんので」
「そう。なら安心ね」
全く警戒心を緩めることなく睨み続ける彗の前で、貝塚は穏やかに話を切り出す。
「さて、江ノ本さん。今の貴女は私の能力で自分の能力に関する記憶を全て失っています」
さも得意げに言う貝塚に、彗はただ鋭い目を向けるだけで何も言わない。
「しかし、私も鬼じゃないので、ちょっとしたお願いを聞いてくれれば記憶を返すこともやぶさかではありません」
「……それは、私と取引したいってこと?」
「ええ。その通りです」
貝塚がニヤリとするのを見た彗は少しの間目を閉じると、深く、深く息を吸い込んだ。
「ふざけないで」
静かな、しかしはっきりとした拒絶の意志を示す言葉が、彗の口から放たれる。
例え自分の能力を盾にとられようとも、彼らの悪事に加担することなど、彗は一ミリも考えようとはしなかった。
「私は、アンタみたいな卑怯な奴には絶対に屈しない」
「……そうですか」
貝塚の目から光が消え失せ、冷めた表情へと一変する。そして、おもむろに右足を振り、彗の無防備な脇腹を蹴りあげた。
「がっ、はぁ」
「全く。風紀委員の連中というのは、どうしてこう揃いもそろって威勢いい奴ばかりなのやら」
貝塚は忌々しげに呟きつつ、もう一度蹴る。再び、彗の口から呻き声が漏れるが、彼女は全くひるんだ様子がなく、敵意をむき出しにした顔で対峙する。
「その目、気に入りませんね」
貝塚は弱った虫をいたぶるように、何度も何度も彗の体を蹴り続ける。
その様子をやや離れた場所眺めていたシャドーは、貝塚のやり口に引いていた。
(うわぁ。本当に陰湿だね、あの人は)
抵抗できない相手をいたぶることもそうだが、何よりも意地が悪いのはさっきの取引に言った台詞だ。
(『記憶を返すこともやぶさかではありません』なんて、茫然自失で消した記憶は二度と元に戻らないのに)
そう、茫然自失で消された記憶は、消した張本人である貝塚でも戻すことはできない。
そして、それは同時に彗の能力が永遠に失われたことを意味している。周りの人間から自分の能力がどういったものかは知ることはできても、発動のさせ方は本人にしか分からないからだ。
その事実を隠し、偽りの希望をちらつかせ、服従させようとした貝塚の所業はまさに外道そのものとしか言いようがない。
(貝塚さんのランクに対する憎しみって、ホント尋常じゃないな~)
シャドーはやれやれと首を振ると、波紋を広げながら静かに影の中へと沈んでいった。
次回から、戦闘描写が書けそうです。




