第十七話 異変
ロストナンバーを連載して、早一年が経過しました。
時の流れは速いですね。
それでは、第十七話です。
「…………」
しばらくの間、貝塚は拳銃を構えたまま、景がいた場所を見すえていた。
「貝塚さん。どんなに睨んでも、先輩は戻ってきませんよ」
「分かっていますよ」
腕を下ろし、拳銃をポケットに仕舞うと、貝塚は後ろの影から頭だけを出しているシャドーの方へ振り向く。
「シャドー」
「何ですか?」
「今すぐ気絶している二人を影に取りこんで、例の場所に移動して下さい。一応、彼が戻って来たときの対策は取ってありますが、念には念を入れておきましょう」
「は~い」
シャドーは楽しそうに返事をすると、佐藤と江ノ本の影が波打ち、二人は影の中へゆっくりと沈んでいく。
彼女の能力は影の中に潜り、その中を移動するだけでなく、自分以外の人間や物体を影の中に取り込むこともできる。
偵察・隠密活動において最も適したこの力を持つ彼女が、もし仮に光輪高校の生徒だったなら、間違いなくBランクの称号を与えられているだろう。
「ところで、貝塚さんはどうするんですか? 一応、あと一人分くらいなら運べますけど」
「いえ、私は遠慮しておきます。ちょっと、やることがあるので」
「? なら、いいですけど、くれぐれも見つからないようにしてくださいね」
貝塚の返事に、若干シャドーは首をかしげたが、深くは追求しなかった。
「ああ、それとシャドー」
「はい? 何ですか」
貝塚は影に潜りかけたシャドーを呼びとめる。
「貴女、あの男の能力を知っていたそうですね」
「そうですけど」
「困りますよ。奴らの情報は全てこちらに提供する約束でしょう」
「いや~、訊かれなかったから、いいのかなって思いまして」
やや責めるような目をする貝塚に対して、シャドーは全く悪びれることなくヘラヘラ笑っていた。
「全く。貴女という人は。ホントいい加減ですね」
「いいじゃないですか。どうせ、貝塚さんの能力があれば、相手がどんな能力を持っていようとも無意味なんですから」
「まあ、そうですが。それとこれとは、話が別―――」
「じゃあ、私は一旦、アジトに戻りますから。景先輩の能力については、そっちで話しま~す」
二人の姿が完全に影の中へと沈みきったのを確認すると、シャドーは逃げるように、再び影の中へ潜る。
彼女の姿が完全に消え、わずかに波紋が広がる影を見ながら、貝塚は静寂を取り戻した廃工場の中で、呆れたように首を振る。
「やれやれ、これでは先が思いやられますね。…………しかし、ようやく一人きりになれたか」
口調がガラリと変わった貝塚の目には、凶気を帯びた光が宿っていた。
そして、おもむろに胸ポケットへ手を伸ばすと、そこから小さい透明なケースを取り出す。
その中には、血のように赤いドロップのようなモノがぎっしりと詰まっていた。
「これだけは、あいつらに見られるわけにいかねえからな」
貝塚はニタァと笑うと、ケースからそのドロップのようなモノを一粒取り出し、口の中へと放り込んだ。
◇◇◇◇◇◇
まばらに人が行き交う道路の端で、景は耳に携帯を当て、何度も続くコール音を聞いていた。
『プルルル、プルッ―――お掛けになった番号は、現在電波の届か……』
「チッ、何でこの非常事態にあの委員長は電話に出ないんだ」
携帯から流れる機械音声の決まり文句を途中で切ると、景はどうしたもんかと天を仰ぐ。
現状で勝つことは難しいと判断し、あの場から離れた景は、風紀委員に応援を頼もうと神海に連絡を入れたのだが、何故か全く繋がらなかった。
「……やっぱ、行くしかないか」
しばらくしてから、そう呟いた景は直接光輪高校へと向かうことに決め、走り出す。
しかし、そこそこ人のいる道路では接触事故の危険があるため電光石火は使用できず、自分ののろまな足に頼らざるを得なかった。
(スピードが出せない分、近道使って短縮するか)
景は一旦立ち止まると、二つの高い建物に挟まれた細い裏道に足を踏み入れる。
薄暗く、人通りも少ないその道を、ただ黙々と走り続けること数分。景が最初の角を曲がった時、足元にある何かにつまづき、転びそうになった。
「とっとっと、危なかっ……た?」
反射的に、つまづいた原因へ目を向けると、そこには人が一人倒れていた。
それだけでも十分驚くべき出来事だが、それ以上に、景は倒れている人物そのものに対して驚いていた。
何故なら、その倒れていた人物とは、退学組で唯一あの場に現れなかった残りの一人。
「何でこいつ、こんなとこで寝てんだ?」
地面の上で仰向けに寝っ転がっている梅宮を、景は不思議そうに眺める。
(取りあえず、この男も人質として取り込んでおくか)
そう思い、能力を発動させようとした景は、不意に彼から距離をとる。
直後、今さっきまで景のいた場所に、ガンッという衝撃音が響いた。
「よく避けたな」
振り返ると、そこには恐らく自身の能力で増やしたであろう、もう一人の梅宮が警棒を振り下ろした状態でジロリと睨んでいた。
「ハッ、オレの回避スキルをなめるなよ」
景は口角をつり上げて、得意そうな顔を作る。とはいえ、今すぐ光輪へ向かいたい彼にとって、この状況はあまり好ましくない。
(戦っている時間は無い。一気に突破させてもらうぜ)
覚悟を決め、景はまっすぐ梅宮の方へ駆け出した。
「馬鹿め」
梅宮はそう呟くと、四面楚歌を発動させる。瞬く間に、一人から三人へと分身した梅宮は横一列に並び、景の行く手を阻む。
狭い裏道なため、たった三人でも十分な壁になり、人がすりぬけられるような隙間は完全にふさがれてしまった。
(でも、たったの三人。それくらいなら、イケる)
梅宮の能力発動と同時に足を止め、景は力強く地を踏むと、
(……わけないよね)
クルッとUターンして、来た道を戻りだした。
「「「―――っ!! 待て!」」」
敵前逃亡する景を見て、梅宮三人衆は口々に喚き立てながら追いかけてきた。
「逃げるな!」
「卑怯者!」
「戦え、チビ!」
好き放題に言われ、カチンと来た景は負けじと言い返す。
「うるせーよ! つーか、一人相手に複数でかかるような奴に、卑怯とか言われる筋合いはねぇ!」
彼らに向かって叫び返した直後、景は前方をおろそかにしていたせいで、何者かと衝突し、弾かれた。
「ッテテ、あ~すいません、今ちょっと悪い奴らに追わ…れ……」
尻もちをついた景は、急いで謝罪して後ろからの敵から逃げようと立ち上ったが、ぶつかった人物を見て、思わず息をのむ。
「……梅宮!?」
そこには梅宮が無表情で立っていた。しかも一人ではなく、背後にはまだ二人もいる。
「どうなってやがる?」
景の頭の中は疑問符に覆い尽くされていた。四人までしか分身できないはずの四面楚歌で六人に、いや、気絶したのも含めて七人に分身した梅宮の存在は、完全に想定外だった。
そんな軽くパニックに陥っている景を、目の前にいた梅宮たちはチャンスとばかりに、一斉に襲いかかってくる。
やむを得ず思考を一旦中断し、彼らから逃げ出そうとするも、すでに後ろには後を追いかけてきた三人の梅宮に退路を断たれ、袋の鼠となっていた。
(……ちっ、これもまた因果応報ってやつなのかな)
じりじりと詰め寄って来る梅宮(×6)に囲まれた景は、忌々しく呟いた。
あの廃ビルで仲間を見捨てた報いが、今という形で跳ね返ってきた、と考える景に向かって、梅宮全員が一斉に警棒を振り上げる。
景は咄嗟に腕で顔をかばうが、そんなもので四方八方から迫る金属の棒は防ぎきれない。
「……くっそが」
思わず口から悪態が漏れ、梅宮の攻撃が開始されたその瞬間。
突如、景は後ろから襟元を引っ張られる感覚と同時に、視界が薄暗い裏道からどこか見覚えのある無機質な部屋へと急変した。
「……あれ?」
突然の出来事に思考が追い付かず、構えを解いて、呆けたようにその場に立ち尽くす景。
だが、そんな時間は横っ面を殴り飛ばされるというバイオレンスな形で、強制的に終わりを迎えた。
「ぐはっ!?」
ドサッと床に倒れ伏した景は、痛みよって歪められた顔を上げる。
すると、そこには仁王立ちした板垣が怒りに満ちた形相で睨みつけていた。
「まあまあ。少しは落ち着きなよ、板垣君」
なだめるように言いながら、景の視界に入って来たのは風紀委員長の神海。
そして、周りをよく見るともう一人、見知らぬ小柄なボブカットの女子生徒が椅子に座って、ギュッと目を閉じている。
(……誰だ、アイツ?)
全く見覚えの無い少女の顔を眺めていると、神海がゆっくりと近づいてきた。
「立てるかい? 早房君」
神海は優しく手を差し伸べるが、景はその手を掴まず、自分の足で立ち上がった。
「大丈夫そうだね」
「流石に、そこまでヤワじゃないです」
パンパンと制服のズボンを手で払うと、景は未だ睨みつけている板垣と向かい合う。
「で、オレは何で殴られたわけ?」
「――っ、お前!」
再度、拳を握りしめる板垣。だが、行動を起こすよりも前に、神海の声が響く。
「“板垣創次、仲間と争うのを禁止する”」
ピタッと金縛りにかけられたの如く、板垣の動きが止まった。金科玉条によって身動きを封じられた板垣は拳を下ろすが、彼の心にやり場のない怒りが溜まっていく。
その様子を見て、神海はハァ~と珍しく長いため息をついた。
「板垣君、気持ちは分かるけど、彼をいくら殴ったところで何も変わらないよ」
諭すように言われた板垣は、渋々怒りを押しとどめる。
「早房君も、あんな挑発的なことは言っちゃダメだろう。彼が怒っている理由に気付けない程、君は鈍い人間じゃない」
「……断定ですか」
景は小さく呟くと、神海に向き直る。
「……つまり、全てお見通しだと」
「まあね。と言っても、全てじゃない。崎守さんの天網恢恢には、流石に透視能力までは備わっていないからね」
神海の説明を聞き、やはりな、と景は思った。神海の言いようから察するに、見知らぬ少女、崎守の能力は離れた場所を見る千里眼のような能力なのだろう。
(だから、板垣はオレが仲間を見捨てたことを知って、激怒しているわけか)
考えてみれば、板垣も一年。裏切り者のリストから外れる存在なら、今回の作戦のことを知っていて当然の人物。
状況を理解した景は納得しつつも、新たな疑問が頭の中で生まれる。
「だとしたら、こんなとこにいないで、とっとと助けに行ったらどうですか?」
「……逃げておいて、随分と偉そうなことを」
「いやいやいや。神海先輩なら、それくらい楽勝だろうと思ってだけだよ」
板垣が憎々しげに言うのに対して、景は全く動じずに切り返す。
「ハッハッハ、それは光栄だね」
「笑ってないで、質問に答えてくれませんか?」
「おっと、そうだったね。すまない」
冷やかな目を向ける景に、神海は表情を元に戻すと真面目な口調で話し始めた。
「まあ、君の言うとおり、僕も助けに行きたいのはやまやまなんだけど、いろいろ事情があってね」
「事情?」
「うん。そもそも、退学組の目的は何だと思う? 早房君」
神海に問いかけられ、しばし考えた景は最初に梅宮と会ったときに言っていた言葉を思い出す。
「復讐。つまり、自分たちを退学にした、この光輪高校に何らかの被害を与えること……ですか?」
「おそらくは。ちょうど天川君以外の生徒会メンバーが任務で出払っているし、攻め入るなら、今ぐらいしかないだろうね」
「だから、神海先輩は防衛のために残っていると?」
景が疑問の声を上げるが、それを無視して神海は話を続ける。
「それに今現在この町のあちこちで、ある人物に風紀委員が強襲されているという連絡がひっきりなしに届いていてね。今はちょっと落ち着いてきたから、別の人に任せているけど、その対応のためもあって、僕はここから離れられなかったのさ」
「ああ、だから神海先輩はオレの電話に出れなかったんですか」
「そう。手間かけさせてしまって悪かったね」
「ま、いいですけど。それで、一体誰なんです、そのある人物と言うのは?」
訊ねる形をとっているが、景にはその人物について、すでにある程度の予想はついていた。
「それは……」
神海の口から、その人物の名が発せられようとしたその時。景の携帯から突如、着信音が鳴りだした。
やむを得ず、一旦、神海の話の続きを中断し、景は電話に出る。
「はい、もしもし」
『やあ、久しぶり、と言うほどでもないですか。早房君』
「……お前は、貝塚」
景が電話の相手の名前を口にした瞬間、神海と板垣は神妙な態度でこちらへ近づいてきた。
「……何で、お前がオレの携帯の番号を知っている?」
『フフフ、そんなの簡単ですよ。ちょいと、彼女の携帯のアドレス欄を拝借しただけです』
不気味かつ不快な含み笑いが、景の耳を刺激する。
「で、何か用か? 世間話なら、付き合わねえぞ」
『フッ、冗談が上手いですねえ。まあ、私もだらだらと与太話する気はないので本題に入りましょう』
貝塚は落ち着いた声で、もったいつけるようにゆっくりと切り出した。
『早房君。私と取引しませんか?』
追記、活動報告にも書きましたが、第九話を改定しました。