第十五話 奇襲
遅くなりました。次こそは、もっと早く投稿します。
過去最大の文字数を誇る、十五話です。
初夏の日差しが降り注ぐ放課後。
だが、その柔らかな日の光が届かない路地裏で光輪高校帰宅部の生徒の一人が走っていた。息を切らせ、額に汗がにじんでいるが、彼は決して足を止めずに走り続けている。
彼は逃げていた。背後から迫り来る奴らに怯えながら。
「ハァ、ハァ、ハァ―――――ッ!!」
彼は不意に立ち止まる。目の前に一人の少年が、彼の行く手をさえぎるように立ちふさがっていたからだ。
それが、ただの少年だったならば、彼はさほど意識することなく、そのまま通り過ぎただろうが、彼はどうしてもその少年から目が離せなかった。
何故なら、その少年は彼にとっての知り合いであり、なお且つ今まさに後ろから自分を追っている奴だったからだ。
「木坂誠」
「あの時の恨み」
「晴らさせて」
「もらう」
途切れ途切れに言葉をつなげる少年の迫力に、彼は自然と足が後ろに下がる。
「ひぃ!」
前後から挟み撃ちになり、四人の同じ顔をした少年に囲まれた彼は短い悲鳴を上げた。
今、彼は長い間走り続けていたせいで足がろくに動かず、心臓も今までに無いくらいバクバクと鼓動している。
彼らを押し倒して進む体力は、もう残されていなかった。
「う、梅宮。落ち着け。お、俺は……」
「問答無用」
「言い訳など」
「聞くに」
「値しない」
交互に話す四人の手に握られた警棒が一斉に振り上げられ、木坂は反射的にギュっと目を閉じた。
しかし、いつまで経っても彼が予想したような痛みは襲ってこず、代わりにどこからか聞いたことのある懐かしいメロディーが、かすかに耳の中へ流れてきた。
(これは……子守唄?)
木坂は恐る恐る目を開けると、そこには四人の梅宮が道路に倒れており、その向こうでは未だ子守唄が流れているスマートフォンを片手に、こちらへと駆け寄る風紀委員の男がいた。
「おい、大丈夫か?」
「あ、ああ、助かった」
九死に一生を得たとはまさにこのことだと、木坂はほっと安堵の笑みを漏らす。
偶然にもクラスメートだった木坂は、彼の能力を良く知っていた。
“白河夜船”。
相手を深い眠りに誘う能力で、さっきの子守唄のように眠りを連想させるものと併用することにより、効果範囲を広げることが出来る。
風紀委員の中でも彼以上に安全に、そして確実に敵を無力化することができるのは、神海委員長と白河副委員長を除いて他にいない。
「は~、死ぬかと思った」
安心したせいで今まで意識してこなかった疲れがどっと出たのか、木坂はその場に腰を下ろす。
「それにしても、今更何で俺を狙ってきたんだ? 梅宮の奴」
「さあな。だが、ここでこいつに出会えたのは良かった。これで、彼らの目的やアジトを聞き出せるかもしれない」
取りあえず運ぶための応援を呼ばないとな、と風紀委員の男はスマートフォンのアドレス欄に指を走らせる。
「あ、俺も手伝うよ。何人呼ぶ気かは知らないけど、流石に意識の無い人間四人も運ぶのは大変だろ」
「ああ、すまんなッ!?」
スマホの画面からクラスメートに視線を変えたとき、彼は木坂の背後から忍び寄る人物を見て、その顔が驚愕に染まる。
「な、何で……お前が!?」
「ん? どうしガッ!!」
後頭部に強い衝撃を受け、前のめりに倒れる木坂。それによって、彼の体で隠されていた人の姿が明らかになる。
そこには、五人目の梅宮がいた。
◇◇◇◇◇◇
「さてと、それじゃあ、本題に移るわよ」
人気のない公園のベンチに腰掛けると、おもむろに彗が切り出した。
神海の話を聞き終え、学校を出てからの彗は全く喋らないで、人の目を気にするように絶えず周囲を窺いながら、歩いていた。希初が話しかけても「後で」の一言で済まし、この公園に着いて、ようやく口を開いたかと思えば、いきなり妙なことを言い出すので、二人は状況についていけず、かなり戸惑っている。
「本題って?」
希初が訊くと、彗は真面目な顔で話し出す。
「私たちのするべきことは情報収集じゃないの。本当の役目は、敵のアジトの偵察、及び可能なら退学組を捕らえること」
「えっ!? で、でも、まだ情報が必要なんじゃ……」
「彼らの居場所なら、もうとっくに神海委員長が突き止めていたわ。最も、これは風紀委員でも白河先輩と私を含む一年生しか知らされてないけどね」
彗の口から打ち明けられた意外な事実に、景と希初は愕然とする。流石、風紀委員。情報収集能力は、そこいらの警察を上回っている。
「でも、それが本当だとして、どうしてみんなに秘密にする必要があるの?」
「それは……言いにくいことだけど、神海委員長は風紀委員の中に退学組と通じている裏切り者がいると考えているのよ」
「ええっ!!」
驚きのあまり大声を上げた希初を、彗が刺すような視線を向けて黙らせる。
「……それって、本当なの?」
希初が声のボリュームを落として訊ねると、彗は大きく頷いた。
「神海委員長から聞いたんだけど、私たちが入学する少し前にも外部犯による事件が起きてたみたいでね。と言っても、こっちはただ昼休みの間に理事長室が荒らされていただけで、何も被害は無い事件だったみたいだけど」
「それも、退学組の仕業なの?」
「おそらくね。でも、セキュリティが頑丈な光輪高校に忍び込むのは、例え元生徒でもまず不可能。だから、内部から手引きした人間がいると考えるのが自然でしょ。それに、彼らが定期的に学校を巡回している風紀委員の目を盗んで行動したとなれば、裏切り者は同じ風紀委員の中にいるってことになるわ」
考えたくもないことだけど、と彗は苦い顔をする。
正義感の強い彼女にとって、自らも所属する風紀委員に裏切り者がいるというのは、許せないことなのだろう。
「ま、そんなことがあったわけだから、神海委員長はこのことを公には知らせず、私たちに退学組を任せたってわけ。既に先生たちにも、許可は取ってあるわ」
「で、でも、何で新入りの私たちにそんな大層な役目を?」
「新入りだからこそよ。彼らが退学になったのは去年の9月で、この事件が起こったのは入学式の前。つまり、今年入学した一年生は、裏切り者のリストから外れるってわけ」
二人を風紀委員に入れた理由も実はそこにあったと、彗はついさっき彼らが来る前に神海から説明されたことを思い出しながら、語る。
「だけど、退学組はそんな苦労してまで侵入して、一体何がしたかったのかな?」
相変わらず謎だらけな退学組の行動に、希初は首をかしげる。
「さあ? 連中が何を考えてるかなんて、私には分からないわ」
「そう……景君はどう思う?」
希初が意見を聞こうとして顔を横に向けると、そこには壁に寄り掛かって、かすかに寝息を立てながら眠りについている友の姿があった。
「……景君」
さっきから何も言わないと思ってはいたが、この状況で寝ていられる景の図太さに希初は驚き、そして呆れる。
「……コイツは」
彗はこめかみをひくつかせた後、静かに景の近くに寄ると、木刀を思いっきり脳天に振り下ろした。
「痛っ――――――!!」
激痛の走る頭を抱え、涙目になる景は目の前の怒りオーラ全開な彼女を見て、辟易する。
「……目は覚めた?」
彗の静かな怒気を含んだ言葉に、景はただ頷くしかなかった。
◇◇◇◇◇◇
「全く。よくあんな時にぐうすか寝ていられたね、景君」
「しゃーないだろ。長々とつまんない話聞かされれば、誰だって眠くなるわ」
「二人とも、少しは緊張感をもったらどうなの。もう、アジトは目と鼻の先なんだから」
雑談をする二人の耳に、彗の忠告が届く。彼女の案内のもと、退学組のアジトである廃ビルから少し離れた場所で三人は待機していた。
「あれが、退学組のアジトなんだね。江ノ本さん」
希初が訊くと、彗は「ええ」と短い返事をするだけで、目は廃ビルに釘づけになっていた。
「まあ、確かに不良が溜まり場にしてそうなイメージはあるな」
この辺りは人通りも少なく、町の中心部からやや離れているので、風紀委員に見つかる確率も低い。まさしく、アジトに持ってこいな物件である。
景がそんな感想を漏らしていると、彗は振り返って奇襲の段取りを説明し始めた。
「それじゃあ、作戦を伝えるわ。まず、私がビルに入って、退学組を全員ぶちのめす」
「うんうん、それで私たちは?」
「アンタたちは……戦闘の邪魔にならないように、私の目の届くところでおとなしくしていて」
「……えっ」
彗の言葉に、希初は呆気にとられた。
「おい、江ノ本。それは、オレたちに何もするなって言いたいのか」
彗のとても作戦とは言えない独りよがりな考えを、景は皮肉るように言った。しかし、彗は顔色一つ変えず、堂々と訊ね返す。
「逆に聞くけど、アンタたちは退学組と戦えるの? 他人任せのコピー能力と戦闘力のないテレパシーで」
彗の問いに、景は黙り込む。
挑戦的な態度にはカチンとくるが、彼女の言ってることは間違っていない。
確かに、景たちは二日前に退学組の一人を倒しはしている。しかし、実質的に攻撃の役を担ったのは中林であり、つまるところ景があの襲撃者と一対一で戦った場合、勝てた確率は多く見積もって三割程度だっただろう。
反論せず、黙りこくった景の反応を肯定と受け取った彗は、尚も言いつのる。
「この任務は、本来私一人でも十分果たせるものなの。だから、せいぜい足手まといにだけはならないで」
突き放すようにそう言うと、彗は二人に背を向けて廃ビルへと歩き出す。周りを拒絶し、孤高を気取ったような後ろ姿を景は面白くなさそうに睨んだ。
それは、自分が役立たずと言われたからではなく、彼女からかつての親友を連想したからだった。
「……チッ」
景が軽く舌打ちすると希初が戸惑った顔で訊いてきた。
「景君。私たち、本当に何もしなくていいのかな?」
「知るか。ま、出番がないにこしたことはないだろ」
景はあっさりそう答えると、廃ビルの中へと進み、希初も複雑な表情をしていたが、彼の後を追うように続いていった。
◇◇◇◇◇◇
辺りを警戒しながら侵入した廃ビルの中は、外見からの予想を裏切らず、見事なまでに廃れていた。
コンクリ製であるため、目立った老朽化はないが、天井には所々ひびが入っており、壁もかなり黒ずんでいる。
しかし、床には長い年月を経て積もったであろう埃が、複数の人間の足跡を残し、更に真新しいコンビニ弁当やカップ麺の容器が散らばっていて、最近誰かがここにいたという事実を裏付けていた。
「どうやら、ここが退学組のアジトってのは、間違いなさそうだな」
「そうだね。って、江ノ本さん。そんなに急がないで、もう少し慎重に行こうよ」
敵の本拠地であるにも関わらず不用心にずんずん踏み込んでいく彗を心配して、希初が声をかけたその瞬間。
突如、足元の床からロープのような物が数本飛びだし、彗の体に絡みついた。
「なっ!?」
「江ノ本さん!? きゃっ!?」
不意を突かれた彗はあっという間に縛り上げられ、それを見ていた希初は彼女を助けようと駆け寄ったが、数歩と進まない内にまたも床からロープのような物が飛びだし、彼女も同じように縛り上げられた。
立て続けに二人が謎のロープによって捕まったため、景は二の足を踏まないために、警戒心をMAXにして自分の足元を注視する。
だが、それは間違いだった。何もロープは床から出ると決められているわけではない。
「景君! 避けて!」
希初がそう叫んだのと、景が壁から飛びだしたロープに捕縛されるのはほぼ同時だった。
ロープに捕えられた景は、そのまま壁に引きつけられ、磔にされる。
「な~んだ。一桁順位って言っても、あんま大したことないんだな」
馬鹿にするような台詞を吐きながら、前方より現れたのは線の細く、耳に金色のピアスをつけた茶髪の男。ついさっき書類上で見たばかりの、三人の記憶に新しい男だった。
「退学組の一人、輪島健一」
「おいおい、仮にも年上に向かって呼び捨てはねえんじゃねえの。礼儀がなってねえぞ、一年生」
たしなめるようなことを言いながら、輪島はゆっくりと三人の方へ近づいてくる。
「しっかし、こうも上手くいくと何かあっけないな。ったく、貝塚もビビりすぎだぜ。こんな奴ら、俺一人で十分だってのに」
「随分と余裕じゃない」
ぶつくさと文句を垂れ流す輪島に、彗が彼の方を睨みながら言った。相変わらず鋭く、並みの人間だったらひるみかねない程だったが、輪島はそんなことは気にもかけず、軽い調子のまま喋り続ける。
「いや、実際、超余裕だぜ。今のお前らは文字通り、手も足も出ない状態なんだからさ」
「へぇ。その余裕、一体いつまで続くのか、見せてもらおうじゃない」
不敵な笑みを浮かべた彗は右足を軸にして、快刀乱麻を付与させた左足を振りぬいた。すると、灰色のロープは根元から斬り離され、縛りが緩み、床に落ちる。
「覚悟は、出来てる?」
両手が自由になった彗は制服の中から愛用の木刀を取り出すと、輪島に向かって飛びかかった。彼女たちの身動きを封じたことで完全に気を抜いていた輪島は、彗が振るう木刀を危なげに回避するが、その際足がもつれ、無様に床に倒れる。
その隙を逃さず、好機とばかりに彗は木刀を振り上げるが、輪島は咄嗟に能力を発動させ、床から多量のロープを出現させて、自分の体を覆い尽くす。
ガキィィン。
彗の木刀は幾重にも重なっているロープに止められる。快刀乱麻を人に対して使用する際、大事には至らないように切れ味を鈍くしてあったため、斬り裂くまでには至らなかった。
「危ねぇ、危ねぇ。寿命がマジで縮んだぜ」
安堵の声がロープの隙間から聞こえてきた。
「ふん、殻にこもっていれば安全だとでも? 私がさっきあなたのロープを斬り裂いたこと、忘れたわけじゃないでしょう」
灰色の繭と化した輪島を引きずり出そうと、彗は木刀を突きつける。次は叩っ斬れるように、切れ味も十二分に上げてある。
「今すぐに出てきなさい。出てこないなら、アンタごとこのロープの塊を斬る!」
自分が本気であることを証明するために、片手に持った木刀で彗はコンクリの壁を斬り裂く。深く長く刻まれた刀傷はロープの隙間からでも十分見えたようで、輪島の声が慌てたようなものに変わった。
「ちょ、ちょっと、待て。いや、待って下さい」
「待つわけ無いでしょ」
木刀を両手で持ち直すと、彗は剣先を輪島へと戻す。
「さあ、早く出てって捕まるか、このままロープと共に斬られるのか、どっちかさっさと選びなさい」
最早、脅迫と何ら遜色ない勢いで、彗は輪島に最悪な二択を提示する。さっきの余裕のなくなった態度から、輪島が出てくるのは時間の問題と思っていた彗だったが、彼は往生際の悪い男だったらしく、ぐずぐずと時間を引き延ばそうとしていた。
「ま、まずは落ち着こう。俺だって、好きでこんなこと……」
「悪いけど、アンタの弁解なんて、最初から聞く気ないから」
彗が無慈悲な瞳で、ロープの塊を見下ろした。これはもう、本気である。
「ま、待って……」
「終わりよ」
スゥーと息を吸うと、構えた両手に力を込める。彗が木刀を振り上げ、今まさに切ろうとしたとき、後方から女子の悲鳴が彗の耳に届いた。
「くくくっ、形勢逆転だな」
ロープの塊の中から、輪島はまたもや余裕のある声へと変わる。彗は何事かと思って振り返ると、ロープに縛りあげられた希初が、苦しそうに顔を歪めていた。
「アンタ、星笠さんに何を?」
「見て分かんねえか」
そう言うと、希初に巻きついているロープがきつく絞めあげられた。その様子を見た彗は、すぐさま彼女を縛っているロープを切り離すために駆け寄ろうとするが、輪島の「動くな」という一言でやむなく足を止める。
「交換条件だ、江ノ本彗。彼女を解放して欲しくば、武器を捨てて、大人しく捕まりな」
「……嫌だって言ったら」
今までの軽薄な感じとは明らかに違う雰囲気を漂わせる輪島に、彗は身構える。
「…………」
輪島は彗の質問には答えず、無言で更にロープをきつく絞めた。
「ガァッ!! ああああああっ!!」
希初の悲痛な叫びが、廃ビルに木霊する。
「言っておくけど、マジだからな。俺たちは伊達や酔狂で光輪に喧嘩を売ったわけじゃあない」
輪島は能力を発動させ、彗の足元からロープを飛びださせる。床とつながっているそのロープは彗の様子を窺うように、うねうねと触手を連想させる動きを見せていた。
「俺の手枷足枷は触れた物体に拘束能力を与える。つまり、そいつを縛ってるそのロープは壁や床の一部が変形したコンクリそのものだ。このままいくと、間違いなく骨が折れるぜ」
輪島がそう言ってる間にも、どんどん縛りはきつくなっていく。希初は徐々に強くなる圧迫感から逃れようと必死で身をよじるが、体に食い込んでくるコンクリのロープは彼女を決して放そうとはしない。
「ほらほら、どうした? 早くしないとアイツは当分の間、病院のベッドの上で過ごさなきゃならない体になるぜ」
「くっ」
木刀を強く握りしめ、奥歯を噛みしめる彗。周りから暴走正義の風紀委員と呼ばれ、正義のためならどんな犠牲も厭わないと思われている彼女であるが、他人を犠牲にすることに抵抗感を覚えないわけがない。
そんな思い悩む彗を見て、希初は渾身の力を振り絞って叫んだ。
「だ、ダメ! 江ノ本さん、私に構わずそいつを……」
「黙ってろ!」
輪島が一喝すると、一本のロープが彼女の口をふさぐように巻きつく。
それでも、希初はめげずに声を張り上げようとするが、ロープは見事に猿轡の効果を果たしているようで、彼女の口からはモガモガと不明瞭な音しか出せなかった。
「…………」
彗はしばらくの間迷っていたが、諦めたように目を閉じると、木刀を思いっきり前に放り投げた。投げ捨てられた木刀は回転しながら弧を描き、カン、カン、という音を立てて、床に落ちる。
「……武器は捨てたわ。とっとと、星笠さんを解放して」
「分かった。だが、その前にお前を拘束させてもらうぜ」
「好きにすれば」
言うが早いか、彗の周りでうねっていたロープが体に巻きついてきた。彗は特に抵抗することもなく、黙ってなされるがままに拘束される。
(……江ノ本さん、ゴメン)
希初の目からポタポタと涙が静かに零れ落ちる。縛りは緩み、骨をきしませる程の圧迫はもう無い。しかし、今の彼女は自分の無力さに対する悔しさと仲間の足を引っ張ったことへの罪悪感に胸が絞めつけられていた。
「ふぅ。ようやく、こいつから解放されるぜ」
輪島は自身に巻きつけていたロープをほどき、体を起こす。
「さて、これで俺の役目は終わりだけど」
輪島は捕縛された彗を顔、胸、足の順にじっくりと眺め、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべた。
「少しだけ、仕返しさせてもらおうかな」
そう言うと、輪島の手がゆっくりと彼女の方へ伸びる。自分がこれから何をされるのか、容易に想像のついた彗は、キッと目の前の男を睨む。
「おいおい、そんな目されたら逆に燃えちゃうぜ」
笑いながらイヤらしい手つきをする輪島に、彗は思わず、足が半歩後ろに下がった。もちろん、輪島に抵抗することは彗にとっては簡単なことだが、そんなことをすれば、また輪島は希初を痛めつけることが分かっているので、今の彼女には大人しくしているほかなかった。
(こんな奴に……こんな奴にっ!!)
屈辱、羞恥、嫌悪感、そんな感情が胸の内に広がっていく。そして、輪島の手が胸まであと数センチに迫ってきたところで、彗はギュッと唇をかみしめた。
その時、どこか不機嫌そうな声が静かに、だがはっきりと近くで聞こえてきた。
「……盛り下がってるとこ悪いけど、お前ら、完全にオレの存在忘れてるだろ」
背後から彗の木刀を輪島の首筋に当てる景は、いつも通りの気だるげな表情でそう呟いた。
……主人公が空気な回でした。
次話こそは、活躍?