第十三話 理由
前回の更新から、長い間お待たせしてまって申し訳ありません。
格式高い和風の門をくぐると、そこは武家屋敷のような家とやたら広い庭が目に入ってきた。
「は~、でっかいな。一体、何やったらこんな家が建つのやら」
「ちょっと、人の家の前で、変なこと言わないでくれる。あと、アンタが見てるのは家じゃなくて、うちの剣道場よ」
両手に膨らんだビニール袋を平気な顔で持ちながら、彗は景に文句を言う。
「道場? お前んち、道場やってんの?」
「ええ。私も、ここで幼い頃から剣道を習ってたから」
そう言って、道場の裏に回ると、そこにはごく一般的な一階建ての家が見えた。靴を脱いで玄関に上がる彗の後ろを、ぎこちない動きでついていく景は、畳敷きで机と棚とベッドしかないシンプルな装いの部屋に案内される。
「これって……」
「私の部屋。すぐ、救急箱持ってくるから、ちょっと、ここで待ってて」
そう言うと、彗はスーパーの袋を下ろし、どこかへ消えていった。と、思ったらすぐに戻ってくる。
「言っとくけど、私のものに勝手に触らないでよ」
「はいはい」
釘を刺して去っていく彗に、景はテキトーな声で返事をする。
そうして、いなくなってから数分後。
畳に腰を下ろした景は何もすることがないので、暇つぶしに彼女の部屋を観察し始めた。
改めて見ても、インテリアという概念自体が存在しないような、今時の女の子らしくないシンプルな部屋だった。
机の上にはぬいぐるみやファッション雑誌なんかの類はまるでなく、棚はおしゃれな小物の代わりにトロフィーやら賞状やらで埋め尽くされている。
(すげぇ、これ全部剣道の大会のもんか)
近づいて見てみると、どうやら下から年代順に並べられているようで、一番古いのは小学四年生のときの地区大会優勝のメダルだった。
上の方に視線をずらすと、初めて全国大会で優勝したときに撮ったらしい家族写真が、輝くトロフィーの横に置かれていて、さらにその横には同じ形をしたトロフィーと「祝、二連覇!」と手書きで書き加えられた、部活の仲間たちらしい女子と一緒に写った写真があった。
写真の中の彗は、今と違ってポニーテールで、眩しいくらいの笑顔を見せている。
(中一、中二で二連覇か)
この調子なら三連覇くらいやったのかなと思い、さらに視線を横にずらしたが、彼女の剣道で得た賞はこれが最後だった。
「お待たせ、って何してんの?」
景がしげしげと棚に飾られていたトロフィーを眺めていると、彗が救急箱を抱えて戻ってきた。
景は「いや、何も」と棚から目を離し、彗の方へ寄る。
「じゃ、服脱いでよ」
「……」
「どうしたの? 早くしなさいよ」
「……ああ、うん。分かった」
淡々とした態度で脱げと言ってくる彗に、一応、男して何となく釈然としない思いを抱えつつも、景は大人しくブレザーに手をかけた。
「はい、じゃあ、そこに座って」
言われるがままに、景は彼女に背中を向けて座ると、彗はシャツをめくり、打ち身で赤黒く変色した二つの箇所にやや臭いのきつい膏薬を慣れた手つきで塗り始める。
「しかし、意外だな」
「何が?」
「いや、江ノ本さん、オレのこと嫌ってるから、わざわざ家に連れて行ってまで、手当てしてくれるとは思わなくて」
「ふん。いくら嫌いな相手でも、目の前で怪我を負った人間を見捨てるような真似はしないわよ。……それが、自分を助けようとしてついた傷なら尚更ね」
彗の言葉に、景は何ともいえない表情で黙りこくる。
(……別に、助けるつもりは無かったんだけどな)
あの時の景は絡まれてる少女の存在なんて一切頭になく、ただ巻き込まれたこの状況からどう逃げるか、それしか考えていなかった。
故に少々罪悪感にかられたが、本当のことを言ったとしても厄介な目にあうだけなので、真相は自分の心の裡にしまっておくことにした。
「だから、これは借りは返しただけ。別に、アンタのこと許したつもりはないから」
そう言うと、彗は黙々と手当に専念する。
「はい、これで終わり。多分、二、三日したら痛みと腫れは引いていくと思うから」
冷湿布を貼り終えた彗は、静かに救急箱を閉めると景にブレザーを差し出した。
無言でそれを受け取った景は、いそいそと袖を通す。手当を受けたおかげか、前ほど痛みを感じなくなったため、着替え終わるとすぐさま立ち上がることが出来た。
「そんじゃ、オレは帰るね」
そそくさと立ち去ろうとする景はスーパーの袋に手をかけ、持ち上げようとしたが、その瞬間肩に痛みが走り、すぐに手を放す。
(やっぱり、まだ無理か)
肩をさすりながら、どうしたものかと考えていると、彗が何も言わずに袋を担ぐ。
「え、おい……」
呆気にとられている景をよそに、スタスタと彗は袋を持って部屋を出ていった。慌てて追いかけると、彼女は玄関で靴を履き替えている。
「仕方ないから、私が持っていってあげる。感謝してよね」
「それは、どうも」
相変わらずぶっきらぼうな物言いだったが、自分を気遣ってくれたその不器用な優しさを景は素直に受け取ることにし、二人して玄関を後にした。
◇◇◇◇◇◇
外に出ると、もう空は大部分が夜色に変わっていて、地平線の方にわずかな赤みを残すだけとなっていた。
街灯に照らされる路地を進む彗は、チラッと横目で隣を歩く景に視線を向ける。
(……一体、神海委員長は何を考えて、こんな奴と組ませようと)
板垣に勝利した時は少し驚かされたが、鷹岩にあっさり敗北したのを見て、彗はやはり彼に風紀委員に所属できるだけの実力があるとは到底思えなかった。
「……ん? 何」
「別に」
そんな思いもあって素っ気ない態度をとり続けていた彗だったが、ふと景に少し気になっていたことを質問する。
「……ねえ、何でアンタは風紀委員に入ることに決めたの? 委員長から誘われた時はあんなに嫌がってたのに」
彗は、昨日風紀委員の勧誘をあれほど断っておきながら、やけにあっさり今日の提案を受け入れた景の行動に疑問を感じていた。
「別に。ただの気まぐれだ」
「嘘ね」
景の素っ気ない答えを、彗は一言で切り捨てる。
「面倒くさがり屋のアンタが、気まぐれなんていう理由にもならない理由で動くわけないでしょ」
「そうか? 人の意思なんて、大概は気分で変わっちまうもんだと思うけど」
そんな台詞を宣う景に、彗は鋭い視線を向ける。
「……アンタがそんないい加減な人間なら、やっぱり私はアンタを風紀委員と認めたくない」
「あっそ」
どうでもいいとばかりにテキトーな返事をする景は、この微妙に居心地の悪い空気感の中、ひたすら我が家を目指して歩き続けた。
それから数分後、二人は白塗りのマンションの前に辿り着く。
「じゃ、さよなら」
「さよなら」
袋を受け取り、形だけの挨拶を交わすと、彗はくるりと回って来た道を戻っていく。景はしばらく彼女を見ていたが、その姿はすぐに闇の中へ消えていった。