第十話 模擬戦闘
「どういうことですかっ! 神海委員長!」
バンッと机を叩き割りかねない勢いで、彗は神海に身を乗り出して迫っていた。彼女の顔には誰が見ても分かるくらいに明らかな不満さが、これでもか言うほどに滲み出ている。
「まあまあ、落ち着いて」
神海は涼しい顔をして、激昂している彗をなだめる。周りにいる風紀委員の仲間は、さっきからずっと怒鳴りっぱなしの彼女に辟易していた。
「これが、落ち着いていられますかっ! 一体、神海委員長は何を考えて……」
彗の言葉を遮るように、一人の風紀委員が勇敢にも彼女を手で制し、前に出る。
「俺からも、一つ言わせてもらっていいですか」
発言したのは、ややつり目で中肉中背の男だった。声こそ落ち着いているものの、彼女と同様に不満を感じているのは顔を見れば明白である。
「はっきり言って、俺を含むこの場にいるほとんど全員がそのことに関して、不満を持ってますよ。どうしてあの二人を一時的とはいえ、この大変な時に風紀委員に入れる必要があるんですか?」
彼の言う通り、あちこちから彼の発言に同調するような呟きが聞こえてくる。神海は彼らを一瞥すると、軽い調子で言った。
「こんな時だからこそさ。人手は多いに越したことはないだろう」
神海の言葉に、彼はフンと鼻を鳴らす。
「彼らが役に立つと? 言っときますけど、何故風紀委員がBランクか二桁順位以上じゃなければ、入れない理由は当然分かってますよね」
一瞬、神海の表情にかげりが生まれるが、すぐに元の表情に戻す。
「分かっているさ。『風紀委員は他の生徒が能力による犯罪まがいの行動を起こした時、それを阻止し、確保できるだけの力量を持っていなければならない』だろ」
一字一句正確に、まるで脳に直接書き込まれているかのごとくスラスラと神海は風紀委員の基本原則を述べた。
光輪高校の風紀委員の主な活動は、能力によるトラブルの解決である。
能力を持つ高校生を六〇〇人も抱える光輪高校では、結構な頻度で何かしらの問題が生徒絡みで起きている。
普通なら、こういう生徒の問題を担当するのは教師の役目だが、光輪の教員はほとんどが無能力者なので、能力を持つ彼らを抑えることはできない。よって、風紀委員が先生に代わって彼らを罰する役割を担っており、ここに入るにはそれ相応の実力が必要とされている。
そのため、ここに所属しているだけで周りから一目置かれる一方、能力による事故に巻き込まれ、怪我をしやすいという危険性も併せ持つ。
だからこそ、彼は一般の生徒を引き入れる神海の無責任としか思えない決定に納得していなかった。
「なら、彼らを風紀委員に入れようとするのは止めてもらえませんか」
「そうですよ。足でまといを増やしたって意味がありません」
彼という味方を得たせいか、彗が更に勢いづいて畳み掛ける。
「……完全に私たち蚊帳の外だね」
「そだな」
神海と彗と名も知らぬ風紀委員が、あれやこれやで盛り上がっている傍で、景と希初はポケーっと成り行きを静観していた。
「よし、君たちが言いたいことは分かった。ならば、彼らが戦力になることを証明できれば何の問題もないな」
神海がそう言うと、目の前の二人は渋々だが頷いた。それを見た神海は、この場にいる全員に聞こえるように高らかに声を響かせる。
「では、今から模擬戦を始めよう!!」
◇◇◇◇◇◇
「……何でオレが」
体育館へ移動した景は思わずぼやいた。ギャラリーには、風紀委員が全員と野次馬が何人か紛れ込んでいる。
「まあ、そう言うな。みんなに君の実力を分からせるのには、これが一番手っ取り早いのだから」
神海は笑いながら、景の肩を叩く。
「いや、別にオレが入りたいわけじゃないんですけど……というか、オレが勝っても希初が戦力になる証明は出来ないんじゃ」
「ああ、それなら大丈夫。星笠さんは主に情報部で活躍してもらうつもりだから、戦えなくても問題ないんだよ」
「なら、なおさらオレが戦う必要ないじゃないですか」
素直に希初だけ風紀委員に入れとけば、ここまで反発されることは無かった。
こんな面倒くさい事態になったのは、間違いなく神海の余計な条件のせいだ。
「何でアンタは、オレをそんなに風紀委員に入れたがるんですか?」
「前にも言っただろう。君に期待してるんだよ」
そう言って神海は軽くウインクすると、ギャラリーに混じっていった。
(……期待ねぇ)
一体何の根拠があって自分をそこまで信頼してるのかさっぱり分からないが、取り敢えずそれは後で考えることにして、景は今のことだけに集中することにする。
「で、対戦相手はあんたか」
目の前にいたのは、さっき彗と共に景たちの風紀委員入りに反対していた男だった。
彼は景と目が合うと、とても友好的とは言えない視線を放つ。
「言っておくが、手加減はしない。俺はお前みたいな奴を風紀委員として認めたくないからな」
「あっそ」
メラメラと闘志を燃やす彼とは打って変わって、景はやる気があまり感じられない返事をする。そんな二人のところへ、一人の先輩らしき風紀委員がやって来た。
「それでは、これより板垣創次対早房景の模擬戦を開始する。制限時間は十五分。審判は副委員長である私、白河功が行う」
副委員長が声を張り上げると、ガヤガヤと騒がしかった周りが少し静かになる。
「それでは、模擬戦開始!」
副委員長の掛け声とともに、二人は大きく離れた。
試合開始の合図で距離をとった二人は、あれから互いに一歩も動かず、相手の出方を探っていた。
(うわ~、こいつやる気だな)
真剣そのものな板垣の表情に、景は少し引いていた。
(出来るなら近づきたくないが、このまま睨み続けるのも面倒いし……こっちから仕掛けるか)
景は右足を一歩前に出すと、足元からバチバチと火花が跳ね上がった。
(一気に、決める)
直後、目にも止まらぬスピードで飛び出した景は、真っ直ぐ彼の側まで近寄ると腹部に向けて蹴りを放った。
しかし、それは標的に当たることなく、右足は虚しく空を切る。
(避けた!? これを)
景は驚いた。今、使っているのは祐の能力、電光石火。超高速で移動するこの能力は、人間の目では到底捉えることはできない。
だが、板垣は確かにさっきの蹴りを最小限の動きでかわしたのだ。
「甘い」
右足を戻す間もなく、景は板垣の固く握り締められた拳を食らい、吹っ飛ばされる。
胸のあたりにくる鈍い痛みが響く中、体勢を立て直した景は間髪入れず再度向かってゆく。超スピードを維持したまま、何度も攻撃を試みるが、全て紙一重でかわされた。
(何故だ? 何故当たらない?)
突き出した左腕を取られ、腹に二度目のパンチを食らわされた景はその場に倒れる。
「……景君」
ギャラリーから心配そうな希初の声が耳に入ってきた。
「分かったか。所詮、お前の実力などこの程度だ」
もう勝負が着いたと思ったのか、板垣は勝ち誇ったように景を見下ろす。
(……景君、景君)
唐突に、景の頭の中で希初の声が響く。
(希初か。気が散るから、今は以心伝心使って、話しかけないで欲し……)
(板垣君の能力は“傍目八目”。相手の動きの数手先を読み取る能力だから、いくら速く動いても、簡単に対処されちゃうよ)
(おい、聞けよ)
内心で抗議する景だったが、それっきり希初の声は聞こえなくなった。
(……ま、正直助かったけど)
一方的だったとは言え、この以心伝心による助言は有効活用させてもらおう、と板垣の能力を理解した景はとぐぐっと身を起こす。
「おい、まだやる気か。実力差は身にしみて感じただろ」
「いや、全く」
景は立ち上がると、火花を散らしながら一瞬のうちに大きく離れる。
だが、板垣は景に向かって突進し、瞬く間にその距離を詰めると、マシンガンのようにパンチを連続で繰り出していく。
景は両腕をクロスさせて攻撃を防ぐが、一発一発がやたらと重く、腕がしびれる。
「どうした? さっきから防戦一方だぞ」
板垣の言葉にムッとなる景は右方から来るジャブをかわした後で、反撃しようと右腕を前に突き出す。
だが、その前に彼は後ろへ下がって距離をとったので、景の渾身の右ストレートは当たらなかった。
(チッ、やっぱりカウンターを狙っても、無理か)
景は心の中で舌打ちすると、前方の対戦相手を見据える。こっちは結構体力を削られているのに対し、向こうは息一つ切らさずまだまだ余力を残した感じだった。
(厄介な能力だな。強さはそれほどでもないが、相性が悪過ぎる)
板垣の拳のスピードは確かに速いが、景の動体視力をもってすれば避けられない程ではない。だが、能力で動きを先読みされている状態では完全にかわし切るのはまず不可能。
さらに、頼みの綱の電光石火も使用して大体一分程経過したため、残り時間はそんなに残っていない。
「いい加減、分かっただろ。お前じゃ、どうあがいても俺には勝てねえよ」
既に勝利を確信したのか、完全に上から目線で語ってくる板垣に、景は肩をすくめる。
「正直、風紀委員の話なんて興味ないから、別に負けてもいいかなとか思ってたけど」
景はやや真面目な顔をつくると、足元からさっきよりも大きな火花を迸らせる。
「やっぱり何か癪だから、こっからは本気で勝ちにいくことにするぜ」
「……オーケー。なら、こっちだって、もう手加減はしないっ!!」
互いに言葉をぶつけ合った二人は、同時に前へ出ると戦いを再開した。
◇◇◇◇◇◇
「頑張れ~、景君」
再び戦いを始めた景に、後方で観戦していた希初がエールを送る。
もっとも、当の本人は戦闘に集中していたためか、全く反応を示すことは無かったが、それでも希初は満足そうに笑みを浮かべている。
「楽しそうね。苦戦しているのに」
そんな彼女に、彗は冷たい声を浴びせる。
「それは、そうだよ。だって、景君のレアな戦闘シーンを生で見れるんだもん。しかも、二日連続で」
そう言ってはしゃぐ希初に、彗は理解できないものを見るような目を向ける。
(情報マニアとは聞いてたけど……)
一体、アイツのどこに興味をひかれたのか、と彗が疑問に思ったその時、後ろから呑気な声が聞こえてくる。
「おっ、間に合ったか」
「あっ、祐君。どしたの?」
やって来たのは、景の幼馴染にして数少ない友人の一人、月島祐。
「いや、景が模擬戦やるって話を聞いてさ。折角だから、見に来て……うぇ!」
希初の傍に寄って来た祐は、かつて冤罪で自分たちを追いかけまわした風紀委員の存在に気づき、変な声を上げる。
「……あ~、えっと」
「…………」
気まずい空気が生まれるが、それを希初の明るい声が一蹴する。
「あっ、祐君。そろそろ、決着がつきそうだよ」
「そ、そうか。えーっと、相手は……板垣か」
二人の視線の先には、板垣の拳をくらい、片膝をつく景の姿があった。
◇◇◇◇◇◇
「はっ、どうやらお前はここまでのようだな」
ゼェゼェと荒い息を吐く景を見て、今度こそ勝負が着いた事を確信する板垣は、構えを解いた。
「やたらと威勢のいいこと言ってた割には、口だけとは。情けない奴め」
はっきりと嘲りの言葉を口に出す板垣に、景は息を整えるとゆっくり立ち上がり、足元からバチバチと火花を盛大に迸らせる。
「ふん。相変わらず電光石火の繰り返しか。いい加減、俺には通じないことに気づいたらどうだ」
「……お前の方こそ、気づいたらどうだ」
「何?」
意味深なことを呟いた景は、残り時間十秒もない電光石火を使い、最後の攻撃に打って出る。
(バカめ! お前が何をしようと俺には全てお見通しなんだよ)
正面から真っすぐ高速で自分に向かってくる景に、傍目八目で未来を視た板垣は、それがフェイントで本命は背後にまわってからの奇襲であることを知っていた。
故に、タイミングに合わせて体を半回転させ、カウンターで止めを刺そうとしたのだが、
「何っ!?」
彼の足はその場に縫い付けられたかのように動かなかった。
その隙をつき、景は板垣の背中に蹴りを入れる。
「ぐはあっ!!」
電光石火の速度で放たれた蹴りの衝撃と脚に纏った強力な電撃が板垣の全身を襲い、たまらず体育館の床に膝をつく。
この模擬戦で初めて受けた一撃。だが、そのたった一撃だけで、板垣は戦闘不能に追い込まれた。
「……傍目八目は、自分の未来が見えないのが弱点だな」
電撃の余波で体がしびれて動けない板垣に、景は後ろから声をかける。
「テメェ、何をした」
「天衣無縫。糸を透明化し、操り、糸の強度に関わらず、どんな物体も縫い付ける能力
。ここまで言えば、流石に分かるだろ」
そう言って、景は能力を解き、彼の室内用シューズと床を縫い付けていた糸を回収する。
「……透明だったから、お前が縫い付ける未来を視ても、気づけなかったのか」
「そういうこと」
「くそっ、俺としたことが」
悔しそうに拳を床に打ち付ける板垣を見て、景は少しだけ胸がスッとした。
副委員長はしばらく二人の様子を眺めていたが、やがて意を決し、審判として勝者の名前を宣言する。
「勝者、早房景!」
その声を聞くと同時に、景は満足げな表情を浮かべ、その場に座り込むのだった。