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短編~中編

雪に咲く花

 優衣の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。

「ほら、食べなよ」

 教室の床は埃まみれで汚い。ベランダやトイレに出入りする私たちの上履きは、もっと汚い。

 二つの汚い物に挟まれて粉々に砕けたのは、新商品のチョコレート菓子だ。今朝私がコンビニで見つけて、皆のために買ってきたもの。私のグループは七人で、お菓子は八個入っていた。一つ余る。

 それを優衣にあげよう。皆はそう言って笑った。

「ごめんなさい……許して」

 軽く小突かれただけで崩れ落ちてしまう、人形みたいに華奢な優衣の身体。スカートの下から伸びる足はあまりにも細くて、見るだけで苛立つ。

「友達だから分けてあげたんだよ。遠慮しないで食べなって」

 リーダー格の茜ちゃんが言うことには、誰も逆らえない。私は少し遠巻きに、その光景を眺めていた。手を使うなと命じられた優衣の頭が、犬みたいに下がっていく。砂埃と一緒にチョコレートをついばむ唇からは、だらしなく涎が垂れていて、床を這いずる舌は妙に赤かった。

 嗚咽を漏らす優衣の視線がゆらゆらと彷徨い、私に辿り着いた。大粒の涙と共に『助けて遥ちゃん』と訴えてくる。私はいつものように、ふいと顔を逸らした。

 自業自得だ。こうなったのは全部、優衣のせいなんだから。


 ***


 文化祭の準備で校内が活気づく、九月の終わり。お昼休みの残り時間に、私は「話したいことがあるから」とグループの皆を誘った。そして、隠してきた気持ちを打ち明けた。

「好きな人ができたの」

 私の告白に、皆は目の色を変えた。女の子にとってその話題は、何よりも甘美なデザートになる。

「うそっ、相手は誰っ?」

 大柄な茜ちゃんに詰め寄られ、私は首をすくめ縮こまった。洗面台の鏡には、見たこともないくらい赤くなった自分の顔が映し出される。

 名前を告げたら、もう後戻りはできない。見つめるだけの片思いから卒業しなければならない。

 覚悟を決めて、私は口を開いた。

「えっと……うちのクラスの、川原君……」

 今にも消え入りそうな囁きをしっかり拾った皆は、一斉に黄色い声を上げた。内緒話をするために、わざわざ人気の少ない旧校舎のトイレを選んだから、他の人に聞かれる心配はない。そう分かっていても、私は入り口のドアを気にした。

「アイツ良い奴だよ。頑張りな、遥!」

「うん、うちらも協力するからさっ」

「遥は可愛いし、絶対うまく行くよっ」

 皆は思い思いのポジティブな言葉をくれた。私は「ありがとう、相談して良かった」と笑う。照れくさいけれど、どこか晴れがましいような不思議な高揚感があった。

 私は今まで恋をしたことが無くて、少女漫画を読んでは憧ればかりを募らせていた。高校生にもなって初恋もまだなんて、女の子として不完全……そんなプレッシャーから解放された気がした。

「遥ちゃん、あの……」

 メンバーの中で一番仲良しの優衣が、おずおずと私の傍に寄って来た。私たちのグループは八人だから、ペアになるときは大抵優衣と一緒だ。お互いそれほど自己主張が強い方ではないし、皆で居る時は聞き手にまわることが多いけれど、二人きりになったときは同じくらい良く喋った。

 入学当時、密かに抱えていた悩みを最初に相談したのも優衣だった。両親が毎晩喧嘩している、もしかしたら離婚するかもしれない……駅のベンチで何本も電車を見送りながら、私は涙混じりのたどたどしい言葉で伝えた。優衣は黙って私の話を聞いた後「“喧嘩しないで”って言ってみなよ」と微笑んでくれた。その夜、不安にかられた私が電話をかけると、優衣は力強い声で私の背中を押した。

『大丈夫、遥ちゃんならできるよ』

 優衣にもらったアドバイスは、大成功だった。勇気を出して胸の内を吐露すると、お父さんもお母さんも私に謝ってくれた。バツが悪そうに目配せし合っていたけれど、今までみたいに棘のある視線じゃなかった。

 それ以来、優衣とは何でも話せる友達になった。

 こうして、好きな人の名前も教えられるくらい……。

「あのね、遥ちゃん。わたし……」

 瞬きもせず、大きな瞳で私を見上げる優衣。その声が微かに震えている。

 私はさりげなく、優衣の言葉を遮った。

「――そうだ、確か優衣って川原君と同じ中学だったよね? 今度卒アル見せて欲しいな」

「あっ、それいいね! アタシも見たい!」

 私の提案に、茜ちゃんが便乗してくる。皆も賛成してくれた。全員の注目を集めた優衣が、ぎこちなく頷く。

「あ……うん。分かった。明日持ってくるね」

「じゃあ明日のお昼、それ見ながら作戦立てようよ。今年のクリスマスまでに、遥と川原君がうまく行くようにさ」

 茜ちゃんが指定したリミットまでは、あと三ヶ月。川原君の姿を見るだけで緊張してしまう私が、この想いを実らせることができるかは分からない。

 でも私は、玉砕覚悟でその戦いに挑んだ。

 男子と仲が良い茜ちゃんのお膳立てもあり、休日にはクラスの有志でカラオケやボーリングに出かけた。その際は川原君と隣の席に座れるように、皆が影でサポートしてくれた。私なりに精一杯努力して、ようやく笑顔で世間話ができるくらいの関係になれた。

 周りの皆は大いに盛り上がり、私もほんの少しだけ、期待した。

 優衣は、そんな私たちから距離を置くようになった。茜ちゃんが強引に誘い出そうとしても、「男の子が来るなら遠慮するね」と頑なに拒んだ。


 ***


『旧校舎の屋上には、幽霊が出るんだって。その幽霊は優しくて、生徒たちの願いを叶えてくれる。逆に、ふざけたり嘘をつくと罰を受ける。だから本気の告白をしたいとき以外は、屋上に行っちゃ駄目だよ』

 まことしやかに流れる噂を真に受けた私は、ずっと避けていたその場所に、初めて足を踏み入れた。

 錆びた鉄の扉を押し開けると、今にも雪が降り出しそうな灰色の空。思わず身震いしたとき、突き当たりのフェンス際に私を呼び出した人物――優衣を見つけた。

 ずいぶん前からそこに居たのか、ただでさえ色白な肌は透き通るくらい青ざめて、小さな唇が花のように赤い。その唇がわななき、私が予想した通りの言葉が漏れた。

「ごめん……ごめんね、遥ちゃん……」

「どうしたの、優衣。何があったの?」

 白々しいくらい、棒読みの台詞。優衣に歩み寄りたいのに、足が金縛りにあったみたいに動かない。

「遥ちゃんには、早く言わなきゃって、思ってたのに、わたし……どうしても言えなくてっ……」

 堪え切れず、泣きだしてしまった優衣。容赦なく吹きつける北風に、セーラー服のリボンが揺れる。優衣の細い髪は、風に煽られてくちゃくちゃになる。あの髪を傷まないように、毛先から少しずつ梳かしてあげた春の日の記憶が蘇る。

 そんな陽だまりみたいな関係には、もう戻れない。

「わたし、ずっと、川原君のことが――」

 優衣が垂れ流す一方的な懺悔を、私はどこか他人事のように受け止めていた。中学のときから意識し合っていた二人は、想いを告げるタイミングを逃していたらしい。私という存在が二人の心をかき乱した結果、ようやく互いの気持ちを確認できた……馬鹿馬鹿しくて吐き気がする。

 優衣の言い訳を全て聞き終えた私は、用意していた断罪の言葉を告げた。

「嘘つき……応援してくれるって言ったのに」

「遥ちゃん……」

「付き合うなら勝手にすれば。でも私は、優衣のこと許さないから」

 私は階段を一段飛ばしにして、教室へ駆け戻った。待っていた茜ちゃんたちに、辛辣な言葉で優衣の裏切りを伝えた。

 女の子の友情は甘いようで、苦くて脆い。その日、優衣は私たちのグループから切り捨てられた。

 といっても、裏切り者を受け入れるグループなんて他にあるわけがない。優衣がしつこく謝ってきたから、私たちは“一緒に居る”ことだけは許した。その代わりに、川原君や他の人には“何も言わない”ことを約束させた。

 優しくて繊細な優衣は、私たちの玩具になって……壊れた。


 ***


 日が暮れる少し前に、雪は止んだ。

 肩や髪に降りた雪が、白い固まりになってこびりついている。軽く振り払うと、冷え切った身体が軋んで嫌な音を立てる。

 私はゆっくりと白い息を吐き、目の前のフェンスを掴んだ。

 長期間雨ざらしになり、色褪せてしまった屋上のフェンス。その隙間から見える広いグラウンドは、朝から降り続いた雪に覆われている。

 ついさっきまで世界は銀色に輝いていて、それは夢みたいに綺麗な光景だった。

 太陽が沈むと同時に、グラウンドは薄墨色に染め変えられた。三日月が淡い光を放つものの、モノクロームの世界を壊すほどの力は無い。

 ぼんやりと月を見上げた私は、ふと文化祭のお化け屋敷を思い出した。優衣は子ども騙しな暗闇を怖がって、私の腕にしがみついてきた。私が顔にこんにゃくをぶつけられて痛がると、今度は私をかばうように抱きしめて「係の人やり過ぎ!」と叫んでくれた。

 大人しそうに見えて意外と芯は強い、正しいと思ったことは迷わず口にする子だった。

 なのに優衣は、私に嘘をついた。

 私が、嘘をつかせた。

「本当は、知ってたの。優衣が誰を見てたのか……」

 ときおり切なげに細められた、優衣の瞳。視線を辿った私は、川原君を見つけた。優衣に「なぜ彼を見てるの?」と聞けないないまま、いつしか私も彼を見つめるようになっていた。

 夏休みが明けてから、優衣の視線が僅かに熱を帯びた気がして……私は焦りを覚えた。だから、あんなことをした。

 あのとき優衣が「私も彼が好きなの」と素直に告げていたら、きっと運命は変わっていた。その後も、私や周囲の期待が高まる前に想いを打ち明けてくれたら、こんなことにはならなかったはずだ。

 でも優衣は優しいから、限界まで気持ちを封じ込めてしまった。私も優衣が言い出せなくなるのを見越して、先手を打った。私たちは生温い友達ごっこを演じていた。

 嘘つきで卑怯者だったのは、お互いさま。それなのに、私は一方的に優衣を非難した。周囲を味方につけて、汚いやり方で優衣を追い詰めた。

 あれから始まった優衣にとっての生き地獄は、そう長くは続かなかった。優衣は早々と楽になれる道を選んだ。

「ごめんね、優衣……」

 上を向いているのに、私の目からは涙が零れてしまう。凍てついた頬を熱い雫が濡らしていく。

 優衣の机に置かれた花は、既に枯れかけている。その花をいつまで飾ればいいのかと、戸惑うクラスメイトたち。川原君は未だに学校を休んでいる。先生は“事故”の詳しい原因を語らず、淡々と授業を進めていく。

 皆の不安は暗い渦を巻いて、私へと流れ込んできた。

『遥のせいだよ』

 お葬式の翌日、目を真っ赤にした茜ちゃんがポツリと漏らした。茜ちゃんの意見には誰も逆らえない。皆に取り囲まれた私は、埃まみれの床に額を擦りつけて謝った。許してもらえるなんて思わなかったけれど。

 薄汚い教室の床に落ちて、踏みつぶされたチョコレート。誰からも見向きもされないただのゴミ。それが今の私だ。

 もう、戻れない。

 私はフェンスのより高い位置に指をかけてみた。すっかりかじかんでしまい、感触は無い。心もとうに麻痺している。なのに、どうしても一歩が踏み出せない。

 力無く目を閉じたとき、私の胸にあの言葉が響いた。

『――大丈夫、遥ちゃんならできるよ』

 顔を上げると、ふわりと舞い降りた一片の雪。

 天使の羽みたいに真っ白なその雪が、私の背中を押してくれた。


↓解説&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。













『応援』というお題をいただき書いた作品です。時は冬季オリンピック直前、テレビの中は(やや無理矢理の)ポジティブな応援で溢れており……「チッ、皆偽善者ヅラしやがって」と思いながら、とことんネガティブに仕上げてみましたw 内容的には、少女漫画のような(一見綺麗に見えて実はドロッとした)世界を、さっぱりライトに描けたらなぁと。また、いつも直球なタイトルばかりつけてしまうのですが、今回は少し捻って暗喩を仕込みました。そちらにもご注目いただけると嬉しいです。(当然お分かりかと思いますが、雪に咲いたお花=真っ赤な……ちょっと怖い?)

※この作品はいずれ三部作になり、もう少しボリュームアップさせると思いますので、その際はまたよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 引きつけられるお話でした。こういう話ってありますよね……女の子って怖い。ラストの文章も、すごくよかったと思います。これからも頑張って下さい。
[良い点] ヒロインの遥と優衣の心理ややるせなさが丁寧に描写されており、 美しいようで冷厳な雪景色が少女たちの世界そのものを表象しているようで興味深いです。 ヒロインが本当に好きだったのは実は川原く…
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