エピソード・ 3 「縄張り?…」
ひと昔前はタクシーの運転手は「クモスケ」などと、決してありがたくないような名前で呼ばれていた。
理由は、故意に遠回りしたり、近くだと乗車拒否したりと、江戸時代の悪質な駕籠屋のように、街道で網を張り、無理矢理客を乗せ、しまいには客を脅して小遣い銭を要求する。そんな運転手が多かったことから「クモスケ」というう悪名を授かることとなったのだ。当時のタクシードライバーの質の悪さが原因だったと推察できる。
バブルの時代、タクシーを利用する客は掃いて捨てるほどいた。町の中心部を流していれば、いきなり道路の真中に飛び出してきて手を挙げる。
タクシー乗り場で待っていても、違う所でほとんどのタクシーが拾われてしまうため、乗り場まで空車で来るタクシーがいなかったのだ。それほどタクシーを必要としている人が多かったのと、タクシーの絶対数が足りなかったのだ。
今は違う。北海道の一番大きな町である札幌のタクシー乗り場には各会社のタクシーが列をなして並んでいる。日勤で十五人もお客さんが乗ってくれたら多いほうだ。
私は客待ちで並ぶのは好きではなかったが、お客さんを乗せて中心街を走ることが多かったため、ススキノや大通り通、地下鉄駅周辺、大手デパートの近くを走ることが多かった。まさにタクシーが三十台から四十台、ススキノの旧ロビンソンデパートなどは、町のタクシーが全部集まったように客待ちで並んでいる。
タクシー業界の暗黙の仁義として、〈空車同士は、追い越したり追い抜いたりして前に出て客を乗せてはいけない。また、決められた管轄外で営業をしてはいけない〉など、仁義と縄張りというものがある。まさにヤクザの世界みたいだ。(笑)
たとえば、一番大きな町の札幌市を例にあげてみよう。
私の記憶の範囲でのことだが、札幌のタクシーは、東は札幌市と恵庭市の境と江別市まで、西は札幌市と小樽市の境、南は札幌市と喜茂別町の境、北は石狩市までと決まっている。その区域外では札幌市に登録されているタクシーは営業できない。
もっとも、客の行き先がその境界を超えた場合はこの限りではない。
たとえば、客を札幌駅から千歳空港まで乗せたとする。客を千歳空港で降ろした後は、千歳市内で手を上げられても客を乗せることはできない。「回送」の看板を出して札幌管内の北広島市まで戻り、北広島市に入ってからはじめて「回送」の看板を下ろし、「空車」で営業できるのだ。
札幌のタクシーは管外では商売をしないという極めてまじめな運転手が多いが、あまり商売にならない地方の会社(千歳、恵庭、小樽など)のタクシーが札幌市内で営業しているのを見かける。
バブル絶頂期ならば、そんなタクシーを見かけても「ふん、田舎者め、勝手にしろ」と、軽く見逃がすだけの余裕があったというが、今は違う。
バブルもはじけて不景気のどん底となったこの頃は、この縄張りを無視した地方のタクシーが札幌市内で客を拾おうものなら、それを見ていた札幌のタクシーの運転手と大ゲンカ、というのも珍しくない光景だ。
私が乗っていた時もそうだが、不思議なことに、札幌のタクシーは前記した管内以外では営業はできないが、石狩や厚田のタクシーは札幌市内で営業ができるらしい。
しかし、札幌のタクシードライバーとしてみれば、ただでさえ売り上げが減ってきたのに、このうえよそ者のタクシーに客を取られてはたまらないという気持ちがある。
最近では石狩市や千歳市に住むタクシードライバーが、札幌市内のタクシー会社に就職して札幌市内で営業している。石狩や千歳で営業するよりも、札幌のタクシー会社に就職して札幌市内で営業するほうが遙かに売り上げがあるからだ。
これから見ても、地方のタクシードライバーの生活は極めて厳しいことがわかる。
地方では、一か月の給料が十万そこそこか、少ない時では八万円以下だ。だから地方のタクシードライバーは、タクシーのほかに農業やアルバイトなどの副業を持っている人が多く、そうしなければ生活が成り立たない。