エピソード・ 2 「初めての客」
二十九日午前八時頃、とある通りでひとりの中年の男性が手を上げた。記念すべきひとりめのお客様だ。ハザードランプを点滅させて男性の横に停止。ドアの開閉レバーを操作してドアを開けた。
心臓がドキドキと高鳴りながらも「いらっしゃいませ、おはようございます!」と元気良く挨拶する。
「中央警察署まで」と、第一号のお客様が言った。
「はい、承知いたしました!」と、元気良く答えたものの、
「あの、お客様。実は私は今日が初めての乗務でありまして、あまり地理に明るくないのです。道を教えてくださるとありがたいのですが」
私は後部座席の男性を振り向いて頭を下げた。まだ胸がドキドキしている。
「きょうが初めてなんですか?」
「はい。お客様が最初の方です」
「ヘエー、それは光栄だ」
男性は笑って言った。
研修のとき教育係の人が、私があまりに道路や名所の住所を知らないのにあきれていた。しかし知らないものはどうしようもない。札幌駅には何処をどう通って走るのが一番速いとか、三越デパートに行くにはここの道がいいとか…。
そりゃあ、オレだってだてに五十五年間も生きてきたわけじゃない。テレビ塔、時計台、札幌駅、三越デパート、ロビンソン、中島公園、北海道庁があることくらいは知ってる。ただ、何丁目の何番地にあるなんてことは、今まで生きてきた中で覚える必要の無いことだった。
教育係りには「お客さんのほうが詳しいから、知ったフリをしないで素直に聞くのが一番」と教えられた。
「わかったよ。じゃあ道を言うからその通りに走ってくれ」
タクシーに乗って初めての客となった男性は笑顔を浮かべて言った。
「夜も走るのかい?」とその男性。
「いえ、今のところは日中だけです」と私。
「夜の繁華街はいろんなヤツがいるから気をつけなよ」と男性が言う。
「酔っ払って、そのへんの車をやたらと蹴っ飛ばしてゆくヤツもいれば、運転手にしつこく絡んでくる客もいるから…。何かあったらすぐに警察に電話したほうがいい」
「はい、じゅうぶん気をつけます」
私は頭を下げて答えた。
優しい客で良かった、とホッと胸をなでおろす。
第一番目のお客様を無事に中央警察署までお届けした。
初めて乗せたお客さんが警察の人だったとは…。喜んでいいのか悲しんでいいのか…。
中央警察署まで男性を無事に運んで十数分後、西屯田通りと呼ばれる道路を北に向けて流していると、とあるマンションのところで女性が手を上げた。なんとなく遠慮がちだ。
私はハザードをつけて停車しドアを開けた。三十代後半か四十代前半のすごくきれいな女性だ。
「いいですか?…」
女性は開けたドアを除くようにして聞いた。
「どうぞどうぞ。いらっしゃいませ!」
私の返事に女性は安心したように乗った。
「このあたりは予約のタクシーが多いから、恐る恐る手を上げたんですよ。よかったー」
女性は笑顔で言った。
「北大通りの西三丁目までお願いします」
「はい、承知しました」と私は答え、今日が初めての乗務で、道には詳しくないことを告げる。
「あら、そうなんですか。どうりで…」と女性は笑った。
「前のお客さんの料金をしまい忘れてますよ」と女性が言う。
振り返ってコンソールを見ると、中央警察署まで乗せた初めてのお客が払った七百六十円がそのままだった。しばらくは続く私の「料金仕舞い忘れ」の始まりだ。
「お客様がお二人目です」と言うと、「あら、そうなんですか!」と笑いながら、通りを北に向かい、大通りに出て西三丁目に向かった。
無事に三丁目に到着し、料金をいただいてドアを開けた。
「いま越えた交差点を左に行ったら、札幌駅の正面に着くんですよ」と教えてくれた。
「ありがとうございます。お美しい方に乗っていただいて光栄でした」
頭を下げた私の言葉に、「あらうれしい、そんなこと言われたの初めてです。がんばってくださいね」と笑顔で車を降りていった。
私が乗っていた地区のタクシー初乗り料金は六五〇円。町の中心街からたいていの所までは千円以内で行ける距離だ。六五〇円で行ける範囲は、中心街から一・六キロの初乗り距離から二キロ以内の客が多い。
現在は初乗りが六五〇円になったが、ちょっと前までは初乗り、俗にいうワンメーターが一・六キロ以内で六百円。その後は三三四メートルごとに八〇円の上乗せ。時速一〇キロ以内や信号や踏切、客の都合で待たされているときは二分五秒ごとに八〇円メーターが上がるようになっていた。
バブルの時には札幌市内でタクシーを流していると、まさに休む間もないほどに客がいて、日勤(午前七時ころから夕方五時ころまで)でも三万円から四万円以上の売り上げがあったらしい。
タクシードライバーの収入はほとんどが歩合制で、会社によってそれぞれ多少の違いはあるが、売り上げの約四割から四割五分が運転手の取り分になると思えばいい。
乗務の日数は平均して一か月に二十四日だから、バブルの絶頂期は、日勤でも三十五万円くらいの給料の手取りだった。夜勤専門や通し(二十一時間連続勤務)の運転手は、深夜割増などを含めると、四十五万から五十万円はあったと聞く。
今ではめったに当たらない市内から千歳空港や。時によっては中心街から二時間や三時間は走るという客がたくさんいたのがバブルの絶頂期だ。私の友人は、ススキノから洞爺湖まで
行ったこともあるという。
現在は業界の規制緩和でタクシーの会社が一気に二倍に膨れ上がり、当然運転手も二倍になってしまった。
そのころからタクシー業界も不景気の風に押し流され始めたのは当然のことで、私がタクシーに乗務していた半年間で、日勤での売り上げ最高は、三十一人(組)乗せて二万九千円ちょっとだった。しかしそんな良い日ははめったに無く、ほとんどが一万円前後。悪い時で五千円。ちょっといいかなと思う時で一万五千円弱だった。
北海道では上位といわれている会社でさえ、今ではその程度にまで落ち込んでしまったのだ。
タクシーを利用する人もそのあたりはよく知っていて、この不景気だからだいたい千円以内の距離の人が多い。