第2話|踊ることをやめなかった
去年の9月のある日。
メイは街行く人々の顔を、鋭い目つきでスキャンしながら歩いていた。
アイドルの原石を見つけるための路上スカウト。
8月には、10代に人気だというスポットをすべて回りきった。
繁華街、ゲームセンター、カラオケ、ダンススクール——
結果は、収穫ゼロだった。
「はぁ……」
ため息が漏れた。
今、Unitesで『デビュー候補』として動いていたのは、入社同期の雨夜凛、ただ一人だった。
凛は十分な才能があり、ソロでデビューしても生き残る子だということは分かっている。
しかし、今はアイドルグループ全盛時代。
ソロアイドルが成功する時代は、もう過去のものとなっていた。
新しい情報がないかSNSを漁っていたメイの目に、ある投稿が飛び込んできた。
——〇〇商店街のメンチカツ、やばい……。今これがバズってるせいで、商店街めっちゃ混んでる
「……メンチカツ?」
メイは画面をもう一度確認した。
事務所の近くにある、小さな商店街だった。
「身を粉にして働いても、報われないことだってある」という社長・篠原の言葉が、今日に限って胸にしみた。
もうこれ以上、声をかける気力が残っていなかった。
「今日は休業にする」
スカウトはひと休み。
メンチカツでも買って事務所に戻ろうと決めた。
***
商店街は思ったより人混みがひどかった。
初めて来る場所で、スマホのマップを頼りに歩いていたせいで、周りが見えていなかった。
「あっ」
誰かと肩を強くぶつかった。
「すみませ——」
言い終わる前に、低く荒々しい声が浴びせられた。
「最近の若いもんは前も見ねぇで歩いてんのか! 礼儀がなってねぇな、礼儀が!」
険しい顔つきの中年男性だった。
メイは立ち止まり、深く頭を下げた。
「すみません、不注意でした——」
「口だけかよ! 最近の子はどいつもこいつも——」
理不尽な八つ当たりが続くと、メイの眉間にもわずかにしわが寄った。
我慢の限界が口から漏れそうになったその時、誰かがメイの前に立ちふさがった。
「佐藤さん、そのへんで勘弁してあげてくださいよ」
ワインブラウンの髪をした、若い男だった。
高身長で、がっしりとした体格をしている。
「弟の友達なんです。今日遊びに来るって言ってたんですよ」
落ち着いているが、拒絶を許さない声をしている。
中年男性は青年を睨みつけ、舌打ちをした。
「……まぁいい、行け」
男はぶつぶつ言いながら去っていった。
青年はメイに向き直り、頭を下げた。
「ごめんね。最近、商店街に急に若い人たちが来るようになったんだけど、マナーを守らない人も多くてみんなピリピリしてるんだ」
メイは小さく首を振った。
「……いえ、助けていただきありがとうございました」
「謝ろうとしてたのは見てたしね。佐藤さんは話を聞かないタイプなんだ。同じ商店街の人間として俺が謝るよ」
メイは顔を上げた。
そこでようやく、相手の顔がはっきりと見えた。
20歳前後に見える、商店街には不釣り合いなほどのイケメンだった。
どこかで見覚えがある——
確信は持てないが、目を離せない妙な魅力があった。
メイの視線に気づいたのか、青年が照れくさそうに笑った。
「そんなにじっと見られると……ちょっと恥ずかしいな。もしかして、探し物?」
「あ、はい。メンチカツが有名だと聞いて……」
「……メンチカツ?」
青年の目が丸くなった。
メイがスマホの画面を見せると、彼は吹き出した。
「それ、うちの店だよ」
「えっ?」
「SNSなんて全然やってないから知らなかった。どうりで最近、若い子がよく来ると思ったよ」
メイは驚いた顔で青年を見つめた。
「俺も今、店に帰るところなんだ。一緒に行こう。何個買う?」
「友達と、社長と、スタッフさんと私で——4個です」
メイは指折り数えて、買い忘れがないか確認した。
青年は微笑ましそうに眺めた。
「まだ若いのに気が利くね。社長やスタッフの分までなんて」
彼は自然な動作でメイの頭をポンと撫でると、歩き出した。
***
店に着くと、奥から中年の女性が顔を出した。
「理月、おつかいは済んだの?」
「あぁ。母さん、この子にメンチカツ4個。バイト先の社長やスタッフの分まで買うんだってさ。偉いよな」
「あら、感心ね。理仁も見習えばいいのに」
メイは店頭に立ち、親子の会話を耳にした。
運が良かったのか、店先には珍しく客が少なかった。
「最近うちに若いお客さんが増えただろ。ネットでうちのメンチがうまいってバズってるんだってさ。この子もそれを見て来たらしいよ」
母が手を止めた。
「まぁ、そうなの?」
「理仁がネットで有名になったせいで、うちまでバレたかもな」
会話に出てきた『理仁』という名前。
最近、SNSのダンス動画でバズっている少年のことだ。
メイもスカウト候補としてプロフィールを確認したが、すでに事務所所属だったので諦めた覚えがある。
理月という男に見覚えがあるのは、彼が理仁の兄だからかもしれない。
「感心な子には、サービスでコロッケもつけちゃうよ」
理月は鼻歌を歌いながら、揚げたてのコロッケをそっと袋に入れた。
——何気ない動きが、全部リズムに乗っている。
そこには確かな『グルーヴ』があった。
高身長、気さくな笑顔。
そしてリズムに乗る自然な仕草。
理由は分からないが、確信に変わった。
——これだ。私が探してた原石。
「うちのアイドルになってください!」
「は?」
唐突なオファーに、揚げ物を包んでいた理月の手が止まった。
隣にいた母親も驚いた目でメイを見つめていた。
「あ、私はこういう者です! まだ高校生ですが、本気です!」
メイは鞄から、篠原に作ってもらった名刺を取り出した。
——諸星 メイ Unites所属プロデューサー
理月は名刺にひととおり目を通し、再びメイの顔を凝視した。
メイは決意を込めた瞳で彼を見据えた。
理月もその視線をそらさず、特有の営業スマイルを浮かべた。
「うん、無理」
***
翌日も、理月は笑顔で断った。
「ごめんね。今日のコロッケ、揚げ具合が最高なんだ。これ持って帰りなよ」
初めて断られた日から、メイは毎日放課後に店へ寄り、理月を説得し続けた。
しかし理月は、その都度営業スマイルで断りを入れた。
「俺、ここの店主だから」
「お母様が社長じゃないですか」
理月は時に突飛な嘘までついてメイを帰そうとしたが、メイは決して諦めなかった。
次の日、理月はカウンター越しに言った。
「メイちゃん、今日は理仁いないよ」
「弟さんに会いに来たわけじゃありません。メンチカツ4個ください」
「まいどありー」
メイは毎日断られながらも、必ずメンチカツ4個を買って事務所へ戻った。
事務所で凛、篠原、寛人とメンチカツを頬張りながら、作戦を練るのがメイの放課後ルーティンになっていた。
「さすがに毎日揚げ物は体重管理に響く。食べなくていいか」
訪問7日目のこと。
凛が、ぼそりと文句を垂れた。
理月のスカウトが進展しないことに苛立っていたメイは、すねた顔で凛を睨んだ。
「これからあんたのメンバーになる人の店の売り物だよ。今のうちに味に慣れておきなさい」
「……」
凛は揚げたてのメンチカツを見つめ、結局大きく一口かじりついた。
***
店に通い始めて2週間が経った日のこと。
進路相談で頭がパンクしそうになったメイは、その日、店に寄れなかった。
遅くまで校庭に座り込み、警備員に追い出されて校門を出た。
何も考えずに歩いていると、いつの間にか事務所近くの商店街にたどり着いていた。
体が勝手に、いつもの道を覚えていたのだ。
だが、商店街はすでに閉店時間を過ぎ、暗い静寂に包まれていた。
「今日は、声もかけられなかった」
疲れのにじむ声で呟いた。
事務所へ向かおうとした時だった。
わずかに響く音楽と、それに合わせた足音が聞こえてきた。
メイは本能的に息をひそめ、音のする方へ進んだ。
商店街の奥。
シャッターが降ろされた店の前、街灯の下で、理月は一人で踊っていた。
スマホで自らの姿を撮影しながら。
メイは物陰に隠れ、息をのんで見守った。
この2週間、彼は「踊れる」ことを一言も口にしていなかった。
踊る理月の顔には、店で見せていた仮面の笑顔ではなく、楽しくてたまらないといった本物の歓喜があふれていた。
難しい振りで少し手間取るところもあったが、動きそのものはすでにダンスの本質を完璧に理解していた。
キレのある動きと、圧倒的なリズム感。
須賀理仁とはまた違う、重みのあるパワー。
——須賀理仁の兄、須賀理月。
彼のダンスを見て、ついに思い出した。
3年前まで、全国のダンス大会で賞を総なめにしていた天才ダンサー——
『須賀理月』だ。




