サイバー・デッドリー・シンズ
こんにちは。まっちゃです。
2作目の短編小説です。今作は約37800字という短編( )なので、時間があるときにお読みください。
以下雑談
どうやら私まっちゃはサイバーパンク系統が好きらしいですね。電子音とか。8bitとか。MA〇ETUさんの楽曲とか最高ですね。最近はホワイトハッピーをよく聴いています。
ボカロ好きの方々、ぜひ好きな楽曲をコメントしてください。どうせ私の小説にはコメントがつかないので、全然大丈夫です。
それ以外の方々…という表現は失礼かもしれませんが。最近のイチオシ楽曲を教えてください。(乞食)
サイバー・デッドリー・シンズ
1.罪の遺電子
ネオン・エデンの深夜は昼よりも喧しい。 空を走る広告ホログラムの光。道路を行き交う無人フレーム。そして、都市そのものが排熱するかのような低い唸り声。
そんな街の裏側――誰からも忘れ去られた”観測センター廃棄フロア”で、今日も僕は息をする。
ゼラ。 脳神経パターンを研究しているただの学生。 でも、本音を言えば、そんな肩書はどうでもよかった。 世界で一番興味をそそる領域が”人の脳”だった。
解析画面に映る波形は、ほとんどがゴミデータ。夢。記憶。欲望。そんなものしかない。
しかし、その瞬間、画面が一度だけ跳ねた。
「……七つ?」
波形は、あり得ないほど精密に七分割された。それぞれが別の人格のように、個々の意思を持って動いている。 …この世のどんな能構造でも、こんなに綺麗な割れ方はない。
胸が熱くなる。久々に楽しめそうだ。
「人間…じゃないな。これは…」
分析を終える前に、警報音が鳴り響く。 どうやら、スラム区でまた”空白症例”が出たらしい。人格を丸ごと捨てられた、心の殻のような人間。
興味が勝った。
僕は端末を閉じ、夜の街へと歩き出した。
**
スラムはネオン・エデンの”裏”をそのまま固めたような場所だった。
”自分”を失った男が一人、壁に寄りかかって座っていた。瞳は濁り、呼吸も浅い。
「…後頭部。やはり痕があるな。」
痕は僅かなノイズを発し、夜の街に揺らいでいる。精密で、非人道的な痕であった。
その時だった。路地の奥から視線を感じた。 黒に近い、深い青の髪をなびかせる。深海よりも暗い、夜に溶けた瞳をした少女が座り込んでいた。ただそこにいるだけで、周囲のすべてを吸い込むように魅了する、妖艶でも作り物でもない、本能を逆撫でする危険な魅力。
らしいが。
「え…あれ…?効いてない…?」
「効くって何が。」
少女――ネアははっきり目を見開いた。自分の常識が破壊されたようだった。
「…ってことは…あの時の…?…やっぱりキミだ。”観察の天才”くん。―ねぇ、ちょっと来て」
腕を掴まれ、抵抗するも虚しく僕はどこかへと連れていかれた。
…魅了の効果がなくても純粋に強いらしい。
**
連れてこられたのは廃棄端末が散らばる倉庫。そこに落ちていた、闇より深い黒い金属片。
触れた途端、内部データが死ぬ。それはつまり、”自分”が消えることを意味する。
「Φの道具だよ。キミも名前くらいは知ってるでしょ?」
「…当然。」
僕の脳裏にはさっき見たあの七分割波形がよみがえり、次に”空白症例”の男性がよみがえる。
「さっきの”七つの波形”と同じ周波数だ。」
ネアが微笑む。軽々と人を取り込む笑みなのに、どこか哀しさも滲んでいた。
「だったら丁度いい。――これはきっと、キミにしかできないよ。」
瞬間、倉庫の奥が波打つ。データノイズが波を作り、形となり、歪んだ人影―――”異形”となる。
ネアがリーパーを魅了している隙に、僕は脳内端末を起動し、リーパーの電気信号を逆流させる。
「…弱点はここか。」
振り下ろした工具が、その信号核に突き刺さる。リーパーは光の粒子となり消えた。
ネアはその残滓から小さなデータを拾い上げた。青白く、毒々しく脈打っている。
「一つ目。《嫉妬》罪のデータ。Φはこれを七つ、集めようとしている。」
「……七つの波形はやはり”罪”か…。」
ネアは僕を見つめた。その視線には妖艶のかけらも残っていなかった。ただ、覚悟を感じた。
「ゼラ。キミは、”呪い”に浸されていない。それに―――あの件に携わっている。だから選ばれたんだよ。」
言葉の意味は分からなかった。が、深く、重く心に沈んだことだけが確かだった。
**
遠く、電子空間の最奥部。光も闇もない空間で、男が一人呟く。
『――あと六つ。ゼラ。…君が来るのを楽しみにしているぞ。私の……失われた半身。』
ネオンの海が波打ち、街は熱を排出する。遥か上空を、一つのデータが飛んでいた。
2.第三演算領域
ネオン・エデンの朝は、夜より静かで落ち着かない。
光はあるのに、都市はまだ眠っているようで、起動しきれていない回路みたいだ。
僕――ゼラは、観測センター廃棄区画の端末に再び向き合っていた。
昨日解析した“嫉妬”の罪データ。その残滓を検証するためだ。
だが、波形は完全じゃない。欠落、歪み、断片化――まるで“本体が別にある”と示唆するようだった。
「……やっぱり、あれだけじゃない。」
その時、扉が控えめにノックされた。
振り返ると、例の少女――スラムで出会った“空白症例”の男性を案内していた子が立っていた。
「あの、昨日の……その、助けてくれて、ありがとう」
言葉はぎこちないが、目はまっすぐだった。どういうわけか、僕を見ると安心するらしく、彼女は少し呼吸を整えた。
「脳の……抜けてたところ、少し戻ってきたみたいで。まだ全部じゃないけど……。」
興味深い。罪データは奪うだけではなく、“戻る”可能性もあるということだ。
そこへ――
「……なに、二人で話してるの?」
振り返る前に、空気がわずかに変質する。
静電気のようなノイズ。温度差ではないのに“冷たい”。
ネアがそこに立っていた。
黒に近い深青の髪が、朝光で淡い反射を帯びている。
ただそこにいるだけで周囲の視線を独占するはずの存在なのに――
その視線は、僕ではなく少女に向けられていた。
「ゼラと、仲良いんだね。珍しい。」
声は柔らかい。表情も微笑。けれど、その奥で揺らいでいるものがあった。演算ノイズ、もしくは感情のバグ――名付けるなら“嫉妬の残響”。
少女は少しだけ肩をすくめたが、怯えはしなかった。
「仲良くなんて……ただ、その……」
「ただ?」
ネアは一歩近づく。
魅了の効果は僕には通じないが、少女にはわずかに影響しているようだ。瞳が揺れ、呼吸が乱れる。
これは、ネアの意思か?それとも、罪データの残滓が情動に干渉しているのか?
割って入ることにした。
「ネア、解析の続きがある。手伝ってくれ」
ネアは僕の方を見た。その瞬間、揺らぎは止む。魅了も消える。少女は肩の力を抜き、安堵の息をもらした。
「……うん。行く。」
ネアは僕の隣に立ち、端末に目を落とす。
「これ。本物じゃないよね。“嫉妬”の核は、まだ逃げてる。」
僕の推測と一致した。
「分かるのか。」
「分かるよ。だって、触れた時……私の中に、薄く残ったから。」
ネアは胸元に指先を当てた。その仕草はどこか人間的だったが、同時に異質でもあった。
「でも、心配しないで。これは私の感情じゃない。データの影響。バグ。ノイズ。そういうの。」
そう言いながら、視線はまた少女の方へ揺れる。感情ではない、と言うには“濃い”。だが本人が自覚しない以上、ただの“揺らぎ”であった。
――その時だった。
端末が甲高く鳴り、画面が跳ねる。
波形が急上昇し、七分割のうちの一つ――嫉妬が強く共振する。
「反応源……スラム区?」
僕が読み上げるより先に、ネアは動いていた。
「行こう。今度は、逃さない。」
少女は不安そうに僕を見た。
「大丈夫。戻ったら、続きを話そう。」
そう告げると、彼女は少しだけ笑った。ネアはその笑顔を見て、微かに視線をそらした。
都市のノイズが再び強まり、熱気と光が満ちていく。僕たちは走り出した。
罪データ本体が潜む“共振地点”へ。
**
スラム区は、まだ朝なのに夜より暗かった。
ネオン照明は瞬き、通信網は断続的に遅延し、街そのものが“侵入”されているような感覚があった。
罪データの共振地点は、古い集積市場跡。
物流網が崩壊して久しいはずなのに、微弱な電子音が一定周期で響き続けていた。
「このリズム……脳波同期パターンと似てるな。」
僕が呟くと、ネアが静かに頷いた。
「“嫉妬”は、対象を求めて共鳴する。きっと誰かが“核”として囚われてる。」
市場の奥――
電子ノイズが壁を覆い、亀裂のように都市回路へ浸食している。触れれば意識データごと吸い込まれる危険領域だ。
だが、ネアは迷わず踏み出した。
「待て、同期しろ。データ圧に押し流される。」
僕は脳内端末を起動し、ネアの電気信号と共振周波数を調整する。
彼女の瞳が一瞬だけ揺れ、すぐに安定した。
「……ありがと。キミがいると、私はきっと壊れない。」
それは淡々とした声だったが、揺らぎがわずかに混じっていた。罪データの影響なのか、彼女自身の意思なのかは判断できない。
奥へ進むほど空気が重くなる。音も光も吸い込まれ、脳の処理速度まで鈍る感覚。
そして――視界が裂けた。
ノイズが形を持ち、歪んだ人影が浮かび上がる。
さきほどのリーパーとは異なり、輪郭が強く、意思を持っている。
「……核の片割れ。“本体”の分身だ。」
ネアが囁く。
リーパーは二つに割れ、左右に揺らめきながら僕たちを挟むように回り込む。
脳信号を妨害する高周波。視界がぶれる。
普通の神経では処理しきれない――
だが、僕には観察がある。
「ネア、右側を封じろ。周波数は“嫉妬の位相ズレ”。逆相で魅了をかけるんだ。」
ネアは即座に動いた。
髪が揺れ、瞳が光り、存在そのものが電子空間に干渉する。魅了の波が放たれ、右のリーパーは痙攣するように動きを止めた。
「ゼラ、左!」
僕は工具を走らせ、左側の信号核へ逆流パルスを叩き込む。火花のようなデータ破片が散り、リーパーは消失した。
だが、すぐに気づいた。
「……動きが甘いな、ネア。脳波が乱れてる。」
ネアは一瞬だけ目を伏せる。
「……邪魔なんだよね、これ。私の中に残ってる“嫉妬のノイズ”。」
再びリーパーが形を取り戻す。今度は三体。影が増殖している。
都市データが吸われている――長期戦は不利だ。
僕はネアの手首を掴み、信号リンクを強制同期させた。脳波が噛み合い、ノイズが薄れる。
ネアの瞳が驚きで見開かれ、その次に――微かな熱を帯びた。
「……どうして、こんなに自然なの?」
「観察だよ。お前の信号パターンは読める。」
その言葉に、ネアの意識が跳ねた。罪データの影響とは違う揺らぎ。
だが、今は戦闘だ。
三体のリーパーが一斉に迫る――
僕は視界の情報を解析し、攻撃予測ラインを弾き出す。
「ネア、三秒後に右へ。そこから反射波を跳ね返せ!」
「分かった!」
息が合う。計算ではなく、反射でもなく、もっと近いもの。
二人の動きが重なり、ノイズを断ち切る音が響いた。三体のリーパーは同時に崩壊し、光の粒子が市場を漂った。
その中心に――残っていた。
“核”。
掌ほどの大きさで、青白く脈動し、感情を持つかのように震えていた。ネアはそれを見つめ、そっと手を伸ばそうとする。
だが、僕は止めた。
「触れるな。影響が強まる。」
ネアは指を止めた。
表情はいつもの無機質なものに戻っていたが、その声だけはわずかに柔らかかった。
「……じゃあ、キミが持ってて。私は、壊したくない。」
その意味は、言葉以上には説明されなかった。だが、伝わる気配は確かにあった。
僕は核を封じ、端末へ収納する。
その瞬間――
都市全体の電脳網が震えた。
空間の奥から声が響く。
『まだ一つ。だが、ようやく“協調”したな――ゼラ、ネア。』
姿なき声。おそらく、Φの中心部へ繋がる送信。
『二人で来るといい。次は――“傲慢”だ。』
通信は途切れる。ネアは静かに息を吐き、僕を見る。
「……行くんだよね?」
「もちろんだ。観察対象がいる」
ネアは微かに笑った。
その笑みに、嫉妬のノイズはもう混じっていなかった。
だが――胸の奥に沈む何かは、消えてはいなかった。
**
市場跡を出ると都市の光が戻り、揺らいでいた通信も安定した。罪データ“嫉妬”の核を封じたことで局所的侵食は止まったのだろう。だが完全ではない。街路広告のホログラムが一瞬だけ僕の名を映した。
《ζΞяΛ》──ノイズ混じりの崩れ。偶然ではない。観測されている。
「……Φは、私たちを誘ってる。」
ネアは淡々と言った。スラム外縁の地下通路を抜け、自宅兼研究室へ戻る。扉が閉まると同時に防壁が展開し侵入信号を遮断した。
「状況整理だ。」
机に核を置き解析端末を起動する。波形は脈動し、七つの周波数のうち一つへ収束していく。
《■■/jε4|◎u§ψ》――_――=―《嫉妬/ξεαλουσψ》 補正は成功したようだ。波形のノイズはきれいになくなっている。ネアはその光を見つめていた。感情を読ませない表情に、微かな影だけが差す。
「……ねぇ、ゼラ。」
視線を外さず彼女は言う。
「―――もし、キミが誰かと笑ってたら……私は嫌だと思うのかな。」
分析ではなく感情の問い。珍しい。
「罪データの影響だろう。」
「違う。影響ならもっと刺す。これは……弱いのに消えない。」
沈黙。端末光が影を伸ばす。その瞬間、警報が鳴り新たな波形の誕生を知らせた。《■■/πЯ1|∂Ξ》。またこれもコード修正をしなくてはいけないみたいだ。―_――_=―――=――《傲慢/πριδε》。特定完了。都市中心部、行政塔上層からの発信。 ネアが息を呑む。
「……Φがわざと残した。立入禁止、警備層も厚い。」
「なら侵入するだけだ。」
迷いなく立ち上がるとネアは目を丸くした。
「どうしてそんなに怖くないの?」
「僕たちを観察している奴が動いている。それだけだ。」
「……だったら私も行く。キミが行くなら、どこへでも。」
再び警報。個別通信。送り主は救出した少女。
《たすけて。こんどは、みんなが……きえてる》
ネアが僕を見る。頷く。経路は二重になる。行政塔の“傲慢”。スラムで進行する“空白症例”。どちらが核かは不明。だが迷わない。
「両方だ。順番に潰す。」
ネアは微かに笑った。それは嫉妬でも魅了でもない。“信頼”の温度。そして僕たちは夜へ出る。都市が震え電子の風が吹く。――七つの罪はまだ六つ。――Φは静かに待つ。深層回路の最奥で男が囁く。
『来い。ゼラ。君の脳はまだ“第三演算領域”を思い出していない。』
通信は闇に溶けた。
3.光る粒子の摩天楼
摩天楼の頂点付近は、地上よりもわずかに空気が薄い。だが、その空気の密度よりも希薄なのは――塔全体に漂う“情報”の匂いだった。
行政塔の外壁を、流れ続ける広告ホログラムが青白い霧となって周囲を覆う。まるで巨大な光の潮流。僕はその中を、ネアと二人で歩いていた。
「上層のネットワーク、まだ揺れてる。傲慢の波形が濃くなってるよ。」
「分かってる。……呼ばれてるんだろう、僕たちは。」
ネアは一瞬だけ僕を見た。その瞳は、いつもよりわずかに揺らいでいる。嫉妬のデータが与えた微細なノイズだ。
「……ほんと、なんでいつも冷静にいられるんだか。」
「観察する価値があるだけだ。」
そう返すと、ネアは小さく笑った。その笑みは、以前よりも“人間らしく”感じられた。
嫉妬データの影響――だが、単なる外部刺激ではない。
今のネアの感情は、彼女自身のものだ。
**
塔の外壁に沿って走るメンテナンス路に足を踏み入れると、通信ノイズが耳の奥で弾けた。
――=―_―《prιdє》―=―――_
文字列が一瞬だけ視界にノイズとして流れる。またフォントが崩壊したような表記だ。
「……やっぱり、ゼラのコードに反応してる。」
「だろうな……。」
塔内部への侵入ポイントに到達した瞬間 ―― 光の粒子が弾けるように空間が歪んだ。
警備ホログラムかと思ったが、違う。波形が動いている。脈打つように、意思を持って。
(この動き… ――)
―――”傲慢”の前兆だ。
「来るよ、ゼラ。」
ネアの声が落ち着いている。魅了能力はこの階層では効かない。
敵は純粋な“電脳構築体”だ。僕は手首の端末を起動し、脳内演算を加速させる。
空間が破れ、三角形のフレームが複数組み合わさった異形が現れた。 三つの顔。すべてが自分以外を見下ろすような角度で固定されている。
ネアが前に出ようとする。
「私が魅了で――」
「効かない。構造が違う。」
そう言い終える前に、異形が光を纏って突進してきた。情報波が肌を削ぐように刺さり、脳内の電位が一瞬跳ねる。僕は右手の演算グローブを展開し、信号を直接叩きつけた。
「――落ちろ。」
短い指令文を、回路の深部へ。異形は波打ち、フレームの一部が弾け飛ぶ。――だが、すぐ再形成される。
「再生が早い……!」
「“傲慢”だからな。自分のデータが壊れることを許容しない構造だ。」
三角フレームの中央部――
そこに核がある。
傲慢は常に頂点に座り、自らが中心だと主張する。
つまり、核は一番上だ。
ネアが短く息を呑む。
「ゼラ。上層に行かせない気だ。この階から先の情報路も全部封鎖された。」
「なら、突破するだけだ。」
僕は左手を構え、解析を続ける。周波数が重い。嫉妬よりも圧がある。手首に巻いた端末がオーバーヒートしたが、それでも続けた。
「ゼラ、気をつけて。これ、ただの“傲慢”じゃない。……少し混ざってる。」
「混ざってる?」
「嫉妬の残響。キミの周波数に反応してる。」
一瞬、異形の表面にノイズが走る。
《ζερα》
崩れたギリシャ文字。僕の識別コードだ。
「……本気で観測されてるな」
そう呟いた瞬間、異形の三つの顔が同時にこちらへ向き、“見下ろす角度”を固定したまま、光弾を放った。
「っ……!」
ネアが僕の腕を掴み、後ろへ跳ぶ。光弾がメンテナンス路を貫き、床が崩落した。
「ゼラ、あれ防壁越しに貫通する威力だよ!」
「知ってる」
僕は端末で再度解析を試みる。
だが――
その瞬間、背後から別の通信が割り込んだ。
救出した少女からだ。
《塔……変……こ……みんな……消え……》
ノイズまみれで聞き取れない。だが、ただ事ではない。
ネアが僕を見た。
その瞳はまっすぐで、強かった。
「行こう。ゼラ。私は――キミが行く場所なら、どこまでだって。」
胸の奥に微かに、それでもはっきりと波打つ感覚があった。嫉妬データの残滓か。
それとも、――ネアそのものの感情か。
まだ観察しきれていない。
だからこそ――興味が湧いた。
「……なら、突破するぞ。ネア。」
二人で同時に飛び出す。異形の光弾が軌跡を描き、ホログラム粒子が霧のように弾ける。塔の外壁を流れる光が二人の影を伸ばす。
震える摩天楼の夜に、星などはなかった。
**
三つ首の異形を睨みつける僕たちの手には拳銃が握られていた。もちろん、ただの拳銃じゃない。なんならこの場において拳銃なんておもちゃ同然だ。僕たちの拳銃はホログラムで構成されていた。”傲慢”が一瞬怯む。隙に、胸に一発。だが、相手の再生速度も異常だった。瞬く間に再生した傲慢は、再び僕らに光弾を放った。光弾は空間を裂き、塔の外壁を削った。その衝撃にホログラム粒子が崩れ、拳銃が崩壊した。
だが、気にしている暇はない。僕とネアはその中を駆けまわる。
「ネア、上層の情報路が開かない。あいつが制御してる。」
「分かってる。でも、この階で倒せば上のロックも消えるはず――!」
ネアが微量の魅了波を放つ。構築体には影響が薄いが、流石はネア。ほんの一瞬、異形の動きが”迷った”。
その隙に僕は跳躍し、三つ首の最上点、奴の弱点へ手をかざす。
「――――ここだ。」
演算グローブが白く光る。塔全体のネットワークとリンクし、異形の中心部から強制的にプログラムを書き換えた。
《prιdє》
波形が歪む。フレームが軋むように震える。
「ゼラ、あとちょっとだよ!壊れかけてる!」
ネアの声が飛ぶ。
――だがその瞬間、異形の一部が黒いノイズを吹き出し、演算路を逆流させてきた。
《ζερα》。僕の認識コードを呼ぶノイズ。まるで、””お前が壊れるほうが先だ””と言わんばかりに。
「…やるな。」
だが、もう遅い。
異形は崩壊を始めた。その時――塔全体の証明が一瞬ブラックアウトする。瞬間、轟音。
上層から何かが落ちてきた。
金属音。崩壊する足場。散る火花。視界に滑り込む、半壊した警備ドローン。
――その上に、あの少女がしがみついていた。
「っ…上、いっぱい……黒い人が…」
黒い人。ノイズの『エラー・ゴースト』だ。複数体。僕は傲慢を崩壊させたのではなかった。奴が自らのノイズを塔全体に撒いたのだ。
「ネア!その子のシグナル保護を頼む!」
「任せて!」
ネアがドローンに駆け寄り、少女を抱き寄せる。その瞳には怒りの業火が見えた。
「この子、ずっと独りで逃げてきたんだよ……塔の中には敵がいっぱいで…助けもいなかったのに……!」
怒りに反応するように異形が再結成を始めた。光が一点に収束し――
「消去する気か。そんなに”殺される”ことはプライドが傷つけられるのか…?」
疑問を抱えつつも僕はグローブを握る。
「ネア、僕の背後に!」
「わかった!」
少女を抱いたネアが飛び退く。その瞬間、異形が爆発を起こす。莫大なデータ量の光線が降りかかる。
――が。
「もう遅い。」
僕は塔の主幹回路に接続し、”傲慢”の周波数を逆位相で弾く。光の奔流が途中で折れ、逆流を開始する。異業自身へ向かって。三つの顔は苦悶に歪み、ひび割れ、フレームが崩壊した。ノイズが断末魔として摩天楼に響く。光が散り、フレームの破片が消滅する。残ったのは”傲慢”の核と疲労感だけだった。
僕は核をしまい、ネアの元へと戻った。少女は震えていたが、ネアといたことでだいぶ落ち着いてきたようだった。
「もう大丈夫だよ。ゼラ…彼が全部止めたから。」
まだ恐怖が残っているのだろう。目には涙がたまっていた。そんな少女に聞くのも酷だとは思う。思うが、聞かないわけにもいかない。
「”黒い人”、どこに行ったかわかる?」
少女は涙を拭い、「上…一番、上……光の穴に……」と答えた。
上層のさらに奥――。
行政塔の最上部、《深層演算区》。
本来、誰も入れない領域。ネアが不安げに僕を見上げた。
「ゼラ…そこって……。」
「ああ。」
僕はポケットの中の核を握りしめる。
「Φの本拠地だ。」
塔のてっぺんの、さらに奥。現実と電脳の境界が消える場所。
―――そこに、”嫉妬”と”傲慢”の本体が集い始めている。…いや、それだけじゃない。すべての大罪が集まっている。
「行こう、ネア。」
少女を抱くネアは一瞬驚き、静かに頷いた。
「……うん。キミが行くなら、私も行くよ。どんなに危険でも、怖くても、それでも―――」
言葉が途切れた。嫉妬データの残滓が感情の奥を揺らしたのだろう。
僕はただ答えた。
「観察する価値があるからな。」
ネアの頬に僅かに紅が差した。それは嫉妬でも魅了でもなく、彼女自身の揺れだった。
塔の上層へ向かうエレベーターが開き、黒い風のような電磁ノイズが吹き抜ける。少女の怯え、ネアの揺れ、僕の興味―――そのすべてを飲み込むように。
第三演算領域の扉が、ゆっくりと開こうとしていた。
4.電子ノ決闘プログラム
行政塔の最上階。 ――その、さらに奥。薄暗がりの中、Φは静かな笑みを浮かべていた。
『ようやく来たか…ゼラ。ただ……少し、早とちりをしているのではないか、ゼラ。今の君では私を倒すことはできない。各地に広がる”空白症例”を止めることはできない。』
Φが早口で告げる現実に、僕はついていくことができなかった。
「……どういうことだ。」
『そのままの意味だ、ゼラ。』
呆れたようにΦはいう。
『お前は今、”嫉妬””傲慢”の破片しかもっていない。それだけでは私を倒すどころか傷一つつけられない。』
Φを倒すには”罪データ”をすべて集めなければならないということか……? だがそうすれば僕は……
そこでようやく気付いた。僕たちは順調にΦの元へ行けているものだと思っていた。しかしそれは違った。僕は、僕たちは、Φに嵌められていた。今のままでは間違いなく殺される。本能が告げる。走れ。
振り向き、即座に駆け出す。ネアを手招きし、エレベーターに乗り込む。ボタンを押し、下層部へと降りる。エレベーター内の気温は来た時より2℃高く、4℃寒く感じた。ネアと少女の顔には疑問が浮かんでいた。だが、僕は説明する気にもなれなかっ―――――――
爆発音。直後、金属がこすれるような音が鼓膜を劈く。……まずい。
エレベーターが落下を始める。頭上からΦの攻撃が飛んでくる。このままではどのみち待っているのは死だ。端末を起動し、エレベーター、そして行政塔そのものにハッキングを掛ける。
――ひとまずエレベーターは成功したようだ。衝突を知らせる轟音の割に、身体に降る衝撃はほぼなかった。そのまま僕はホログラムの僕たちを生成する。彼らにはそのまま行政塔を出てもらう。要するに囮だ。隙を突き、僕たちは行政塔に駆け込む。ハッキングを掛け、安全を確保し、ようやくネアたちに事情を説明した。
今のままではΦや、エラー・ゴーストすらも倒せないこと。すなわち、”空白症例”を止めることができないこと。倒すには”罪データ”をすべて集める必要があること。……しかし、”罪データ”をすべて集めれば、僕はもう僕ではなくなること。当然だ。大罪をすべて保持するのだから、今までのような人間ではいられなくなる。
冷たい金属の床にへたり込む僕たちの顔は絶望で塗りつぶされていただろう。外に駆け出したホログラムはΦによって削除されていた。金属床に微かに残ったホログラムの残滓が、ゆっくりと空気に溶けて消えていく。それはとても幻想的で、しかし、僕たちが死を迎えた結末を表しているようで胸の底が冷える。
「……ゼラ」
僕を呼ぶ声は穏やかで、僅かに震えていた。それが罪データの影響なのか、彼女自身の感情なのか、僕にはまだ、観測できていない。
「本当に、全部集めたら……キミはキミじゃなくなるの?」
「…可能性は高い。認知領域そのものが置き換わる」
言葉は光る残滓とともに金属床に落ちる。
少女が消え入りそうな声で呟く。
「ゼラ……なんで、なんでそれでも逃げないの…?」
「逃げれば街が滅びる。Φが思うように再構築される。それだけは阻止しなければならない」
自分の言葉に胸が重くなる。正しいはずなのに、どこか違和感があった。
ネアが僕の袖をそっとつまむ。
「私は……キミがいないほうが嫌だよ」
そっと、微かに顔を赤らめて言う彼女からは、今までのどの感情とも違う感情が混じっていた。
それは、ネアが”個”を持ったことを示していた。
――その時だった。
塔の奥から硬い電子音が響く。壁面のモニターが点滅し、Φの影が映し出される。
『逃げたつもりか、ゼラ。だが―――鬼ごっこは終わりだ』
画面越しでもわかる、空気を冷やすほどの冷酷な笑み。彼はつづけた。
『第三演算領域に未アクセスのままでは私はおろか、ゴーストすらままならないだろう』
ノイズが走り、画面が次第に乱れていく。
だが、最後の言葉だけは異様にはっきりと捉えることができた。
『――七つを揃えろ。君が、七つを完成させろ。君が罪となれ。
そうすれば、君は本当の意味でこちら側に来ることができる。』
映像が途切れ、照明が消える。耳の奥でΦの笑い声が聞こえた気がした。
僕たちは、Φがまだお遊びであることを実感した。
**
非常灯が付くと、ネアは即座に端末を起動し、通信網を解析し始める。その指に迷いはなかった。
「ゼラ。中央回廊の下層。異常値が出てる。波形的には多分”強欲”。」
”強欲”……今までに戦ったことのないデータだ。攻撃パターンもリスクもわからない。だが迷いはない。
「Φが誘導している可能性は?」
「高い。このまま放置してれば中央区がヴォイドに飲まれる。」
少女は震える声で告げる。
「”空白症例”、広がってる…さっきよりも速い……」
最悪だ。対処法が分からない敵の発生と、そこに被せるような空白症例の急速な被害拡大。
――僕は立ち上がった。
「行くしかない」
それは宣戦布告だった。同時に、自己を失うカウントダウンの始まりでもあった。
ネアは頷く。その瞳はどこか、僕を失う未来を恐れていた。
**
中央回廊下層へ向かう途中、都市の証明は次々と明滅し、光が歪み始めていた。ホログラムの広告が、僕たちの姿を真似て揺らめく。
《ζερα》
《νεα》
ギリシャ文字化した“僕たちの名”が、まるで都市に刻み込まれた呪印のように表示された。
「これ……Φが、私たちのコードを解析してる?」
ネアが息を呑む。
「違う。――僕たちの“感情値”を読んでいる」
「感情……?」
「罪データが反応している。嫉妬と傲慢の周波数の隙間に、別の信号が割り込んでいるんだ」
ネアの頬が、ほんのわずかに強張る。
「それって……私がゼラに向けてる“なにか”?」
答えなかった。
答えれば、今は戦えなくなる気がした。
**
回廊の奥へ進むと、空間が突然、裂けた。
――正確には、都市のデータ層が剥がれ落ちた。床が波打ち、視覚情報がノイズに占領される。
無数の光が縦方向に走り、壁が液体のように変形する。
「……これが“強欲”の侵食?」
「いや。もっと……深い」
少女が叫ぶ。
「来る!!」
闇の奥から、歪んだ影が浮かび上がった。
四肢がバラバラに伸び、顔の位置が安定しない。
認識しようとするたび、別の形に変わる。
――エラー・ゴースト。
前に遭遇したものより、はるかに“飢えていた”。
「ゼラ、こいつ……!」
「分かってる、ネア。いくぞ」
僕は電脳武装の回路を開く。
神経接続が一瞬で飽和し、視界に青白い光が弾けた。
――起動。
《SYNAΨ-LIGHT//PHASE02》
高速演算の風が吹く。
世界がスローモーションになり、敵の動きが一本の線として可視化される。
ゴーストが跳ねた。
その瞬間、ネアも動く。彼女の手から放たれる紫電の刃が、空間を切り裂く。
だが――斬れない。
「こいつ……コードが固定されてない!」
「構造が“欲望値”で変動してる。なら――」
僕は足元の回線を引き剥がし、ゴーストの内部へ直接書き込む。
《Δ-REWRITE//LOCK》
固定化成功。一瞬だけ、影の動きが止まる。
「ネア、今!」
ネアは跳んだ。
彼女の刃が、狂ったパルスの中心を貫く。ゴーストが悲鳴を上げ、爆ぜた光の中に消える。
静寂が落ちた。
呼吸が戻る。
そして――光の破片の中に、“核”が残った。
《強欲/GREED》
ネアがそれを見つめながら、ぽつりと言った。
「……こんなの、あと四つ?」
「そうだ」
「ゼラが……変わっちゃう速度も、四倍ってこと?」
言葉が胸に刺さった。
否定したいのに、できなかった。
彼女は核に触れず、ただ僕の横顔を見つめていた。感情を隠そうとして、隠しきれない瞳で。
「……でも、私は一緒に行くよ」
都市の遠くで、また光が崩れた。空白症例の拡大は止まらない。
そして、Φの声が、どこかで嗤った気がした。
**
僕たちは、再び走り出す。
七つの罪は、残り四つ。
だが、ネアの視線の奥で揺れている想いのほうが、今は――ずっと、解読が難しかった。
5.電脳魔導書
僕たちは倉庫街の奥にある薄暗い通路を歩いていた。コンクリートの床は湿っていて、雨が降った後の残り香のような鉄と油の匂いが鼻をくすぐる。ネオン・エデンの光が遠くで淡く瞬き、電磁ノイズが耳をかすかに刺激する。僕は小さな端末を手に取り、空中に映し出された光の粒子を見つめる。粒子はまるで意志を持つかのように跳ね、微かな規則性を描いていた。
「この波形…やっぱり変ね」
ネアの声が静かに響く。僕の視線は粒子に釘付けで、彼女の顔は淡い光に照らされ、いつもより少し硬く見えた。僕は答える。
「規則性はある。でも、完全じゃない。まだ何かが隠れてる」
僕の言葉に、ネアは小さく頷く。手元の端末を操作する指先に、無意識に力が入るのが分かる。
僕たちが進むたびに、通路の壁面には古い配線や錆びたパイプが絡みつき、光を受けて微かに輝く。その輝きが、まるで過去の記憶を呼び覚ますように僕の胸を締め付けた。あのときの光、爆音、焦げた鉄の匂い、そして人々の叫び。それは深く封印した記憶だったが、今この倉庫街に足を踏み入れるたびに、かすかな残滓が僕の心をかすめる。
**
「ねえ、ゼラ」
ネアが微かに笑った。僕は言葉に出さずとも理解した。端末の光が粒子の動きを追い、僕たちはさらに奥へと進む。壁の亀裂から漏れる光が、空中に浮かぶ埃と混ざり、幻想的な模様を描き出す。その光景を見て、僕は少しだけ安心した。世界がまだ、こんなにも静かで美しい瞬間を残していることを、確認できたからだ。
「Φの残滓、ここにもあるのかな…」
ネアの声が小さく呟かれる。僕は首を傾げ、粒子を凝視する。
「まだ、完全には見えてこない…でも、何かは確かにある」
僕の言葉に、ネアは目を細めた。僕の中にも、説明できない焦燥と期待が入り混じる。僕たちは互いに目線を交わし、言葉にしなくても意思が通じ合う瞬間を感じた。
**
通路の先に広がる空間は、かつての倉庫の名残だった。床には散乱した工具や古い端末が無造作に置かれ、壁面には不気味に輝く符号が走る。光と影の交錯の中で、粒子は微かな光を放ちながら宙を舞い、まるで僕たちを導くかのようだった。僕は思わず手を伸ばし、粒子の一つを捕まえようとしたが、指先をすり抜けて消えた。その瞬間、胸の奥で何かが弾ける感覚があった。
何かが、何かの記憶が蘇る。それを察したのか、ネアはそっと手を握ってくれた。
「無理に思い出さなくていい…でも、私たちが一緒なら、怖くない」
その言葉に、僕の胸の奥に温かいものが流れ込む。幼い頃の記憶の断片が痛みを伴いながらも、今は柔らかな光に変わる感覚があった。
端末の光がさらに粒子を引き寄せ、壁面に反射して微細な模様を描く。僕はその模様を一つひとつ観察し、Φの残滓と何か関係があるのではないかと想像した。ネアも同じように粒子を追い、視線を交わすたびに静かな緊張感が二人の間に漂った。僕たちは言葉にできない謎を前にして、同時に好奇心と恐怖を味わっていた。
「光の中に、答えがあるのかもしれない」
僕は言う。ネアは微かに息を吐き、視線を端末に戻す。
「私も、そう思う。でも、簡単には見つからない…それがΦだから」
ネアの声は静かだが、決意が込められていた。僕たちはさらに奥へと歩を進める。光と影の迷路は果てしなく続き、倉庫街は僕たちを包み込むように広がっていた。
通路の奥、薄暗い空間にたどり着くと、粒子は一瞬集まり、微かな光の波紋を描いた。その瞬間、僕は確信する――Φはまだ姿を現していない。しかし、確かにここに、何かが潜んでいることを。ネアも同じ想いを抱いているのが伝わる。僕たちは互いに目を合わせ、静かに頷いた。答えはまだ遠い。しかし、探索はここで終わらない。
**
空間の隅に散らばる光の粒子に、僕は手を伸ばす。触れた瞬間、微かな電流の感覚が指先を走り、過去の断片がかすかに胸をかすめた。幼い日の恐怖、そして微かな希望。それらが交錯し、僕の中でひとつの光景を描く。ネアはそっと僕の肩に手を置き、視線を端末から外さずに囁く。
「ここで、何かを見つけられるかもしれない…」
僕たちは互いに頷き、再び光の粒子に目を向けた。その光景は、まだ見ぬ謎への入り口だった。倉庫街の静けさ、端末の光、粒子の舞い――すべてが僕たちを新たな探索へと誘っている。Φの残滓は、まだ形を見せない。しかし、僕たちはその存在を確かに感じていた。
**
僕の心は静かに昂ぶり、ネアの視線を感じながら、次の一歩を踏み出す決意を固める。光の粒子が揺れるたび、僕たちの間に流れる時間もゆっくりと変化していく。答えはまだ遠い。しかし、探索はここで止まらない。僕たちは、この迷路の奥に何が待っているのかを知るために、進み続ける――。
6.電子ノ精神
薄暗い倉庫の奥、ネオン・エデンの光が遠くで瞬く。僕は手にした端末の光を凝視し、粒子の動きを追う。粒子はまるで生きているかのように跳ね、規則性の中に異常を潜ませていた。ネアも黙って端末を操作する。僕たちの間に言葉は必要なかった。ただ、今目の前に潜む《罪データ》の存在を、互いに感じ取っていた。
「ここに…いる」
ネアの声がかすかに響く。
僕は端末を通じて電脳の空間をスキャンする。微弱な電磁パルスが倉庫中に走り、壁面の古い配線に反射して光の波紋を描いた。その中に、赤黒く歪んだ粒子の塊。憤怒――かつて暴走した感情の残滓が、今ここに形を持って現れたのだ。僕の心の中で警告が鳴る。
憤怒の粒子が集まり、光の筋を振りかざす。その速度は予想以上で、電磁ノイズが端末の映像を揺らした。僕は咄嗟に壁際に体を寄せ、光の筋をかわす。粒子は怒りの波動を帯びている。衝突すれば、物理だけでなく電脳空間も大きく歪むだろう。ネアが小さく息を吐き、戦闘用のウィンドウを起動する。
「粒子パターン解析、急いで」
ネアの声に僕は頷き、端末を高速操作する。光の粒子の動きを読み取り、攻撃タイミングを計算する。憤怒は凶暴そのもので、空間を歪ませる衝撃波を連続で放つ。光の軌跡が耳鳴りのような振動を生み、倉庫の鉄製梁が共鳴する。
僕は端末のプログラムを瞬時に書き換え、憤怒の動きを逆算して攻撃を繰り出す。光の刃が粒子の塊に突き刺さると、赤黒い霧が弾け、爆ぜるように散った。しかし憤怒はすぐに再構築され、さらに高速で襲いかかってくる。
「くっ…速い!」
僕は叫ぶ間もなく端末の防御シールドを展開。粒子の衝撃で倉庫の床が軋み、埃が舞い上がる。ネアは側面から粒子解析を続け、攻撃のパターンを割り出す。僕は全力で光刃を操作し、憤怒の破壊波動に対抗する。
「まだ、終わらせない」
憤怒の声が空中に響くように錯覚する。怒りそのものが意思を持って僕たちを追い詰める。倉庫の壁面に沿って光の線を描き、僕は追い詰められながらも反撃を狙う。粒子の動きを見切った瞬間、僕は閃光の軌跡を描き、憤怒の中心部に斬り込む。
赤黒い塊が爆ぜ、衝撃波が倉庫中に響く。僕の体が後方に押し戻されるが、端末は完全に憤怒の核を捕捉していた。ネアが両手で端末を固定し、データの収束を助ける。光の粒子が収縮し、やがて一点に集まる。憤怒の存在が徐々に薄れていき、ついには消滅した。
静寂が戻る。光と影の渦が消え、倉庫には湿った鉄の匂いだけが残る。僕は息を整え、端末のスクリーンを確認する。憤怒の残滓は完全に消滅したが、電脳空間にはまだ微かな異常が残る。ネアも端末を見つめ、唇を噛む。
「これで…終わりじゃないわね」
彼女が言う。
僕は頷く。憤怒は倒した。しかし、次に待ち受ける色欲が存在を示し始めていた。赤黒い霧とは違う、妖しく絡みつくような光の塊が、倉庫の奥に揺れる。
「ゼラ…これ、色欲…?」
ネアが声を潜める。
僕は端末を操作しながら、冷静に答える。
「間違いない。こいつが次だ…」
色欲は憤怒とは違い、戦闘パターンが不規則で読みにくい。触れるだけで神経をかき乱すような電磁波を放ち、視覚を歪ませる。光の粒子が身体の内部まで侵入してくるような感覚。僕は端末で防御フィールドを展開し、さらに解析アルゴリズムを組み替える。
ネアも同時に行動を開始する。彼女の指先から放たれる解析光線が色欲の粒子を追い、僕が攻撃タイミングを計算する。だが色欲はねじれた感情のデータを持つため、攻撃をかわすだけでなく、逆にこちらの電脳空間を歪ませようとする。
「集中して…!」
ネアが叫ぶ。僕は端末に全神経を集中させ、色欲の粒子の動きを追う。光刃を制御し、粒子の塊に斬撃を連続で叩き込む。しかし色欲は一瞬のうちに形を変え、再び僕たちを包囲する。
倉庫全体が光と粒子の奔流に飲み込まれ、壁の配線や鉄梁が共鳴して轟音を立てる。僕とネアは息を合わせ、攻撃と防御を繰り返す。粒子がぶつかるたび、電脳空間は激しく揺れ、視界がちらつく。
「ゼラ、タイミングは…今!」
ネアの声が響く。僕は瞬時に攻撃ルートを決定し、光刃を色欲の中心へ突き刺す。赤紫の光が爆ぜ、粒子が散乱する。色欲の形が崩れ、やがて一瞬の静寂が訪れる。僕は息を吐き、端末のスクリーンを見る。色欲もまた、完全に撃破された。
倉庫の空間は元の静けさを取り戻すが、残されたデータの痕跡が微かに揺れる。僕はネアと視線を合わせる。次の危険が迫っているのは明白だった。光の粒子が新たに異常な振動を示し、電脳空間に潜む未知の《融合体》の兆候が示される。
「ゼラ…これは…」
ネアが小さく息を飲む。
僕は端末を握りしめ、力強く頷く。
「まだ終わらない…次が本当の戦いだ」
光と影、粒子の奔流、そして未知のデータ――
僕たちは再び歩を進める。倉庫街の静寂の奥に、次なる試練が潜んでいることを感じながら。
倉庫街の奥、冷たい鉄と湿気の匂いが混ざる通路で、僕は粒子の軌跡を追っていた。ネアも黙って端末を操作している。光の粒子が微かな規則性を描くたび、心臓が跳ねる感覚があった。
「ゼラ、あの波形…揺れてる」
ネアが低く囁く。僕の目はスクリーンに釘付けで、粒子の動きがわずかに乱れるのを確認する。瞬間、空間の奥で赤黒い光が蠢いた。
「…来る」
僕の声が静かに響く。粒子が一斉に集まり、僕たちの周囲を旋回する。光の粒子はまるで意思を持ったかのように、憤怒の形を描き始めた。巨大な、怒りの塊が電脳空間に浮かび上がる。
「憤怒…」
ネアの声が震える。僕は覚悟を決め、端末の操作に力を込める。赤黒い塊が僕たちを包むように波打ち、空間を歪める。粒子が鋭い刃のように舞い、衝撃波が通路を裂いた。
**
「逃がさない!」
憤怒の塊が叫ぶ。言葉ではなく、電磁ノイズを通して直接僕の脳に衝撃が届く。僕は端末から光線を放ち、粒子の刃をかき消す。粒子の衝突音が耳を切り裂く。
「ネア、行くぞ!」
僕が叫ぶと、ネアは頷き、二人で連携する。光の粒子が僕らの指先を通じて形を変え、憤怒の塊にぶつかる。赤黒い影がはじけ、怒号の残響が電脳空間を震わせる。
憤怒は瞬時に分裂し、電光の矢のような破片となって僕たちに襲いかかる。僕は粒子を纏わせた盾を作り、衝撃を受け止めつつ反撃の光刃を放つ。破片が炸裂し、空間の壁に符号のような痕跡を残す。
「あと一撃…!」
ネアの指先が光の矢を放つ。憤怒の塊は光の中で崩れ、最後に小さな火花を散らして消滅した。静寂が戻り、電磁ノイズだけが微かに耳をくすぐる。僕は深く息をつき、ネアと目を合わせる。
**
「…でも、まだ終わりじゃない」
赤い光が空間の奥で蠢き始める。次に現れたのは色欲の塊。滑らかで妖しい光を放つ存在で、粒子の流れを自在に操る。僕たちはすぐに防御体勢を取るが、光が触れた瞬間、意識の隙間に欲望の幻覚が押し寄せる。
「目…閉じろ!」
僕は端末を振り、粒子の網を展開する。色欲の光が触れるたび、幻覚が僕の記憶を引き裂く。ネアは僕の腕を握り、現実に引き戻そうとする。二人の視界に、赤紫の光が絡みつき、電脳空間をねじ曲げる。
「こいつ…形を変える!」
色欲の塊が分裂と融合を繰り返し、触れる粒子ごとに幻覚の波が増幅される。僕は必死に粒子を操り、ネアと呼吸を合わせて光の刃を突き出す。刃が触れた瞬間、色欲の光が破裂し、電脳空間に激しい閃光が走る。
**
残骸のように散った光を見下ろす僕たちの前に、新たな影が現れる。憤怒と色欲が融合した存在、サイバー・マインド。赤黒と赤紫の光が渦巻き、触れた粒子ごとに電脳空間が歪む。まるで怒りと欲望が意思を持ったようだ。
「…来るぞ、ネア」
僕が端末を握り直すと、ネアも力強く頷く。粒子が両手から飛び出し、融合体の周囲に光の壁を作る。融合体は咆哮をあげ、破壊光線を吐き出す。僕らは光の盾で防ぎながら反撃を加えるが、一撃ごとに空間が揺れる。
サイバー・マインドの触手が電脳空間を裂き、粒子の軌道を狂わせる。僕は疾走するように端末を操作し、光の刃を振るいながら融合体の体表を切り裂く。ネアも連続攻撃を繰り出し、二人でリズムを合わせる。
「ここまで…!」
光が炸裂し、融合体は電磁ノイズと共に形を崩す。しかし、完全に消えたわけではない。最後の一瞬、残滓のような光が二人の間に残る。僕は息を整えながら、それを凝視する。
「まだ、終わりじゃない…」
ネアが囁く。残滓の光は微かに震え、まるで次の戦いを予告するかのように漂う。僕たちは互いに目を合わせ、静かに頷く。倉庫街の静寂に、まだ見ぬ敵の気配が染み込む。サイバー・マインドの残滓が、7への伏線を密かに残していた。
戦いが終わり、残滓の光がゆっくりと消えていく。倉庫街の冷たい空気が僕たちの肺に染み渡る。僕は端末を手に取り、微かな粒子の残滓を解析する。サイバー・マインドの痕跡は、ただの消滅ではなく、どこか別のデータ空間に吸い込まれたかのように散らばっている。
「ゼラ…あの光、何かに変化してる…?」
ネアが不安げに指先を振る。僕は端末のスクリーンを拡大し、残滓の軌跡を追う。微細な光がまるで信号のように点滅し、まるで僕たちに語りかけてくるようだった。
僕の胸に、一瞬ざわつく感覚が走る。戦闘中には感じなかった、微細な振動。まるで忘れ去られた記憶の欠片が呼びかけているようだ。ネアの視線もそれを追い、二人で光を見つめる。
粒子は空間に漂うだけでなく、端末に映し出されるコードの断片と連動し始める。僕は息を呑む――これは、戦った相手の記憶や感情が電脳空間に残滓として残り、再構築されつつある証拠だった。
「…これ、もしかして…」
僕が呟くと、ネアも目を見開く。残滓の中に、僕たちがまだ触れたことのない光の帯が隠されていた。それはサイバー・マインドの意識の欠片か、あるいは別の存在が仕掛けたトラップなのか。
端末に映る光の帯を指でなぞると、微かなデータ振動が伝わってくる。記憶の奥底に埋もれた情報が、僕たちに呼びかけるように微動する。戦いの残滓は、ただの破壊では終わらず、新たな探索の扉を開けようとしていた。
「ゼラ、これ…探る必要があるよね」
ネアの声は静かだが、決意が込められていた。僕は頷き、光の帯に手を伸ばす。微細な粒子が指先に触れると、電脳空間が一瞬波打ち、過去の断片が胸に浮かぶ。小さな街角、淡い光、忘れたはずの名前――それらが絡み合い、新たな謎の形を作る。
「ここから、次の答えが始まる…」
僕の心が固まる。サイバー・マインドの残滓は、単なる敵の記録ではない。僕たちが触れたことで、失われたデータの断片と繋がり、次の戦いの鍵を示していた。ネアもそっと端末を操作し、光の帯にアクセスする。
空間に漂う粒子が微かに震え、僕たちを誘う。戦闘の興奮はまだ消えず、けれどその奥には静かな焦燥が広がる。サイバー・マインドの残滓は、次の場所への地図であり、僕たちの記憶の奥底を揺さぶる予告だった。
倉庫街の静けさが戻る中、微かな電磁ノイズが新しいデータの存在を示す。僕とネアは互いに視線を交わし、無言で頷いた。探索は終わらない――失われた記憶の基盤が、静かに僕たちを呼んでいる。
7.沈む記憶の基盤
倉庫街の奥、静寂の中に漂う電磁ノイズが、僕たちの神経を微かに刺激していた。ネアと僕は端末を手に、慎重に残骸と化したデータの海をかき分ける。あの日見た光の粒子の残滓が、まだ微かに震えているのを感じた。
「ここまで来ると、Φの影も深くなってきたね」
ネアの声が低く、でも決意に満ちている。僕はうなずき、端末のスクリーンに映る光の断片をじっと見つめた。そこには、以前戦った“憤怒”や“色欲”の痕跡が残っていて、まるで僕たちを試すかのように微かに動いている。
端末の解析波が通路全体をスキャンし、壁面の古いデータ符号を浮かび上がらせる。僕は思わず息をのんだ。あのときの戦闘の感触、電流のように僕の脳裏を駆け抜ける。憤怒の怒号、色欲の誘惑、それぞれが融合したデータを前に、僕たちは次なる局面の恐ろしさを実感した。
「ゼラ、これ…見て」
ネアが指差す先には、微細に揺れる光の帯が壁面を走っている。まるでデータそのものが意思を持っているかのようだ。僕は端末で解析を進めながら、その流れに手をかざす。すると、微かな振動とともに、過去の戦闘の記憶が断片的に蘇る。
「やっぱり…ここにも、融合の兆候がある」
僕は低くつぶやく。ネアは少し顔をしかめ、でもすぐに冷静さを取り戻す。
「兆候だけじゃ済まないかもしれない…準備はいい?」
僕は深く息を吸い、指先で端末の起動スイッチを押した。微かな青い光が僕たちを包み、倉庫の闇が一瞬にして電脳空間へと変わる。
空間は静止しているように見えて、実際には粒子レベルで波打っている。僕たちの動きに合わせて、データの断片が反応し、まるで呼吸するかのように光を揺らす。ネアは端末の操作に集中しつつ、僕の視線を時折確認する。お互い、言葉にしなくても緊張感を共有している。
そのとき、空間の奥から赤黒い光が奔る。憤怒の残滓を思わせる鋭い波動が、僕たちに向かって襲いかかる。僕は反射的に身をひるがえし、光の波を避ける。
「速い…!でも、こっちも!」
ネアが端末を振りかざす。小さな青い閃光が飛び出し、赤黒い波動を正確に打ち消す。まるで二つのデータがぶつかり合い、空間全体が揺れるようだ。僕は息を整えながら、次の一手を考える。
「ここで手を抜いたら、すべてを失う…」
僕は心の中で自分を奮い立たせる。電脳空間の中で、光の粒子がひときわ強く跳ねた瞬間、色欲の残滓も同時に目覚める。誘惑の光、触れたら消えそうな柔らかな輝き。僕はそれを避けつつ、攻撃のチャンスを探る。
ネアが小さくうなずき、僕の背後で端末を操作する。二人の呼吸が同期するかのように、空間の光の流れも変化する。赤黒と柔らかな桃色の光が交錯し、まるで巨大な生物が二つに裂かれて戦っているかのようだ。
僕は拳を固め、足元の光を踏みしめながら疾走する。光の波動が飛び散り、倉庫の壁面を揺らす。ネアの端末が次々に閃光を放ち、敵の動きを封じる。僕たちは一瞬の隙を逃さず、攻撃と防御を繰り返す。
光の奔流に翻弄されながらも、僕は徐々に敵のパターンを掴む。憤怒の残滓は直線的で荒々しく、色欲の残滓は曲線的で誘導的だ。二つの特性を同時に相手にするのは難しいが、逆にそこに隙もある。僕は一気に距離を詰め、端末の閃光を集中させる。
赤黒の光が爆ぜ、桃色の光が崩れ落ちる。融合の前兆が見える――二つのデータが微かに絡み合い、巨大な電脳の影を形作ろうとしている。その瞬間、僕はネアに目で合図する。互いの意志が完全に同期した。これからが、本当の戦いの始まりだ――。
融合しかけた光の塊が、空間の中央で不気味にうねる。赤黒の激烈な怒りと、桃色の柔らかな誘惑が絡み合い、まるで意思を持った生物のように形を変える。僕は端末を握りしめ、ネアと視線を交わす。互いに瞬間的に理解する――今、手を止めたら全てが終わる。
「行くよ、ネア!」
彼女は小さく頷き、端末から放たれる青い光を一点に集中させた。僕も拳を握り、全力で走り込む。光と光がぶつかり、空間が弾ける音が全身を震わせる。電脳の壁が割れ、粉塵のようなデータ片が舞う中、僕たちは目まぐるしく位置を変えながら攻撃を仕掛ける。
憤怒の残滓が怒声のように轟き、色欲の残滓が甘い囁きで意識を揺さぶる。しかし、僕たちは迷わない。二つの性質を別々に捉え、相手のリズムを逆手に取る。憤怒には斜めからの高速攻撃を、色欲には一定の距離を保ちながら閃光で牽制をかける。
「もう少し…!」
ネアの声が響き、端末から放たれた光の刃が色欲の残滓を真っ二つに裂く。憤怒は暴力的な衝撃波を放つが、僕は微妙なタイミングで回避しつつ、端末の制御で反撃を重ねる。融合の兆候が増し、光の塊が暴走を始めた。僕たちは互いに距離を取りつつ、同時に集中攻撃を仕掛ける。
光が爆ぜ、空間全体が振動する。粉々になった残滓の残骸が電脳空間を漂い、青い光の波がそれを吸い込み、消滅させる。僕は息を整え、ネアも同じように深く息を吐いた。二つの残滓は消え、融合の危機は回避された。しかし、空間には微かに残る不穏な振動があった。
「まだ…完全じゃない」
僕は低くつぶやく。端末を通じて微弱な信号が残る。色欲と憤怒が完全に消えたわけではない。融合の痕跡がデータの深層に潜み、いつ再び目覚めるか分からない。ネアも頷き、空間を見渡す。
そのとき、壁面に現れた微かな符号が、僕たちの視線を引きつける。過去の戦闘の残滓が断片として残っているのだ。僕は手を伸ばすと、触れた瞬間、強烈な電流のような記憶が胸をかすめる。あのとき光の粒子が示したΦの残滓と、この符号がリンクしていることを直感する。
「ゼラ…これは…」
ネアの声が震える。端末の解析波が符号を展開し、そこに浮かび上がるのは、僕たちがまだ知らない巨大なデータの存在。その正体は完全には見えず、ただ漠然と、沈んだ記憶の奥底で何かが待っていることを示していた。
「次は…あれに向かうのかもしれない」
僕はそう言い、端末のスクリーンに映る符号を指差す。ネアも無言で頷く。融合しかけたデータの痕跡は消えたが、次なる試練はすでに準備されている。青い光の波が僕たちを包み込み、倉庫街は再び静寂を取り戻す。
僕たちは互いに目を合わせ、短く息を整える。電脳空間の揺らぎは残っているが、今はまだ安全だ。しかし、心の奥で予感する――沈んだデータの奥には、僕たちの知らない記憶の基盤が存在する。そして、その深淵は8につながる。
「…行こう、ネア」
僕は手を差し出す。ネアは微笑み、手を重ねる。僕たちは歩を進め、沈んだ記憶の基盤へと向かう。光の粒子が微かに跳ね、僕たちの進む道を照らす。それは確かな希望であり、同時に未知の恐怖の予兆でもあった。
倉庫街の静寂の中、僕たちは新たな探索の一歩を踏み出す――やがて、この基盤の奥で、過去と未来が交錯する瞬間が待っていることを知らずに。微かに揺れる電脳の残像の中、ネアが手を止めて端末を覗き込む。
「ゼラ…このデータ、消えたはずなのに…何か残ってる」
僕も端末を覗き込み、微細な信号が深層に潜んでいるのを確認する。青い光の波の中に、かすかに別の符号が重なり合い、まるで僕たちを試すかのように瞬く。
「…これが、次の基盤への鍵になるのかもしれない」
ネアの声は静かだが、確信を帯びていた。僕たちは互いに短く頷き、沈んだ記憶の奥底に待つ《ロスト・データ》へと、足を進める。未来の戦いの影が、すでに空間の隅で息を潜めていた。
8.崩壊する意識
倉庫街の空気は、湿気と錆の匂いで重く、冷たいネオンが通路を断片的に照らしていた。僕は手元の端末に映る光の粒子に視線を集中させ、微細な振動を感知する。粒子の跳ね方が微妙に不規則で、ただのノイズではないことを示していた。ネアも僕の横で端末を覗き込み、眉をひそめる。
「これ…さっきの波形と似てるけど、何か違う…」
ネアの声は低く、抑えられていた。僕は粒子の動きを追いながら、思わず息を吐く。
「違う、これは…憤怒の残滓かもしれない」
指先に微かな電流が走り、血流を逆撫でするような痺れが脳に届く。粒子はまるで感情を持った生き物のように跳ね、空中でねじれるように光を描く。
僕たちは通路の奥に進むたびに、その波形が徐々に強く、濃くなるのを感じた。壁に映る光の模様も揺れ、まるで生き物が潜んでいるかのように迫る。ネアが小さく肩をすくめ、僕の腕に触れる。その手の温かさに、心が少しだけ落ち着いたが、集中は途切れない。
「準備はいい?」
僕は小さく頷き、端末の解析モードを最大にする。粒子が次第に一塊となり、空間に浮かび上がった瞬間、鋭い轟音とともに黒い影が飛び出す。憤怒の残滓だ。形状は不定形で、赤い稲妻のような光を纏い、僕たちに向かって突進してきた。
「ネア、左から!」
僕が叫ぶと、ネアは端末の光を操作して粒子の流れを強化し、敵の動きを封じる。赤い残滓は電脳空間で暴れまわり、光の壁を突き破ろうとする。僕は素早く反応し、手に持った端末を宙にかざす。光が実体化し、短剣の形状を取って敵に向かう。電流が迸り、粒子が炸裂する。
「このタイミングで…!」
ネアが囁くように言うと、僕は瞬時に光の刃を回転させ、憤怒の塊を切り裂く。破裂音が耳をつんざき、粒子が散らばりながらも、ほんの一瞬だけ不自然に固まる。その隙に、僕は攻撃のパターンを分析し、次の動きを読み取る。
「…なるほど、怒りの波動を増幅させるタイプだ」
粒子は自己修復するかのように再構築され、僕たちを圧迫する。だが、ネアが補助してくれるおかげで、僕は攻撃に集中できた。彼女は僕の指示を待つわけでもなく、直感で支援プログラムを走らせ、敵の電磁場を撹乱する。僕はその間に、残滓のコアを狙って光刃を振るう。
**
突進と斬撃が空間で交錯し、赤い閃光と青白い電流が渦巻く。粒子の爆発音が連続し、通路の壁や天井に反射して響き渡る。僕は息を整えつつ、次の波を読む。ネアの端末から微かな振動が伝わり、彼女が敵の微細な挙動を把握していることを感じる。
「ゼラ、ここ!」
彼女の声に合わせて僕は左に回避し、光刃で突き出す。赤い残滓ははじけ飛び、電流の弾痕が壁に刻まれる。僕たちの連携は、言葉を必要とせず、ただリズムのように動く。憤怒の残滓が最後の反撃を試みるが、ネアのサポートプログラムがそれを封じ、僕は冷静に決定打を放った。
粒子が爆散し、空間にわずかな静寂が訪れる。憤怒の残滓は消え去り、残ったのは微かな赤い光の残滓だけ。僕は深く息を吐き、端末を下げる。ネアもそっと肩から手を離し、短く息をつく。
「やった…か?」
僕の問いに、ネアは小さく頷く。だが、その目には安堵だけではない、次への警戒が光っていた。通路の奥、薄暗い空間の奥底で、微かな光が揺れ動く。赤ではなく、柔らかい紫色の粒子…色欲の残滓だ。
僕は端末を構え、光を追う。ネアもすぐに支援モードに切り替え、僕たちは息を合わせる。憤怒の後に現れた色欲の残滓は、形を変えながら僕たちを試すように動き出した。
「これで終わりじゃない…次が本番だ」
僕が呟くと、ネアは少しだけ笑みを浮かべた。言葉はないが、その眼差しには「一緒にやる」という意思が確かにあった。僕は脳の解析に集中しつつ、次の戦闘に備えて深く呼吸を整える。
色欲の残滓は紫色の光の塊として揺れ、空中でねじれながら僕たちに迫る。弧を描くたびに微細な電流が空気を裂き、通路全体が微かに振動する。僕は端末をかざし、光の刃を瞬間的に形成して迎撃する。刃が紫の粒子を切り裂くたび、鮮やかな閃光とともに、甘く官能的な残響が耳の奥で弾ける。
「ゼラ、下がって!」
ネアの声に反応して体を後ろに跳ばせ、光刃で斬りつける。粒子は煙のように裂け、しかしすぐに再構築される。色欲は攻撃するごとに形を変え、僕の動きを誘うように滑らかに伸び、絡みつくように旋回する。
僕は脳内で次の波形を解析しながら、刹那の隙間に光刃を差し込む。紫の残滓が弾け、甘い残響が耳をくすぐり、体が戦闘に没入する快感で熱くなる。ネアも端末から光の鎖を発射し、敵の動きを縛る。残滓が身をよじるたび、空間に紫と青白の光が渦を巻く。
「くっ…しぶとい」
僕の声が低く震える。切っても切っても粒子が再生し、色欲は攻撃の度に形状を変え、まるで僕を翻弄しているかのようだった。だが、ネアの補助がある限り、僕は冷静さを保てる。彼女の端末が敵の動きを解析し、微細な反応を指先に伝えてくる。
僕は瞬間的に踏み込み、光刃を連続回転させる。紫の残滓は弾け飛び、通路の壁に粒子の痕跡が残る。爆発音と光の閃きが連続して、まるで空間が爆裂するような感覚が僕の全身を包む。脳内は戦闘の快感で満たされ、冷静に敵のパターンを解析しながらも、体は直感で動く。
「あと少し…だ!」
僕が叫び、光刃を敵の核心に突き刺す。紫色の残滓は激しく震え、爆発するように崩れ落ちた。空間に漂う残りの粒子をネアが光の網で集め、静寂が訪れる。戦闘の熱が冷めやらぬまま、僕は粒子の残り香を凝視した。
その瞬間、異変が起きる。残滓の粒子が光を放ち、憤怒と色欲が合体するように渦を巻き始めた。赤と紫が絡み合い、巨大な塊となり、電脳空間で蠢く。僕は瞬時に解析モードを最大に切り替えるが、光の流れは規則性を拒み、意志を持ったかのように僕の脳を挑発する。
「ネア…来るぞ」
彼女も端末を握りしめ、光の網を構える。二人で見つめる中、赤と紫の塊は猛然と僕たちに向かって突進してくる。空気が振動し、電磁ノイズが耳をつんざく。脳内に解析が追いつかない快感と恐怖が同時に流れ、僕の手は自然に光刃を動かす。
粒子が弾け、通路の壁を削り、床に電流の痕跡を残す。ネアの支援で敵の動きが制限されるたび、僕は間合いを詰め、斬撃を連続で叩き込む。光の閃きが連続し、電脳空間はまるで花火のように炸裂する。快感と興奮が混ざり合い、僕は自分の脳が燃えているのを感じた。
紫と赤の残滓が一瞬重なり、僕の脳に微かな波紋を残す。合体の兆しだ。ネアの端末が警告音を鳴らし、粒子の渦がさらに複雑になる。僕は深呼吸し、光刃を握りしめた。次の瞬間、全てを切り裂く一撃を放つ決意を固める。
**
融合残滓は空中で歪み、光と闇の波動を散らしながら迫る。僕は端末を握り締め、光の粒子を利用して高速で横移動。空気が裂ける音と微かな電流が肌を撫で、全身の感覚が研ぎ澄まされる。ネアは僕の横で光の帯を操り、融合残滓の攻撃を正確に逸らす。
「ゼラ、右から来る!」
彼女の声に反応して、僕は瞬時に屈み、鋭い光の刃が通過するのをかすめた。手元の端末がビープ音を鳴らし、融合残滓の動きの微細な歪みを示す。まるで相手が自分の心の奥まで読み取ろうとしているかのようだ。
僕は粒子を集中させ、虚像を作る。融合残滓はそれに惑わされ、突進の軌道を乱す。衝撃が倉庫街の床に反響し、埃と光が舞う。僕は駆け抜けながら残滓の脚部を攻撃。衝撃で彼の外皮が砕け、電流が迸る感覚が指先に伝わる。
「今だ、ネア!」
僕の声に合わせ、ネアが光の束を放つ。融合残滓は閃光に包まれ、歪む肉体を露出させる。僕はその瞬間を逃さず、端末から放つ電磁衝撃を直撃させる。衝撃波が空間を振るわせ、残滓の形態が一瞬分解しかける。
**
僕たちは互いの動きを無言で確認しながら連携する。ネアは僕の視線を追い、必要な瞬間に光の刃を差し出す。僕は残滓の動きに合わせて粒子を変形させ、相手を誘導。戦闘の中で、言葉はほとんど不要になっていた。けれど、互いの存在を感じるたび、胸の奥に小さな波紋が広がる。恋ではない。脳と反応の共有、それ以上でもそれ以下でもない。だが、確かに二人の距離は、戦いを通じて縮まっていた。
残滓が狂気的な速度で近づいてくる。右腕を光の槍に変え、僕は跳躍、回転しながら攻撃を回避しつつ反撃。衝撃で粉塵が舞い、視界が一瞬乱れる。その隙にネアが残滓の背後に光の刃を走らせ、深く切り裂く。残滓は苦悶の声を上げ、空間を揺らす。
「まだ、終わらせない!」
僕は叫び、端末を最大出力に切り替え、電磁フィールドで残滓を拘束。瞬間的に動きを封じ、彼女と同時に集中攻撃を浴びせる。残滓の体が痙攣し、光の粒子が暴走して砕け散る。空中で残滓は歪み、最後の蠢きで巨大な光の渦を巻き起こしたが、僕たちは離れず、連携を続ける。
**
衝撃が収まると、空間には静寂が戻る。残滓の残骸は微かな残滓粒子となって漂い、倉庫街の闇に溶けていく。僕は膝をつき、息を整える。ネアも同じように膝をつき、光の粒子を指先で吸収するように端末に集めていた。
「やった…のかな」
彼女の声は微かだが、笑みが混ざる。僕は何も言わず、粒子の動きを見つめる。胸の奥の高揚は、戦闘の興奮だけではない。ネアと共有した感覚、呼吸、視線――それらがまだ鮮明に残っていた。
その時、端末が微かな波動を感知する。残滓の消滅を確認したはずなのに、微細な異常が空間に漂っていた。光の粒子が不規則に震え、僕の視線を引き寄せる。ネアも気づき、端末の画面を覗き込む。
「ゼラ…これ、何?」
「わからない。でも、Φの痕跡じゃないか…」
粒子は消えずに微かに浮遊し、次の情報へと僕たちを誘うように動いている。戦いは終わったはずなのに、新たな謎が静かに、しかし確実に姿を現していた。
僕は息を整えながらも、指先で端末を操作する。ネアは隣で微かに身体を寄せ、戦闘中に見せた集中の光が今も瞳に残る。恋ではない。けれど、互いの存在を認め合う静かな連帯感。戦いを通じてしか形にできない、独特の信頼がそこにあった。
「次は…どこへ向かう?」
僕が問いかけると、ネアは微笑んで端末に視線を戻す。僕たちが追うのは、残滓ではなく、その奥に潜む未知の記憶。沈んだ記憶の基盤、《ロスト・データ》へと続く道だ。
空間の奥にわずかな光の筋が走る。僕は立ち上がり、ネアと視線を合わせる。言葉は不要だ。次の探索へ、僕たちは再び歩を進める――未来の記憶が待つ、暗黒と光の迷宮へ。
残滓が消えた空間に、わずかな振動が残る。光の粒子は不規則に揺れ、微かに囁くようなノイズを立てる。端末を覗き込む僕とネアの視線が重なる。
「ゼラ…これ、普通じゃない」
「うん…Φの残滓でも、融合残滓でもない」
粒子の中に潜む未知の波形。まるで意志を持つかのように、僕たちを次の場所へ誘う。ネアは僕の肩に手を置き、短く息を吐いた。言葉はない。でも、僕たちはわかっていた――この先、待ち受けるのは、もっと深い“罪”の影。《ロスト・データ》の底に潜む、新たな悪意。
空間の闇の奥、光が微かに震える。僕は端末を握り締め、ネアと共に歩を進める。未来の記憶が告げるのは《λαΣτ・Σιν》への道しるべだった。
9.λαΣτ・Σιν
塔の外壁にネオンの光が反射し、雨の滴がガラスに小さく弾ける。倉庫街を抜け、僕たちは行政塔の入り口に立った。巨大な鉄とガラスの構造物は、まるで都市そのものを喰らい尽くす牙のようにそびえ立ち、下層の電磁ノイズが低く唸る。ネアは端末を握り、光の粒子をスクリーンに映し出す。
「ここにもΦの痕跡がある…解析すると、かなり複雑なパターン」
僕は粒子の揺れを追いながら言った。粒子は空中で螺旋を描き、微かな光の残滓を放つ。
「でも、まだ全貌は見えない」
僕の視線は揺れる粒子に釘付けだ。ネアは小さく息を吐き、肩越しに僕を見た。
「怖くない…よね、私たち、一緒だから」
その言葉に、僕は短く頷く。恋愛感情とは別の結びつきだ。互いの能力と信頼で結ばれた関係。端末の粒子が次第に集中し、通路奥の闇を薄く照らす。
通路は冷たいコンクリートで覆われ、壁面の古い配線や錆びたパイプが光を受けて微かに輝く。その輝きは、まるで過去の残滓を映す鏡のようだった。足音を吸収する床に慎重に歩を進めるたび、微細な振動が手のひらに伝わる。僕たちは互いに目を合わせ、言葉にしなくても意思を通じ合わせる。塔の内部はすでに生きているようで、電磁ノイズがうねり、風が通路を揺らす。
最奥に近づくにつれ、光の粒子が活発に動き出し、端末の解析画面に新しい波形が現れた。
「Φがここに…いる、んだよね……」
ネアの声が少し震える。僕は粒子の動きから攻撃の兆候を探る。まだ戦闘は始まっていない。だが、この静寂は嵐の前触れだ。微かな電磁信号が、僕の脳に直接届き、解析と同時に身体感覚として戦闘の快感を予兆させる。
僕たちは塔の深部へと歩を進める。光と闇の迷路の中で、粒子は微かに道を示すように揺れる。ネアは端末を操作しながら、僕の肩に軽く手を置いた。言葉はない。だが、その存在感が、戦闘の緊張の中で心強い。塔の奥で待ち受けるΦ――次の戦いの匂いが、静かな空気を震わせる。
塔の中心部に近づくと、空気がひんやりと冷たく、電磁ノイズが耳を刺すように鋭くなる。光の粒子が宙で螺旋状に舞い、端末の画面は解析不能のデータで真っ赤に点滅した。
「ここにいる…間違いない!」
ネアの声が緊張で震える。僕は端末を握り直し、粒子の動きに集中する。次の瞬間、巨大な影が静かに立ち上がった。光と影が交錯するその姿は、“強欲”――欲望そのものが具現化したリーパーだった。
「来るぞ」
僕が呟く間もなく、影は電脳的な光線を放ち、通路を破壊しながら迫る。僕は粒子を盾にして光線を受け流し、手にした端末から反射する電磁フィールドを展開する。ネアも僕の隣で操作を続け、光の粒子を戦術的に散布して敵の動きを遅らせた。粒子が触れるたび、強欲の肉体は瞬時に修復され、まるで時間を逆行するかのように光と影が交錯する。
「行くぞ、ネア!」
僕の声に応えるように、彼女は端末の波形を瞬時に再配置し、強欲の動きを読み解く。僕は壁面を蹴って跳躍し、空中から強欲の肩に電磁エネルギーを叩き込む。衝撃で壁のパネルが弾け飛び、粒子が宙を舞う。強欲は呻き、しかしその笑みは消えず、まるで苦痛すら快楽に変えるかのように、次の攻撃を即座に組み立てた。
粒子が僕の指先で光の刃となり、強欲の腕を切り裂く。電流の衝撃が僕の手に伝わり、心地よい緊張と快感が交錯する。ネアは横で冷静に解析し、端末から発せられる波形で僕の攻撃を増幅させた。「もう一度、僕の右を狙え!」彼女の指示に従い、僕は宙を舞いながら連続攻撃を仕掛ける。強欲の体は光の破片と電磁の波で裂かれ、瞬間的に揺らぎを見せた。
「まだ…だめか…」
僕は息を整えつつも、解析を止めない。強欲は衝撃のたびにデータを吸収し、自己修復する。まるで戦うたびに僕たちを試すかのように、欲望の奔流を増幅させる。そのとき、ネアが指を軽く叩き、端末に新しい波形を描き出した。
「ここを突けば…!」
僕は即座に理解し、光の刃を再構築して強欲の心臓部へと叩き込む。
爆発的な光と電磁の衝撃が塔内に轟き、強欲は地面に倒れ込んだ。粒子が舞い上がり、まるでその存在の残滓をかき集めるかのように光を散らす。僕は床に片膝をつき、ネアがそっと僕の肩に手を置いた。言葉は交わさない。それでも、互いに戦い抜いた信頼を確認する瞬間だった。
倒れた強欲の残滓が淡く光を残し、塔の奥深くに消えていく。その光はまるで次の敵を呼ぶ前触れのように揺らめいていた。
「次…暴食が待っている」
僕は粒子の動きを追いながら呟いた。ネアは端末を握り直し、深く息を吐く。心臓の鼓動が激しくなり、全身に戦闘の余韻と高揚が残る。光と闇が混ざり合う塔の内部で、次なる戦いの気配がすでに僕たちを誘っていた。そして、それは僕が僕として生きる、最後のチャンスでもあった。
**
薄暗い行政塔のホールに足を踏み入れると、空気が一変した。冷たい金属の匂いと、機械の軋む音が、僕たちの神経をぎりぎりまで張り詰めさせる。ネアは端末を握りしめ、僕の肩にかすかに触れるように位置を調整する。言葉は交わさない。視線だけで意思が通じる瞬間があった。
突如、空中に歪む光の渦が生まれ、そこから巨大な影が現れる。暴食――それは生物のようにうねり、電子信号の渦巻きの中から異形の牙と触手を伸ばす。ネアが端末の光を操作し、ホログラムの壁を生成する。攻撃を防ぐためのものだが、暴食の動きは予測不能に変化し、光の壁をすり抜ける。
僕は咄嗟に足元の磁気床を踏み、空中に飛び上がる。暴食の触手が振り下ろされ、空気を切る音が耳をつんざく。指先で端末を操作し、光の弾丸を発射するが、暴食はそれを吸収し、体内で渦に変えて反撃のエネルギーに変換する。
「速すぎる…!」
ネアが短く息を吐く。僕も端末を操作し、電子の網を生成して暴食を捕らえようとするが、渦が形を変え、光の粒子に分解される。捕まえようとすればするほど、暴食の体は分裂と再構築を繰り返す。
僕は走る。ホールの柱を蹴り、宙を舞い、回転しながら端末で電子の刃を形成する。暴食の触手が迫り、刃が交錯するたびに電流の衝撃が体を貫く。ネアは隣で光の盾を展開し、僕を守るように動く。触れ合わずとも、僕たちの動きは完全にシンクロしていた。
暴食の中心部を狙う。そこには電脳コアのようなものが見えるが、触手のような外郭が絶えず揺らぎ、簡単には狙えない。僕は端末のUIを高速で切り替え、光の粒子を操り、コアの位置を固定するための罠を仕掛ける。暴食はその罠に気づき、触手を一斉に反転させて、僕の光の刃を砕く。
ホール全体が揺れ、天井から配線が垂れ落ちる。電磁ノイズが耳を刺激し、視界が瞬間的に歪む。僕は空中で軌道を変え、反対側の壁を蹴って着地。ネアは盾を光のバリアに変換し、暴食の触手の突進を受け止める。バリアが歪み、発光が強まるたびに、二人の影が巨大なシルエットとなってホールに映る。
(まだ…行ける!)
僕は声に出さず、心で叫ぶ。脳に直接流れる緊張感が、僕の思考と反射を加速させる。ネアも同じ速度で思考しているのが分かる。手元の端末から電子の刃を再形成し、暴食の分裂した触手に突き刺す。触手が崩れ、光の渦がひとしきり歪む。
―――だが、暴食は即座に再構築を始める。
中心部のコアは微かに赤く光り、体の一部が半透明になり、内部構造が露わになる。電脳的なうねりの中に、暴食が「吸収」と「増殖」を同時進行させる様子が見える。僕は息を整え、ネアと視線を交わす。ここからが本番だ。
僕たちは無言で前進し、ホールの中央へと誘い込む。暴食もそれに応じるように移動し、触手を振り回して攻撃を続ける。光と影が交錯し、音もなく電流が走り、ホール全体が戦場となる。僕は電子の刃を回転させ、触手を切断しながら、同時にコアを狙う。ネアはそれを補佐し、光の網で暴食を制御する。
暴食の動きが一瞬止まる。コアが露出し、中心部の光が強まる。僕は跳躍し、全力で光の刃を投射する。刃は触手を貫き、コアに直撃。暴食がうめき声のような電子音を上げ、ホール全体に衝撃波が走る。僕はその衝撃で床に叩きつけられるが、ネアが光の盾で僕を守る。二人の間に、言葉にならない信頼感が流れた。
衝撃の中で、暴食は光の粒子となって崩れ始める。だが、その粒子は完全に消えるわけではなく、わずかに残滓として空間に漂う。僕たちは息を整えながら、その残滓の微かな脈動を感じ取る。次に何が起きるのか――警戒を解くわけにはいかない。
暴食の残滓が空間に漂う中、僕は端末を操作し、粒子を捕獲する。粒子はまるで意志を持つかのように跳ね、残滓の痕跡を辿る。ネアは僕の横で光のバリアを展開し、粒子の軌道を可視化している。視覚化されたデータがホログラムとして空中に浮かび、暴食の構造を解析する助けになる。
「粒子のパターン、急速に変化してる」
ネアが囁く。僕は端末でアルゴリズムを再構築し、光の刃を電子的に細分化。複数の刃が暴食の残滓を追尾し、触れた瞬間に電流の衝撃を発生させる。空中で刃が回転し、粒子の塊が分裂して光の渦に吸い込まれる。
暴食の再構築はさらに高度化していた。残滓が電脳回路のように繋がり、触手が光線のように伸びる。僕は瞬時に跳躍し、空中で光の刃を連続投射。触手が弧を描き、刃が交差する。ホール内の電磁ノイズが共鳴し、耳鳴りのように僕たちの感覚を揺さぶる。
ネアは端末のUIを高速操作し、暴食の粒子に対してマトリックス状の拘束フィールドを生成。触手がフィールドに触れるたびに、電流が逆流し、暴食の動きを制限する。僕はその隙に高速で接近し、光の刃を一斉に投射する。触手が粉砕され、残滓の粒子が光の渦として拡散する。
しかし、暴食はただの残滓ではない。電子的な意思が宿っており、粒子の集合体として再構築を続ける。僕は思考速度を最大まで上げ、端末を介して光の刃を細かく制御。刃が触手を切断するたび、残滓の一部が電子信号として僕の端末に反響する。その情報を解析し、暴食の行動パターンをリアルタイムで学習する。
「ここまでくると、ただの物理攻撃じゃ効かないな」
僕が思わず声に出す。ネアは小さく息を吐き、視線を端末から外さずに頷く。
「電子パターンを読むの…私たちしかできない」
僕は端末を叩き、光の刃をさらに分割。空間に形成された粒子の軌道を操り、暴食の触手を一点に集中させる。触手同士がぶつかり合い、電子的な衝撃波が発生。ホール全体が光と電流で煌めく中、僕は疾走感を維持しつつ粒子の動きに合わせて反射と回避を繰り返す。
暴食は抵抗を増し、残滓の粒子を急速に合体させる。巨大な触手がホログラムの壁を蹴散らし、空間に裂け目を生む。僕はそれを見て、ネアに小さくジェスチャーする。「次の瞬間、全力で行く」
ネアは理解し、光の盾を最大出力に変換。僕は空中で全力の跳躍、光の刃を一点に集中させ、暴食の再構築中のコアを狙う。触手と粒子が渦を巻き、電子衝撃が連鎖する。ホールの金属床が振動し、ネオン光が瞬く。暴食の意志と僕たちの戦略が、電脳空間でぶつかり合う。
衝撃の余波でホールが揺れ、空中の粒子が渦巻きながら落下する。僕は疾走を維持しつつ着地、ネアは盾を展開したまま、僕の背後でサポート。残滓の粒子がまだ光を放つが、中心部のコアがわずかに露出し始めていた。ここからが勝負だ――。
コアの露出を確認し、僕は端末で光の刃を再構築。刃は空中で無数に分裂し、暴食の触手の隙間を縫うように飛翔する。触手が刃に触れると、電流が逆流し、残滓の粒子が小刻みに震える。ネアは盾を保ったまま、粒子の軌道をリアルタイムで分析し、僕に最適な角度を示す。
「こっち…!一瞬の隙間を狙って」
ネアの指示に従い、僕は跳躍。光の刃が暴食の中心に向かって集中し、コアが揺らぐ。電子信号の反響が僕の端末に伝わり、残滓の内部構造が鮮明に浮かび上がる。光と電流の渦が交錯し、まるでホログラムの嵐の中にいるような錯覚を覚える。
暴食は最後の抵抗として、粒子を急速に合体させ、巨大な触手を形成。触手がホールの壁を蹴散らし、電子ノイズの爆発が耳をつんざく。僕は瞬時に判断し、跳躍と回避を繰り返しながら光の刃をコアに集中させる。ネアは盾をさらに強化し、衝撃波を吸収。僕たちは電脳空間の中で息を合わせ、リズムのように攻撃と防御を繰り返す。
「残り、あとわずか…!」
僕は心の中で呟き、端末のアルゴリズムを最終調整。光の刃が一瞬、超高速で分裂と再合体を繰り返し、コアを完全に包み込む。暴食は反応しきれず、触手の動きが鈍る。ネアは微かに笑みを浮かべ、僕の背後で粒子の流れを封鎖。残滓の暴食は、電子的な光の波紋となり、ゆっくりと解体していく。
光の渦が収束し、ホールに静寂が戻る。粒子の一部が微かな輝きを残しながら散乱し、暴食の意志は完全に消滅した。僕は息を整え、端末を握った手に汗を感じる。ネアは僕の横で盾を解除し、少しだけ肩の力を抜く。互いに目を合わせ、言葉にせずとも勝利の確認をする。
「やっと…終わったのか」
僕の声は低く、しかし安堵を含んでいる。ネアは微かにうなずき、端末を収納しながら、光の粒子が残した微細なパターンを観察する。
「まだ、この街にはΦの痕跡が残ってる…でも、ここまで来れば少しは理解できたかもしれない」
僕は頷き、ホールの出口を見据える。暴食の残滓との戦いは終わったが、電子世界に刻まれた痕跡は、次なる戦いへの鍵となる。ネアは僕の横で粒子を指先で追いながら、小さくつぶやく。
「ゼラ…次も、一緒に…」
僕は言葉を返さず、端末に集中する。恋ではなく、脳と知覚への執着が僕の全てを支配していることを自覚しながらも、ネアの存在が静かな支えとなっているのを感じる。
外に出ると、夜の倉庫街は再び静けさを取り戻していた。しかし、空中にはまだ微細な光の粒子が漂い、次の戦いの予感を秘めている。僕たちは息を整え、ネオンの光に照らされながら、次なる探索のために歩き出す。暴食との戦いは終わった。しかし、この街の記憶と残滓は、まだ僕たちに多くの謎を残していた――。
10.第零暗黒区域
行政塔の最高層、そのさらに奥へ到達した僕たちは、薄暗い通路の端で足を止めた。壁面には僕たちの観察コードがつづられている。妙な寒気がするこの場所に、何も残されていなかった。端末の粒子が微かに震える。空気は冷たく、電子機器特有のオゾン臭が鼻をつく。僕は端末を掲げ、光の粒子を解析する。粒子は、まるで意志を持つかのように複雑な波形を描き、そこに潜む異常を示していた。
『ここだ…お前の記憶の深淵』
Φの声が、電子的な歪みを伴って頭の奥に響いた。その瞬間、僕の胸を鋭い痛みがかすめる。
廃墟となった発電所の廊下、金属が軋む音、焦げた匂い、そして血の匂い。
短く、しかし鮮明なフラッシュバック。僕は思わず息を呑む。
「ゼラ、大丈夫?」
ネアの声が背後から響き、僕の意識を現実へ引き戻す。彼女は端末を操作しながら、微かに手を伸ばしてきた。その指先の温もりが、わずかに心を落ち着けさせる。
僕は深く息を吸い込み、光の粒子を再び追う。粒子は塔の奥に向かって集まり、僕たちを誘導しているようだった。しかし、足元の床板がかすかに振動し、僕の背筋に冷たいものが走る。
『ζερα。お前の罪は、まだ消えていない』
発電所事故での絶望、操作不能の機械、叫ぶ人々、手を伸ばしても届かない光景。胸の奥で何かが崩れる感覚。
僕は思わず端末を握りしめ、膝が震えた。
「僕なら…大丈夫だ。ネア、ついてきて」
言葉に力が入らない。ネアは微かに眉を寄せたが、口を開かず、ただ頷く。彼女の存在が、僕を現実に留める唯一の支えだった。
通路の奥、光の粒子が密度を増し、微細な電磁パルスを感じさせる。まるで塔そのものが呼吸しているかのようだ。僕は粒子を凝視し、Φが潜む空間の輪郭を探る。
『お前は、過去に縛られすぎている』
声とともに、さらに鮮明なフラッシュバック。膨大な量のデータが僕の心を掻き乱す。手足が重く、思考が鈍る。倒れそうになった瞬間、ネアが僕の肩に手を置き、強く呼びかける。
「ゼラ、ここで倒れちゃダメ。私たち、まだ諦めてない」
その声に、意識がぎりぎりで引き戻される。僕は深く息をつき、端末の光を握りしめた。塔の奥から微かに、しかし確実に、Φの気配が迫っている。戦いの気配だ。
「行こう、ネア」
僕は静かに言い、彼女は微かに微笑む。互いの存在を信じた共闘の微かな確認。僕たちは、光の粒子が導く暗黒区域へと足を進めた。
通路の奥、空間が一気に開ける。光の粒子が渦を描きながら集まり、塔全体が微かな振動を帯びた。僕は端末を構え、ネアは横で警戒する。突如、空間の中心から鋭い光が走った。
『来い…お前の欲望の深淵』
響く声に呼応するように、警告音が耳を切り裂く。人々の悲鳴が聞こえ、錆びた鉄のにおいと飛び散った血液のにおいが入り混じる。瓦礫が転がり、微かな煙が立ち込める。
フラッシュバック。僕は端末を握る手に力を込め、視界を必死で固定する。
幼い日の記憶、
焦げた鉄骨、制御不能の装置、人々の絶望、崩れ落ちる壁、叫び声、燃え上がる火、割れるガラス、飛び散る破片、煙に巻かれた空気。
頭の中で光景が断続的に炸裂し、体が硬直する。
「ゼラ、落ち着いて!」
ネアの声が脳裏を揺さぶり、意識を現実に戻す。
光が一瞬炸裂し、強烈な衝撃波が通路を走る。僕は身を低くし、粒子の動きを読み取りながら回避行動を取る。壁面を蹴って反転し、端末から発せられる微細な光で敵の位置を把握する。
『お前は、常に脳に囚われる…感情の弱点は明白だ』
言葉と同時に、フラッシュバックが再び襲う。
轟音が頭を揺らす。破壊された発電所の中で、赤く光る警告灯が点滅し、煙が充満し、床がひび割れる。作業員たちの叫び、機械の破裂音、飛び散る破片、焦げた配線の煙、炎に包まれる壁、警告音の断続的な鳴動、操作不能の装置の閃光、割れるガラス、崩れ落ちる天井、振動する床、そして手を伸ばすが届かない人々。
僕の体は震え、呼吸が乱れる。
「ネア、サポート頼む!」
「任せて!」
ネアは微細な電磁パルスを発射し、Φの周囲に障壁を生成する。光の粒子が炸裂し、空間全体に電脳の歪みが広がる。僕はその隙を突き、接近戦に持ち込む。拳を振ると、敵の体表に電流が走り、金属的な軋みが響く。
再びΦが咆哮する。『お前の記憶が…暴走する』
フラッシュバックの密度が増す。
赤く光る警告灯、破裂する配線、燃え上がる油、崩れ落ちる壁、飛び散るガラス、煙で覆われた空間、絶叫する作業員、振動する床、天井の崩落、燃える鉄骨、逃げ惑う人々、制御不能の装置、倒れる重機、飛び散る火花、絶望の中で手を伸ばす人影。
視界は断片的に崩れ、意識が揺れる。
ネアが手を握り、強く引く。
「まだ、諦めちゃダメ!」
呼ばれた瞬間、力が戻る。僕は端末を軸に連続攻撃を仕掛ける。光の刃が飛び交い、敵の防御を削る。周囲の電磁ノイズがさらに乱れ、まるで戦場全体が意志を持つかのようにうねる。
敵の攻撃をかわしつつ、僕は端末に集中する。フラッシュバックは増え、視界は炎に包まれる。
燃えさかる油、砕ける鉄骨、飛散する破片、叫ぶ人々、崩れる壁、煙に巻かれた空気、割れるガラス、跳ねる火花、振動する床、落下する天井、逃げ惑う群衆、絶望の眼差し、手を伸ばす人影、消えゆく光。耳を劈く悲鳴、嗚咽、号哭。
頭が割れそうになるが、ネアの存在が僕を現実に引き戻す。
光と影の間で、僕たちは確実にΦの防御を削り、共闘のリズムを刻んでいた。端末の光は精密な攻撃軌道を描き、ネアの電磁パルスが敵の動きを封じる。フラッシュバックは続くが、僕は呼吸を整え、攻撃を重ねる。
Φの光輪が軋むように歪み、塔全体が悲鳴を上げた。
『まだだ……お前の深層には、さらに沈んだ“核”がある』
低周波のような声が空気を震わせる。その瞬間、周囲の粒子が一斉に反転し、僕たちを中心に渦を描いた。床が波打ち、天井から無数の光線が垂直に降り注ぐ。僕はネアの手を引き、横へ跳ぶ。光線が落下地点を貫き、床材が蒸発した。
「ゼラ、Φは出力を上げてきてる! 一気に押し切らないとまずい!」
ネアの声が焦りを帯びる。僕はうなずき端末を構えるが、直後に視界が揺らいだ。
発電所の赤い警告灯がチカチカと点滅し、警告音が脳内で増幅される。床が震え、油が燃え上がり、どこかで鉄骨が崩れ落ちる。嗅覚までもが過去へ引きずられ、煙の熱が頬を刺す。
胸が苦しい。肺が圧迫される。足が止まる。
『逃げられぬ。お前は“あの日”に閉じ込められている』
Φの声が、傷を抉るように響く。
「ゼラ!!」
ネアが僕の腕を掴み、強く引き寄せる。
「ここは過去じゃない! 私がいる、今を見て!」
その言葉が脳裏に突き刺さり、意識の膜が破れる。フラッシュバックが遠ざかり、現実の光景が戻ってくる。
Φは中心部で黒い光を滾らせていた。
ダーク・セグメント。
この領域の名のとおり、情報の影が凝縮したような存在。
「ネア、同期する。行けるか?」
「もちろん!」
僕たちは背中合わせに立ち、端末の光を最大出力に切り替える。ネアは周囲に電磁障壁を展開し、Φの攻撃パターンを計測する。
塔全体が不穏な唸りをあげる。床が割れ、数十の光槍が生成される。Φの輪郭が巨大な影となり、空間すべてを覆い隠そうと迫る。
『終端を迎えよ——』
「迎えるのはお前の方だ!」
僕は光刃を振り抜き、ネアが背後からパルスを重ねる。二つの軌道が絡み合い、Φの中心核へ一直線に突き刺さる。だが次の瞬間、Φの影が爆発的に膨張した。僕の体は弾き飛ばされ、背中が壁に叩きつけられる。
「ぐっ……!」
視界が白く霞む。
その一瞬の隙を逃さず、Φの黒い触手状の光が僕の頭部を掴みに伸びた。
触れた瞬間、脳髄が締め付けられるような感覚が走り、記憶が強制的に開かれる。
発電所の天井が崩れる。作業員たちが逃げ惑う。制御不能となった装置が閃光を撒き散らし、油が爆ぜる。叫び、泣き、祈る声。伸ばした手が、触れ合う直前で瓦礫に飲まれる。小さな自分が叫んでいる。
どうして——助けられなかった。
『それがお前の“起点”。無力、罪、恐怖。そこからは逃れられない』
視界が揺れる。
心臓が冷える。
また取り込まれる。
またあの日に戻る。
「ゼラ!!!」
遠くでネアの声が響いた。
その声だけが、過去の炎を裂く唯一の光のようだった。
——違う。
僕はゆっくりと呼吸を整え、Φの影の握力に逆らって端末を握り直す。
「僕は……逃げない。あの日からも、僕自身からもだ」
端末が激しく脈動し、内部の光が解き放たれる。
Φの影が軋み、ひび割れが走る。
ネアが横から飛び込み、Φの中心に向けて渾身の電磁パルスを叩き込んだ。
「今だ、ゼラ!!」
僕は全身の力を込め、端末の出力を最大にする。
光刃が真白に発光し、Φの中心核へ突き立てる。
『……ッ……!』
塔全体が揺れ、黒い波動が吹き荒れる。
耳が吹き飛ぶほどの轟音。
空間そのものが裂けるような光。
僕とネアは押し流されそうになりながらも、力を抜かなかった。
Φの核が叫び、光が爆ぜる。
時間が止まったように感じた。
次の瞬間、黒い影は霧のように分解し、光の粒となって消え始めた。
『……終わりでは……ない……深層には……』
言葉はかき消え、残滓は微弱な光となって塔の上空へ昇っていった。
静寂が戻る。
僕は壁に手をつき、息を荒げながらその光景を見送った。
ネアが駆け寄り、僕の肩を支える。
「ゼラ、大丈夫……?」
「……ああ。まだ……生きてるよ。ネアが呼んでくれなきゃ、危なかった」
彼女は安堵の息をつき、小さく笑った。
「だって相棒でしょ。見捨てるわけない」
その瞳には安堵と微かな哀しさが浮かんでいた。
塔の破損した天井から、微かな朝日が差し込み始める。
長い影が消え、光が空間を照らした。
僕はその光を見ながら、静かに息を吐く。
「——これが、第零暗黒区域の終端か」
ネアは頷き、空に消えていったΦの残光を見つめた。
「でも、深層があるなら……まだ終わりじゃないね」
「そうだな。だけど……まずは、戻ろう」
闇を破り、僕たちは歩き出した。
確かに手を取り合ったまま、新しい光の方へ。
11.響く電子の不協和音
行政塔の最上層は、戦いの余韻をまだ少しだけ震わせていた。折れた支柱から落ちる火花が、ほとんど消えた夜景のように微かに瞬いている。
ゼラはその中心で、いつものように私のほうを見て微笑んだ。少し疲れた風に見えても、その笑みは温かくて、胸の奥にじんわりと光が灯る。
「……終わったね、ゼラ」
「ああ。全部……やっと、終わったよ」
ゼラの声は静かで、まるで穏やかな風が頬を撫でたようだった。
私は小さく息を吐き、足の震えをようやく認識する。恐怖でも疲労でもない。ただ、隣にゼラがいるという安堵に、体が勝手にほどけていく。
「怪我、してない?」
「僕よりネアのほうがボロボロだよ。ほら、手……震えてる」
そう言って私の手を包むゼラの指は、少し冷たい。だが、その冷たさは不安を呼ぶものではなかった。むしろ、戦闘で使いすぎた演算熱を下げているだけのように思えて、私は何も疑わなかった。
ゼラの手があれば、それでよかった。
もう危険は遠く過ぎ去ったと、そう信じていた。
塔の外縁部まで歩くと、東の空がゆっくりと朱に染まり始めていた。廃都の摩天楼の隙間から漏れる光は、まるで新しい世界の幕開けみたいで、私は息をのむ。
「ねえ、ゼラ。……世界、変わるかな」
「変わるよ。ネアが……変えたんだ」
「え? 私?」
「うん。僕だけじゃ無理だった」
照れたようにゼラは笑った。私は心臓が跳ねるのを感じて、思わず目をそらす。
ずっと一緒にここまで来た。危険も絶望も越えて、手と手を取って。
やっと、やっと終わった。
やっと安らげる未来が来る——そう信じていた。
……なのに。
「ゼラ、ねえ……少し変だよ?」
ほんのわずか。
ゼラの体の輪郭が、空気の波みたいに揺れた。
最初は気のせいだと思った。光の反射か、疲労で視界がぶれたのだろうと。
だが、二度、三度。揺れる間隔が短くなっていく。
「大丈夫。問題ないよ」
「問題、ないって……」
「ネアを心配させるようなことじゃない」
優しく言うけれど、その声はほんの少し、震えていた。
それでも私は、まだ信じてしまった。信じたかった。
ゼラの言葉なら、信じていいはずだと。
「ねえ、本当に……?」
「うん。ほら、朝日が綺麗だよ」
ゼラはそう言うと、私の肩に手を置いた。
その手は、さっきより冷たかった。だけど、私は何も言えなかった。
ここでゼラを困らせたくなかった。
ゼラが私の前でだけ見せる、あの微笑みを曇らせたくなかった。
だから私は黙った。
気づいていた違和感を、胸に押し込んだ。
空が完全に光を取り戻す頃、ゼラはふっと息を吐いた。
「……ネア。ごめんね」
「え……? 何が?」
「やっぱり……どうしても、隠しきれなかった」
次の瞬間。
ゼラの体を包む光が、ぼろぼろと崩れ落ちるように散った。
「ゼラッ!!」
私は反射的に手を伸ばす。
だが、その指先をすり抜けるように、ゼラの輪郭は薄く、淡く、遠くなる。
「最後の罪データ……全部吸収した時から分かってたんだ。僕は、もう……」
「やめて。言わないで」
「——僕じゃいられない」
心臓が、ひとつ、止まった。
ゼラの声は静かで、涙のように優しかった。
全部知っていて、全部受け入れて、最後まで私を傷つけまいとして。
なのに私は——何一つ気づけなかった。
「ゼラ……行かないで……お願いだから……!」
手が、空を掴む。
ゼラの指先があと数ミリの距離で、私に触れられない。
「ネア。大丈夫だよ。君はひとりじゃない」
「ひとりだよ……! ゼラがいないなら……!」
「僕は——君が生きてくれたら、それでいい」
その声が震えていた。
ゼラが初めて、私に向けて弱さを見せた瞬間だった。
触れられない。
届かない。
零れていく。
ゼラの姿は光の欠片となって、風に紛れていく。
私はただ、世界で一番大切な人が消えていくのを見ていることしかできなかった。
「……ネア。ありがとう」
「ゼラ……!」
「——さよなら」
気づいた時には、私はひとり、朝日に染まる塔の上に立っていた。
風だけが鳴り、ゼラのいた場所には何も残っていない。
温かかったはずの手の感触さえ、もう思い出せない。
——フィナーレは、静かに幕を下ろした。
そして私は気づく。
これはハッピーエンドなんかじゃない。
“最初から決まっていた終わり”だったのだと。
手を振って、あの時の少女が駆け寄ってくる。涙を見せるわけはいかない。
頭では理解していたが、心は従ってはくれなかった。気づいた時には足元が濡れていた。
だいじょーぶ?と少女は言う。大丈夫だよ。と言いたかった。嗚咽ばかりで、何も話せなかった。
ゼラ。もし、キミだったら、もし、生き残ったのがキミだったら、キミは、どうしていたのかな。
みなさんはいいクリスマスを過ごせましたか?中2の私には成績のことで頭がいっぱい……なんてこともなく。ただただゲームをしてました。だらだらするのっていいですよね。冬休み最高。今のうちに満喫しておきます。




