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ある薬師の一生  作者: 杉勝啓


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大野治長

「母上、茶々様は…」

「鶴松様が亡くなって以来、塞ぎこんでおられます。昨日までは初様や江様がいらして、いくぶんか慰められていたようですが、お二人とも、そうそうご夫君の元を離れるわけにもいかず…帰られました。今は万福丸様が付き添ってくださっていますが…少しのものも召し上がられなくて…」

「そうですか」

「それより、治長、殿下のご用はよいのですか?」

「ええ…茶々様の様子が殿下も気になるようで私に様子をみて来るようにと」

「そうなのですか。殿下は、こちらには?」

「暇ができたらと…」

「仕方ありませんね。小田原の仕置きが終わった今、何かと多忙なのでしょう。鶴松君の喪に服されてばかりもいられませんね」


母が茶々様の乳母だった縁で、茶々様の父君、浅井長政様、浅井家が滅んだあとは、織田信長様、柴田勝家様、豊臣秀吉様と仕えてきた。小谷城にいた頃の茶々様は明るく活発な姫君だった。茶々様の笑顔はまわりの人びとをも笑顔にした。だが、小谷城が落城して、浅井長政様が自刃してから茶々様は笑わなくなった。北ノ庄城で、母君のお市の方様を亡くされてから、さらに笑わなくなった。いや…笑うことはあっても小谷城で、見せていたあの快活な笑顔ではなくなっていた。気づけば茶々様は天下の関白様の愛妾となっていた。天下の関白様の寵愛深い愛妾となって…それでも茶々様はちっとも幸せそうではなかった。鶴松様が生まれて、茶々様はようやく、小谷城にいた頃のような笑顔を取り戻されていたというのに…


「それにしても万福丸様が生きていたとは驚きました」

「ええ…私も北ノ庄城に現れたときは驚きました」


思えば、万福丸様も不思議な方だ。今は浅井の血筋だからと脅かす者はいない。茶々様の異母兄上であらせられるのだから、望めば浅井家の再興も殿下に取り立ててもらうこともできるだろうに。なんの野心も持っておられぬようだ。茶々様が辛いときに現れては去っていく。


私がそのようなことを考えていると、万福丸様が何やら妖しげな茶碗を持って現れた。中には何やらゾロゾロした液体が入っている。薬湯だろうか。

「万福丸様、なんですか?それ?」

「あなたは?」

「申しおくれました。大野治長と申します。母が茶々様の乳母だった縁で、今は関白殿下に仕えています」

「そうでしたか。そういえば小さい頃、会ったような気がします」


そうだ…私はこの方に会ったことがある。この方と茶々様は仲のよい兄妹であられた。幼心にも何とか美しい兄妹だと思ったのだ。茶々様がわがままを言ってまわりを困らせていたとき、窘めていたのはこの方だった。


「大蔵卿殿、清潔な布を用意してください」

「は…はい…それは…」

「これはスッポンを、煮詰めたものです。無理矢理にでも茶々に茶々に食べさせます。スッポンはとても栄養価が高いのですよ。布に浸して口に流し込みます」




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