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ある薬師の一生  作者: 杉勝啓


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北ノ庄城落城

「市、どうしても城を出ないつもりか」

北ノ庄城が落城と決まって何度、この問答を繰り返したことだろう。柴田勝家は思う。自分は城を枕に討ち死にするのは構わない。だが、お市の方や姫たちは違う。

「はい、殿もご存知でしょう。浅井家が滅んだ後。あのサルが兄の下知のもと、どのように非道なことをしたか。長政様やお義父様が自刃されたのは仕方ありません。ですが、なぜ、お義母様や万福丸殿まで殺されなければならなかったのでしょう。それもお義母様は一本一本、指を切り落とすという残虐な方法で。万福丸殿も、また、串刺しという惨い殺され方であったと聞いています。私たちがこの城を出れば、そのような目にあうかもしれません。いえ、私だけなら構いません。姫たちがそのような目にあえば、私は泉下の長政様に顔向けできません」

勝家とて、お市の方たちを道連れにしたくはありませんでした。ですが、城を出たお市の方たちがそのような目に、あうかもしれないと思えば、強く言うこともできずにいました。

と、そこへ秀吉から降伏の使者がまた、やってきたと告げられました。

「追い返しなさい」

お市の方は即座に告げました。

「ですが、このたびの使者は片桐且元殿でして」

「なら、なおのこと、追い返しなさい。あの男は幼い頃から長政様に仕えていて、あれほど長政様に目をかけられていたというのに、今はあのサルに仕えているというではありませんか。そのようなものに会う必要はありません」

「それが、同道しているものが、浅井輝政と、名乗っておりまして、この名を聞けばお方様は必ず会ってくださるはずだと」

「浅井輝政?そ、そんな、まさか」

「市、どうした?その者に心あたりがあるのか」

「浅井輝政というのは長政様が万福丸殿に与えた諱です。そのことを知っているのは亡き長政様と私、それに万福丸殿本人だけです」

「そうか、それなら、会うだけ会ってみようではないか」


勝家とお市の方が且元や万吉の待つ部屋を、訪れると二人は平伏していました。

「顔をあげよ」

勝家が、告げると二人は顔をあげました。

「ああ、万福丸殿、生きて、生きていてくれたのですね」

「はい。義母上、お久しゅうございます。柴田様にはお初にお目にかかります。浅井長政が一子、浅井輝政と申します」

「柴田様。義母上に、お願いがあってまかりこしました」

「うむ。市や姫たちのことだな」

「はい。どうか、降伏を受け入れていただけませぬか」

「それはできぬ。わしはあのサルに臣下の礼をとることなどできぬ。だが、市たちは別じゃ、なんとかこの城から落としてやりたい」

「殿、何度も申しあげたではございませぬか。あのサルのこと、城を出た私たちがどのような目にあうか」

「義母上、羽柴殿はそれほど非道な方ではございません」

「何をいうのです。あなたのお祖母様がどのような惨い殺され方をしたか」

「はい。私もそれは聞き及んでいますが、それは羽柴殿の預かり知らぬこと。私がこうして生きながらえているのは亡き竹中半兵衛殿と羽柴殿の情によるものなのです」

「どういうことです?」

「はい。私は織田信長によって磔にかけられました。父が生前手を打ってくださり、忍びのものによって助けられましたが、それも、竹中半兵衛殿の協力があってのこと。それを羽柴殿は見逃してくれたのです」

「信じられない。あのサルが」

「市、わしとて、あのサルが、信じられるとは思わぬ。だが、輝政殿なら信じられるのではないか」

「はい。羽柴殿が信じられないというのなら、羽柴殿のもとへ参らず、私の家にお連れします」

その、言葉に慌てたのは且元でした。

「ま、万福丸様。何を……私は秀吉様よりお市の方様たちを必ずお連れ申すように命じられておるのだ」

「主命に背いてもらおう」

「姫育ちのお方様たちに市井の暮らしができると思われますか」

そう言われれば、万吉も、黙るしかありませんでした。確かに、自分は千吉と、一緒に師匠に愛情深く育ててもらいましたが、時に、木の皮を食べ、泥水を啜って生きてきのです。義母たちにそのような暮らしができるかと問われれば答えは否でしかありませんでした。

「輝政殿、確かにそなたが請け負うてくれるのだな」

「はい」

「わかった。輝政殿を、信じよう。市、姫たちを連れて城を出るがよい」

「殿……」

「姫たちは浅井長政殿の忘れがたみ、ここでおことや姫たちの命を奪ってしまってはわしも泉下の浅井長政殿に申し訳がたたぬ。だが、市、最後に良い夢を見せてくれた。礼をいう。長いわしの人生の中で短かったがそなたたちと過ごした時が一番幸せだった」

「殿……」

「駕籠は四丁用意して参りました。参りましょう」


且元と万吉に連れられ、お市の方たちが、去った後。勝家は思いました。

「これでよかったのだ。これで」


これで思い残すことはない。さあ、後は自分が死ぬだけだ。と、覚悟を決めた勝家のもとにお市の方が、戻ってきたのです。

「市。なぜ?」

「姫たちは輝政殿に託しました。だけど、私は殿と一緒にいたい」

「なぜ、そのようなことをいうのだ。おことがここで、死ぬようなことがあれば泉下の長政殿に申し訳がたたぬと先ほども申したではないか」

「私が戻ってきたのは、それが長政様のお心だからです」

「どういうことだ?」

「小谷落城のおり、長政様はおっしゃいました。自分のことは忘れて新しい幸せを掴めと。あのときは随分と長政様を恨みもしました。なぜ、自分も連れていってくれぬかと。でも、あのとき、死なずによかったと今は思います。殿に添うことができたのですから」

「市………」

「長政様が、亡くなって、私は世捨て人のような暮らしをしていました。ただ、生きているだけの虚しい日々でした。そこから連れ出してくれたのは殿です。私はもう二度と愛しい方の手を離したくはありません」



万吉がお市の方がいないのに気づくと間もなく大きな音がしました。どうやら、北ノ庄城が爆破されたのだとわかりました。


「義母上、なぜ?」



夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲居にあげよ 山ほととぎす(柴田勝家)



さらぬだにうち寝るほども夏の夜の別れをさそふほととぎすかな(お市の方)
















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