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ある薬師の一生  作者: 杉勝啓


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鶴松の死

茶々が世継ぎの母として表に出ることを懸念していた万吉でしたが、その頃、鶴松は生死の境を彷徨っていました。


「お方様、すこしはお休みに鳴った方が…私共が変わりますから」

「いいえ…母の私がついてやらねば…それより大蔵卿、異母兄上に使いは出してくれたのでしょうね」

「はい…ですが淀と長浜では遠く、どんなに急いでも…」

「異母兄上はきっといらしてくれるわ。今までも私が辛いときにはいつも来てくださったもの」

「関白殿下が天下の名医を集めて下さり、方方の神社仏閣に気筒もさせてくださっています。必ず本復いたします」


長浜から淀まで急いでやってきた万吉でしたが、その死相の出ている幼子にどうすることもできませんでした。

「なぜ、異母兄上は優れた薬師でしょう。なぜ、助けられないの?」

「落ち着いてくれ。天下の名医でも治せないのだ」

「嫌よ。私は諦めない」

「どこへ行くんだ」


茶々は井戸の側まで行くとみずごりを始めました。

「お方様…おやめください」

止めに入ろうとした大蔵卿局を万吉は止めました。

「好きにさせてやれ」


ああ…やはり…無力だ…私は…

お袖も救ってやれず、今また、甥の鶴松も救ってやれない…


そして、まだ3つにもならない鶴松はこの世を去ったのです。遺体は東福寺に運ばれました。そこでは鶴松の平癒を祈願して秀吉が祈っていました。その場で秀吉は髻を切り喪に服しました。徳川家康はじめ諸侯もそれに倣ったと伝えられています。


その後、秀吉は方広寺大仏(京の大仏)の隣に鶴松の菩提寺として祥雲寺(臨済宗)を建立することを決め、南化玄興を開山として迎え入れ、棄丸人形像(豊臣鶴松像)を祀らせました。


茶々の悲しみは一通りではなく、暗く沈んでいました。

「茶々、皆が心配している。親が亡くなった子を悲しんで入ればそれは子の罪になるのだ。親を悲しませた罪となる。冥福を祈ってやれ」

「そんな…異母兄上はご自分の子を亡くされたことがないからそのようなことが言えるのよ」


「異母兄上…」

「初に江、来ていたのか」

「ええ、姉上のご様子は…」

「今はそっとしておく他ないだろう。それより、そなたたちは息災でいたか」

「私達は子を持ったことがないから姉上の悲しみがわかりませんわ」

「そうだな。私も子を持ったことがないから、茶々がどれほど悲しんでいるか」

「関白殿下から姉上を慰めてくれるように頼まれましたが…」

「二人とも、婚家の方には戻らなくてもよいのか」

「関白殿下の仰せですから」

「そうか…」


二人とも婚家では何かと苦労していると聞いたが元気そうでよかった…
















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