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ある薬師の一生  作者: 杉勝啓


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父としての徳川家康

「徳川様、こっち、こっちですよ」

「おう、まだまだ、若い者には負けぬと思っていたが、山道はなかなか……」


徳川家康の家臣たちがブツブツと、言ってます。

「なんだ、あの男は殿に対して馴れ馴れしい」

「まあ、よいではないか。殿の楽しそうな顔は久しぶりだ」


「あ、ゴンパチが生えている」

「ゴンパチ?」

「ええ、食べることができるのですよ。よく、木の皮やこんな草で飢えをしのいだものです」

「そうか。苦労したのだな」

「そうでもないですよ。このようなものをしか食べられなくてもお師匠様は私達を必死に育ててくれましたから」

「たち?」

「ええ、兄のように寄り添ってくれる人が居るんです。おかしいんですよ。千吉は。あつ、千吉というのですが、同い年のくせに何かと兄貴風をふかすんです」

「ゴンパチ、徳川様も食べてみますか」

「う、うん」

家康はゴンパチを、口に含みました。

「美味いものではないな」

「あはは…徳川様の顔ったら、こんな徳川様の顔が見られるとは思いませんでした」

「………」

「あ…あの…どうかしましたか」

「いや、なんだか楽しくてな。できれば信康とこんな時間を持ちたかった」

「信康様?あっ………」

「そなたのような者まで知っておるのか。我が子を見殺しにした情けない父だと」 

「いえ…、その…、」

「聞いてくれるか」

「は…、はあ…」


徳川家康は語り始めました。

「織田信長公はな、元々、人を信じぬお方だった。無理もない。実の母からは疎んじられ、同腹の弟には裏切られ、その弟を斬らねばならなかったのだ。そして、周りの親戚は敵ばかりだった。そのような中で信長公は育ってきたのだ。たがな、一時、信長公は人を信じようとした事があるのだ。信じた男がいたのだ。それが浅井長政だ。浅井長政は信長公にささやいたのだ。人を信じてみませんか。人を信じるのはそれほど難しいことではありませんよとな」

「ですが、たった一人の言葉で、信長公が変わるとは思えませんが」

「信長公は言っておった。浅井長政の顔に溺れ、身体に溺れ、心に溺れたとな。おそらく、衆道の関係だったのだろう。だから、わしは信長公を変えてしまった浅井長政が憎い」 

父上が、そんな信長と、その様な関係だなんて……

「それでも、浅井長政が信長公を、裏切らなければばよかった。だが、浅井長政は信長公を裏切った。信長公は絶望した。唯一、信じられると思った男に裏切られたのだ。さらに信長公は人を信じなくなった。そして、信康と築山が武田勝頼と内通していると疑いをかけた」

「信康がそのようなことをするはずがない。築山とて、気位の高い女ではあったが、そんなだいそれたことができる女ではなかった」

「では、無実であったと」

「だが、わしが無実だと訴えたとしても信長公は聞く耳を持たなかっただろう」

「…………」

「徳川様は信康様と築山様のために信長と一戦しようとは思わなかったのですか?」 

「何?できるわけがない。わしには守らねばならぬ家臣も領民もいるのだ。信長公に逆らうなどできるはずがない」

「なぜ、徳川様は私にそのようなお話を……」

「なぜだろうな。そなたが浅井長政に似ているからかな」

「私がですか?」

「浅井長政は日本一の美丈夫と言われた男だ。その容姿はそなたに似ている。他人の空似とはわかっているが、恨み言を言って見たかったのかもしれんな。すまぬな。その方には何の関係もない話なのに」

「いえ……」

 

徳川家康は万吉と、別れると服部半蔵が声をかけてきました。

「殿」

「半蔵か。どうした?」

「あの、薬師、片桐且元の護衛がついております」

「それは解せぬな。なぜ、一介の薬師に片桐且元の護衛がつくのだ」

「調べてみましょうか」

「そうだな」


一人になると徳川家康は思いました。

なぜ、わしはあの男にあの様な話をしたのだろうか。そして、万吉の言葉が心に残ったのです。

「信康様と築山様のために信長と一戦しようとは思わなかったのですか」

できるはずがない。あやつは一介の薬師だからその様なことが言えるのだ。


夢を見た。

これは、信長公が、足利義昭様を奉じて上洛した時だ。そうだ、京の市で、偶然、浅井長政に会ったのだ。

「徳川殿ではござらんか」

そう、声をかけてきた浅井長政は従者に沢山の荷物を持たせていた。反物や、玩具、何なんだ。この大荷物は?

「せっかく京まできたのだから、市や、子どもたちにみやげをと思いましてな。おっ、紅が売っている。う~ん、市は慎ましい女だから薄い色がいいかな。いや、たまにはもっと濃い色の紅をさしても。徳川殿はどう思われる?」

な、なぜ、わしに聞くのだ。

「よし、二つとも買おう」

いや、わしに聞く必要はなかったのでは……というか、子供も、まだ幼かったはずでは。そんなに玩具を買い込んでどうする気だ。

そうだ、あの時、わしは浅井長政につられて、築山に似合うと思って紅を買ったのだった。その紅も結局、渡すことができなかった。長く添っていればいずれわかり合える日がくると思っていた。だが、その様な日は永遠にこない。年をとって、お前たちの元へ行ったら詫びよう。だから許してくれ。信康。瀬名。


いつの間にか朝になっていました。

あれからわしは眠ってしまったのか。

「殿」

「半蔵か」

「はい。あの薬師の正体がわかりました。、浅井長政の遺児です。信長公によって処刑されたはずの万福丸という者かと、どういたしますか」

「浅井長政の遺児か。道理で似ているはずだ。確か片桐且元の父親は最後まで浅井長政に忠義を尽くした男であったな。まあ、よい。今さら浅井の小倅の出自を明かしたところで無意味じゃ。それに茶々殿が秀吉の妻となっている以上、あの男の身の安全は保証されているといってよい」










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