松平忠輝
徳川家康が征夷大将軍の地位につき、秀頼が就任祝いの上洛を断って、間もなく、徳川家康の名代として松平忠輝が大阪城を訪れました。表向きの理由は秀頼と千姫の結婚の申し込みです。
淀殿はじめ、大阪城の人々はこの少年を歓待しました。
秀頼の妻に徳川家康の孫の千姫が嫁いでくれば、家康も秀頼を蔑ろにはしないだろうと考える人が少なくないのでした。
年もさほど変わらない忠輝を見て、秀頼は思いました。かって、長浜で遊んだ、あの子たちはどうしているのだろう。ほんの数年前のことなのに、遠い昔のように思われました。
「忠輝殿、堅苦しいことは終わりました。庭に出て、一緒に遊びませんか」
「ええ、ありがとうございます」
二人は庭に出ました。
「忠輝殿、こっち、こっち、大阪城の中で、ここが一番、景色がいいんだ」
「これは、また、絶景ですね」
「そうでしょう。そうだ!忠輝殿に池の鯉をごちそうしましょう」
「ええ!!」
「まずは池の鯉を捕まえなくては」
そう言うと秀頼は裸になって池に入って行きました。
「ちょっと、待ってください…そのようなこと…」
「あはは…大丈夫。見てて」
秀頼は器用に足で池の鯉をすくい上げました。
「よし、一番、大きいのが採れた。後は火を起こしてと」
「びっくりしました。どこで、このようなことを身につけられたのですか」
「あはは…以前、長浜で」
「長浜ですか」
「うん、父上が死んで、私はしばらく長浜の伯父上のところに預けられていたんだ。そこの近くにいた子どもたちに教えてもらったんだ」
「そうなんですか」
パチパチと火がはぜて、鯉が焼き上がっていきます。
「しかし、池に食用の鯉とは?」
「母上がね。飼うのはいざというとき、食べられる物がいいとおっしゃってね。ここの鯉だけじゃなくて鶏とか、食べられる物がいろいろあるよ。籠城に備えてのものらしいけど」
そう言うと、秀頼はふと、さみしい顔をしました。
忠輝は思いました。自分とさして、年も違わない、この少年、秀頼はどれだけのものを背負ってきたのだろう。城の中にいて世間知らずのお坊ちゃまだと思っていたのに。
この少年と戦いたくない。忠輝の心を占めたのはそれでした。
「私は千姫を大切にするよ。だけど、幸せにはできないと思う」
「秀頼様……」
「私は江戸のじいが好きだよ。でも、もう、母上は覚悟を決められたんだ。豊家を滅ぼし、平和への礎になることを」
「…………」
「父上は私を可愛がっていたくださったけど、父上は間違っていた。天下を治められるのは私ではなく、江戸のじいなんだ。私や母上が滅びることで、平和な世が築けるなら、私が生まれてきた意味もあるとおもう」
「生まれてきた意味ですか?」
「うん、ずっと思っていた。私が生まれて、多くの人の運命が変わった。中には悲劇的な最後を迎えた人もいた。そんな悲劇を起こらない世を江戸のじいは作ってくれる」
忠輝は秀頼と接するまで、淀殿は傲慢な女。秀頼は城から出ないお坊ちゃま。そう思っていたのに衝撃でした。
「やだ、そんな顔しないでよ。さあ、鯉が焼けたよ。食べよう」
「いただきます」
二人は鯉を頬張りました。
「おいしい?」
「ええ、とても」
「よかった」
秀頼はにっこり微笑みました。




