勇者と聖女⑤
……お腹空きました」
「食いっぱぐれたもんね」
酒場から逃げた勇者と聖女は中央広場と呼ばれる大きな噴水を中央にベンチがいくつか置いてある広場にやってきていました。
朝早くに来れば朝市がやっているものの現在は日も落ちきり、畳まれた露天が並ぶだけです。
「とりあえず、はい」
ぐぅぅぅっとお腹を鳴らす聖女に保存食を手渡しました。
「ちゃんとお話ししましたのに」
ガッカリと肩を落としながらも保存食を受け取り封を開けました。
「………」
ジッと保存食を見つめ始めます。
「チョコ味じゃなくて普通のが良かった?それともピーナツ入り?あ、乾燥フルーツ入りのやつ?あれはちょっと高いから嫌なんだけど」
ポーチの中から様々な種類の保存食を取り出しますが、聖女は「いえ」というだけでジッと見つめたまま食べようとはしません。
お腹は空腹を訴えているのに。
「……どうしたの?」
見つめたまま硬直している聖女。
勇者は不思議そうに見つめながら問いかけます。
「いえ、貰った手前少し言いづらいのですが……」
前置きを入れながらも言おうかどうか迷っていました。
これを逃せば以降今日中に食べられるものはなく、明日までお預け状態。機嫌を損ねる。取り上げられる。はいくら保存食でもお腹を空かせた今、悪手でしかありません。
「……前から思っていたんですけれど、」
それでも保存食生活が続かないように言う事を決めました。このまま感謝しながら喜んで食せば恐らくこの食生活でもいいかと勇者は思う事でしょう。旅の途中に保存食しか食べられない生活が目に浮かび上がります。苦言を呈して取り上げられたらその時はその時です。
「勇者はどうしてそんなに保存食が好きなんですか?ほとんど味はしませんし、硬いですし、水分奪われますしであまりわたくしは好きではありません」
「………?」
途中、遠くを見ながら脳が処理落ちした勇者は、疑問符を頭の上にたくさん並べて虚無状態になっていました。まるで理解できないと、いきなり言葉が通じなくなったのではないかと、そんな風に思っています。
「そんな神秘の話を聞いた時のような顔しないでください。保存食の話しかしておりません」
聖女はちょっと呆れ気味に保存食を愛してやまない勇者にツッコミを入れました。
「ごめん。保存食が好きじゃ無いって部分、うまく脳が処理してくれなくて」
「……一般的に保存食はあまり好き好んで食す方の方が少ないかとお思いますけれどね」
「………ごめん。ちょっと何言ってるのかよくわからない。共通語で話してもらってもいい?」
「わたくし話せる言語は共通語しかありませんけれど?神聖語は理解できても話せません。発音が難しくて」
話せたとしても赤子が話せる程度です。
共通語とは大陸公用語と呼ばれている言語です。
大陸内で一番権力のある帝国の言葉が基となって作られ、今やどの国も自国の言葉を古語として大陸公用語を使用しています。
神聖語とは神に祝詞を唱える際に使用される言葉です。他にも神聖魔法を使う際に使用されたり、信託の刻まれた御書なんかにも使われていたりします。
他にも妖精語や精霊語、獣人語などと一応様々な言語が存在しています。
「それでも聖者?」
「……うるさいです」
聖女はそこでようやくジッと見つめているだけだった保存食に齧り付きました。
もう自棄で勢いよく齧り付きます。
「チョコ溶けてる……!!」
「そりゃずっと握ってたから……」
口の端にチョコをつけながら文句を言いつつ、もう一口齧り付きます。
「どうして勇者はそんなにも保存食が好きなんですか?これでも一応王族という身分ではあるのなら、もっとずっと美味しいものを食してきたのではありませんか?」
もう一度口に含めば手元には包装しか残らず、もう一つ勇者に保存食を要求しながら以前からの疑問を投げかけます。
「それはっ……」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの満面の笑みで答えようと立ち上がりました。
聖女はもしかして長くなる話?と身構え目を引き攣らせます。
「それ、は…………」
しかし、勇者は口篭りその笑みは徐々に崩れていきました。中途半端に笑って顔で固まります。
「あれ、なんでだっけ……?」
聖女は心配そうに「勇者?」と問いかけますが、勇者の耳には届きません。
ふらふらっとした足取りでベンチに座り込みます。
「……とても大事で忘れたくない、そんな思い出があった筈なのに」
中途半端に笑った顔を貼り付けたまま、虚になった瞳でポツリと感情の乗っていない声音で呟きました。
瞬間的に記憶が脳内に流れたかと思うと、それを消し去るようにキーーーーーーーンッ!と突然頭の奥から響くような痛みに襲われました。勇者は頭を抑えました。額には脂汗が滲み出て、苦虫を噛み潰したかのようなそんな苦痛に耐えるような顔をしています。
そんな勇者の表情を見て、聖女は勇者が何故こんなにも保存食を好いているのか、その理由を漠然とながらも理解しました。
「……どおりで」
訳がわかっていない勇者と違って1人納得しています。
「思い出したら、教えてあげるね」
突然痛み出した頭を抑えながら、勇者はなんでもないかのようにニコリと笑います。
その笑顔には一切の感情が乗っていませんでした。
「いえ、別にそこまでの興味があるかと問われればありませんので大丈夫です。それよりもう一つください」
手のひらを向けてくる聖女に勇者はポーチから保存食を取り出して差し渡しました。
(……失敗しました。それでも、わたくしも保存食を好きになれそうです)
もそもそと咀嚼しながら、嬉しそうに味わうようにして今度は食べました。
(だからと言って毎日毎食は嫌ですけれどね)
勇者を横目に見ながら、話題を逸らし楽しそうに笑い出すまで談笑を続けます。
いつの間にやら勇者も額から手を退けて普通に笑い、正常に戻ったタイミングで踏み込んだ話をすることに決めました。
「先ほどの話に戻りますね」
好きではないと言っていた割に勇者の持っていた保存食を全種類一個ずつ食べ終えた頃のことです。
「どこの話?神聖語が話せないって話?」
「あの人が生きているのではないかというお話しです」
揶揄える話を引っ張り出して、ニヤニヤと頬を緩める勇者に向かって、ピシャリと真面目な顔で酒場での話を蒸し返しました。
「……夢見すぎ」
勇者の表情から笑顔が消えて、小馬鹿にするように吐き捨てられます。
「そうかもしれませんね。でも、ギルドマスターはこう言っていました。ルイン王国王都で処刑される前にあの人が罪を犯したとされる迷宮都市は、あの人の死と同時期に滅び、街そのものが神隠しにでもあったかのように消えてなくなったらしい。と」
一言一句覚えていた聖女はギルドマスターの言葉を少し変えながら勇者に伝えました。
「それが?」
本当に興味がないというそぶりを見せながら、瞳に大きな動揺を浮かべている勇者。
「それが、あの人の手によるものだとしたら。生きて迷宮都市を消していたのだとしたら、どうしますか?」
その言葉が単なる虚勢だとわかっている聖女がさらに追加すれば、動揺の色が大きくなりました。
「何を根拠にっ」
聖女に見えないように拳を強く握り、精一杯強がって見せます。
「そんなものはありません。ただの想像で、そうであって欲しいという願望に過ぎません」
キッと睨む勇者に聖女は淡々と答えます。
「それでも、生きていて欲しいと、どこかでまた会いたいとそう思うのは愚かなことなのでしょうか?」
夢見る少女のように瞳を輝かせて、声を弾ませて、問いかける聖女が
「一縷の希望にわたくしは縋りたい」
一片の迷いもなく言い切る聖女が、勇者には眩しくて仕方がありません。
「聖者、死んだ人間は生き返らない」
それでも現実を突きつけます。
「魂は輪廻を介して転生し、記憶は浄化されて新しい命となる。常識だよ」
「そんな常識知りません」
「いや、聖者が教会の広めてる見識を否定するなよ!?」
まさかの返答に勇者は驚きを隠せません。
聖女は約10年間教会で暮らしてきていて、聖女を逃すまいと有用に使いたいと囲われていたが故に監禁されていたものの、聖職者として育てられてはいました。
教会から離れたのなんてここ2年だけです。
「知りません。そもそも端っから嫌ではなかったらわたくしはまだルイン王国管轄の教会にいました。逃げたいと思っていたところの思想など興味ありません」
「だから治癒魔法使えないんだよ。敬虔じゃないから」
「うるさいです!」
一瞬だけギロリと勇者を睨みました。
「現にわたくしは生き返りました。あの人の手によって。今もこうしてピンピンしています」
誤魔化すように刹那の間目を瞑ったあと無理矢理声のトーンを明るくして胸を張りました。
しかしそれどころではない勇者は聖女の違和感には気づきません。自分の膝を見つめながら朧げな記憶を信じて怒鳴ります。
「それは、手を下したのが他でもないあの人だったから!だから!!」
「関係ありまっ………」
関係ないと言い切ろうとして、聖女はパシッと唇を手で覆い隠して強制的に口を閉ざしました。
「………」
聖女の頭の中には『約束』という言葉が埋め尽くされていました。耳元で誰かが『墓までの』と呟く声さえ聞こえてきます。
その声に従うと意思表示するかのようにこくりと頷き、ゆっくりと口元から手を外しました。
「……ある、かもしれませんけど」
しばらく押し黙った後、何度か目を泳がせながら先ほどとは違う結論を吐き出しました。
興奮気味に開いていた瞳孔が少し落ち着いています。
「……勇者はあの人に会いたくはないんですか?」
「そんな訳ない!!」
悲痛そうに叫ぶ否定の言葉。
「……会いたい。会いたいに決まってる!」
涙交じりの震えた声音で、それでも確かに会いたいという本音を訴えます。
その言葉を聞いて、聖女も少しばかり安堵したかのようなホッとした表情を浮かべました。
「ならっ……」
「でも、会いたいけど、私、どの面下げてあの人に会えばいい?そんな資格、私には……ない」
聖女の言葉を遮って語る否定的な本音。
短い紅薔薇の髪をクシャリと握り2年前の追憶にふけようとします。
「………っ!」
しかし、思い出そうとすればするほど頭は痛みを訴えて思考を邪魔します。霞がかった靄のせいでわかりづらい記憶の断片に集中できず、結局何もかもが分からずじまいのまま、ただ頭が痛いと言う事実が残るのみです。
「勇者!!」
そして邪魔するのは身体を揺さぶり耳元で叫ぶ聖女も同じです。
「もう、ほとんど覚えてない。あの人のことも自分のことも、2年前に何があったのかも、全部」
勇者の証が左手の甲に刻まれて、せっかく選ばれたんだから功績を立てようとルイン王国に密入国した瞬間から聖女とリストルテギア王国に帰国する時までの記憶が、今の勇者にはほとんどありません。
「そんな私が、あの人のことをほとんど覚えてない私が、私のせいで処刑されたあの人にどの面下げて会えばいい?」
日に日に忘れていく記憶。そのことにひどく罪悪感を覚えてあの人に会いたいのに、いざその提案をされると臆病になってしまっています。
「それでも、あの人に褒められるような生き方をすれば、合わせる顔があるかもしれない。それまではっ……」
だから、生きていて欲しいのに死んでしまったと思い込んで、死ぬまでの何十年かの間にたくさん頑張って、頑張って頑張っていれば顔を合わせられる様になるだろうと、そんな日が来るだろうと、そのために死ぬまではがむしゃらに生きようと、そう決めていました。
「わたくしがそれに付き合う義理はありません。あの世で褒められるよりも、わたくしは生きているうちに褒められたい。そばにいたい。わたくしが言う権利などないかもしれませんが、もう、あんな酷い目にあって欲しくはないんです」
聖女の脳裏によぎるのはあの人の首と胴が分かたれた瞬間。
魔女だと罵り髪を乱雑に掴み上げて晒す騎士。
嗤って嘲る今まで聖女が守らされてきた愚かな群衆。
泣いて見ていることしかできなかった聖女と勇者。
瞼を閉じれば鮮明にまるであの日に戻ったかの様に思い出せる情景に聖女でありながら憎しみと恨みを抱かずにはいられませんでした。
「見ず知らずのわたくしたちを助けてくれる優しい優しいあの人のことです。またそんな事にならないよう、今度はわたくしたちで守りませんか?」
聖女の差し伸べる手を勇者はゆっくりと取ります。
「守りたい。あの人よりも弱いけど、あの人よりも秀でた事なんて何もないけど、守れるものなら守りたい。一緒にいたい。初めて見た笑顔があんななのは嫌」
ぼろぼろと涙を流して答える勇者に聖女は微笑みながら抱きしめます。
「合わせる顔がないのなら小さい事でも、些細な事でもたくさん善行を積んで、そのお話をたくさんしましょう。きっと褒めてくれます。それにあの人はそんな事をしなくとも生きているだけでいいって言ってくれます。勇者が合わせる顔がないって言ったら、顔を合わさずに、それでもそばにいてくれるかもしれません」
「夢見すぎ。でも、そうならいいなぁ」
勇者が覚えているあの人との記憶。それは、首と胴が分かたれる前、安堵するかのように僅かに微笑んだ心からの優しい笑顔。
それだけは褪せることなく、脳髄に色濃く刻み込ませていました。まるで、忘れるなと言わんばかりに。四六時中、365日、ずっとずっと頭の片隅に居続けています。
「泣き虫な勇者が泣き止んだことですし、説得も終わりました。次の拠点は迷宮都市ビュリンに決定でよろしいですね?」
勇者の背中を優しく撫でながら挑発交じりな言葉を選んで優しく微笑みながら告げる聖女。
勇者は聖女の腕の中から急いで脱し赤く腫らした瞳を袖で拭いました。
「別に泣き虫な訳じゃない!」
鼻をずずっと啜りながら叫べばギョッとした顔で聖女は自身の着飾っている衣装に目を向けます。
「あ、よかった。付けられてはいませんね」
涙や鼻水がついていない事に胸を撫で下ろし、ぱっぱっと汚れを払うように軽く叩きます。
「人を汚れ物みたいに」
勇者から向けられるジト目に居心地悪そうに目を逸らすとこほんと咳払いをします。
「迷宮都市ビュリンってルイン王国方面であっていますか?」
「え、うん。この街からだと一月かからないくらい?道中で路銀を稼ぎながらだからもうちょっとかかるかも」
頭の中に地図を広げながら通る街や安全な道筋を考える勇者。
「割としますね」
旧ルイン王国の領土ならば聖女の方が詳しそうな気もしますが、一切分からずに勇者に頼りっきりです。
「……隠された迷宮都市メイズ。探して見たい」
ギルド長室でギルドマスターに見せてもらった地図を思い出しながら隠された旧迷宮都市の場所とその近辺にある第二の新迷宮都市の位置を頭の中で細かく確認します。
「一番あの人の手がかりがありそうですもんね!」
楽観思考の聖女に「そうだね」とそっけなく返しながら今ある物資や調達したければいけない物資、手元に残るお金などを軽く計算します。
「取り敢えず勇者の武器、早めに新調しましょう」
「……あっ」
武器のことを失念していた勇者は、しばらく安定した旅ができると安堵したのも束の間、武器代を差し引いて青い顔をします。
「これ頂戴」
腰に下げていた薄荷製の短剣を指差します。聖女は「嫌です」と可憐に微笑みながら、勇者の腰下がっている短剣を抜き取りスカートの中へと仕舞いました。