聖女
聖女ことクロワ・ビーブルはルイン共和国にありながらも神公国管轄のビーブル孤児院の前に捨て置かれていました。
孤児院の子供達は10人そこらで兄弟のように育てられていました。
3歳のとある日、クロワの脇腹に白いトケイソウの花を模した魔法紋が刻み込まれていました。
孤児院でシスターを務めていた女性は直様教会に連れて行き、クロワを神像の前に捧げ、聖女の誕生を深く深く感謝していました。その後ルイン共和国王都にある神公国管轄の神殿にクロワは連れて行かれました。
神殿にクロワが連れて行かれてからは速いものでした。聖者の衣ではなく聖女の衣を着せて、聖女が誕生した。と大々的に発表。聖女としての厳しい教育を施されました。
治癒術を覚えさせるために身体を鞭で打ち、浄化の力を覚えさせる為に瘴気の中に放り込み、結界術を覚えさせる為に魔物のスタンピードに襲われる村に置き去りに、と人道に反するやり方で覚えさせられていきました。
5歳の頃には治癒術も浄化の力も結界術もこれまでに類を見ないほど極めていました。
その間に聖雷や光弾などの攻撃魔法、身体強化やただの棒切れを硬く丈夫な鈍器にできるほどの支援魔法を習得しています。
聖女の力を完全なものへと昇華させた聖女クロワに待っていたのは巨大な結界が付与された魔硝石と共に暮らす監禁生活でした。
手足を鎖に繋がれて
薬で眠れなくされて
毎日血液を抜かれて
神殿の最上階に用意された部屋でクロワは聖女の羽衣を着付けられた状態で聖力を魔硝石に常時注ぐことを命じられていました。
食事は無味の栄養を凝縮した固形物を1日一つ食べるのみ。不眠剤も入っているらしく眠ることはできません。少しでも不調を感じれば直に治癒術で回復していました。
浄化の力を使える為入浴は必要ないと判断されました。
24時間に一度血を抜きに人が来るだけでそのほかの時間は一人っきり。
人間としての尊厳を奪われて、いつしか死を希っていました。
そんな聖女クロワの元にトワ・キュールは現れました。
彼女は王都に護送される道中に拾った勇者を連れて神殿の最上階までやって来ました。大きめのローブを勇者に着せて姿を隠し、勇者を肩に担ぎながら警備の厚い神殿の最上階に堂々とした態度で足を踏み入れます。勇者を椅子に下ろし、クロワを見つめて妖しい笑みを浮かべていました。
「初めまして、今代の聖女にしてルインの人柱。まさかこんなところで監禁されてるとは実際に目にするまで信じられなんだよ。と言っても、こんなところで生活してるんじゃ共通語が通じるかどうかも危ういだろうがね」
彼女の言葉を聞きクロワはポカーンと呆気に取られた後、トワ・キュールが神殿の人間でないことがわかるとポロリと涙を流しました。
「迷い人様、どうかわたくしを助けてくださいませんか?」
彼女がどこの誰でどこから来たのか、何が目的でどう利用しようとしているのか、ローブの人間が誰なのかなどクロワにはわかりません。それでもせっかく舞い降りたチャンスに飛びつき、神に祈りを捧げるように手を握り合わせて懇願しました。
「不憫で気の毒な聖女だ。終わりを願うのならば痛みを感じることなく安らかな眠りを提供してやろう。生きたいと願うのならばその代償にどうか勇者を守ってはくれないだろうか?どちらの救いを妾に求めるか?」
「終わらせてください。今すぐにでも」
クロワの瞳をトワ・キュールは真っ直ぐに見据えました。虚でハイライトの無くなったそれでも希望を宿しているそんなちゃんと生きている目をしています。
枷を繋いだ鎖を鳴らしながらクロワはトワ・キュールに近づきます。
掌に聖力を集束させて小振りながらも一振りのナイフを創り出しました。トワ・キュールの手を掴みはやくしてくれと言わんばかりにそっとそのナイフを押し付けます。
「それなのに死を望むか」
抗う術も力もある癖にそれでも受け身に周り、こんなところで性根を腐らせているクロワの気力のなさにトワ・キュールは不満気にしています。クロワの創ったナイフを握る間もなく投げ捨てて自身の腕を口元に近づけました。
「気に入らん」
一言ポツリと溢すと何の躊躇いもなく手首を噛み千切りました。ダラダラと流れ落ちる血液が重力に逆らって宙を舞います。
クロワはギョッとした目でトワ・キュールを見つめます。治さないとと思いながらもそれとは裏腹に宙を舞う血液という得体の知れない訳のわからないものから距離をとりました。
「ならば妾が其方の魂そのものを壊してやろう。生まれ変わったらなぞという甘い夢物語ごとな」
「……わ、わたくしがどれ程この時を待ち侘びていたと思っているんですか?それなのに、気に入らないと、転生を願うことを夢物語などと仰らないで頂けませんか?」
一本の大鎌に変貌した血液の武器を握り、クロワの首元に翳します。
血はいつの間にやら止まり傷は消え去っていました。
「未だ声を発せて、手足を動かせ、聖力さえ扱える。それなのに諦めて自棄になり死を希うか。貴様がそれではわざわざ貴様を救わんとした勇者が、こんな姿になろうと生にしがみついている勇者があまりに滑稽ではないか」
クロワは足を一歩後ろに引きます。
「知りません。そんなこと、わたくしには関係が……」
トワ・キュールは一歩足を前に出します。
「そうだな。確かに妾が勇者に肩入れしておるだけだ。其方には微塵も関係はない」
「な、ならばその子と比べてわたくしを否定するのはお門違いの筈です」
「それでも、気に入らんものは気に入らん。なぜ中途半端に不幸を味わった奴らほど簡単に死を願うのか。なぜ地獄を味わった奴らほど生にしがみつくのか」
クロワは足を一歩、二歩と後ろに引き、トワキュールが間を詰めるように一歩、二歩と足を前に出します。
「ならばこそ聞こう、なぜ其方は死を願う?」
早鐘を打ち据える心臓と暑くも無いのに流れるじっとりとした嫌な汗。
喉が嫌に渇き呼吸が乱れていきます。
開いた瞳孔は怯えと恐怖を滲ませていました。
「こんな現実に価値なんてありません。女で無いわたくしにこの世界で生きる価値なんてありません!!」
それでも気丈ぶり声を上げて理由を述べました。
「中途半端な不幸は無駄な思考を有する。だからこそ死を求む、か。貴様も変わり映えしない答えしか持たぬのだな」
つまらんと落胆しながら足を前へと進ませます。つられるようにクロワも足を下げれば、背中にトンっと魔硝石が当たりました。逃げ場がなくなったタイミングでトワ・キュールは不適に笑います。
「それより貴様は死にたいのではなかったのか?足が下がっておるようだが」
首元に突き付けられた大鎌。触れていないのに気配を感じ取れるほど近くにある見たこともない武器にクロワはゴクリと喉を鳴らし身を震わせます。
「………痛みを恐れているに過ぎません」
「安心しろ。こんな見目だが、約束通り痛みを感じる間もなく安らかな眠りを提供してやれるぞ?」
「………」
荒い呼吸音が耳に響き、痛いくらいに心臓が鼓動を早めて、近づいてくる死の気配にトワ・キュールから発せられる圧に押しつぶされそうになっていました。
「願い通り今すぐにでも終わらせてやろう」
無意識のうちに首を横に振りました。瞳は幕を張り、ツーっと雫が流れ落ちます。
妖しく微笑むトワ・キュールが歪み、視界が乱れたのと同時に大鎌がピタリと喉に当たりました。血液でできているとは思えないほど冷たく硬い感触にぴくりと肩を震わせます。
痛みはありません。
しかし汗がドッと流れ出て体温が上がっている感覚がありました。
「……ふふ、あははははははははははははははははははっ」
唐突にトワ・キュールは声を上げて嗤いました。その妖しい声が耳に届いたのと同時に大鎌がクロワから遠ざけられます。
「……っえ?」
冷たい鎌の感触と押し潰されんばかりの圧に解放されて呆気に取られたクロワは力が抜けたのかその場に座り込みます。
「鎌の刃は内側だ。どれほど外側で撫でようとも皮膚が斬れたりすることはせんよ」
大鎌の刃先を指で撫でながら、ふふッと嘲るように笑いました。
刃先を指で弾き手から離れると大鎌の形を成していた血液が宙を舞い球体状へと変わり果てます。
「助、かった……?」
無意識に溢れる言葉と心底安堵したような表情。
しかし血液が巨大な斧へと変わり、トワ・キュールの顔が不敵に歪められてクロワは背中が冷え切りヒューっと喉から乾いた音を出しながら絶望していました。
「もっと嬉しそうに笑わんか。貴様の望みを叶えてやると言うのだからな」
「いや、やだ……」
大きく振りかぶり震えてボロボロと涙を流すクロワ目掛けて振り下ろします。
「いやあああああああああああぁぉっ」
絶叫。身体をギュッと抱きしめて目をギュッと瞑り迫り来る斧に震え上がります。
首元に衝撃が走りました。
「……ぅぐ……っ!」
痛みは来ずにその強い衝撃に倒れ込みます。
ヒューヒューと過呼吸気味に乱れた息と衝撃で気管支に異物が入ったせいで喘ぐように咳を吐き出していました。
「……っ!?」
うっすらと開いた目が捉えたのは唖然としたトワ・キュールの姿。しかし、それも一瞬のみで、ニヤリと口元を妖し気に歪めます。
クロワの全身を白色金の靄が包んでいました。震える指先で斧がぶつけられた首を触れば傷一つありません。ただ少し赤みを帯びて靄が霧散してしまっています。
「やはり、死ぬ気などさらさら無いではないか」
トワ・キュールの優しさの帯びた声音を聞きポロポロっと涙を流します。
「死にたいのは其方の本意ではないのだろう?もう一度だけ聞こう、どちらの救いを妾に求めるか?」
「わ、た、くし、わた、くしは、この国の聖女を終わりにしたい。自由になりたい。お願い、します。わたくしを助けてください。死ぬのはまだ、怖い……」
嗚咽を漏らしながら、涙を止めどなく流して、訴えるクロワにトワ・キュールは手を差し伸べます。
「ならばその願い、妾が叶えてやる」
ゆっくりと掴むその手を取って立ち上がらせました。
ただし、と付け加えながら喉仏をゆっくりと撫でます。
「次に死を願うような愚かな選択をしたその瞬間、今度は躊躇いなく妾の手で終わらせてやろう」
苦しそうに顔を歪めるクロワを一瞬だけ見ると手をぱっと離して勇者の方へと歩きます。
斧はもういらないとただの血液に戻し床をべっとりと汚しました。
「では脱走と行こうか」