静黙の治癒師③
探索者ギルドの奥は酒場になっています。
酒場といっても、孤児上がりの年齢の幼い子供がご飯を食べたり、若い子らが女子会、男子会を行なっていたりと酒をメインにしていない探索者たちが使用したりもしています。
そんな酒場の隅の隅で小さい女の子がほとんど味のしない保存に優れている干し肉と酸っぱいだけの野菜の酢漬け、蜂蜜レモンと割った炭酸水を一緒に食べていました。
大きめのローブが身体をすっぽりと覆い隠してしまっています。フードを脱いでいなければ置き物に布がかけられているとしか思えないくらいサイズが合っていません。
暗く濃いめの青が混じった黒い髪は肩にかかるくらいしか長さが無く、幼さを象徴する顔は何の感情も映していません。無、のみです。
小さい女の子は干し肉を喰みながら、ある一点を見つめていました。
小さい女の子の視線の先にいるのは白色金の麗しい髪と髪より僅かに色の薄い瞳の儚い美しさを持った聖女様です。
聖女は体躯の良い人物の対面に座っていました。
そして綺麗な微笑みを浮かべながら談笑しています。
視線の先に映る聖女の穢れの知らなそうな綺麗な笑顔を僅かに目を遅めながら見つめ「ふっ」と嘲るように鼻で笑います。
そしてすぐに感情の伴わない無表情に戻り、淡々と干し肉を喰みながらもある一点へと向ける視線を一切ずらすことなく見続けます。
数刻前
「女の成りそこない。そんなこと一番わたくし自身が理解しています。価値がないことも含めて。改めて言われずともちゃんと……」
宿から飛び出した聖女は独り言ちりながら膨れっ面でギルドまでの道のりを歩いていました。
脇腹をぎゅっと抑えるように掴み鈍い痛みに耐えながらも表情には一切出しません。それでも儚げな雰囲気を普段よりも強く醸し出していました。
「所詮わたくしはもうっ………はぁー、ナイーブになり過ぎていますね。切り替えませんと」
抑えていた脇腹から手を離し、空を仰ぎます。聖女の髪を服をふわりと撫でて風が通り抜けました。その風と共に麦の焼ける香ばしい匂いが鼻腔をくすぐります。
「………」
朝食を食べたばかりだと言うのに、お腹はくぅっと空腹を訴えました。その匂いにつられるかのように辺りを見渡し、少し先の通りで開店したばかりのパン屋が目に入ります。
「……す、少しくらいなら」
欲望のままに足をパン屋に向けて歩き出します。
視界にはそのパン屋しか入っておらず真っ直ぐと早足に向かっていました。
今まで10年近く閉じ込められて味のしない栄養の塊しか食べていなかった聖女は味のする美味しい食べ物に弱いです。勇者の「無駄遣いしないでね」という言い付けを頭の片隅に追いやり忘れてしまうくらいに。
吸い込まれるようにパン屋に向かう聖女。しかし、パン屋に入る前に視界が燻んだ茶一色に染まりました。
ごちんと額を強く硬い鉄製の何かに打ち付けます。
「……痛い」
額を抑えながら数歩下がります。
聖者の目の前には首が痛くなるほどに上を向かなければならないほど背が裕に180を超えるほど高く体躯の良い男がいました。
「おい、てめぇっ!前見て歩、け……よ………っ!」
目を吊り上げて怒鳴る男は聖女の姿を見た瞬間その勢いを落とし、驚愕に近い表情を浮かべながら指をさします。
「て、テメェは……」
愕然とする男にどこかで会ったことがあっただろうかと聖女は首を傾げながら記憶を探ります。ですがどんなに記憶の渦を辿ろうとしても聖女は男のことを思い出せません。それもそのはずです男が一方的に知っているだけなのですから。
「申し訳ございません。少々急いでいたものですから」
男は目の前に壊してくれと頼まれた標的がいる事にラッキーとほくそ笑みました。
「お詫びはまたいずれかに、それでは失礼致します」
僅かに上がった口角を目敏く気づいた聖女はすぐさまその場を離れようと会話を切り上げます。少し遠回りしながらギルドに向かおうと踵を返しました。
麦の焼ける香ばしい匂いに尾を引かれながらも足を進ませます。
「おっと、お詫びなら今してくれよ嬢ちゃん」
聖女の数歩を男は経ったの一歩で縮ませて腕をガッチリと掴み聖女がつま先でしか立たない高さまで持ち上げます。
「そのいずれかが来るとも限らねぇだろ?」
「そうかもしれませんね。ですが今は……」
「俺を避けるために遠回りするくらいには余裕があんだろ?」
「………」
図星を突かれて黙り込みます。
「どうせテメェもギルドに要があるんじゃねぇか?なら一緒に行こうぜ?探索者ギルドに」
不敵に笑う男。
掴み上げられた腕を掴む力が徐々に強くなっていき痛みを訴え始めてキッと男の手を睨みつけました。
「手を、離していただけませんか?」
「逃げねぇ保証がないうちは無理だな」
周りに視線を向けて助けを乞おうにも探索者の小競り合いが常なのか少し間隔を空けながら街の人間は通り過ぎていきます。
その事に内心舌打ちを打ちながら男から逃げられないかと腕を大きく振り払いました。しかしガッチリと掴まれているためビクともせずに逆に警戒心を強めて握る力が強くなります。
「宿で仲間が待っていますので時間がかけられません」
「待たせとけよ。雑用を押し付ける仲間なんか」
男の身体を見つめて急所に一撃入れようと考えます。
(薄荷製の衣装では絶対に触れられません)
穢らわしいから嫌だと言う感情が強くなかなか実行できずにいました。
「押し付けなどでは……」
「あーそうかよ。俺にとっちゃそっちの都合なんて心底どうでもいいっての」
(やはりここは睾丸に……)
覚悟を決めて足を振り抜こうとした時男の腕が僅かに震えている事に気がつきました。
そんなに重いのかと落ち込みそうになりますが、一瞬だけ力の入れ方が強張ったかのような雑な感じになりすぐさま違うと安堵します。
よくよく男の顔を見てみるとそこまで暑い気温でもない割に汗がダラダラと流れこっちを見ているようで時折視線がズレています。
まるで何かに怯えているように
(……何に怯えて?)
僅かに首を動かして視線を後ろに向けても特に怪しい人物は見当たりません。
ガラの悪い探索者が笑顔で買い物している姿やおそらくは街の青少年が野次馬で見ている姿は見かけますが
「大人しく着いていきますので、手を離してくださいませんか?」
自然と言葉が紡がれました。
言った後にすぐはっとして撤回しようとしますが、男が乱雑に手を離しながらも静かにホッと胸を撫で下ろす姿を見て言葉を詰まらせます。
聖女は自分自身に馬鹿と悪態を吐きながら手首を優しく撫でて男を盗み見ます。
ニタニタと獲物を狙う獣のような笑顔を向けながらも瞳を揺らして何かに恐怖する男。
「探索者ギルドでいいんでよろしいんですよね?」
「あぁ、きっちり詫びてもらおうか嬢ちゃん」
聖女は自身に簡易的な結界を張って警戒心を高めながら付いていきました。
「俺にどうしろってんだよチキショウ!!」
何を要求されるかと警戒している聖女の警戒心を解くかのように男はジョッキいっぱいに入った酒を一息で飲みきりながらギルド受付の方にまで聞こえるくらいの大声で喚きました。
「……あの、何かありましたか?」
「回復職は女がいいって捨てられて、今度はこんな形の回復職に後ろを任せたら襲われそうって臨時ばっかで、正式にパーティに入れてくれねぇ癖して他の臨時に入ろうとすりゃ、こいつは自分らのだからっていいように使いやがって挙句最近回復職を騙る暴漢が出たからって捨てやがってっ!!信用もしねぇで利用するだけしやがって人のことなんだと思ってんだよ!!!!」
ダンっと机を叩きながら2杯目を飲み干す男に聖女は愛想笑いを浮かべながらドン引きしていました。
どうしてこんな事に?と頭の中が疑問符でいっぱいです。
「あの、お詫びは……?」
早く要件を済ませようとしますが男は聖女を無視して叫び散らかします。
「なにが『静黙の治癒師』だよ!女じゃないとか見た目がどうとか言ってるけど所詮ランクだろ?口を揃えてクソがっ!!フードの中身見たことあんのかよ?どーっせ碌なやつじゃねぇよ。絶対」
「………」
男はチキンを齧り付き他の人の迷惑も考えず感情を発露させています。既に顔は真っ赤になり見事に出来上がっていました。
聖女はそっと結界を解きました。
水を飲みながらいつ終わるんだろうと思考を放棄しています。
「回復職は重宝されるっつうけどどうせ後ろから女に回復して欲しいだけなんだろ?探索者の男どもは。女どもだって顔のいい奴かできりゃあ女がいいって、むさっ苦しい男の回復職なんてお呼びじゃねぇんだろ!?」
日頃の鬱憤が溜まっているのか喚く喚く。
(お詫びとして酒代を要求されませんように)
溜まっていくからのジョッキを眺めながら静かに祈ります。
「こっちだって好きで回復職になったんじゃねぇよ!!それしか適性がなかったんだから仕方ねぇじゃねぇか!!」
息を切らしながら喚く男は一通り叫んでスッキリしたのか机に突っ伏して黙り込み、焦点の定まっていない泣きそうな瞳でジョッキを見つめています。
「はぁーーーーー」
長い長いため息を吐いて口を閉ざしました。
いきなり男が黙った事により酒場内がシーンっと静まり返りました。チラチラと迷惑そうにこちらを見てくる視線に聖女は居た堪れない気分で肩身の狭い思いをしていました。
時折向けられてきていた殺意の高い視線が向けられる方にチラリと目を向ければ女性3人の集団がものすごく鋭い眼光で睨め付けています。
(何か大事な要件の邪魔でもしてしまったのでしょうか?)
男は虚ろな目でジョッキを眺めながら何も言いません。
微妙な空気が流れ早く帰りたいとギルドの酒場から出たいと縮こまりながら机の木目を数え出しました。
1分が過ぎて、10分が過ぎて、目に入る木目をあらかた数え終えたころ、酒場がある程度賑わいを取り戻して居た堪れない空気が霧散していました。
向けられる視線も一つを除いて無くなっています。
聖女はその視線の主を探すように酒場の奥へと顔を向けます。すると、ローブを身に纏った人物がフードを目深に被り視線をわざとらしく外していました。
(あのローブと細くて無骨な風貌。今朝方『静黙のワカバ』と名乗った怪しい人、ですよね?わたくしを監視でもしていた……のでしょうか?)
聖女が前に顔を向き直せば、背後からじっと見つめてくる気配がします。自意識過剰でなければただじっとこちらを伺うように見ているはずです。
「なぁ、嬢ちゃん」
男がポツリと呟きました。
「……えっ、あ……な、なんでしょうか?」
警戒心を高めて意識を別の場所に向けていた聖女は急に声をかけられて少し動揺します。
「お詫びでも同情でもなんでもいい。俺をパーティに入れてくれねぇか?昨日ギルドで治癒師が欲しいって騒いでたんだろ?この街にいる間だけでもいいんだ。頼むよ。人助けだと思って」
酔いが覚めてきたからなのか先ほどの興奮状態が落ち着き、か細い声で訴えてきます。
「………」
聖女は黙ります。
(待望の治癒師……ですが、こんな粗野な男の人だと勇者の発作が)
パン屋に夢中でぶつかったお詫び
嫌な理由でパーティに所属できないことへの同情
それに加えて自分たちが選り好みできる立場でないことを理解していながらも勇者の身を案じて安易に返答できずにいます。
「やっぱり嬢ちゃんもこんなむさ苦しい大男が回復職じゃ落ち着いて戦えないか?安心して背中を預けられねぇか?それともどうせならイケメンなにいちゃん癒してもらいてぇのか?」
「そういうわけではありません。信頼云々は今後築いていくものであり、どんな人でもすぐに信用するような愚かな真似は致しません。ただ……」
勇者のことをどう説明していいか考えあぐねていました。
相方が男性恐怖症だと素直に伝えるのは愚の骨頂。
同情をしていたとしても信頼していない相手に伝えて弱みに漬け込まれでもしたら溜まったものではありません。
「申し訳ないのですが、もしパーティに入った場合、正式なメンバーでなく臨時パーティとしてになります」
とりあえず今現在の自分達が組んでいるパーティ状態を伝える事にしました。
「やっぱり信用できねぇからか?なら、信用を得られたら……」
「それでも臨時です」
言葉を被せて伝えます。
「ランクか?一応言っておくが俺はCランクだ。悪くはねぇと思うが?」
「そうではないんです。そもそもわたくしたちのパーティは2年近く臨時のパーティとして活動しております。正式にパーティを申請してはいないんです」
「………は?」
男の目が点になります。何言ってんだ?と疑問符を浮かべて顔に書いていました。
「2年も活動してんならこの機会に申請すればいいんじゃねぇか?」
最もな理由にぐうの音も出ません。
「そう、なんですけれど。その……正式に申請しなかった理由としてはもともとここまで長く活動する気がなかったというのが最たるものですが、他にも意見の相違によりパーティ名が決められない、方向性の違いにより月に一度ほど解散している、目的は同じでも進むべき過程が違えているなどが挙げられます」
指を一つずつ立てて理由を気まずそうに目を逸らしながら伝えます。
男も「えぇー」と若干所属を躊躇うような表情を見せていました。
「つまり、仲が悪い割にお互いを必要しているため解散と結成を繰り返していまして。もしパーティに所属するとなると多大なる迷惑かけてしまう恐れが……」
「それは……ちょっと考えさせて欲しいかもしれねぇな。手続きや間を取り持つのが面倒そうだ」
嘘は言っていません。全て本当のことです。
それでもここで引いてくれたらという打算は聖女の中にありました。
治癒師が欲しい。これは心底思っている事柄です。
しかし、勇者の精神状態を考えるなら背は低めで賊とかけ離れている見た目の人が、もっというなら男の人より女の人が好ましいと思っています。
選り好みできる立場にないことは理解していますが、心が納得をしていないようです。
「まぁいいか。また明日、パーティメンバー全員連れてここに来てくれ、そこからまた考える事にするよ」
「……わかりました。もし無理そうでしたら別の形でお詫びを考えさせていただきますね」
ギルドから立ち去る聖女の背中をネットリとした視線で見つめながら舌を舐める男がいた事になど気がつきもせずに出ていきます。
「あぁ、その時は頼むわ」
見抜ききれなかった男の本性が垣間見えた時、そこにはもう聖女はいません。