9話
嗚咽を出して泣き始めたマリベルに私は一歩後ずさった。
「そんな、私はただ酷いことをしたから謝ろうと思っただけなのに……! 何でそんなに酷いことを言うんですか……!」
マリベルが泣き始めると、マリベルに対して同情的なムードが流れ始めた。
これではまるで私の方が加害者だ。
そして、嫌な予感が当たる。
「マリベル様が涙を……!」
「あんなに一生懸命謝っているのに、そんな酷いことを言うなんて……!」
周囲で見物していた生徒たちが次第にマリベルの肩を持ち始めた。
「私は悪気は無かったのに……! ただ、エリオット様と仲良くしたくて……!」
マリベルは更に大きな声で泣き叫ぶ。
別に私たちが言ったことは間違ってはいないし、正しい主張なはずだった。それどころか逆にこちらが被害者だったはずだ。
マリベルが泣いただけでいつの間にか立場が逆転していた。
「マリベル様を泣かせるな!」
「そうだそうだ!」
「意地汚く謝罪を求めるなんて、恥を知れ!」
終いには私とリリスに罵倒まで飛び始めた。
手元にあるものを投げつけてきそうな勢いだ。
私とリリスはこの場にいる人間の中では最上位の貴族なのに、こんなにも不敬にとれる態度を取っているのは、マリベルという公爵家が味方しているのと、彼ら自身正義に酔っているからだろう。
人は正義の側に立っていると思い込んだ時、普通ならしないようなことをやってのける。
「マリベル様に謝罪しろ!」
「そうだ! この悪女め!」
悪女というのは私がエリオットの恋路を邪魔しているというデマを信じた生徒の言葉だろう。
その言葉を皮切りに、私に対しての罵倒がさらに投げかけられようとした。
その時。
「これは一体何の騒ぎだ」
その声がした途端、辺りが水を打ったように静まり返り、人混みが割れるようにして真っ二つに別れ、その中を一人の男性が歩いてきた。
濃い黒色の髪に鋭い光を放つアイスブルーの瞳。
顔立ちは凛々しく、鼻筋が通り、口元には自信と何者にも屈しない強固な意志の表れが見て取れる。
威厳に満ちた外見と、その存在感で周囲を圧倒していた。
「……ノクス様」
生徒の一人がそう呟いた。
それを皮切りに、生徒たちが興奮に沸く。
「ノクス様がいらしたわ!」
彼の登場に、次第に生徒たちは騒ぎ始めた。
それも当然だろう。彼は学園中の注目を集める憧れの的であり、そのカリスマと風格は見るものを惹きつけてやまない。
──第二王子、ノクス・レイブンクロフトなのだから。
滅多に誰とも関わろうとしないノクスがやって来たことに、生徒たちは興奮していた。
その期待は、私たちの断罪。
マリベルを泣かせた私たちに一泡吹かせて欲しいという期待がありありと見てとれた。
「ノクス様!」
マリベルはさっきの泣き顔から一転、輝くような笑みを浮かべた。
そして、なんとマリベルはまるで助けを求めるようにノクスの腕に抱きついた。
しかしマリベルが抱きついた瞬間……。
「離せ」
ノクスはマリベルを睨みつけた。
離れている私ですら震えるような底冷えのする声だった。
「貴様、誰の許可を得て俺に触れているんだ」
ノクスは周囲にいる全員が凍りつくような視線を投げかけた。
絶対零度の怒り。
「も、申し訳ありません……」
ノクスの発する怒気に流石にマリベルも萎縮したのか、気まずそうに謝ってノクスから腕を離した。
ノクスはマリベルが腕から離れると不機嫌そうに鼻を鳴らし、襟を正した。
誰にも心を許さず、誰も寄せ付けない。
これが『黒氷の王子』と呼ばれている理由だ。
不機嫌なオーラを出しつつも、ノクスは腕を組んで聞く体制に入った。
「それで、この騒ぎは何が原因だ。今ので大体事情は察したが、何が起こったのか話せ。俺が公平に判断してやる」
それはつまりノクスが話を聞いてどちらが悪いのか判断してやるということだった。
ノクスがそう言った瞬間、マリベルは待ってましたと言わんばかりにノクスに訴え始めた。
「私が悪いのです! 私がエリオット様と親しくしていたせいで、お二人が婚約を破棄しようと……でも、私はどうにかやり直して欲しいと思って、お二人の仲を取り持つと言ったのですが、とても酷い言葉を言われて……!」
「ふむ」
マリベルはノクスに説明をしている最中、また嗚咽を漏らして顔を覆い始めた。
しかも自分が悪いと言っておきながら、私たちを責める始末だ。
言っていることが矛盾しているのだが、周りで聞いている生徒は「マリベル様可哀想……」と気がついていない様子だ。
「酷い言葉を言ったのか?」
ノクスが私に質問してきた。
「そんな……! それは違います! 私たちは流石に婚約に口を出すのは失礼じゃないかと指摘しただけで……」
私はマリベルの言葉を否定する。
私たちは酷い言葉なんて言っていない。マリベルは明らかに嘘をついている。
リリスもノクスに事実を説明する。
「私も証言いたします。マリベル様が自分の行動のせいでエリオット様と婚約を破棄しなければならなかったことを謝罪し、もしよければ自分がエリオット様との婚約をもう一度結べるようにする、と仰ったので、流石に失礼ではないかと注意したところ、マリベル様が酷い言葉を言われた、と……」
「ふむ」
そんな状況を見て、ノクスは……
「話を聞いている限りだが……シュガーブルーム。お前に非があるように思えるが」
「え?」
マリベルは驚いた顔をしていた。
それは私も、私たちへ罵倒を投げかけていた生徒たちもだ。
「お前が他人の婚約者をアクセサリーのように侍らせているのは俺も知っている。確かハートフィールド家は一度お前に面と向かって抗議をしたとも聞いている。それでもお前がエリオットに近づき続けたのだから、たとえ酷い言葉を言われたとしてもお前は文句を言える立場ではない。何を被害者面をしているんだ?」
ノクスは眉を寄せて首を傾げる。
全くの正論であり、マリベルも生徒たちも反論ができないようだった。
「お前は誠心誠意謝罪する立場ではないのか? 他人を煽動し、責めさせているお前の方がよっぽど悪質だと思うが」
「で、ですが」
「それにお前は酷いことをしたという自覚があるんだろう? 自分で言っていたじゃないか。ならそれで話は終わりだ」
ノクスが話を切り上げようとすると、マリベルは慌てて食い下がった。
「ま、待ってください! 私は……!」
「俺の判断に間違いがあると言いたいのか?」
ノクスはマリベルを睨む。
「いえ、そんなことは……」
「なら問題はないな」
ノクスはマリベルの言葉をシャットアウトする。
ノクスはマリベルをバッサリと切り捨てると、辺りにいた生徒たちを見渡す。
「お前たち。表面だけを見て判断するな。顔は覚えた、次は無いぞ」
ノクスは厳しい口調で私たちを責め立てていた生徒たちを睨みつける。
憧れの的であるノクスにそう言われて、私たちを責めていた生徒たちは肩をすくめて萎縮していた。
「これで終わりか。俺はもう行くぞ」
そしてノクスはその場から立ち去っていった。
ノクスが立ち去った後、マリベルは信じられないものを見るような目でノクスの背中を見て、口をパクパクとさせていた。
「うっ……! 酷い、私はそんな……」
そしてマリベルはまた泣き出して顔を手で覆うと、私たちの元から去っていった。