43話
ミシェルと言い合いの一件は、表面上は終わったかのように見えた。
それでも、私とノクスの間にはギクシャクした雰囲気が流れていた。
私とノクスでミシェルに対する意見は食い違っている。そのズレが、普段のちょっとした言動や態度に出るたびに、微妙な雰囲気が流れるせいだった。
それからしばらく、私とノクスの心の距離が離れた時間が続いた。
朝、ノクスがいつも通りに迎えに来る。
「おはよう、セレナ」
「おはようございます、ノクス様」
挨拶は交わすものの、いつもみたいにノクスが微笑むことはない。
そして馬車に乗り込んで、学園へと向かう。
以前までなら馬車の中でも楽しくお話出来ていたのだが、今はお互いに無言の時間が続いている。
学園につくと、ノクスが私の手を取って馬車から下ろしてくれる。
でも、そこにいつもの優しげな微笑みはないのだ。
最近、ノクスの態度が冷たくなっている気がする。
原因は明白だ。
私がミシェルを庇ったから。それしか原因がない。
私は「ノクスに嫌われてしまったのではないだろうか」と怖くなった。
だから、私が一番信頼している親友に相談することにした。
私はすぐにリリスと出掛ける約束をした。
休日、私は親友を呼び出していた。
「今日はありがとう、リリス」
「別に構わないわよ。親友からの相談だもの」
今日のリリスの服装は……珍しいことに男装はしていないようだ。
女性用の服を身に着けている。
「そういえば、今日は男装してないんだね」
「今日はそういう雰囲気じゃないかと思って」
ストレートの紅茶を飲んだ一口飲んだリリスは、カップを置くと私に用を尋ねてきた。
「それで、相談って?」
「その……ノクス様に嫌われちゃんたんじゃないかって……」
「ノクス様に? 何があったの?」
「実はね……」
私はリリスに対してノクスとミシェルとのことで言い合いをしたことを話す。
「ちょっと前にね、ミシェル様が生徒の女の子のなくしものを手伝ってたの。その件でノクス様と喧嘩みたいになっちゃって……」
「なるほど、だから最近雰囲気がおかしかったのね……」
「ミシェル様のことを庇おうとしたから、愛想をつかされたんじゃないかって……ノクス様に嫌われたら、私……っ!」
「セレナ、ちょっと落ち着いて」
リリスが私の手を掴む。
「……ごめん、落ち着いてきた」
「でもなんで、それで嫌われたと思ったの?」
「だって……」
私は顔に陰を落として、カップを握り直す。
「毎朝迎えに来てくれるけど微笑んでくれないし、馬車のなかではずっと無言だし、馬車から降りる時にいつもみたいに「気をつけろ」って言ってくれないんだよ!? それに、「好きだ」って言ってくれなくなったし!!」
私は悲痛な声でリリスに訴えた。
「…………」
しかし、なぜかリリスは頭を手で押さえて黙ってしまった。
ちょっと呆れたようなため息までついている。
どうしてだろう。
「セレナ……」
「どう思う、リリス? 私、ずっと不安で……」
「あのね、セレナ。どう考えても嫌われてないから、それ」
「へ?」
私は首を傾げる。
「冷静になって考えてみて。嫌ってる人を毎朝迎えにくると思う?」
「確かにそうかもしれないけど……」
「嫌われるどころか、愛されまくってるわよ」
「そうなのかな……?」
「ええ、そうよ。絶対にそう」
本当にそうなのかな……?
でもリリスが言うなら、そうなのかもしれない。
確かに常識的に考えて、嫌いな人を毎朝送り迎えすることなんてするわけないか……。
「あ、でもいつも「綺麗だな」って言ってくれるのに、最近は言ってくれないんだよ……?」
「普通は毎日言わないの。ちょっと気恥ずかしくなってきたとか、そういうことでしょ。いっつもあの致死量レベルのノクス様の愛を浴びてるせいで、感覚が麻痺してきてるんじゃない?」
む……そうかも。
最初の頃はあのノクスのあれに一々照れていたけど、最近はそういうのもない。
そう考えると、ノクスがちょっと余所余所しくなったように見えたのも、私がノクスのエスコートに慣れてしまったせいもあるのかもしれない。
私はノクスに嫌われてないのかもしれない。
リリスに太鼓判を押されて少し安堵した所で、リリスが話題を切り替えた。
「はぁ……なんだか重そうな相談だったから、身構えてたのが馬鹿らしくなってきた」
「ひ、酷い……」
「だってそうじゃない。まさか惚気話だったなんて思いもしなかったわ」
「の、惚気話のつもりはなかったんだけど……」
「あのね、そう言うのを惚気っていうのよ。覚えておきなさい」
の、惚気……。
なんとか言い返したかったけど、言い返しようがなかったので謝るしかなかった。
「す、すみませんでした……」
「別に良いわよ。今回はちょっと深刻そうな悩みだと思ったから拍子抜けしただけだし」
リリスは本当に気にしないことを伝えたかったのだろうけど、私はさらに縮こまる。
「とりあえず、スイーツもっと頼んだら?」
リリスがメニュー表を差し出してくる。
「で、でも……食べすぎると色々とカロリーが……」
「こういうときは甘いものを食べてストレスを発散するのが一番よ。色々と溜まってるし、今日くらい仕方ないわよ」
「そ、そうなのかな……」
甘い誘惑に誘われ、ゴクリとつばを飲み込む。
そうだ、確かにリリスの言う通り、最近は色々とあったし、スイーツも我慢してたし。
……ちょっとくらい一杯食べても、問題ないよね?
その時、私の中の天使が囁いた。
「暴飲暴食すれば太っちゃうぞ」と。
そこで、私の悪魔から追撃がかかった。
「大丈夫、セレナ、最近痩せてるから。それにちょっとやそっと食べたくらいじゃ太らないわよ。大事なのは合計のカロリーを減らすことだから」
この言葉が、最後の一撃となった。
「そ、そうかな……それなら……ちょっとくらい食べても大丈夫だよね」
痩せてる、と言われて頬が緩んだ私は自制心も緩んでしまった。
「そうそう、ほら選んで」
リリスはニコニコとメニュー表を差し出してくる。
美味しそうなメニューが沢山だ。
あ、期間限定のケーキもある。
「じゃあこれと、これと……」
そこに書かれているメニューを、私はもう一度ゴクリと唾を飲み込みながら選んでいった。
気になるメニューを選ぶと店員に注文する。
いつもはセーブしているスイーツを欲望の赴くまま選んでしまった罪悪感と、これから来るスイーツ天国に対する興奮を感じながら、私はスイーツが来るのを待っていた。
「……それにしても、私のセレナをこんな顔にさせるなんて……許さないから」
「? なにか言った?」
「ううん、なんでもないわ」
リリスがなにか言ったような気がして聞くが、リリスは笑顔で首を振った。
一瞬、リリスが身も凍るような笑みを浮かべて何かを呟いていた気がしたのだが、どうやら気のせいだったようだ。
そして合計五つのスイーツを食べてしまった私が、翌日からどうなってしまったかは想像に難くない。




