32話
そしてエリオットとの話が終わって、私とノクスは会場の中へと戻ってきた。
バルコニーから中に入った途端、会場の中の視線が私に集中した。
それどころか驚きの声をあげている令嬢すらいる。
私はなぜこんなに注目されているのだろう、と少し考えてすぐに原因に思い至った。
それは横にいるノクスだ。
私の手はノクスの腕に添えられており、ノクスもまるで私をエスコートするかのように身を寄せている。
「……あの、ノクス様、もう手を離しても」
「ダメだ」
私が手を離そうとしたが、ノクスは私の耳元に口を寄せるとダメだと囁いてきた。
いきなり顔を近づけられたことで私の顔が真っ赤に染まる。
「な、何でですか……」
「またセレナを放置して他の男に言い寄らせるわけにはいかないからな。俺が隣にいてしっかりと守らないと」
この状況はとてもまずいように感じた。
ノクスと私は小声でお互いにしか聞こえないように話しているので、話している内容は聞こえてはいないだろう。
しかしこの状況を客観的に見れば、私とノクスが交流がある程度の関係ではないことは誰だって分かるだろう。
中には私のお父様に対して色々と確認をしている貴族がいるのも確認できる。
恐らく私とノクスの関係について質問されているのだろうが、お父様はどこ吹く風で誤魔化している。
「でも、色んな人に見られてます……」
「大丈夫だ。もうすぐ婚約者は発表される」
「そういう問題ではありません……」
確かにさっきはノクスを不安にさせてしまったので、ノクスの行動自体は私も分からなくはない。私だってノクスが口説かれているところを見るのはモヤモヤと嫌な気持ちになる。
だが、このパーティーでは一応建前として婚約者候補の中から婚約者を選ぶことになっているのだ。
こんなに露骨に特定の令嬢を贔屓していたら、不満が出てきてもおかしくない。
(ああ、やっぱり、嫉妬されるよね……)
そして、早速私に不満を募らせている令嬢を発見した。
私を遠巻きから眺めて、悔しそうに唇を噛み締めているマリベルだ。
マリベルは周囲にいるマリベルの取り巻きの生徒たちと何かをヒソヒソと話している。
私なんか婚約者に選ばれるわけがないと言っていたのに、私が婚約者に選ばれそうで悔しいのだろう。
それからは常に私の隣にノクスがつくようになった。
挨拶をする時もノクスが一緒で、私と一緒に貴族に挨拶をしていた。
その時に必ずと言って良いほど私とノクスの関係を聞かれたが、一応婚約者を発表する前なのでノクスは上手くぼかしていた。
しかし会場の中には何となく私が婚約者になるのだろう、という雰囲気が漂っていた。
その雰囲気を破る人間がいた。
マリベルだ。
マリベルとその取り巻きたちはノクスから私に近づかないように言われているので、偶然を装って私に近づいてきた。
取り巻きの令嬢とおしゃべりをしていて、私とノクスに気が付かなかった、という体で。
「あっ」
「えっ?」
マリベルの取り巻きの一人がわざとらしい声をあげて私にぶつかってきた。
すると手に持っている飲み物が入ったグラスが、大きく私へと傾いた。
私の視界の端で、マリベルの口元が歪んだのが見えた。
パシャリ。
私は頭からグラスの飲み物を被せられた。
周囲から小さな悲鳴が上がる。
ポタポタと私の髪から雫が流れ落ちる。
「あっ、申し訳ありませんっ! セレナ様!」
「大丈夫ですか!?」
取り巻きの令嬢はわざとらしい演技がかった口調で私に謝ってきた。
マリベルが堪えきれないのか、口元に笑みを浮かべている。
取り巻きの令嬢たちはくすくすと笑い声をあげている者もいる。
「……」
「ワザとじゃないんです! バランスを崩してしまって……本当に申し訳ありません!」
私は自分のドレスを見下ろす。
マリベルはわざわざ赤色の飲み物を選んでおり、白を基調としたドレスにはハッキリとしみが出来てしまっていた。
もうこのドレスを着ることはできないだろう。
着替えのドレスはあるにはあるが、このドレスに匹敵するような綺麗なドレスは残っていない。
だからこそマリベルは私のドレスを台無しにしようとしたのだろうが。
「……セレナ、着替えを」
ノクスが私に着替えるように促してくる。
「…………はい」
私は俯きながら答えた。
どちらにせよ、このドレスは着替えざるを得ない。
俯いている私を見てノクスは拳を握りしめた後、未だに私を見て笑っている飲み物をかけた張本人の令嬢に気がついて眉を顰めた。
そしてノクスはその令嬢に声をかけた。
「お前、もう帰っていいぞ」
「え? でも、この後婚約者を……」
私に飲み物をかけた令嬢がそんな声を上げた。
その言葉を聞いてノクスはさらに苛立った顔になる。
「人に恥をかかせて、その上笑っているような奴はどのみち俺の婚約者にはなれない。もうお前は婚約者候補ではない、帰れ」
ノクスの口ぶりから察するに、どうやら彼女も婚約者候補の一人だったらしい。
しかしマリベルに唆されて私に飲み物をかけた結果、婚約者候補から外されることとなった。
「そ、そんな……」
その令嬢は顔を青ざめさせ、マリベルの顔を見た。
「マ、マリベル様!? 話が違います!」
「なんのことですか?」
マリベルは首を傾げる。
そして悲しげな表情になると、逆に今度は私に飲み物をかぶせた令嬢を批判し始めた。
「私はあなたがそんなことをする人だなんて思ってませんでした……」
私が飲み物をかけられている時も笑っていたくせに、マリベルは令嬢に向けて非難の目を向ける。
周りにいる令嬢もマリベルに合わせて私に飲み物をかぶせた令嬢を非難し始める。
「私もこんな人なんて……」
「ずっと笑っていて……酷いです」
「そ、そんな……私は……」
飲み物をかぶせた令嬢は突然の裏切りに困惑していた。
しかしそれ以上何か言うこともできず、会場から去っていった。
私は父と一緒にその場を離れた。
王宮の控室の一室を貸してもらえたので、私はハートフィールド侯爵家から持ってきてもらった予備のドレスに着替えた。
侯爵家と王宮は近いので、比較的すぐに持ってきてもらえたが、それでもかなり時間はかかってしまった。
しかし、私が持っているドレスは以前エリオットと婚約していた時のドレスだ。
エリオットが私を地味でいるように縛っていた時に作られたドレスなのだ。
当然、アルマイン伯爵夫人に作ってもらったドレスとは天と地ほどの差がある。
予備のドレスを着た私は姿見で自分の姿を確認する。
「……前に戻ったみたい」
地味なドレスを着た私は、まるで数カ月前の自分に戻ったみたいだった。
この二ヶ月、色んなことがあった。
ノクスと知り合って、婚約して。
私は変われたと思っていた。もう前の私ではないのだと。
でも、鏡に映る私はまるで魔法が解けたみたいに暗くて、地味で、陰鬱としていた。
(こんな私を見たら、ノクス様も失望するかもしれない……)
こんな地味になった私を見て、ノクスはどう思うだろうか。私のことを嫌いになったりしないだろうか。
そんな心配が私の頭の中を支配していた。
扉を開けるとそこにはノクスがいた。
「ノクス様……ずっと待っていてくれたのですか?」
「ああ、婚約者を待つのは当然だろ?」
ノクスはさも当然のように頷いた。
私はノクスから目を逸らす。
地味な自分を見せるのが嫌だった。
しかし──
「大丈夫だ」
私の頭に手が乗せられた。
私は顔を上げる。
そこには氷が溶けるような、温かい微笑みを浮かべたノクスがいた。
「俺はどんなセレナでも嫌いになったりなんかしない。俺が好きになったのはありのままのセレナだ」
「っ……!」
感動で胸が詰まりそうだった。
ノクスは魔法の解けた私でも良いと言ってくれた。
ありのままの自分を受け入れてくれたような気がして、嬉しかった。
「ありがとうございます。ノクス様……!」
きっと、ノクスがいればこのままの私でも大丈夫だ。
私はノクスの腕を取って、また会場へ戻っていった。




