31話
振り返るとそこにはエリオットが立っていた。
私は冷めた目で、エリオットに注意した。
「サンダーソン様、私はもうあなたの婚約者ではないので、呼び捨てはやめてください」
「あ、ごめん……」
エリオットは申し訳なさそうな顔で謝る。
「もう良いですか。それでは私はこれで……」
エリオットと会話をしたくなかったので、私は無理矢理エリオットとの会話を打ち切ろうとした。
「ま、待ってくれ!」
するとエリオットが慌てて私を引き止めてきた。
大きな声だったので、周囲から視線を向けられていた。
「なんですか……」
私は素っ気なくエリオットへと返事をする。
同時に、怪訝な目をエリオットへと向けた。
なぜこのタイミングで私に話しかけて来るのだろう。
「少し、ついてきてくれないか」
「……なぜでしょうか」
「話したいことがあるんだ」
エリオットはそう言っているが、ろくなことにならないと私の勘が告げている。
「私は話すことなど無いのですが……」
「頼む。大事な話なんだ」
エリオットは真面目な顔で私にそう頼んできた。
本当はエリオットの話なんて聞きたくもないが、断ってもこのままここに居座られそうで、それはとても面倒だった。
そしてノクスとの婚約を正式に発表する今、エリオットとの関係はここでしっかりと断ち切っておいた方がいい。
流石にエリオットもこれだけ人がいる中で何かしようという気にはならないだろう。
「…………近くで、少しだけなら」
「バルコニーで話をしよう」
私はため息をつきながらエリオットの後についていった。
エリオットは会場の外にある、バルコニーへと私を連れてきた。
涼しい夜風が私の頬を撫でる。
しかし長居をしていたら体を冷やしそうなので、早めに話を終わらせてまた中に入りたいところだ。
「それで、話とはなんでしょう」
私はエリオットを急かすように用件を尋ねた。
「その……君にこんなことを言うのは失礼だとは思うんだけど……」
「……」
「今更こんなことを言うのも、どうかと思ったんだけど、でもどうしても君に言いたくて……」
「あの、早く用件を話してください」
モジモジとしているばかりでいつまで経っても話を始めないエリオットに少し苛立ちながら、私は用件を話して欲しいと告げた。
そうして私が急かすと、やっとエリオットは私に用件を話した。
「その……僕との婚約を戻してくれないか?」
「…………は?」
思わず表情すら取り繕うこともせず、そんな声が出てしまった。
一瞬、自分の聞いた言葉が間違いなんじゃないかと思い、私はエリオットに質問する。
「その…………私の聞き間違いだとは思うのですが、今、私との婚約を戻そう、と言いましたか?」
「ああ、その通りだ」
エリオットは私の言葉を肯定した。
つまりは私の聞き間違いではなく、正真正銘エリオットは私に婚約を戻すことを提案したらしい。
「……あなたは今なにを言っているのか、理解してらっしゃるのですか?」
私はエリオットに質問する。
流石に冗談の類かどうかを疑わざるを得なかったからだ。
「僕は本気なんだ。君さえ良ければ、婚約を戻したいと思ってる。両親にも許可はもらってきた」
どうやら、エリオットは本気で私との婚約を戻したいと考えているようだ。
私は何を言っているんだ? という気持ちだった。
私は先日、エリオットがマリベルにプロポーズして振られているところを見ている。そしてそれはエリオットも知っている。
それでも私に再度の婚約を申し込んできたのは、マリベルという頼みの綱が切れて、加えて私との婚約破棄をしたせいでまともな婚約相手がいなくなってしまったことが原因だろう。
つまり、エリオットは本命に振られたから、次善として私に婚約の話を持ちかけてきたらしい。
自分が私に何をしたのかも忘れて。
私にあれだけのことをしておいて、能天気にまた婚約を戻そうと言ってくるなんて、どれだけ面の皮が厚いのだろうか。
加えてこんな馬鹿げたことを恥ずかしげもなく私にそう言ってくるということは、エリオットは私が婚約を戻す可能性があると考えているということだ。
(どうしてまた私と婚約を戻せると思ったのかは分からないけれど、この人が相当私のことを軽く見てるってことは分かったわ……)
そしてエリオットは全く見当違いのことを言い始めた。
「僕は分かってるんだ。君もまだ僕に未練があるんだろ?」
「はぁ?」
私は眉を顰めた。
私がエリオットに気がある?
見当違いも甚だしい。
「それに君はとても綺麗になったし…………僕に地味だって言われたからだろ? あの時のことは僕も謝るからさ、そろそろ僕たちの関係も元に戻しても良いと思うんだ」
それはつまり、地味だった私に魅力がないと言って婚約を解消したのに、いつの間にか変わっていた私を見て思い直したということだ。
私が初めて地味なメイクをやめて学園に行った時、エリオットが私を見ていたのは知っていたが、まさか恥も外聞もなくこんなことを言ってくるとは思っていなかった。
加えて、まるでやっと私がエリオットの審美眼に適ったかのような言い方。
エリオットの上から目線のその言葉に、私の中で沸々と怒りの感情が湧き上がってくる。
「はっきりと言いますが──あまり舐めないでください」
「え?」
「マリベル様に婚約を受け入れてもらえなかったから、今度は私と婚約を結ぼう、ですか」
「そんなことは……」
「先日マリベル様にプロポーズして、すぐに私に婚約の話を持ちかけてくるということは、それ以外にないじゃないですか」
「……」
エリオットは下を俯いて黙った。
「バカにしないでください。私はそんなに軽い女じゃありません。それにあなたに未練があるですか? ふざけるのも大概にしてください。私があなたに未練なんかあるわけがないでしょう」
一瞬怒りの表情になりかけたが、表情だけはなんとか笑顔を取り繕う。しかしどうしても声色に怒りが滲んでしまう。
「私はあなたのために綺麗になったわけじゃありませんから勘違いしないでください。私にしたことも忘れて、また婚約を結ぼうですか? そんなのこっちから願い下げです」
「そんな……だって、彼女がそう言ってたのに……」
エリオットは自分の予想とは違う出来事が起こって動揺しているようだ。
彼女とはきっとマリベルのことだろう。
彼女から何を吹き込まれたのかは分からないが、どうやらエリオットは私に対して盛大な勘違いをしているようだった。
「で、でも、この婚約者を選ぶパーティーに出たってことは、まだ新しい婚約者がいないってことじゃないか。それなら僕と婚約を結んだ方が良いに決まってる」
「はぁ?」
「君は知らないかもしれないけど、僕と婚約を解消してから君には悪い噂が流れているんだ。だから僕と婚約を戻したらそんな噂も……」
「それぐらい知っています。私の悪評は全てあなたのせいなのですが? 全ての原因はあなたがマリベル様と一緒にいたからです。知らないとは言わせませんよ」
私は少し強い口調でそう言った。
エリオットは言葉を詰まらせる。
そして私はエリオットへ軽蔑の色を込めた目を向けた。
「自分で他人を貶めておいて、婚約を戻すことで救ってやろう、だなんて……最低ですね」
「そ、そんなつもりじゃ……」
エリオットは否定するが、何も違わない。
自分で貶めた他者を自分だけが救うことができる、だなんて傲慢にもほどがある。
「だとしたらなぜ噂のことを持ち出して、自分と婚約するメリットとして強調したのですか? そんなつもりではなかったのなら、噂のことを持ち出さないですよね?」
「……」
エリオットは唇を食いしばっていた。
「私のことを助けたいなら、二度と私に近づかないでください。それが一番私がしてほしいことです」
私はそこで一息つくと、大きく息を吸う。
これで最後だ。
「あなたに救ってもらおうなんて思ってませんし、考えたこともありません。私の気持ちも考えずに一方的に婚約を戻そうという方との婚約を戻そうとは思いません!」
「なっ!?」
私はキッパリと断言した。
するとエリオットはわかりやすく顔を赤くして激昂した。
「このっ……!」
そしてエリオットは怒りに任せて腕を振り上げ、私に振り下ろそうとして……。
その手が、誰かによって受け止められた。
気がつけば私の肩がエリオットではない誰かに抱かれて、引き寄せられていた。
顔は見ていないが、私は誰かを知っている。
「ノクス様!」
見上げると、そこにはノクスがいた。
「ノ、ノクス様……!?」
突然現れたノクスに、エリオットは驚愕する。
「姿が見えないと思って探しにきたら……お前はまた面倒ごとに巻き込まれているのか」
ノクスは呆れたようにため息をついて私を見る。
「私も巻き込まれたくて巻き込まれてるわけじゃないんですよ? あっちの方から面倒ごとがやってくるんです」
ノクスがやってきてくれた事で安堵した私はクスクスと笑うとエリオットに向き直る。
「マリベル様に振られたから、私を次の婚約者にしようと思ったみたいですけど」
私はノクスの首に両腕を回す。
「えっ」
女性嫌いと噂のノクスが、私がこんなに近づいても怒るどころか止めもしないことに、エリオットは驚いていた。
「残念ですけど、私にはもう婚約者がいますので」
「え? 婚約者って……まさか!」
エリオットは目を見開く。
私の言おうとしていることが分かったようだった。
「そうです。私はノクス様と婚約することになりました。だから、あなたとはもう婚約できません。申し訳ありません」
「そういう訳だ。俺の婚約者に手を出さないでもらおうか」
婚約者の発表の前にエリオットにバラしてしまうことになったが、このバルコニーには私とノクス、そしてエリオット以外誰もいない。
ノクスも止めはしなかったので、言っても良いだろう。
「そんな……」
エリオットは口をパクパクと開けたり閉じたりしていた。
今更どれだけ後悔しても遅い。
マリベルにプロポーズを断られて、私が綺麗になったからと婚約を申し込んでも、すでに私には婚約者がいるのだ。
逃がした獲物は大きい。
「そうだ。また自分に都合のいいように解釈しそうなので言っておきますけど、私がもし婚約者がいなかったとしても、あなたとは絶対に婚約を戻したりはしなかったのでそれは勘違いしないでくださいね。あなたみたいな人とは絶対に婚約を戻したいとは思わないので」
別にノクスという婚約者がいたから婚約を戻さなかったわけではない、ということを強調しておく。
自意識過剰なエリオットにはこれくらい言わないと理解できないだろう。
「なっ……!」
エリオットは顔を真っ赤にして私に何かを言い返そうとした。
しかしその前にノクスが私とエリオットの間に割り込む。
「一つ忠告しておくが、これを他の人間に吹聴すれば……分かっているだろうな?」
最後に口止めをしておくのも忘れない。
エリオットはコクコクと頷いていた。
「セレナ。行こう」
「はい」
私はノクスの腕を取ると、会場の中に戻っていった。




