24話
そして翌日。それは起こった。
私が廊下を歩いているや否や、向かい側からマリベルとその取り巻きがやってきて、私を取り囲んだ。
「セレナ様、少しお話よろしいでしょうか」
「マリベル様から話があるようなのです。付いてきていただけませんか?」
「えっと……嫌です」
私は至極当然の反応を返す。
「公爵家であるマリベル様のことを断るというのですか! 失礼ですよ!」
近くにいたマリベルの取り巻きが叫んだ。
見れば先日昼食時にやってきて私たちに追い返された彼女たちだった。
今度はマリベルの公爵家の権力を笠に着て仕返しに来たということだろうか。
(公爵家の名前を使ってもあなたが偉くなったわけではありませんよ)
私は心の中で忠告する。
(面倒だ。このままだと断れそうにない……)
同時に、私は冷静に分析する。
現在、マリベルたちは私を取り囲んでいる。
もし私が無理にその輪を抜けようとしたら肩をぶつけて、「暴力を振るわれた」とでも喚くつもりだ。
そうなれば私は加害者となり、マリベルは被害者となる。
曲がりなりにも、マリベルのシュガーブルーム家は私よりも爵位が高く、権力を持っている家だ。
当然私の家とマリベルの家で争いが起こった場合、勝つのはマリベルの家となる。
だから、争いのきっかけをあちらに与えるわけにはいかないのだが、マリベルはそれを利用して私に命令を強要するだろう。
リリスとノクスが忠告してくれたのに、翌日にこんなに直接的に接触してくることが予想できなかったことを反省する。
ただ、私としても予想できなかった理由はある。
マリベルの家は現在私の家に対して加害者の立場であり、慰謝料や謝罪を求めている今、私とマリベルが接触すると色々と問題が起こるので、普通は接触しないように言われるはずだ。
だから、こうも直接的な手段を取るとは思っていなかったというのもある。
一般的な常識があるのならの話だが。
考えてみれば、マリベルは他人の婚約者を奪おうとする常識の通用しない人間だった。
これは一般的な貴族の常識で考えていた私の落ち度とも言える。
(こんなに生徒がいる中で取り囲んで脅迫するなんて……)
マリベルの取り巻きは男子生徒も含めると優に十人を超える。
このまま大人しくついていったら何をされるかわかったものではない。
せめて、誰かに伝えたいのだが……。
私は辺りを見渡すのだが、誰も私から目を逸らして目を合わせようとはしない。
上位貴族の揉め事に首を突っ込みたくないという考えはとても共感できるのでしょうがないと言えばしょうがないのだが。
その中で、一人見知った顔を見つけた。
先日婚約者であるヴァンから脅されているところを助けた、男爵家のジュリエットだった。
ジュリエットは私と目が合うと、びくりと肩を振るわせた。
そしてすぐに方向転換して、急ぎ足で去っていってしまった。
逃げられてしまった。
まあ、私も見返りが欲しくて助けたわけじゃないので、別にジュリエットを恨むことはない。
「あなた、もしかして公爵家である私に逆らうの?」
案の定、マリベルは権力を使って私を脅してくる。
これを断れば私が不敬だとして難癖をつけてくるのだろう。
「分かりました。話を聞くだけなら」
私はしょうがなくマリベルの後に付いていく。
そして私たちは人気のないところまでやって来ると、前を歩いていたマリベルは振り返った。
「単刀直入に言いますけど、ノクス様から手を引いていただけませんか?」
「それはどういうことですか?」
「そのままの意味です。ノクス様から離れてください」
随分と直接的な言葉で言うな、と思った。
言葉を取り繕えないくらいに焦っているのだろうか。
「どうやってあれほどノクス様に取り入ったのかは分からないですけれど、ノクス様には公爵家の私が相応しいのです。それに私の方がノクス様と親しいですし」
「そうなんですか?」
「そうです。私の方がノクス様に相応しいに決まってます。だって、私は公爵令嬢なんだから」
私は首を傾げる。
マリベルの認識と私の認識に大きな食い違いがあったからだ。
「ノクス様はマリベル様に付き纏われていて困っている、とおっしゃっていましたが」
「なっ……!?」
笑みを浮かべていたマリベルの表情が歪む。
あ、しまった。
マリベルの自慢が鬱陶しくて、つい本当のことを話してしまった。
まあ良いだろう。別にマリベルのことを嫌ってることを隠してはいないようだし、昨日面と向かってそう言われたのだから。
私はただ事実を言ったのだが、それに対して反発する人間もいた。
「嘘をつくな!」
「そうよ! マリベル様はノクス様と親しいのよ!」
私の言葉に反発したのはマリベルの取り巻きだった。
マリベルの取り巻きは私の言っていることが嘘だと断定する。
余程マリベルの言葉を信用しているのだろう。
「いや、ですが昨日「二度と目の前に顔を出すな」と言われたところではないですか。ノクス様と本当に親しいなら、そんなことは言われないんじゃないですか?」
「それは……」
私に至極当然のことを指摘されて、取り巻きたちは反論できないようだった。
マリベルはこの流れはまずいと感じとったのか、慌てて話を軌道修正しようとする。
「と、とにかくノクス様から手を引いてください!」
「そう言われましても……」
手を引くも何も、私とノクスは婚約者で、マリベルはただの他人なのだから手を引くなんていうのはお門違いも甚だしい。
マリベルたちは私とノクスが婚約者であることを知らないので、当然と言えば当然なのだが。
「私に手を引け、と言いますが、なぜ正々堂々と勝負なさらないのでしょうか?」
「え?」
「だって、マリベル様はノクス様のことを狙っているのでしょう? それなら、こんなに大勢で囲って脅すより、正々堂々と勝負すれば良いではありませんか」
「脅すだなんてそんな……」
マリベルが急にいつもの小動物のような雰囲気を漂わせ、私の言葉に傷ついたような表情になる。
「流石にその言い分は通用しませんよ。大人数で取り囲むことが脅迫でないと誰が信じるのでしょう?」
本来なら、ここでさっさと断って話をそれきりにするべきなのだが、私はそうしなかった。
これは散々今までマリベルに困らされてきた、私からの一つの復讐のようなものだった。
「お言葉ですが。こんなに大人数で取り囲んで一人を脅す前に、するべきことがあるのでは?」
例えば、少しでもノクスの印象を良くしようと昨日のことやこれまでのことを誠心誠意謝罪したり、できることはいくらでもある。
それをしないのは、マリベルの目的がノクスと婚約することだからではない。
マリベルの本質はただ誰よりも上の地位に立つことで、他者を見下したいだけだ。
「そういえば、マリベル様は私よりも自分の方がノクス様に相応しいと、仰ってましたよね? もし、本当にマリベル様が私よりも魅力があるとおっしゃるなら、当然できますよね?」
言外に「絶対にできないだろう」というニュアンスを含めて私はそう言った。
これはマリベルに対する挑発だった。
「っ! この……!」
するとマリベルは驚くほどこの挑発に乗っかった。
マリベルは手を振り上げ、私の顔を打とうとした。
しかしその時。
「何をしている!」
厳しい声が響き渡った。
私は声の方向を振り向く。
そこにはノクスとジュリエットが立っていた。
ジュリエットは苦しそうに肩を上下させており、運動をしたのだということが分かる。
きっとジュリエットがノクスを呼びに行ってくれたのだ。
ジュリエットが逃げたと思ったのはどうやら私の勘違いだったらしい。
私は心の中でジュリエットが逃げたと思ったことを謝罪する。
マリベルは青い顔になって、ノクスへと言い訳をしようとした。
「あの……これは……その……」
「何をしようとしていたのかを聞いているんだ。まさかセレナに手を上げようとしていたのか!」
ノクスはマリベルに詰め寄る。
「二度と俺のセレナに近づくな。いいな」
ノクスはマリベルの瞳を覗き込み、そう言った。
マリベルはノクスに恐怖しているのか、真っ青な表情のまま無言でこくこくと頷いている。
「去れ」
ノクスにそう言われた瞬間、マリベルとその取り巻きは一目散に逃げていった。
マリベルが逃げた途端、ノクスが心配そうな顔で私の頬に手を当ててくる。
「セレナ、怪我はないか」
「はい、私にはどこも怪我はありません」
「良かったです……!」
ジュリエットが安心したような声を上げた。
「セレナ様が連れて行かれるのを見て、私、居ても立っても居られなくて……!」
「本当にありがとう」
私はジュリエットに感謝する。
ジュリエットがノクスを呼んで来てくれたおかげで助かった。
「あ、あの、それで……」
ジュリエットがもじもじとしている。
「私、もう行かせてもらいますね……!」
ジュリエットはそう言うと急足でその場を去っていった。
元々人見知りなジュリエットには私と第二王子のノクスがいるこの場は、とても緊張するものだったのだろう。
その場からジュリエットがいなくなると、ノクスはため息をついて眉を顰めた。
「それで、申し開きはあるか?」
ノクスが腕を組んで、説教モードに入った。
「なんでマリベルたちについて行った。奴らに気をつけろと言ってただろ」
「う……それはそうですけど……で、でもノクス様がこんなに近づかなければそもそも問題は起こらなかったんじゃないですか?」
そもそも、マリベルたちがこんなに焦って私に接触しようとしてきたのはノクスが私と親しくしているところを見たからだ、ということを非難の意味も込めて言い訳してみる。
「セレナに最近ついていたのは、俺と一緒にいる前からシュガーブルームが何かしようとしているという情報があったからだ」
「えっ?」
「なぜ不思議そうな顔をしている。俺はちゃんと言っただろ。最近シュガーブルームが集まって何かしようとしていると」
「あ、あれって、私のそばにいて守るってことなんですか?」
「そうだが」
ノクスは至極真面目な顔で答える。
いや、確かによく考えればそう捉えることもできるかもしれない。
「確かに周囲に婚約のことがバレる心配はあった。しかしセレナの身に危険が及んだら元も子もない。加えて公爵家のあいつの暴走を止められるのは俺くらいだ。だからセレナにずっとついていたんだが……気づいていなかったのか?」
「気づいてませんでしたよ! ていうか、分かりにくすぎです!」
私はノクスに抗議する。
流石にノクスの言い方で分かるわけがない。
「それは済まなかった」
「いえ、これからは気をつけていただければいいので……」
「だが、これで分かっただろう。やはりセレナの身を守るためにも、俺が近くにいた方がいい。これからも学園での交流と登下校の送り迎えは俺がする。いいな」
「え、あ、はい」
私は勢いに押し切られて頷いてしまったが、よくよく考えて首を傾げる。
(あれ? これ、もしかして学園で一緒にいるための口実なんじゃ……)
しかし私はすぐに思い直す。
ノクスが私と一緒にいたいだなんて、そんなことあるわけがない。きっと気のせいだろう。




