19話
今日の私は上機嫌だった。
なぜなら今日は元婚約者である、エリオットのサンダーソン侯爵家から、婚約破棄の経緯について発表される日だからだ。
世間で流れているデマを信じて私を罵倒した彼らがどんな顔をするのか楽しみでならない。
そして、もっと素晴らしいのは、国王様が今回の婚約破棄の騒動について、マリベルに責任の一端がある、という声明を出してくれたことだ。
先日ノクスとの別れ際にダメもとで頼んだのだが、ノクスはともかく、意外と国王様までもノリノリで、マリベルに責任があると一筆書いてくれた。
どうやら国王も最近のシュガーブルーム家がノクスと婚約させろと迫ってくることに辟易しており、お灸を据える意味でも今回は力を貸してくれたようだ。
恐らくサンダーソン家は世間に向けて経緯を発表しているはずで、そういうゴシップに目がない令嬢や婦人がこぞって話題にしているはずだ。
つまり私が学園に着く頃にはほとんどの生徒に婚約破棄の経緯が伝わっているはずだ。
そして今日は私はもう地味なメイクをやめて、普通の格好で学園に通っても良くなった。
エリオットにかけられた「地味でいろ」という命令から解放される日でもあり、そのため特に私の機嫌は良くなっていた。
馬車から降りた途端、視線が集まるのが分かった。
しかしそれは先日のような、不穏な噂を流されたことによるねっとりと絡みつく不快な視線ではない。
好奇の視線だった。
ちらほらと「あんな令嬢いたか?」「もしかして今まで学園に来たことがなかったとか?」「美しい……」などという声が聞こえて来る。
そして廊下を歩いていると。
「俺に指図するつもりか!?」
「ひっ!?」
男子生徒が怒鳴る声と、女子生徒の悲鳴が聞こえてきた。
私はそちらの方へと急足で向かう。
廊下の角を曲がると、そこには男子生徒に詰め寄られている女子生徒がいた。
その男子生徒と女子生徒には見覚えがあった。
男子生徒はマリベルの取り巻きになっている一人であり、女子生徒はその男子生徒の婚約者だったはずだ。
パーティーで何回かエスコートを放り出されているのを見て、勝手に親近感を覚えていたのを覚えている。
「お前如きが俺に命令するんじゃない!」
「も、申し訳ございません……っ!」
至近距離で男子生徒が怒鳴っているせいで、女子生徒は完全に怯えきっていた。
(これは流石に見過ごせない……!)
「何をしてるの。その子から手を離しなさい」
私が声をかけると男子生徒と女子生徒が私の方を向いた。
「あなた、確かマリベル様の取り巻きの一人よね? 不貞行為をした挙句に、婚約者を恫喝するなんて流石に見過ごせないわ」
男子生徒は驚いたような顔で私の全身を上から下まで見て、私に言われたことを思い出したのかムッとした表情になった。
「誰だよアンタ。俺とこいつの関係に口を出すんじゃねえ」
男子生徒が眉を寄せて私に対して凄んでくる。
粗雑な言動と相まって、言い方は悪いが、チンピラみたいだ。
「彼女が怯えきっていたから口を挟んだだけよ」
「つーか、まずは名乗れよ」
「私はセレナ・ハートフィールド。これで満足?」
私が名乗ると、男子生徒は笑った。
「誰かと思ったら最低の悪女かよ! 不貞行為がどうだなんてお前に言われたくないね!」
「……ん?」
私は首を捻った。
(もしかして、知らないのかな……?)
「ねえ、もしかしてサンダーソン侯爵家から発表された今回の婚約破棄の経緯は知らないの?」
「は? なんだよそれ」
やはり彼は知らなかったようだ。
仕方がないので私は懇切丁寧に説明してあげた。
「今日、サンダーソン侯爵家から今回の騒動についての経緯が発表されたのよ。サンダーソン家は私に一切の非がないことを認めて、あちら側の有責となったんだけど、知らなかったの?」
「は?」
男子生徒はぽかんと口を開けている。
今日の朝に発表されていたので、知らないこともあるだろう。
だが、知らなかったでは済まされない。
「それと、ええと何だっけ? 最低の悪女だったかしら」
男子生徒の肩が跳ねた。
「それがどこから流れた噂なのかは知らないけれど、あなたは事実とは全く違う噂を鵜呑みにしていたようね。熱心に罵倒してくれてありがとうございます」
男子生徒は動揺し始める。
「そう言えば、あなたの名前をまだ聞いていなかったわね」
「え、いや……」
男子生徒は目を泳がせた。
今名前を言えば、自分の家を巻き込んでしまうことを理解したからだろう。
根も葉も無い噂話で罵倒してきたので、それなりに責任は取ってもらうことになる。
「私には名乗らせたのに、自分は名乗らないつもり?」
だが、男子生徒は逃げることができない。
自分が名乗らせたのだから、自分は誰かを明かすことなくその場を立ち去るという選択肢は存在していない。
「……ヴァン・モンテーニュです」
「そう、伯爵家のモンテーニュ家の長男ね。ありがとう、名前を教えてくれて。あとでお手紙を送らせていただくわね」
「そ、それだけは……!」
「そうはいきません。あなたが今言ったのは私と、ハートフィールド家に対する侮辱です。おいそれと引き下がるわけにはいかないのです」
そもそも私は最初に名乗ったのだ。
私が誰かを理解した上で彼は見当違いの正義感に酔って私のことを罵倒したので、引き下がる理由がない。
「これからはちゃんと噂を真に受けないようにすることをお勧めします」
ヴァンにそう言うと、私は女子生徒の方に向かって助言をした。
「ああ、それともう一つ助言しておくけれど、私が潔白となったということは、あなたも同じように婚約の破棄ができるということよ」
「え?」
「もうすでに一つ例ができたもの。モンテーニュ家の彼がしていることも私の元婚約者と一緒だから、あなたも同じように婚約は破棄できるはずよ」
私がそう言うと女子生徒は明るい顔になった。
どんな理由かは知らないが、きっと彼女は婚約を解消したくても出来ない状況に囚われていた筈だ。
私の助言が役に立つと良いのだが……。
そう思っていた時。
「あれ、どうしたんですか?」
マリベルがやってきた。




