13話
「ノクス様が当家にやって来ただと!? 先触れはなかったのか?」
「はい、ありませんでした!」
王族が訪問する場合、貴族の家にはもてなすための準備が必要なので大抵数日前から手紙が出る。
どうしても緊急の場合は先触れが出るのだが、それすらも今回はなかったようだ。
つまりノクスは電撃訪問をして来たことになる。
「王族の方がなぜ突然お越しに……? 我々が何かしたとは思えんが……」
「私の方も何か思い当たるところはないわ。一体ノクス様は何を……」
お父様とお母様がノクスがやってきた理由を考えている傍らで、私は冷や汗をかいていた。
ノクスが訪ねてくる理由など一つしかない。
今日、ノクスに偽装婚約を提案されたことだ。
「取り敢えずノクス様を待たせるわけにはいかん。すぐにノクス様の元へと向かうぞ」
「ええ、そうですね。セレナ、どうしたの。ノクス様のところへ向かうわよ」
「は、はい」
お母様に名前を呼ばれて正気に戻った私はお母様とお父様の背中についてノクスの元へと向かった。
ノクスは客人を迎える部屋へと案内されていた。
ソファに座ったノクスは、紅茶を手に取って飲む。
それだけでまるで絵画の一幕のように画になった。
ノクスの仕草は見惚れるように綺麗だった。
私と両親はサンダーソン侯爵家を迎えたときと同じようにソファに並んで座っている。
前回と違うのは、冷や汗を流しているのがこちらだということだ。
「そ、それでノクス様。一体今日はどのような御用でいらっしゃったのでしょうか」
お父様がノクスがなぜやって来たのかという理由に切り込んだ。
「突然押しかけてきた非礼をお詫びする。どうしても今日報告させていただきたいことがあったんだ」
「報告したい、ことですか」
ノクスの言葉にお父様は怪訝そうに首を傾げる。
私はどきりと心臓が飛び跳ねそうになった。
「実を言うと、今日セレナ嬢に対して婚約を申し込ませていただいた」
「えっ」
「はい?」
両親は素っ頓狂な声をあげた。
そしてしばらくしてから言葉の意味を噛み砕き、事態の大きさに驚愕した。
「ノクス様がセレナに婚約を!?」
「あ、あなた! 一体これはどういう……!?」
お父様もお母様もひどく困惑していた。
「本当なのかセレナ!?」
「は、はい。報告が遅くなってしまって申し訳ありません。実は今日、ノクス様にぎ──」
「本当ならまず侯爵に話を通すべきだと理解していたが、気持ちが先走ってしまった。申し訳ない」
私が両親に偽装婚約のことを伝えようとすると、ノクスが私の言葉を遮った。
ノクスの方を見ると、ノクスは小さく首を横に振った。偽装婚約のことは秘密らしい。
「過ぎてしまったことはしょうがありませんが……」
お父様もお母様も納得したような雰囲気は出ていなかった。
婚約者を作らないことで有名なノクスがいきなり私を婚約者として選んだ理由が分からないのだろう。
私自身まだ偽装とはいえ婚約を申し込まれたことを夢なんじゃないかと思っている。
「どうして私の娘に婚約を……?」
お父様がノクスに質問する。
当然の疑問だろう。
「実を言うと、セレナ嬢には一目惚れだったんだ」
「一目惚れ!?」
私も危うく声が出そうになった。
しかしすぐにこれはノクスの方便だと言うことに気がついて我慢できた。
「今まで俺は婚約者を作ってこなかった。それは実を言うと、ずっとセレナ嬢に恋心を抱いていたからだ」
「一目惚れしたのはいつなのでしょう……」
「五年前だ」
「そ、そんなに前から!?」
「しかしセレナ嬢はその時にはすでに婚約者がいたから、俺は身を引かざるを得なかった。愛している女性が幸せなら、それで良いと思った。だが、今日になってセレナ嬢が婚約を破棄したと言う噂が耳に入った」
ノクスはまるで辛い記憶を思い出す時のように悲しそうな表情で、胸の前で拳を握りしめる。
「そこで、俺は婚約を申し込むしかないと思った。このチャンスを二度と逃すわけにはいかないと……!」
「ノクス様は何年も我らの娘を想っていてくださったのですね……!」
「そんなにセレナのことを愛して下さっているとは……!」
両親はノクスの言葉に感激しているようだった。
(いや、全部作り話なんだけどね……)
偽装婚約を申し込まれた身としてはノクスの本心を理解しているので、この話が本当だとは思わないが、確かにノクスの話す様は真に迫っていた。
ノクスの言葉は本当なんじゃないかと少しドキッとしたくらいだ。
(ん? いや、それよりもこれってもしかして……これって外堀埋められてない?)
私はそこでノクスにいつの間にか外堀を埋められていることに気がついた。
両親はすでにノクスの言葉を信じて婚約にかなり乗り気に見える。
そしてお父様は婚約を受けようとして……
「婚約はありがたくお受けさせていただき──」
「いや、待ってほしい」
お父様はノクス様に制止されて驚いていた。
「婚約は申し込んだが、セレナ嬢には保留されているんだ」
「そんな、なぜ……」
両親は私を驚いた目で見る。
ノクスとの婚約を保留にする理由がないからだろう。
「俺は気持ちが逸るあまり何も考えずに婚約を申し込んでしまったが、セレナ嬢はまだ先日婚約を破棄したばかりだ。セレナ嬢も心の整理をする時間が欲しいと、言っていた。俺はセレナ嬢の気持ちを尊重したいと思う」
ノクスは真剣な表情でそう言った。
「確かに、その通りですね……。すまないセレナ、私はお前の気持ちをまるで考えていなかった」
「そうね。婚約するかどうかはセレナが好きに決めるといいわ」
「は、はい……」
私に謝ってくる両親に返事を返しながら、私は少し意外な気持ちを覚えていた。
ノクスが私の気持ちを尊重してくれたことだ。
普段のイメージから、他者の気持ちなんて考えたことがないイメージだったが、意外にも私の気持ちは考えていてくれたらしい。
「そういう訳で、これからセレナ嬢と二人で話す時間をいただいても構わないだろうか」
「えっ」
「ええ、それはもちろん!」
お父様とお母様はノクスの言葉に一も二もなく頷いた。