11話
「ノ、ノクス殿下……!?」
「あら、ノクス様、いらっしゃったんですね」
私はノクスの突然の登場にとても驚いていたが、リリスは全く驚いていないどころかノクスがここに来ることを知っているような口ぶりだった。
突然のノクスの登場に私が呆けていると、リリスとノクスは親しげに会話をし始めた。
「すまない。少し遅くなった」
「生徒会の仕事ですから。仕方がありません」
「それよりも世話をかけたな」
「いえいえ、それほどでも」
リリスとノクスが親しげに会話している様子を、私は興味深く見つめていた。
常に孤高のオーラを纏っているノクスが誰かと親しくしているところを見るのが初めてだったからだ。
確かリリスは幼馴染の従妹であり、昔から交流があったはずなので、考えてみればおかしなことはない。
それにしても、ノクスはリリスに何を頼んだのだろう、と考えていると。
「それじゃあ、私はこれで失礼するわね」
リリスが椅子から立ち上がった。
「じゃあ私も……」
恐らくこれからノクスがここを一人で使うのだろう、と思った私も椅子から立ち上がり、リリスと共に個室から出て行こうとした。
「待って、セレナ。あなたはここに残って」
「えっ……」
「ノクス様がセレナに話があるそうなの」
「わ、私に……!?」
私は恐る恐るノクスを見る。
ノクスの眼光に私は一歩後ろに下がった。
「そ、それならリリスも一緒に……」
「ダメよ。椅子は二つしかないもの。私がここにいてはノクス様が座れないわ」
「でも……」
「それじゃあね、セレナ」
私の引き留めも虚しく、リリスは個室から出て行った。
そうして、個室の中には私とノクスの二人きりになった。
「……」
ノクスは椅子に座り、無言で腕を組んでいる。
(は、話って何……!?)
私はとびきり緊張していた。
ばくんばくんと心臓が鳴っている。
ノクスとはパーティーで何度か挨拶をしたことはあるが、こうして二人きりで、しかも私に何か話がある、と言う状況は初めてだった。
そこで私は対面に座るノクスに緊張しつつも、さっきのお礼を言わなければならないことを思い出した。
「その、ノクス殿下。先ほどは助けていただいてありがとうございました」
「気にするな。たまたま通りかかったら馬鹿が騒いでいたから解決しただけだ」
ノクスは自分のしたことは当然だ、とでも言わんばかりに全く気にしていない様子で肩をすくめた。
「いえ、そうもいきません。ノクス様がいてくださったおかげで私は助けていただいたんですから、何かお礼をさせてください」
「お礼か、ふむ……」
ノクスは顎に手を当てて少し考える。
そして顔を上げた。
「それなら、今日の話とも被るんだが、お礼の代わりに一つ頼みたいことがある」
「頼みたいこと、ですか……」
「単刀直入に言おう。俺と婚約する気はないか」
「……………………はい?」
私はたっぷりと沈黙して、ノクスの言葉を噛み締めた後、それでもやっぱり信じられずにノクスに再度質問した。
「俺と婚約するつもりはないか、と聞いたんだ」
「……やっぱり聞き間違いじゃなかった」
どうやら本当にノクスは私に婚約を申し込んだらしい。
(第二王子から婚約を申し込まれるって、何が起こってるの……!?)
私は一体何が起こっているのかと頭を抱えた。
なぜノクスが私に婚約を申し込んでくるのかが分からない。
「私、自分のことは常日頃から可愛いと思ってたけど、ノクス様の心を射止めるほど可愛かったとは……」
「待て。何を勘違いしているのかは知らんが、これは偽装婚約だ」
「…………偽装婚約?」
たっぷりと十秒ほど使って、ノクスの言葉を噛み砕いた。
「俺とお前で婚約するフリをする、ということだ」
「その…………なぜ私に婚約の話を?」
「まず、俺が婚約していないのは知っているな」
「はい」
ノクスは第二王子という立場でありながら、今まで誰とも婚約したことがない。
それはノクスが女性嫌いだから、だとか色んな噂が存在している。
「俺が婚約しない理由は俺に相応しい婚約者がいないからだ」
「はあ……」
「俺の容姿と、第二王子という立場上、婚約したくないと言っても、どうしても婚約者の立場をあの手この手で狙ってくる女がいる。例えば、シュガーブルームとかな。俺はあんな風に媚を売ってくる奴には虫唾が走るんだ」
「ああ、なるほど……」
私は納得する。
確かにマリベルは婚約者に相応しいとは言えないし、その他の媚を売ってくる女性もノクスにとっては婚約者として相応しくないという判断なのだろう。
と、そこで私は一つ疑問を抱く。
「その、意外でした。噂ではノクス様とマリベル様が仲がよろしいとのことだったので、てっきりマリベル様と婚約するのかと……」
「俺とアイツの仲がいい? そんな根も葉もない噂がどこから出てきたのかは知らんが、事実は全く逆だぞ。俺はアイツが大嫌いだ」
「それは、すごく同感です」
思わず私はノクスの言葉を力強く肯定してしまった。
「っく、正直すぎないか?」
「あっ……」
するとノクスは笑みを漏らした。
今まで冷たい人だと思っていたノクスが笑ったことに驚いた。
「安心しろ、他言無用にしておく」
「ありがとうございます……」
「さて、話を戻すが、俺は誰とも婚約するつもりはない。だが、令嬢が年々俺の婚約者の座を奪おうとする動きが激しくなってな。特にシュガーブルームは酷い。あんな媚びへつらった笑顔を浮かべて、猫撫で声で迫られて、挙げ句の果てにはアヒル口なんだぞ。流石にもうゴメンだ」
「うわぁ……」
私はそのマリベルに迫られている場面を想像し、ノクスに同情してしまった。
「だから、私と偽装婚約を?」
「ああ。流石にあれを相手にするのはもう疲れた」
「ノクス様が偽装婚約をする理由は分かりましたけど、でも、なんで私なんか……」
私は俯いて拳を握る。
私は元の婚約者の心を留めることが出来なかった女だ。
いくら今は婚約者がいないからといって、私はノクスに婚約を申し込まれるような女性ではないかもしれない。
そう思っていたが──
「何を言っている。お前以上の適任はいないだろう」
「えっ」
私はノクスの言葉に驚いた。
「まず、成績優秀だ。試験ではいつも上位だろう」
「ノクス様には敵いませんけど……」
なんせ、ノクスは試験は毎回一位を取っているのだ。
確かに私は人よりもいい点数を取っているが、ノクスと比べると目劣りしてしまう。
「俺はいい。俺が一位なのは当然だ」
さらっとそんなことを言いつつ、ノクスは話を戻す。
「それに不貞行為をされていても耐え続けて、決して婚約者を貶めない忍耐力。最後にうまく隠しているみたいだが、お前、仮面をかぶっているだろ?」
「うっ……」
流石に何度もノクスには私の本性とも言えるところを見せてしまったので、言い逃れはできない。
私は性格が、少しだけ、悪いと言える。
「俺はその性格が気に入った。バッサリとした性格だが、それも悪くない」
「っ!」
私は赤面する。
そこまで私のことを肯定されて、ときめかなかったかと言えば嘘になる。
最後に、ノクスはダメ押しで条件を上乗せしてくる。
「今、契約すれば多めの契約金が付いてくるぞ」
「うっ……!」
ぐらり、と私の心が揺れる音がした。
お金。私が一番好きなものの一つ。
エリオットから多額の慰謝料が入ってくるとはいえ、お金はあるに越したことはない。
でも、私はお金で釣られたりなんかは……
「それに、俺という顔が良い男を婚約者にすることができる」
「くっ……!」
ノクスの言葉はとても魅力的だった。
最後の一文が特に心惹かれた部分だった。
乙女たるもの、一度は絶世のイケメン婚約者を隣で侍らせてみたい……!
「さあ、どうする」
ノクスが私に迫ってくる。
そして私の出した答えは……