店の事情
ボーデンと食事をした翌日のことだ。
朝、ベッドから起きてこなかった母がやっとリビングにやってきた。まだ顔色はよくないが、昨日よりはマシな様子だ。
「おそよう、母さん。起きてきて大丈夫なの?」
「うん、ちょっとよくなってきた。何か食べたほうがいいかしら……いや、もうちょっと様子を見たほうがよさそう……」
母はそう言ってソファに座ると、クッションにぐったりと身体をあずけた。
ジェシーは学校から帰ってきて、弟と一緒に昼食を済ませたところだ。
昼から店を開けようかどうしようかと思案していたので、ちょうどいいから母に聞いてみよう。
「母さん、今朝おばあちゃんに聞いたんだけど、赤ちゃんができたんだって? お店の方はどうする? これから開けに行こうかと思ってたんだけど」
「そうね……こんなことになるとは思ってなかったから、商品をたくさん注文しちゃたのよ~。困ったなぁ、どうしよう」
「そうだねぇ、とにかく借金は作れないから、請求書の支払いができるところまでは、なんとかして品物を売り切るしかないよ。私も学校から帰ったら、店の手伝いをするし」
「う……ん。いざとなったらルイスがギルドに預けてるお金が使えるから、ジェシーが無理をしなくてもいいのよ」
そうは言いつつも、母としては父に頼りきりたくはないのだろう。
「父さんのお金は、いざという時に使えばいいよ。とにかくやれるところまでやってみようよ、母さん」
「ありがと、ジェシー。私も様子を見て、なるべく店に出られるようにするから」
「うん。でも、無理は禁物だよ。重たいものは私が動かすから置いておいてね」
「はぁい。よろしくお願いします」
母がジェシーに向かって、殊勝な面持ちでペコリと頭を下げたので、二人ともおかしくなって笑ってしまった。
「そういえば昨日、大叔父さんが店に訪ねてきたんだよ。母さんに会いたかったって言ってた」
「え? 大叔父さんって、ボーデンさん?!」
母の驚きは予想以上だった。目をまん丸に見開いて、びっくりしている。
「母さんもボーデンさんって言ってるの? 叔父さんとかじゃなく?」
「あ、あぁ。そういえばジェシーは、ジョイ叔母さんたちのことを詳しく知らないよね」
「うん。おばあちゃんも、昨日私が、ボーデンさんと食事をしてくるって言ったら、ものすごく変な顔をしてた」
「まぁ、一緒にご飯を食べたの?! よくおばあちゃんに引き止められなかったわね」
「え、ダメだったの? 急いでたから、おばあちゃんと長く話さなかったんだ」
ジェシーがそう言うと、母は深いため息をつき、身体全部をソファに横たえた。そして仰向けになると、頭をクッションの上に軽く何度も打ち付けた。
しばらくすると落ち着いたのか、母は天井に目を向けたまま、ジェシーに静かに語りかけた。
「ジェシー」
「ん、なに?」
「あなたも大きくなったから、私が店をジョイ叔母さんから譲り受けた経緯を話しておくわ」
「うん。ボーデンさんから大叔母さんと母さんは男兄弟の中で紅一点だったから、立場が似ていたって聞いたの。それと関係がある話?」
「ふぅ~、そうね。そこまで知ってるんだったら、なんとなくわかるでしょ? おじいちゃんは、ボーデンさんが嫌いなのよ」
「いい人そうだったけどね。でも、やっぱり身分差が大きすぎたのが不幸の原因だったの?」
「ふふふ、ジェシーったら、よくわかってるじゃない。そうなの、ボーデンさんの素生が問題だったのよ。昨日、聞いたのかもしれないけど、ボーデンさんは侯爵家の人間で、仕事も国王陛下をはじめとした王族の方々の主治医チームの一人だった。だから親族だけでなく、職場の人や王族の人たちまで、周りの人みんなに結婚を反対されてたわ」
「わぁ、それは大変だ。こんな田舎の平民の娘とよく結婚できたね」
「それが、なかなか結婚できなかったのよ。そうねぇ、十年以上……いえ二十年近く、叔母さんと婚約してたかしら? 生まれたばかりの私が成人したころにやっと結婚できたんだから、婚約期間が長すぎたわね」
うわぁ、それはまた気の長い話だ。
「ジョイ叔母さんの両親、つまりジェシーのひいおじいちゃんたちのことだけど。身分差があり過ぎる結婚は、かえって災いしかもたらさないと言って、こちらもまた反対してたから、ジョイ叔母さんはすっかり孤立しちゃったのよ。叔母さんの自立と家計を助けるために、ボーデンさんはあの店、『お気に入りボーデン』を建てたの」
「へえ、そんな由来がうちの店にあったのか」
「ジョイ叔母さんもボーデンさんも、私のことを小さい頃から可愛がってくれたわ。自分たちが持つことのできない子どもの代わりだったのかもしれないわね。でも、私が大きくなって年頃になってくると、自分の境遇と重なる部分も見えてきて、将来が心配になってきたんでしょうね。どうにもならなくなった時の逃げ場所として、あの店を母さんに譲ってくれたのよ」
「あー、そういうところもおじいちゃんの怒りをかってるのか」
祖父からしてみたら、いらん世話だと思ったことだろう。
あの店自体が、自分と大事な妹、そして自分たち家族と可愛い一人娘の間に打ち込まれた楔のように感じられたんじゃないだろうか。
「長年ねばった結果、あちらの家族がやっと折れてくれて、二人が結婚できた時には、叔母さんはもう身体を壊していたんでしょうね。二人で王都に移り住んで二年か三年した頃に、流行り病であっけなく亡くなってしまったの。そのことが余計におじいちゃんを意固地にしたのね。妹を不幸な結婚に縛り付けておいて、医者のクセに、愛する妻さえ救えなかったって、腹に据えかねてるみたい。いまだにボーデンさんの名前すら口にしないわ。だからボーデンさんが、叔母さんのいないこの町に来たことですら驚きよ」
「そうか、だから母さんも店のことでおじいちゃんたちに弱みをみせたくないんだね」
「もうジェシーたら、そこまでわかっちゃうのぉ? そうね、こういう時でも、なんか店のことは実家に頼りにくいのよねぇ」
「よし、それじゃあ母さんの意を汲んで、私は店を開けに行ってくるよ」
「ありがとう、ジェシー。母さんも……何か口に入れられるかどうか、頑張ってみる」
ジェシーは店に向かいながら、過去のいざこざについて考えていた。
でも私にとって、今は今でしかない。
大叔父さんに頼まれたことは、今の母さんには話しにくいが、何かあったら自分が対処すればいいか、とのんびり考えていた。




