店の留守番
ジェシーは今日、母の店に手伝いに来ている。
商品の埃を払い終わったので、ハタキを手にしたまま、ぐるりと店の中を見回した。
「うん、これでヨシッと。母さん、開店準備が終わったよ~」
店の奥に声をかけると、母の弱々しい声がした。
「ありがとぅ。あーもう、まだ眩暈がするわ。いったいどうしちゃったのかしら」
「家で休んどけばよかったのに。おばあちゃんに来てもらおうか?」
ジェシーが奥の事務室を覗くと、母は硬い木のベンチに寝転んで、腕で目の上を覆ったままウンウン唸っていた。
「う……ん、そうね。でも今日は荷物が来るのよ。伝票のチェックもあるし」
「母さん、私もホルコム商会でバイトしてるんだから、そのくらいのチェックはできるよ」
ホルコム商会のメスカルは、よほどジェシーの使い勝手がよかったらしく、どうにも手が回らなくなると、学校が終わるお昼ごろに使いをよこして、助けを求めてくることがある。
そのため最近は、森へ採取に行くのと商会でのバイトが半々といったところだ。
「ジェシーも大きくなったのねぇ。あぁ、こういう時にはルイスにいてほしかったな……」
そうなのだ。しばらく家でゴロゴロしていた父さんは、山の新緑が目に眩しい季節になってくると、また風来坊の虫がうずき始めたようで、ふらっと家を出て行ってしまった。
今はどこの空の下にいるのやらだ。
「父さんはあてにならないんだから、このジェシーにお任せあれ」
「ごめんねー、今日は学校を休ませちゃって」
「いいのいいの。今日やるところはもう予習済みだし」
前世の記憶があるジェシーにとって、学校の勉強は簡単すぎる。それに上級クラスと下級クラスが同じ教室で学んでいるので、余裕をもって勉強しているジェシーは、両方の課題を解いてみたりしている。つまり一度で二度おいしいというか、一年で二学年分の勉強ができているようなものだ。だから少々学校を休んでも支障ない。
母は店を離れることをグズグズと渋っていたが、眩暈だけではなく吐き気までもよおすようになってきたので、結局、ジェシーが走って行って、祖母を呼んでくることになった。
ジェシーと祖母が戻ってくると、母はトイレの住人になっていた。
「アネーロったら、本当に頑固者なんだから。こんなになるまで仕事をしなくてもいいのに、バカだねぇ」
おばあちゃんは娘の顔色の悪さを見て、呆れていた。
「ほら母さん、リヤカーを借りてきたから乗って」
「ごめん、母さん。ジェシー、それじゃ頼んだから」
「はいはい、わかったわかった」
ジェシーは母をリヤカーに乗せて近所の医療院まで運ぶと、後を祖母に任せて雑貨屋まで戻って来た。
さて、邪魔者も片付いたし、店を開けるとしましょうかね。
ジェシーが「お気に入りボーデン」の商業旗を戸口に掲げていると、通りがかりのおばさんが声をかけてきた。顔は見たことがあるので、たぶん同じ北商店街の店の人なのだろう。
「あら、アネーロはいないの? あなたは確か、ジェシーじゃなかった?」
「はいそうです、おはようございます。母はちょっと体調が悪くて。今日は私がピンチヒッターです」
「まあ、どうしたの? 風邪?」
「うーん、風邪じゃなさそうです。眩暈と吐き気があるみたいで……」
「あらあら、それじゃあ、おめでたかもしれないわね。うふふ、お大事に~」
え…………?
にこにこ笑いながら去っていくおばさんの後姿を見ながら、ジェシーは目が点になっていた。
母さんが、妊娠?!
わわわ、私ったら、ぜんぜんその可能性を考えてなかったよ。
そういえば、父のルイスがしばらく家にいたじゃん。
ガーン
子どもとしては、こういう時どういう顔をしてればいいんだ? いや、深く考えないようにしよう。
その後、商品を大量に積んだ竜車がやってきて、荷下ろしや伝票確認などでバタバタしているうちに午前中が終わった。
店のお客さんが途切れた時に、外の屋台に走って行って、昼食の総菜パンを買ってきた。
それを奥の事務室で食べていると、店の戸が開いた音がして、お客さんが入って来たのがわかった。
グッ、パンが喉に詰まる。
こうしてみれば、母さんもよく一人で何年もこの店を切り盛りしてきたもんだよ。この店だけじゃなくて、移動販売もしてるんだもんなぁ。
ジェシーはなんとか口の中のパンを飲み込んで、店のカウンターに出ていった。
「いらっしゃいませ。ごゆっくりご覧ください」
店の中の棚を見ていたのは、背の高い白髪の紳士だった。
可愛らしい小物が多いこの雑貨屋では珍しいタイプのお客さんだ。
紳士はチラリとジェシーの方を見ると、目尻にしわを寄せて優しそうに微笑んだ。
「すみませんな、食事中でしたか。しばらくぶりにこの町へ寄ったので、懐かしくなってこの店に来てしまいました。あなたは……アネーロの娘さんかな?」
「母をご存知なんですか?」
「もちろん、存じ上げてますよ。私の亡くなった妻の、大切な姪ごですからな」
「……姪? ということは、お客さんは大叔母さんの旦那さんなんですか?!」
「ええ、アルバ・メドサン・セカンド・ボーデンと申します。あなたにとっては、義理の大叔父さんといったところでしょうか」
うっひょー、また長い名前きた。覚えられんぞ、これは。
もうボーデンさん一択でお願いしますだな。
ジェシーはそう決めたのだが、この人は王都の人々からメドサン閣下と呼ばれているお偉いさんだった。




