プロローグ
ずっと心配していた「死」という状態は、思ったよりも悪くなかった。
死ぬ時には、痛みもなく眠るように逝きたいというのは、すべての年老いた者が願うことだと思う。
若い時には、もっと背が高くなりたいだのもっとスリムになりたいなどと思っていた人間も、還暦を過ぎてくると男も女も皆、人生の行きつく先を意識するようになってくる。
「○○くん、南坂病院に入院したらしいよ。脳梗塞じゃって!」
「わー、大変じゃね。後遺症が残らんといいけど……」
「私は、家族にあんまり迷惑をかけんうちにコロリと逝きたいわ~」
「そうやねぇ、うちのおばあちゃんもよく言ってたわ。『ピンピンコロリが一番じゃ』って」
同窓会でこんな話が出るようになってくると、人生も終盤に入ってくる。
青春真っただ中だった時には、会話の内容がもっとキラキラキャピキャピしていたが、子育ても終えて孫の小遣いを工面するために年金の預金残高の心配をするような歳になると、こんな渋めな会話になってくる。
ほんの二、三か月前に、同級生とこんな会話を交わしたばかりだった陽子は、まさか自分が脳梗塞を起こした彼よりも先にあの世に逝くことになるとは思ってもみなかった。
ほんと、まさかの坂って、どこに転がってるかわからないものよねぇ。
坂だけに、転がる?
ハハッ、冗談言ってる場合じゃないか。
交通事故に遭った陽子は、転がるどころか何メートルも跳ね飛ばされたのだと思う。すぐに意識がプッツンと途切れたので定かではないが、身体にものすごい衝撃を受けたことだけは覚えている。
よく死ぬ時の様子を「眠りについたように亡くなった」と表現されることがあるけど、陽子の場合はどちらかというと「シャッターがピシャンと下りた」ような感じだった。
手術で麻酔をされたことがある人ならわかってもらえると思う。自分がいつ目を閉じたのかわからない。コトンと暗闇に放り出されたまま、何を感じることも無く意識不明状態になるって言ったらいいのかな?
とにかく死の痛みなんて感じる暇もなかった。
痛いのは嫌なので、良かったといえば良かったのかな?
どうせいつかは死ななきゃならないし。最近は年金が支給される年齢が五年も伸びちゃったし。その金額も暮らしていくうえで充分とはいいがたい。
経済評論家に言わせると、長生きって「リスク」なんだよね。
ま、いまさら死んだことをどうこう言っても仕方ないんだから、これから先のことを考えますか。
ふふふ、あの世ってあるのかしら?
ネット小説みたいに異世界転生したりして……
死んで魂だけになってしまっても、陽子はやっぱり陽子なのだった。