死せる王に冠を
「ナターリエ・フーゲンベルク。貴女との婚約は破棄させてもらいます」
絢爛たる会場の中央、最も華やかな場であるそこは、聞き苦しい喧騒にまみれていた。
その中心人物の一人であるナターリエ・フーゲンベルクは、冷静に状況を見据えていた。
ことの始まりは半年前。ナターリエが通う学院にある貴族子女が転入してきたことがきっかけだった。
その少女は侯爵家のご落胤であり、つい最近平民として暮らしていたところを発見されたのだそうだ。
それに関しては問題ない。貴族社会においてそのようなことはよくあることだった。
問題は、その少女が周囲の学生たちを虜にしてしまったことにある。
その問題もまた、学生のうちであれば火遊びとして許されるようなものだった。――たとえ相手が、複数でも。その中のひとりが王太子であったとしても。その少女を妾妃として召し抱えてもいい。だがそれらにはある前提が必要だ。
決められた婚約者と結婚すること。
それが大前提としてあるのだ。だが、この2週間で、少女の周りにはべっていた青年たちはこぞって自分の婚約者に”婚約破棄”を申し渡していた。
もちろん両親たちは青ざめ、青年たちに自宅謹慎を命じた。
しかしそれでも”婚約破棄”は続いた。
言い渡された少女たちはほとんどのものが青ざめ、その場で倒れることもあった。例外として、彼らを婿に迎える立場の少女たちは”馬鹿な人だ”とあきれ、婚約破棄を受け入れていた。
この異例の事態を収めるべき両陛下は間の悪いことに隣国へ会議のために旅立っていた。
両陛下の次に権限のある王太子は少女の虜であり、まったくもって役に立たない。宰相にはあくまで非常事態の権限しかなく、ただ単に”婚約破棄”が続いている現在の状況は非常事態とは呼べないのではという考えでいた。また、貴族としての教育を受けているとはいえ、彼らもまだ成人前の子ども。これも所詮は一時の火遊び。そう考えていた。
しかし、ナターリエは違った。
明らかな異常事態だと、確信していた。
まず、青年たちがこぞって一人の少女に夢中になることがおかしい。
彼らにも好みのタイプがあるというのに、たった一人の少女が彼らの心を奪った。
これに関してナターリエは少女が演技しているのだと考えていた。男性と女性の前で態度を変えるという令嬢もいる。少女もそのたぐいなのだろう。
次に、婚約破棄を言い出すことがおかしい。
婚約というものは両家の契約とも言える。最近では恋愛結婚も増えてきたとはいえ、やはり両家の利益を念頭においた婚約というものが多数を占めている。
そのようなこと婚約をした当初に両者に言い聞かせるものであるし、現に少女が現れる前までは婚約破棄などなかった。あってもせいぜい婚約解消。両家が同意して、婚約をなかったことにするというものがあるくらいだ。
婚約破棄は一方的に、相手に非があるとしてするものだ。しかし、最近の”婚約破棄”は異常だ。相手に心当たりのない非を押し付け、強引に破棄をする。
ナターリエはこれも少女が何らかの薬や魔術を用いているのではと考えていた。――その証拠は、フーゲンベルク家の影でもつかめなかったが。
婚約破棄が毎日のように行われるようになってから、ナターリエは覚悟をしていた。
少女の虜になっている筆頭が彼女の婚約者、王太子のアルフレート・フォアロイファーなのだから。
いずれ、婚約破棄を言い渡されるのだろうと覚悟をし、国外へ――隣国の両陛下のもとへ向かう準備を秘密裏にしていた。
だから、ナターリエは冷静だった。
(とはいえ、やはり悲しいものですね)
ナターリエの初恋は、アルフレートだった。
婚約者として初めての顔合わせをした5歳の頃から、ずっと。
少女が来る前は両思いだった――そのはずだ。少なくとも、長い時間を共に過ごし、好意はあった。
「アルフレート様、本当に、婚約を破棄されるおつもりですか」
どうか、冗談だったと言ってください。そんな祈りにも似た気持ちでナターリエは問いかけた。
「あぁ。改めて宣言しよう。私、アルフレート・フォアロイファーはナターリエ・フーゲンベルクとの婚約を破棄する!」
その言葉に周囲の貴族は困惑の声を上げる。
―とうとうか。
―殿下も毒牙にかかってしまったのか。
それとは真逆に少女と王太子の周囲の青年たちは歓喜の声をあげた。
もはや誰もナターリエを見ていない。
ナターリエは唇を噛み、美しいカーテシーをするとそこから去った。
「帰るわ。急いで頂戴」
フーゲンベルク家の馬車に乗り込むと御者にそう言い、席に深く沈んだ。
(最悪だわ…。このパーティーにお父様が出ていなかったことが救いかしら)
宰相にしては温厚で、鈍感なナターリエの父でも流石に激怒し、その場で騒ぎになっていただろう。
それはまずい。
(そんなことをしたら、あの少女の出方がわからないわ)
あの少女は得体が知れない。
さらりと長く美しい白金の髪。
柔らかく輝く紅玉のような瞳。
肌は抜けるように白く、彼女が笑うと頬がほんのりと色づく。
声は砂糖のように甘く、聞くものを酔わせる。
体型も男と女の理想を煮詰めたような理想のもの。
完璧すぎるのだ。
――令嬢の中には、”彼女が相手なら敵わない”といって身を引いたものもいる。
(侯爵家のご落胤…?いえ、あんな少女がいたら市井でも騒ぎになるわ…)
考え始めてみればおかしいことばかり。
彼女の美しさは、異常なほどだ。だが、学院に入る前の経歴は杳として知れない。侯爵家の力で民の口をふさいだのかもしれないが。
彼女の礼儀作法は完璧だった。侯爵家の養子となってからさほど日がたっていないのに、彼女と初めて会ったときから完璧なものだった。
彼女の知識は、教師ですら舌を巻くものだった。教師ですら知らないことを知っていたこともよくあった。
どんどんと、不安が大きくなってくる。
少女が動けないようにパーティーの最中、衆人環視の状態で置いていった。
ナターリエに手を出せないように。
(でも、本当にそれでよかったの…?)
手のひらに爪が食い込むほどに握りしめる。
ただ馬車が家につくまで待つしかないことがもどかしい。
「ごめんなさい、もっと急げないの…!?」
声を張り上げ、御者にそう命令した途端、馬車が急停止した。
突然のことにナターリエは踏ん張れずに席から落ちてしまった。
「な、なに!?」
嫌な予感しかしない。こんな状況で急停止なんて、おかしい。
ゴクリと唾を飲み、馬車の窓から外を覗き見る。
「ヒッ」
窓の外には、美しい化物がいた。
「見つけました、ナターリエ・フーゲンベルク様。ご挨拶もできないうちにパーティーから帰られるんですもの。探すの、大変だったんですよ?」
その少女は、ナターリエを見てにっこりと嗤った。
□■□
「あ、あなた…なぜ、ここに」
「ナターリエ様がいなくなるから、探しに来たんですよ」
哀れなほどに震えるナターリエ様を窓の外からじぃっと見つめる。
無様で、とっても可愛らしい。
「あ、それとも…男どもに囲まれていたのに、どうやって…の方みたいですね」
必死に首を縦にふるナターリエ様。たぶん時間を稼いでいるのだろう。
「知りたいんですか?もーしょうがないですねぇ。特別に、教えてあげます!あぁ、でもその前に…」
馬車の扉に手をかけると、粘土のようにあっけなく壊れる。
「外に出て、おしゃべりしましょう?」
□■□
「ひっ」
「あ、ごめんなさい…。片付けるのを忘れていました」
馬車の外には御者の死体があった。ナターリエ様にはきついものだろう。
まぁ、わざと片付けなかったのですが。
「えーと…それで、なんでしたっけ…。あ、どうやってパーティーを抜け出したか、ですよね」
「…ふぅ…。そうね。まずは、それを教えて頂戴」
素晴らしいご令嬢だ。意識を切り替え、少しでも情報を引き出そうと頑張っている。
この際、別にすべてを教えても構わないのだけれど…最初からそれを言ってしまってはつまらない。
「んー…そうですね、教えるって言いましたしね。答えは簡単です。あそこに居た人にナターリエ様を追いかけると言って出てきました。」
「あなたの周りの…彼らは、それを受け入れたの?」
「えぇ、もちろん。あ、ナターリエ様は知らなかったですよね。私の虜になった人は私が何をしようと受け入れるから、快く送り出してくれましたよ?」
明らかな異常を口にした私を彼女は目を見開き見つめる。
「…オリーヴィア・ヴィトゲンシュタイン、あなたは…何者なの」
「うふふ。どう思います?」
「あなたが…魔術を使っているのは、わかっているわ」
「へぇ」
まだ肯定も否定もしない。ナターリエ様は意外と自分の実力を知らしめたがる。曖昧に微笑んでおけば、こちらが馬鹿なように見せれば、ぺらぺらと喋ってくれる。
「亡国の禁術とされている魅了…精神を操っているのでしょう?」
「うーん…なんでわたしのこと、サキュバスとか…そういう魔物だーとかって考えないんですか?」
まだ、じらす。ネタばらしはじらして、溜めて、驚きの事実を叩きつけてやったほうがおもしろい。
「魔物特有の雰囲気がないわ…。こうみえても私、魔物と戦ったことがあるからわかるの」
「へー貴族のご令嬢なのに経験あるんですかぁ、すごいですねぇ」
「っ、馬鹿にしているのかしら…」
「いいえー?別にそういうつもりはないですけど?」
「そうやって…馬鹿にしたのが貴女の運の尽きよ!」
そう言い放つと彼女は魔術を使ってきた。炎と風の複合魔術。2種の元素を組み合わせるのはいろいろな面で難しいけれど、彼女は難なく使ってきた。
「ナターリエ様、魔術の授業はお得意でないようでしたのに…意外と、使えるんですね」
けれど、魔術の腕は私のほうが高い。
彼女が決死の覚悟ではなったであろうその魔術をなんの動作もなく消失させる。
「あぁ、それと…このお手紙は、捨てますね?」
そして、その裏で放っていた通信魔術もわざと捕まえて、目の前で消す。
「な、わかっていたの…?」
「もちろんですよぅ!ナターリエ様こそ、私のこと侮ってたんじゃないですかぁ?」
意趣返し、とでも言うべきなのだろうか。ナターリエ様は私が彼女を馬鹿にしていると言ったけれど、実際のところはナターリエ様が、私を下に見ていた、というわけだ。
「あ、ご安心ください。両陛下には急いで帰ってくるようにと、貴女の名前で伝えておきましたから」
「え、なんで…」
「さ、ナターリエ様。まだまだ質問はあると思いますが、お城に戻りましょう?そこで全て、お話しますから、ね?」
もうそろそろ良い時間だ。
私はナターリエ様の返答を聞かず、彼女を影で縛ると召喚した馬車にともに乗り込む。
「これは…どういう…」
何が何だか分からない、といった様子のナターリエ様を意地悪く鑑賞する。
あぁ、なんて愉快なんだろう!
「あんまり焦らないでください、ナターリエ様?ぜーんぶ、説明してあげますから」
目を細め微笑むと、目の前のお嬢さまはぶるりと身を震わせた。
□■□
パーティー会場…もとい、王城につくとそこには執事と侍女たちが並んでいた。
「おかえりなさいませ」
「出迎えご苦労さま。だれも外に出してはいないわね?」
「もちろんです。出ようとした方には説得をいたしました」
「それは…気が利くわね。ありがとう」
まるでこの城の主かのように振る舞う私に戸惑いを隠せないでいるナターリエ様。
「この人で最後よ。全員を謁見の間に集めなさい。やっと、始められるわ」
「何を言っていますの…オリーヴィア、きゃあっ!」
「ナターリエ・フーゲンベルク様、どうぞこちらに。フーゲンベルク公爵もお待ちです」
侍女が丁寧に、それでいて強引に彼女の手を掴みエスコートする。
私はそれを見送ると、執事と侍女たちを引き連れて王城へと入っていった。
誰も止めるものは居ない。扉を守る兵士だって私のものだし、あそこで歩いている下男だってそう。掃除をしているメイドだって私のもの。
この王城にいるのはもう殆どが私のものだ。
「皆様、姫様の御前です。疾く頭を垂れなさい」
謁見の間にはこの国の貴族たち。――それと、私が虜にした人たち。…と、私の大事なひと。
不承不承頭を垂れる者たちと、当然だというように頭を垂れる者たち。誰がどちらなのかすぐに分かってしまう。
「いいわ、顔を上げて」
私がそう言うと、全員が顔を上げた。
恍惚の表情でこちらを見上げるもの。困惑を浮かべるもの。そして――恐怖を、浮かべるもの。
(これで、はっきりした)
内心、煮えくり返りそうだ。けれどそれをおくびにも出さずに艶やかにふるまう。それが高貴なる者にふさわしい振る舞いだ。
「…なぜ、ここに私達がいるか。不思議でたまらないでしょうね」
誰も、言葉を発さない――発せない。
「この国の高位貴族は全員ここにいるわ。…王弟を連れてくるのにはとても苦労したけれど、まぁ全員がここにいるし、結果がすべてよね?」
身じろぎ一つ、させはしない。
「それで―私達がここにいる理由、だったわね。でもここにいる何人かは、わかっているでしょう」
ゆっくりと見渡すと、おもしろいようにビクつく。お年を召したご婦人も、歴戦の軍人も。
「お前たちは10年前、大罪を犯した」
かつりと玉座に近づく。
――ここまで来るのに、なんと時間のかかったことか。
「我らが故国を侵略し、国民を全員殺した。――いわれのない、罪を押し付けて!」
ダン!と、足を床に叩きつけた。本当は感情のままにすべてを壊してしまいたい。けれど、まだそれをするわけにはいかない。
深呼吸をして、気を落ち着ける。
「だが、お前たちにとって残念なことに私達が生き残った。父上と母上が命をかけて逃してくれた、私が――」
「ザンクトゥアーリウム皇国第一王女クリスティン・ヴィンフリーデ・ヘンリエッテ・ザンクトゥアーリウムが!」
□■□
ザンクトゥアーリウム皇国は、10年前にフェーゲ王国によって滅ぼされた。
この時代には珍しく、この行動は周辺国から非難を受けた。
資源を求めての侵略はそう珍しいことではない。だが、侵略した上でその国の民を全員殺すなどという虐殺は――明らかに、度を越していた。
しかし、フェーゲ王国はザンクトゥアーリウム皇国に次ぐ国力の持ち主であったため、周辺国は非難しかできなかった。少なくとも表立って直接的な行動をすることは次の標的になりえるものだった。
さて、なぜ皇国を滅ぼすという愚行に出たのか。
もちろん資源を求めてという理由もある。
しかし真の狙いは別にあった。
皇国の皇族が持つ能力を、完膚なきまでに消し去ること。
彼らの持つ能力は特殊なものではないが、いずれにしろ王国にとっては危険だと認識するほどのものだった。
あるものは武器を自らの身体のように自由自在に操った。
あるものは息をするように魔術を扱い、神話にも匹敵すると言われるほどだった。
あるものは人心掌握に長け、心酔した配下を用いよく治めていた。
だが、皇国は平和主義だった。それは長く続く皇族の主義でもあったし、今代の――最後の皇帝陛下が周囲との和平を重要視し、軍事力はあくまでも対抗手段だと考えていたこともある。
ゆえに、そのような強い力をもちながらも皇国は周辺国との仲がよく、王国の驚異になるようなことはなかった。
□■□
「だが、お前たちは…フェーゲ王国の上層部たちは、かつてないほど馬鹿馬鹿しい被害妄想と、その強欲さで!皇国を侵略し、皇帝陛下を…無抵抗の、お兄様を!殺したァ!!」
「よもや覚えていないとは言うまいな、王弟…いや、オットー・フォアロイファー司令官」
名前を呼ぶと、ふらふらといかにも軍人と言った風貌の男が出てきた。
「お前は、玉座に座るお兄様に剣を向けた」
傍らの執事から華美な装飾のついた剣を受け取る。
「懐かしいでしょう?この剣。お兄様の身体に刺さっていたのを私が見つけて、大事にとっておいたの。こうやって、あなたに見せてあげようと思って」
鞘から引き抜けば、赤錆がぼろぼろとこぼれ落ちた。
あのときのまま、放置していたから当然だ。
「お兄様は要求があるのならそれを聞くから、民は救ってくれと…そう、あなたにお願いしたわね」
「お、おれは…兄さんが、皇族はころせと…」
王族にしてはだらしのないことに私の虜になってしまったようだ。私の顔を見て赤らめたり、青ざめたり忙しい人だ。
「安心して?あなたのお兄さんにも、話は聞くわ。私はあなた達と違って公正に両者の話を聞きますもの」
「う、あぁ…あ」
「お兄様のお願いをあなたは聞き届けなかった。無慈悲に、お兄様の身体をこの剣で貫いた」
「そ、うだ。そうだ!!俺は、皇帝を、この手で殺した!」
強烈な感情は、虜になった状態を一時的に吹き飛ばしてしまう。その感情が治まれば元通り、だけれど。
「ふふふふふ。皇帝陛下を、お兄様を、殺した?」
「あぁ!!!その、そこにいる皇帝を!殺したんだ!」
王弟は玉座に腰掛けるお兄様に無礼にも指を向けた。
「ざぁーんねん。お兄様は死んではいないわ」
お兄様の頬に触れる。…温かい。死者の温度などではない。
「びっくりしたわ。城下町から煙が上がって、城も騒がしくて。すぐに玉座の間に向かったら、お兄様の身体に剣が刺さっているんだもの」
私の後悔。あの日、外れの森になんて行くべきではなかった。
もしもあのとき、私が城にいれば助けることができたかもしれない。
「ぎりぎりのところで、お兄様の傷を治すことができた。…お兄様は、それからずっと…目を覚まさないけれど。でも!死んではいないわ!!」
多分周りから見れば私は狂っているように見えるのだろう。でも、たった一人の、一人になってしまった家族をあきらめるなんてことは、到底できない。
「それからずぅーっと、私はお兄様を起こす方法を探し続けた。でも、どこにもなにもなくて、途方に暮れたの」
観衆は何も言わない。そう、この舞台に立っていいのは私が認めた人だけ。
「けれど、神は私を見捨てなかった。ある日天啓のように考えが降りてきたのよ。…いっそ、復讐しろって。こんな目に合わせた者たちを――みんな殺せ、って」
お前たちをこれから殺すという宣告。にもかかわらず誰も動かない。身体を押さえつけるようなことは誰も何もしていないのに。
「……そうと決まれば早かったわ。まず、この王国の貴族の一人にあって、落としたわ。――あぁ、虜にするのを単純な魅了の魔術だと考えていた方もいたけれど…」
彼女はどんな気持ちで聞いているのだろう。…自分に関係のないことで、人生を壊されるのは、どんな気持ちだろう。
「少し違うわ。最初のきっかけはこの顔。人間は誰でもきれいなもの好きだものね。…この顔で近づいて、しばらく仲を深める…下世話な妄想はしないでちょうだい。友人として、趣味の合う人間として、近づいたに過ぎないわ」
最初の侯爵は簡単だった。お忍びできた令嬢として親交を深めるうちに友人として相手が認めたのがわかった。
「そして、その感情をもとにして魅了の魔術を打ち込む。――その感情というのは直接的なものでなくても構わないの。友人からの伝聞、社交界での噂…ここまで言えばわかるでしょう?」
学院で簡単に虜にできたのも貴族特有の噂話のおかげ。ただ、そういう噂に惑わされない人なんかは虜にしづらい。ナターリエ様なんかもそうだ。
「まぁとにかくそうしてこの王国に入り込めば後は簡単。社交界に出たり、青年を侍らせたり、婚約破棄をさせて――噂を、流したり。…直接会わなくても、貴族を虜にする用意は整って…今に至る、ってわけ」
あとは直接この顔を見せて魔術をかければいい。
王太子にまで婚約破棄をさせたのは噂を広めるため。
その日に行動を起こしたのは、ナターリエ様が動いたため。…彼女がもう少し鈍感ならもう少し余裕を持てた。
「お、お願いだ…息子には、息子たちには、手を出さないでくれ…」
這いずりながら私の前に現れたのはヴェルナー・フェリクス・フォアロイファー…憎きフェーゲ国国王。
「当たり前でしょう?あなた達の息子は、皇国を滅ぼしたわけじゃない。決めたのは、当時の上層部…つまり、国王と、皇后、それと当時の司令官…王弟と、高位貴族…今ここにいる、当主たちよね?」
公文書館に忍び込み、当時の記録を読み漁った。
誰がその決定を下す会議に出て、賛成をしたのか。全部わかっている。
「でも、別にいいわよね?皆殺しにしたあなた達よりは、平和的でしょう?」
段々と貴族たちの中に差が生じてくる。安心と、底なしの恐怖。
「安心して、殺した後の事もちゃんと考えているもの。あなた達を殺した後にはその息子さんたちが当主を引き継ぐわ」
その息子たちは私の言うことを聞く傀儡だけれど。虜にしても性格や考え方まで支配するわけではない。我ながら随分と都合のいい魔術を開発できたものだと思う。
「そして、国名も変えるわ。――ザンクトゥアーリウム皇国。それが新しい名前よ。……いえ、戻ったと言うべきなのかしら。お前たちが奪った城も、玉座も、王冠もすべて、すべて!………元通りに、戻るだけだもの」
10年前、皇国のすべてを奪った王国は、図々しいことに王都を遷都した。皇国の、首都に。
城も。玉座も。王冠も。すべて、ザンクトゥアーリウム皇国のものだというのに。
「そして、もちろん玉座にはお兄様がつく。王冠も、ふさわしいものの手に…頭上に戻るというわけ。どう?素晴らしいでしょう?」
見ると国王は憔悴しきっていた。当たり前か。これは国の乗っ取りだもの。
歴史は今後書き換えられる。フェーゲ王国は悪に。ザンクトゥアーリウム皇国は一度は滅んだものの不死鳥のごとく蘇った奇跡の皇国として、語り継がれていく。
「ふふ。生き残れる皆様?私は歯向かうことを許します。意見を言うことも許します。逆らうことも許します。ただし――その後、どうなるのか。それは、よく考えておくことね。あ、勘違いしないで。有用な意見は受け入れるし、功績を上げればその分報いてあげます。私は、王国の腐敗しきったものたちとはちがうもの」
にっこりと微笑む。たぶん今までで一番の笑顔を作れていると思う。
今更思い出したように暴れる無能な貴族たち。
私の言うことにただうなずくだけの虜たち。
自分に咎はないと理解し、安堵の息をもらすもの。
これからの国を思い、思案にふけるもの。
上を目指そうと、ギラついた目をするもの。
さまざまな感情が渦巻くこの会場を、私は達成感とともに見下ろした。
私が、お兄様がこの国を乗っ取ってよかったとそう思わせる。
それが、死にゆく者たちと、死んだ者たちへの私なりの哀悼だ。
□■□
「ねぇ、お兄様。わたし、全員殺したの」
「…もちろん、きちんと調べて、裏付けをとってからよ?お父様にもお母様にもいわれていたものね。”私達には責任がある。両者の意見を聞き、裏付けをとって初めて、相手を非難することができる”…ちゃんと、覚えているわ」
「なのに…お兄様の声、忘れちゃった。他のことは覚えてるのに。起きないと、お兄様のこと、忘れちゃうんだから」
「うそ、うそだから…お兄様、起きて…」
「……あぁ、宰相が呼んでるわ…彼、最近うるさいの。…”姫様も、いい人を見つけてください。…陛下のことを諦めろと言っているのではありません。ただ、貴女が寄りかかることのできる人を、安心できる場所をもっと作ってください”…」
「わたし、そんな場所知らないわ。お兄様がいるここと、彼の…宰相の仕事部屋だけ。ねぇ、知ってた?彼、わたしが来るとき用にお菓子やかわいいぬいぐるみを用意してるのよ?どうりで行くたびにぬいぐるみが増えているわけね…」
「…行かなきゃ。ね、お兄様。起きたらいっぱいしたい話があるの。…わたし、ずっとずっと待つわ」
「またね、お兄様」
□■□
目が覚めるまで、あと――――