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えんきり山の十兵衛  作者: 熨斗月子(のしつきこ)
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第1話。しち、贄になるために勇む。

二作目の連載です。

 


 薄暗い部屋の中で、唯一の光源である生臭い灯りの灯芯を乗せた器の周りには、黒い煤が少しだけ積もっていた。


 そんな部屋の中で、ごほごほ、と乾いた咳き込む声がしきりに響く。


「じいちゃま、本当に大丈夫なの?」


 薄手の夜着に身を包まれた老人に、まだ成人しきれていない女子特有の甲高い声が掛かった。

 頼りない灯火に揺らぐ女子の面持ちは、心配そうに眉を下げており、大きな黒色の瞳から今にも涙が溢れてしまいそうなほど目尻に雫が溜まっていた。


 しかし老人は女子に心配させまいと、その炊事や田畑の仕事で荒れた女子の手を取って、精一杯に深く皴の刻まれた顔でくしゃりと微笑む。


「なんたらへんわい、そんなぎょーさんげえに騒ぐなあ。わしゃあ、こうみえてそくしゃあなあじゃ」

(大丈夫、そんなに大げさに騒ぐな。わしはこうみえて元気じゃ)

「で、でも」

「しっちい、きづかにゃあわっでえ」

(しち、心配ないって)


 しかし夜着の中で横たわる老人の顔には、びっしりと細かい青紫の斑な痣がくっきりと浮かび上がっており、殴られた跡などではなく、病魔の類だと誰もが分かる斑点であった。

 心なしか、老人の呼吸音もぜえぜえと痰の絡まったようなものをしている。


「やっぱり、あたし()()()()()()のところにいってくる」


 しちと老人に呼ばれた女子が、まだ成熟しきれていない筋のない手をぎゅっと膝の上で握る。

 だが、老人はしちの言葉を聞いた瞬間、しわが深く刻まれた顔で微笑んでいたのが一変し、しわで隠れていた瞼を思い切りカッと開け放った。


「あほんたれ! 絶対えんきりさんとこにゃー行ったらあかん!!」

「でも! じいちゃまの罹ったよう分からん病治せるんは、えんきりさんしかおらんやん!」


 さらにしちは胸に熱く込み上げる思いをそのままに吐き出す勢いで、言葉をつづける。


「それに、お医者様に診てもらう金もうちらにはないよ」


 しん、と静まり返った殺風景の古びた長屋にしちの声だけが木霊した。

 部屋は天井から水がいくつもの穴から滴ってきて、その下には使い古された椀などが置かれている。

 その他にも家具などの調度品も、これまた金具などの取っ手部分が取れかけていたり、ところどころにひびが入っていたりと随分年季の入ったものばかりであった。


 おまけに老人の寝ている夜着も、何度も縫い直された跡があり、使い込まれ過ぎて中の真綿がぺったこになっていてもはや蒲団としての機能を保てているのか謎だ。


「ほいださきゃー、おみゃーが体張るう必要はにゃー!」

(だからって、おまえが体張る必要はない)

「だめ!」


 手を伸ばしてしちのよれた着物を弱弱しく掴む老人。

 しかし、しちはそれを震える手で振りほどき老人のしわだらけの手を夜着の中へと収めた。


「じいちゃまに、死んでほしくない。あたしの大事な、唯一の家族だもん」

「しっちぃ」


 老人がしちを苦悶の表情で持って見つめるが、しちはそんな老人の心を振り切るように頭を振った。

 これ以上老人の声を聴いていたら、きっと小さい頃のように泣きついてわんわんないてしまうかもしれない。

 それを恐れて、しちは勢いよく立ち上がるとぼさぼさの黒髪を縛っていた紐を解いて、袖からはこぼれしている木櫛を取り出し髪を梳いていく。


(かっちゃま、どうかじいちゃまのことを見守っていて)


 目をつむって髪に櫛を入れながらそう願うしち。

 この木櫛は、唯一しちを産んだ母親の忘れ形見であるが、最初に老人から渡された時よりも随分と使い込まれてみすぼらしくなっていた。


「よし!」


 しちは髪を梳き終わると、気持ちを切り替えるためにわざと大きな声で己を奮い立たせる。

 梳かれた髪は、ぼさぼさだった髪を少しはマシにしてくれていて、するりと背中まで垂れ下がった黒髪を高く結い上げた。

 本当なら周りの女子のように髪を結ってもらいたいところだが、急ぎでもあるし結ってもらうための物や金もない。

 ならば貧乏人はこうする他ないのだ。


「ごめんねじいちゃま。あたし、行ってくるから!」

「しっちぃ!どけー行く気じゃ!!」


 老人の声など完全に無視して、しちは土間の壁に掛けてある蓑をすっぽりと被ると、一度だけ老人へ振り返った。


「またね、じいちゃま!」


 来世でまた家族になろうね。そんな意味も含めて、老人の戻って来いと叫ぶ声をそのままに戸を開いて外へ勢いよく出る。

 外は思った以上に雨が降っており、大粒の雫がしちの体に激しく攻撃してきた。

 でも、そんな痛みもえんきりさんの所へ行けば何もなくなる。

 だからこそ、今のしちには鬱陶しさも煩わしいと思った気持ちもわいてこなかった。

 心のしこりとして残るのは、しちがいなくなった後の老人の老後だけだった。


「大丈夫。じいちゃまには、ばっちゃまとかっちゃまがきっと見守ってくれてる」


 一瞬だけ家屋の戸をちら見するが、それはほんの一瞬だけで、しちは身振り構わず勢いよく土砂降りの中を走りだした。

 行先はすぐ近いようで遠い場所だ。


「えんきり山へ行かなきゃ」


 この寂しい村を見守るように聳え立つ、霧に覆われたいわくつきの霊山。

 村の皆がえんきり山と呼ぶからしちもそう呼んでいるが、えんきり山には別の名前で他の村からは呼ばれている。


 ――――別名、人食い山、だ。



ここまでお読みいただきありがとうございます<(_ _)>

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