第十九章その4
――魔王城。
『ダリアは戻って来なかった…これが神の奴らに知られれば、ワシが奴らの要求を拒んだことになる…ダリアの命の保証はもう無いということか…カスミソウ…すまぬ。娘を守れないかもしれん…』
一人玉座で座りながらブッドレアは、かつて愛した人間、ダリアの母親でもあるカスミソウとの出会いを思い出していた。
平和な日々だった。
この世界に魔族が誕生したのは何千年以上も前の話だ。
エルフやドワーフ、小人に猫人や犬人、機械族などの別の種族がやって来ても平和な世界は変わらなかった。
遅れてやって来た人族は、魔族らの想像も及ばないような知能で、次々に魔族を虐殺していった。
魔法でもない見たこともないアイテムなどを使用して、住処をどんどん追われていく、魔族と異種族たち。
ブッドレアは全ての人族を恨んだ。
人族は何やら訳の分からないことを行って、神なる存在まで誕生させてしまった。
神は野に下った魔族をモンスターと称して、人族に討伐を命じた。
そして、<神の軍勢>との激しい戦いが繰り広げられた。
野に下った魔族達もブッドレアの味方として、戦争に参加した。
神と戦った配下達は全滅したが、<神の軍勢>も相当の痛手を被った。
ブッドレアは魔王城に隔離され、他の魔族もやって来なくなり、移行ずっと孤独となった。
いつしか、魔王ブッドレアの噂が独り歩きするようになった。
――コンコン。
久しく聞かない音がした。
<神の軍勢>との戦争から何百年以上も経っている。
――コンコン。
ドアをノックする音だと気づくのに、暫し時間がかかった。
だからだろうか?
「開けてくれませんか?ここにいるんでしょ?引きこもりでめんどくさがりの魔王!」
『引きこもりでめんどくさがりの魔王?ワシのことか?確かにめんどくさがりだが。』
「ここ!ここに献上品の食べ物を置いておくので、家畜を逃がしたりもうしないでくださいね!」
大声でわけのわからないことを言われた。
女は次の日もやって来てドアをノックしながら大声で叫んできた。
「こら魔王!献上品を受け取らなかったからって家畜を逃がしたりしないでちょうだい!私たちにとっては命みたいなものなんだから!」
『献上品?家畜を逃がす?何のことだ?』
次の日もその次の日も女はやって来て、献上品の食べ物を持ってきた。
そして、また家畜が逃げ出したと文句を言っていた。
しかしある日突然、ぱったりと女がやって来なくなった。
今まで孤独だったブッドレアにとって、女の声は孤独感を紛らわしてくれるものだった。
一度孤独から解放されると、再び孤独になるのが苦痛になった。
気になってソワソワしたブッドレアは、思いがけず城から外へ出ようとした。
足元に、何日分もの食べ物が置いてあった。
手紙が入っているものもあり、家畜を逃がさないでね!と書かれていた。
「ワシら魔族は食べ物を食わなくても生きていける種族が多い。」
そう呟きながら、果物を一口かじった。
何やら手作りの物もあった。
昔は配下のメイドや執事が、食事を用意してくれていたことをブッドレアは思い出した。
とうの昔に忘れていた感情が心の底から湧き上がってきた。
枯れたと思っていた涙が自然に零れ落ちる。
「覚悟ぉー!」
背後から聞き覚えのある声がする。
ガキン。
あの女が剣で攻撃してきたのだ。
しかし、通常の攻撃では魔王にダメージは与えられない。
剣は折れ、魔王には傷の1つもついていなかった。
「命を無駄にするな。お主たちではワシは殺せん。」
『これだから人族は嫌いだ。ワシら魔族を見かければすぐに殺そうとしてくる。』
くるりと背中を向けて城へ入ろうとすると、女が話しかけてきた。
「…でよ。」
「ん?」
よく聞き取れなかったブッドレアは思わず聞き返した。
「何で家畜を逃がすのよ…私たち一家は貧乏で、食べる物がなくて、もう生きていくお金もないのよ!あんたが家畜を逃がしたりなんかするからこうなるのよ!」
折れた剣で何度も叩いてくる。
「勘違いしているようだが、ワシは家畜を逃がしたりなんかしていない。この城から出ていない。」
信じて貰えるとは思っていない。思っていなかったのに、信じられない言葉が女から出た。
「そんなの…分かってるわよ…でも分かっててもこの気持ちをどこかにぶつけなきゃ私は私でいられそうにもないのよ!」
ガンガンと剣をぶつけてくる。
その剣を手で掴んでブッドレアが言う。
「お主ら人族がワシら魔族にしてきたことはもっと酷かっただろう?それが、自分の八つ当たり程度で他人を攻撃もするとは、どんなにつけあがった種族なことか!」
ブッドレアの鬼の形相に女は縮み上がる。
ブッドレアとしては、ちょっと怖がらせる程度だった。このまま自分の住む場所に帰ってくれればいいと思っていた。
家畜が逃げたせいで、食べていけない。そうだとしてもここにいれば人族全体から煙たがられる存在となることは確実だ。
「だがお主には恩がある。ワシには要らなかったが、食事を届けてくれた。その礼をやろう。」
そう言ってブッドレアは人族のお金をポイと地面に落とした。
時折やってくる、人族を返り討ちにした時のやつだ。
「手作りのパイ。あれはうまかったぞ。あれをワシに毎日届けてくれるならば、その対価をワシが払ってやってもいい。」
しかし女はお金を拾わなかった。
「もう遅いのよ…」
そう呟く。
「私の家族はとっくにみんな死んじゃってるから。モンスターに襲われたの。だからってあなた達魔族を攻めているわけじゃないわ。私の家族はモンスターを倒せばお金が手に入るって言われて返り討ちに遭っただけだから。」
『そうか。こやつもたった1人で孤独で生きていたのか』
「でもね。もう限界なんだよね。1人でいることもさ、必死に生きることも。だから魔王であるあなたに攻撃を仕掛けて返り討ちに遭って死のうって思ってたんだけど、あなたさっき私の手料理食べて泣いてたから…ちょっとびっくりしちゃった。」
「ん?ということは、この食事の献上品は全てワシを城からおびき出すためのエサということか?」
「そゆこと。」
にひひ。と女が悪戯っぽく微笑んだ。
「でもね。あなたの涙を見てたらなんか本音が言いたくなっちゃってさ。家畜を逃がしたのはあなたじゃないって分かってたけど、なんか八つ当たりしちゃったんだよね。ごめんね。」
舌をちょろっと出して、悪戯っぽくウインクしながら女が謝った。
「お主…ワシは魔族の王だぞ?そのワシに向かってごめんねとはなんだ。」
「いいじゃない。ねぇそうだ。ちょっとお城の中見せてよ。私どうせもう行くところないし、ここに住んでもいいかな?」
そんなことを言いながら女――カスミソウは魔王城に住みついた。
魔王ブッドレアが唯一心を開いた人族だった。
孤独を感じていた同士の2人が、心の底から語り合い、ひかれあうのに時間も理由も要らなかった。
やがて、2人の間に子供ができた。
名前はダリアと名付けた。
人間と魔族のハーフとして生きるダリアには、人間としても魔族としてもどちらとしても生きられるように教育しようとしていた。
そんな矢先だった。
年に1度、カスミソウは生まれ故郷に墓参りに帰郷していた。
どこからか情報が漏れたのだろう。
カスミソウが魔王と夫婦になっていると。
カスミソウは血だらけになって帰って来た。
魔族に恨みを持つ者、魔王を倒したいと思っている者にとっては、カスミソウは敵でしかなかったのだ。
「あなた…ごめんなさいね…人族の悪意に私は気が付けなかったわ。ダリアのことをお願いしますね。できることなら…人族を恨まないで…」
ダリアはまだ幼い。この記憶はない。
カスミソウはブッドレアの手の中で息を引き取った。
城の一部にカスミソウを埋葬し、ブッドレアは毎日カスミソウのことを思っていた。
ダリアがいる日々は大変だったが、孤独だったあの頃とはまた違っていた。
日々充実しており、ブッドレアにとってはダリアこそが全てだった。
日に日に成長するダリアは、どんどんカスミソウに似てきた。
「お休み中悪いね。」
ひょうひょうとした声がして、物思いからブッドレアは冷めた。
カリモーチョだ。
「交渉は決裂だ。あんたの娘は生かさないしあんたも生かさない。ここで死んでもらう。」
「お主らがワシら魔族を、ワシの大事な娘の命を奪うというのならば、ワシも命をかけて戦わねばなるまい!」
大きな斧を振り下ろした。
城に轟音が鳴り響いた。




