始まり
突然だが、君は神を信じるか?
いや、神でなくてもいい。
神、それに近い何か、
人智を超える超常の力を持つ者、
悪魔、魔人、天使、etc
そう呼ばれる者の存在を、君は信じるか?
俺は信じる。
何故って?
だってそうだろ?
人は小さく、弱い生き物だ。
なにか大きな、絶対的な力の持ち主には決して敵わない。
例えば、天災
地震や津波、火山の噴火など、いつ起きるとも分からない自然の暴威に対して人はある程度の対策を立てられるレベルにまでは発展してきたものの、それらを完全に御せるほどの力はまだ持っていない。文明が発達する以前は尚のことだろう。
だからこそ、自らでは何もできない人々は祈るという行為を行った。
自身の身を守るために、同程度の力を持つであろう超常の存在に頼ろうとした。
また、そのような絶対的な力を神などの存在の行為とした。
その庇護下に在ることで我が身の安全を保障されたと感じたいがために。
とはいえ、もちろん祈った人々の中にもその行為によって奪われた命はいくつもあるだろう。
それでも、そういった存在を信じ、祈った人達の心の中には確かにそれらは存在している。
俺も絶対的な力を前に、そういった存在に縋り付いた内の一人だ。
俺は信じる。
少なくとも、今、この瞬間だけは、
………だから
ーーお願いだから!
ーーーーー俺のこの腹痛を止めてくれ!!!!!
そう、俺こと佐和田 実は今、トイレの個室にこもっているのだった。
どうやらまだ長引きそうなので、事の起こりの説明でもしよう。
その日、俺はいつもの通り6:30に起き、急いで身支度を整え、家を出て電車に乗った。
この電車にさえ乗ってしまえばもう安心。と言っても、学校に着くのは授業開始の鐘が鳴るのと同時だが、、いやまあ、そんな事はどうでもいい。
とりあえず、電車に乗ったんだ。
そして、目的の駅まで軽く1時間はかかるその電車内では、冷房が効いていた。
それも、少し風が吹いているレベルじゃない。
かなり強い冷たい風が頭上から吹いてくる。
確かに、今は夏だ。
『今年は例年通りでなく、今までで最高に暑い日です!十分に注意して下さい』と毎年言っているような言葉をお天気お姉さんが言っているのを聞く程度には今日は暑かった。
そんな日に車内で冷房がかかるのは当たり前、
涼しくていい?
本当にそう思うか?
先程も言った通り1時間以上という極めて長い時間電車に乗るのだから、その間中ずっと風に吹かれ続けるわけだ。
例えるなら夏の暑さで汗をびっしょりと掻いた状態で突如、そこだけ真冬の極寒の地に放り出される。
本来、平温より上昇してしまった体温を下げる為に噴き出た筈の汗と寒風が素晴らしいコンビネーションを発揮し、下げなくていいレベルまで体温を急激に下げてくる。
ここまで言えば、もう何を伝えたいのかはお分かりだろう。
そう、そんな時間を風に吹かれ続けた俺は目的の駅に着く頃には身も心もすっかり凍りついている。
とまあ、普段ならこうなるのだが、今回は違っていて腹部を中心的にダメージを与えられた。
結果、腹痛に襲われた。
お腹が痛くなった。
いや、ほんと、痛い…
そして考える。
俺は耐えられるだろうか?、と
否、
無理だ。この腹痛に耐えられそうにない。
そう思うのにそれ程長くはかからなかった。
よし、トイレに行こう。
決断したら、即行動
すぐに次の駅で降りた。
下半身に無駄な刺激を与えず、出来うる限りの素早い動きで駅のトイレに向かった。
が、しかし、俺は知らなかった。
朝のトイレには待ち時間があるのだということを
なっ!
ーートイレが混んでいるだと!?
女性用トイレならまだ分かる。
何故、男子便所が、
俺の目がおかしくて、本当は女性用トイレに並んでいるかとも思ったが、それはない。
だってそうだろ、髪の毛がなかったり側面にしか生えていない女性が何人もこんな所にいるわけがない。
っとにかく、これは誤算だった。
どうする?待つか?
いや、それはリスキーすぎる。
多分、先に俺の限界がくる。
それにトイレを目にし、少しばかり安堵してしまったからかちょっと緩んでいる気がする。何がとは言わないが、先程よりは確かに緩んでいる。
だったら!
俺は改札を抜け、駅ビルに入った。
が、しかし、
ーーここもか!
こちらは並んでこそいなかったが、全てのドアが閉まっていた。
朝にこんなにも大量の社畜共がトイレにこもるとは知らなかった。
知らなかったとはいえ、今は後悔している時間も惜しい!
タイムリミットは刻々と近づいている。おそらく、そう遠くない未来だ。
急ごう、
とりあえず上の階に行こう。
ここは地下2階、最下層だ。それに今は朝、まだ駅ビルで仕事をする人達が全員揃っているわけではない。つまり、上に行けば行くほど、トイレは空いているっ、、はずだ!
もし、そこも全て閉まっていたら、、
正直考えたくない。
これは賭けだ。
俺はエレベーター前に行き、↑のボタンを押す。運良く、俺以外の乗客はいず、数秒ほどでドアが開いた。
コンマ1秒ほどの逡巡もなく、迷わず12のボタンを押し、『閉じる』のボタンを連打、連打、連打!
というのも、中途半端な階を選んでそこのトイレのドアが全て閉まっているなんてことがないように、敢えて高い階を選んだ。
その分エレベーターに乗っている時間は長いが、そこは仕方ない。その分を補うための連打だ。
エレベーターが選択された階に向かう時間が普段よりもずっと長く感じ、着いたと知らせるためのチンっという音が鳴り、ドアが完全に開ききるのを待たずに俺は飛び出した。
トイレ、トイレはどこだ!?
限界がすぐ背後に迫っていることを肌に感じつつ俺は急いで探した。そして見つける赤い女性と青い男性のマークを。
ーーあった!
トイレに並ぶ人影は見えない、いけるか?
そう思い、急いでトイレに駆け込んだ。
前2つは閉まっていたが、奥の1つが空いてる!
空いてるよ!
俺は迷わず入り、ドアを閉めた。
最後は特に注意
気を緩めると思わずズボン越しに解放しそうになるのをグッとこらえて、慎重に、それでいて素早く、ベルトを外し、ズボンを下ろし、便座に腰掛けた。
はああぁぁ、トイレって素晴らしい
その思いを胸に、やっと俺は堪えていたものを解放することができた。
そして、冒頭に戻る。
解放できたのはいいが、何故だろう。
腹痛がおさまらない。
ああああ、神様、神様、お願いです、お願いです、お願いですお願いですお願いです…
そこからそいつと闘うこと数十分
さて、俺の願いが通じたのかは分からないが、ようやく腹痛も収まってきた頃なのでそろそろ出ようか。
きちんと水で流、、そうと思ったが、
チョロチョロとしか水が出ない。
おい、どういう事だ。そんな威力じゃ俺のモノは流れねえぞ。どれくらい戦ったか分かってんのか?
そのあと数回試してみたが、もう流れない。
……故障かな。そう見切りをつけた。
あとからこのトイレに入る人には悪いが、しょうがない。俺のせいじゃないぞ。故障してるのが悪いんだ。
そんな事を考えつつズボンを履き、ベルトを締めた。
なんだろう、1時間ほど戦地を共にしたせいだろうか、妙にこのトイレに愛着が湧く。
少し別れるのを寂しく思いながら、じゃあな、と心の中で戦友に賛辞と感謝を述べ、俺はドアのロックを外し、
ーーあとで思えば、ここまではまだ“日常”だったんだ。
ーーいつのまにか世界は変わっていた。仮に気付いていても、俺にはどうしようもないくらいに、
ーーこのただのトイレのドアに過ぎないものは、俺にとっては運命が劇的に変化することを告げる扉だった。
ガチャ、
ドアを、開いた。