とびこえる
暗い表現はないと思いますが、死をにおわせる表現があります。不快に思われる方は閲覧を避けてください。
空を見るのが好きなんだ。といったら、そいつはさもおかしそうに肩を震わせてこう言った。
なんてありがちな台詞なんだ、と。馬鹿にしたような響きはなくて、あきれたような感じでもなくて、
よく聞くよなぁ、これ。って感じ。聞きあきた言葉だけど、特別に不快でもないもの。
それに少しだけ安心して、私は続ける。
「空以外になくなればいいのにね。そうしたら現実を見たって、一々失望しなくてすむよ」
ひねた言葉だと思う。自分でそんな風に思う言葉を、わざわざこいつに言ってみようと思ったのはなぜか。
たぶん笑わないからだ。気まずそうにこちらを窺ったりしないからだ。何かとても不憫なものを見るようにして
こちらを見たりしないから。
「えー?それってつまんなくね。空しかないってことは、地面もないんだろ。歩けねぇじゃん。」
あっさりとこういうことをいうから、だ。
「歩く必要なんてないでしょ。飛べばいいじゃん。はい、今から飛びまーす」
わたしは地面に座り込んでいた体を勢いつけて跳ねるように立ち上がらせ、眼下に広がる地面がよく見えるように手すりへと駆け寄る。ほっ、と勢いづけてそれをまたぐと、空気と地面の境目は一気に曖昧になった。
やつが後ろから、おい、と声をかけてくる。緊迫感はなくて、おいおい何するつもりだこいつ。みたいな警戒が滲む声。あぁ、ここにいるのがこいつで良かった。
「もう、いいかな」
「はぁ?」
足元に広がる「空」を見た。足などつかなくてもいい。ただ、囚われたくないだけ―――
後ろ手に握った手すりを離す。落ちる、とは思わなかった。でも、飛べる、とも思えなかった。
頬に当たる風。頭上から降る日差し。世界を照らす色。私はここで確かに生きた。
支えもなしに振り返る。一瞬重心を定めかねた身体が傾いだけれど、なんとか持ち直した。さっきまで、横に並んで、どうでもいい話をしていた時から変わらずに奴はそこにいる。
目つき悪いなぁ。人相が悪いって、こういう事を言うんだ。損しそうだな、色々。
好き勝手並べ立てるのも心の中だけにとどめておく。感謝している。今こうしてここにいてくれたこと、それが何よりうれしい。
「死ぬのかよ」
ぶっきらぼうにやつが言う。こんな場面に言っちゃいけない言葉だろうに。バーカ。
「んー飛ぶ?」
にわかに微笑んでみると、意外と落ち着いている自分に気付く。
「飛べるかよ。落ちるだけだろ。まっさかさまで、グシャってなって死ぬだけだろ」
間違いを正すような平坦な声に、私を引き留めようとする音はなかった。いや、対して親しくもない関係の私が感じ取れないだけで、本当は違うのかもしれないが。でも自分の感じるものが真実だと疑わない私には、眼前の奇行に心乱さない姿が真実だと思えるのだ。
「ありがとう。」
「は?」
「お礼。感謝の辞。どうもどうも」
「何言ってんの」
馬鹿か、と言わんばかりに今度はあからさまに呆れた顔をされてしまった。
それに頬を緩めて気の抜けた笑みを向ける。
「ありがとうって。感謝は言葉に出さないと伝わらないからって。17年で学んだのですよ。ちなみにごめんなさいとかもちゃんと言うよ。礼儀だよね、うん。人付き合いの必須事項だよ」
「いや・・っていうか俺なんもしてないし。てか、この状況でおかしくね?色々違くね?」
コテリ、と首をかしげているのはなかなかに可愛かったけど、遺言みたいな言葉が力をもってしまってヤツを縛ったら嫌だったので、それは伝えなかった。
代わりに緩く笑んで、私に残ってたはずの良いことの種が全部こいつに行きますように。と無神論者なくせに空に祈って、体の向きを変えると同時に足を一歩前に出して 私は 跳んだ。