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◆1◆ 絵本の世界へ、ようこそ

「ねぇ、君の名前は?」


 どこかで聞いたようなセリフを言って、男の子が手を差し伸べる。


 それは、昔読んだ絵本のワンシーン。


 いつも子供部屋で本を読んでいた私は、一人幻想の世界に浸るのが好きだった。


 綺麗な装丁の薄い絵本。


 その本の一番最初のページには、古びた木製の扉が描かれていて、主人公はこの扉を通って、煌びやかな世界に足を踏み入れる。


 扉を開けると、そこに広がるのは一面の花畑。


 赤や黄色、紫のかわいいお花と、木々が揺れる音。他にも、お菓子の家とか、お姫様が住んでいそうなガラスのお城とか、虹色の川とか。


 まさに、夢の世界だった。


 そして、そんな幻想的な世界で出会った男の子が、主人公に向けて言うのだ。


『君の名前は?』──と。




 


 ◆◇◆





 そんなことを漠然と思い出しながら、私は目の前の扉を見つめた。


 そこには、あの絵本と同じ扉があって、一面真っ暗なこの場所で、その扉だけは、くっきりと浮かび上がっていた。


 するとその瞬間、私はその扉を見るなり、サッと手を伸ばした。


 きっと、この扉の向こうには、一面の花畑が広がっている。


 そう、思ったから──




「─────ッ」


 扉を開けて、一番最初に飛び込んできたのは眩しい光だった。暗い場所から、急に明るい場所に出た時みたいな


 それから、ゆっくりと目を開けば、そこには、絵本で見たのと同じような一面の花畑が広がっていた。


 香しい花の香り。

 それに交じって、お砂糖の甘い匂いもした。


 見れば、花畑から見える小高い丘の上に、お菓子の家があって、その反対側には、お姫様が住んでいそうなガラスお城も見えた。


(虹色の川もあるかも……)


 私は、きょろきょろとあたりを見回し、虹色の川を探した。すると、花畑のずっとずっと奥の方に、キラキラと光る虹色の川が流れているのがみえた。


(やっぱり同じだ、あの絵本と──)


 そう思った私は、走り出した。


 気つけば、私の服は、あの絵本の主人公と同じような、ふわりとしたピンク色のエプロンドレスを着ていて、私は長い黒髪をなびかせながら"男の子"を探した。


 ここが絵本の中なら、きっといると思った。


 あの男の子が──



「あ!」


 花畑を進むと、その先で男の子を見つけた。


 黒いハーフパンツにサスペンダーを付けて、ハットを被った中学生くらいの男の子。


 まさに絵本の住人といいたくなるようなオシャレな風貌をしたその男の子は、私をみるなり、ニコリと笑う。


「やぁ、いらっしゃい」


 爽やかな笑顔でそう言われた瞬間、風が花びらを舞いあげた。


「やっぱり、いた!」

「!」


 その瞬間、私は男の子に会えたのが嬉しくて、思わず抱きついてしまった。


「ずっとずっと、会いたかったの!」

「……」


 そう言って、男の子にギュッときつく抱きつくと、男の子は、少し驚いた顔をしたあと、私の背にそっと腕を回してきた。


「うん……僕も会いたかったよ」


 まるで宝物を扱うみたいに、優しく優しく抱きしめられて、なんだがすごく安心した。


 だけど──


(あれ、違う……)


 一つだけ、絵本と違うところがあった。


 それは、視界の端で揺れた髪の色。


 絵本の中の男の子は"青い髪"をしていたのに、私を抱きしめる男の子は、なぜか"黒い髪"をしていた。


(あれ……なんで?)


 会いたかったなんて言って、今更、別人だなんておもいたくなくて、私は慌てた。


 だけど、その後男の子は抱きしめていた腕を離すと、私の前に、そっと手を差しだしてきた。


「ねぇ、君の名前は?」


 そう言った男の子を見て、私はホッとした。


(……やっぱり、あの絵本と同じだ)


 髪の色なんて些細なことだ。きっと子供の時に読んだ本だから、勘違いしているだけだよね?


「私は、アンナ」


 再び笑顔に戻ると、私は差し出された手をとった。


 ずっと、話してみたいと思っていた絵本の中の男の子。


 私よりも少しだけ大きい手と、少しだけ高い背丈。同じくらいの年頃なのに、その男の子の方が、不思議と私よりも大人びて見えた。


 正直、お互いの名前も知らないなんておかしな話だけど、私が恥ずかしそうに笑えば、男の子も、またクスリと笑う。


「アンナか。いい名前だね」


「そうかな?」


「うん、かわいい」


「か、かわいい!? あ、そ、そ……そうだ! あなたは?」


「え?」


「あなたの名前は?」


「あー……僕は、名前がないんだ」


「え?」


 名前がない。


 そう言われて、私は目を丸くした。すると男の子は少し困ったように笑って


「驚いたよね。僕、名前付けてもらってなくて」


「そう……なんだ」


 名前がないなんて思わなくて、なんて声をかけていいか分からなくなった。


 でも、思い起こせば、確かにあの絵本の中でも、男の子の名前は語られてなかった。


(そっか、名前なかったんだ……)


 そう思うと、急に胸が苦しくなって、目にじわじわと涙が浮かんできた。


「そんな顔しないで、アンナ」


「だって、名前がないなんて……っ」


「悲しんでくれるの? アンナは優しいね。そうだ。 なら、アンナがつけてよ」


「え?」


「僕の名前……アンナがつけて」


 そう言って、私の顔を覗き込むようにして、柔らかく微笑んだ男の子。


 だけど、その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。


「わ、私がつけるの!?」


「うん」


「む、無理だよ、名前なんて、そんな簡単に付けられないよ!」


「大丈夫だよ。アンナが付けてくれるなら、僕はどんな名前だって構わない」


「そ、そんなこと言われても……っ」


「お願い、アンナ。僕に名前をつけて──」


 そう言って、渋る私を力強く見つめてくる男の子の目が、あまりにも真剣なものだから──


「ほ、本当に、なんでもいいの?」


「うん、なんでもいいよ」


 そう言われて、私は暫く考えこむ。


「えっと、じゃぁ……ハ……」


「え?」


「ハルカ……とか、どうかな?」


「ハルカ? どうしてハルカなの?」


「だって君、"春"ぽいなって。あったかいし優しいし、一緒にいるとぽかぽかしてくるから……あ、でもハルカだと女の子ぽいかな?」


「うんん。すごく綺麗な名前。ありがとう。僕に名前を付けてくれて──」


 そういって、愛おしそうに目を細めた男の子は、すごくカッコよくて、少しだけドキッとした。


 だけど──



「これで僕たち、ずっと一緒にいられるね」






 ───え?



「……私たち、ずっと一緒にいるの?」


「そうだよ。僕達これからは、ずっとずっと一緒にいるんだよ」



 そう言われて、繋がった手にいっそう力がこもった。


 心地よいような、少し痛いような


 あれ? そう言えば私


 何でここにいるんだっけ?



「アンナ」


 すると、ハルカが私の手を引いた。


 瞬間、腰に腕が回って視線が合うと、ハルカは、まるで王子様が、お姫様に愛を誓うように、私を見つめて囁く。


「大好きだよ、アンナ」


 それは直接、鼓膜に語りかけるように


「もう、どこにも行かないで──」


 だけど、その言葉は不思議と



 悪魔の囁きのようにも聞こえた。



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