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私はとても涙もろい

作者: 秋月

未熟で読みづらい所もあるかと思います。

また全部実話の為ぼかして書いている所もあります。

私が虐待を経験しどんな風に思い、心の傷とどう向き合い乗り越えたかを描いています。

読んで辛くなったり胸くそ悪くなる表現もありますが、読んで頂けたら嬉しく思います。



 私はとても涙もろい。

 自分でもちょっとドン引きするぐらい涙もろい。


 連ドラやバラエティー番組はもちろんのこと、時には泣く要素のないお笑い番組でも感動して泣いてしまう。


 何気ない日常の風景にもすぐに感動して涙ぐんでしまうし、人の優しさや暖かさに触れると胸が熱くなってしまい、時に号泣する事もある。


 友人や家族から相談を受ければ、途中からは感情移入してしまい一緒に号泣したりもする。本当にどっちが相談を受けたか分からない。


『いつも笑顔、明るくておっとり、少しおこりんぼ、とても涙もろい』これが周りの人達が口を揃えて言う私のイメージ、らしい。



 そんな私は子供の頃、継母からの虐待を受けて育った。

 そしてどんなに継母から暴力を振るわれても暴言を吐かれても、涙一つこぼさない所か逆に継母をにらみ付けるような涙とは無縁の子供だった。


 いや、違う。本当は泣きたかった。子供らしく泣き叫びたかった。



 それなりの年齢になって知った事だか、両親はいわゆるダブル不倫をしていた。言葉は悪いが両親とも最悪のクソ親である。


 両親のどちらが私を引き取るかで揉めに揉めた結果、実母に捨てられた私は8歳の時に、父親と不倫関係にあった女性の家へと強制的に連れて来られた。

 いきなりの転校だった為、幼なじみや友人達に別れを告げる事すらできず、心の準備がまったく出来ないまま大好きだった生まれ故郷を後にする事となったのだ。

 記憶の中の朧気な生まれ故郷の風景に、いったい何度傷付いた体と心を慰められたか分からない。


 そんな始まり方で継母を『お母さん』なんて呼べるはずもない。そんな私を父親は気遣う所か何度も殴りつけ『お母さん』と呼ぶように強要した。

 継母はクソババアだが父親もクソ野郎だ。

 本当に最悪の始まり方だった。もっとまともな始まり方が出来ていれば、もう少しマシな関係を築く事が出来たのは間違いないと思う。


 こんな始まり方もあってか、すぐに継母の虐待は始まった。

 正直言ってなつかないクソガキな私は邪魔でしかなかっただろう。でも私は何も悪くないと思うし被害者だと思う。


 虐待も最初の頃は殴られたり蹴られたりするだけだった。それでも充分、体も心も傷つけられた。

 でも継母が私を殴り過ぎて手を痛めてしまってからは、木刀で頭や背中を叩かれるものへと変わってしまった。


 木刀は本当にヤバい。痛いなんていうものではない。あんなに毎日毎日、木刀でボコボコに殴られていてよく殺されなかったものだと今は思う。それほどに酷い暴力だった。


 木刀を使われだしてから加減が出来なくなってしまったのか、頭はあちこちタンコブが出来て出血するし、洋服で隠れている背中や太ももは青アザまみれ、これが日常だった。

 額と後頭部を何針か縫わないといけないくらいの怪我を負ってしまった事もあった。今なら病院から虐待疑いで警察や児童相談所に通報されるのは間違いないと思う。



 虐待はどんどんエスカレートしていった。

 父親が単身赴任になってしまい側に居てくれなかったのもエスカレートしてしまった原因の一つだったのだろう。


 父親は相変わらず最低な人だった。父親に助けて貰いたくて、私は何度も継母から暴力を受けている事を訴えていた。

 私のSOSに対して父親が返した言葉は「継母は私に『しつけ』をしてくれている」だった。意味が分からなかった。あの時に味わった絶望感、今思い返しても凄まじいものがある。

 そんな父親だったから側に居てくれたって何も変わらなかったに違いない。



 時にタバコを背中に押し付けられて火傷をおったし、今もその時の火傷の跡は背中に無数に残っている。


 真冬の朝に決められた時間に起きれなかったからと、風呂場で水を浴びせられたりもした。


 下着だけの姿で冷たい廊下に一晩中正座させられた。胸の膨らみ始めた思春期の私には、精神的にも本当に酷い仕打ちだった。

 夏場はまだマシで冬場になると凍える寒さも加わり、苦しくて惨めで情けなくてたまらなかった。


 ここに書いた事はまだいい方だ。

 書くのを躊躇してしまう程、継母からされた虐待はまだまだたくさんある。それは今でも思い出すと泣き叫びたくなる位の辛い過去だ。



 私が小学校5年生あたりから継母は家事をする事はほとんど無く、いつもテレビを見ながらダラダラと過ごし、私に家事のすべてを押し付けてきた。

 そんな継母から私は常に敬語を使う様に命令を受けた。敬語を使わなければもちろん、暴力が待っている。

 私は家族なんかじゃない、サンドバッグも兼ねた奴隷なんだと思った。毎日毎日継母の代わりに家事をこなす日々だった。


 朝起きて朝食を作り食べたら皿洗い、洗濯物を干してから学校に行く。

 学校から帰ると洗濯物を取りこみたたむ、自転車で夕食の買い物、お風呂の準備、夕食を作り食べたら皿洗い、その後やっと宿題をするそんな毎日だった。楽しみなんて何もない。

 遊びに行く事など許されなかったし、もちろん部活動も家事があるからと許される事はなかった。


 不平不満を口にすれば木刀で殴られる。タバコを押し付けられる。私は暴力で支配されていたのだと思う。

 私は頻繁に体調を崩し高熱をだし吐いた。円形脱毛症にもなり、声がまったく出なくなり喋れなくなった時もあった。間違いなくストレスからくるものだったと思う。


 当時は世の中には私よりもっと辛い体験をしてる人がいるんだから、これくらいは耐えなくてはいけないのだと思っていた。

 食事を与えられず暴力を振るわれ続け、命を失ってしまう子供がいる。私は食事をきちんと与えられている分、まだ恵まれている、だから耐えなくてはいけないのだ……と。


 でも苦しかった、本当に辛かった、逃げれるものなら逃げたかった、誰かに助けて欲しかった。ただひたすら耐えて、耐えて、耐えた。


 そこまでされても決して私は泣かなかった。ひたすら無表情に継母をにらみ付けた。

 ただ、負けたくなかった。

 泣いたら負けなんだと、泣かない事が私の唯一の反抗なのだと、ただだた耐え難い痛みを涙を耐え続けた。



 やがて高校を卒業した私は就職し一人暮らしを始めた。贅沢はできないけど、痛い思いも苦しい思いもしなくていい。

 それだけでも私にとっては幸せな事だった。


 一人暮らしを始めてから私はほとんど実家に帰る事はなかった。継母は歳を取ったからか、昔が嘘のように穏やかになっていった。

 時々だが実家に帰ると、食べきれない程の料理を振る舞ってくれて残った分は弁当箱に詰めて持たせてくれる。帰りにはたくさんのお土産と共に、お小遣いまでくれたりもする。

 私が帰るときは毎回必ず道路まで出て、ニコニコと笑顔で時に涙を浮かべながら、私の車が見えなくなるまで手をふって見送ってくれる。これは今でも必ずしてくれる事だ。


 私は分からなくなった。


『何で今さらこんなに優しくするの?』

『何で今の優しさの100分の1でも昔に与えてくれなかったの?』

『どうして?お母さん、どうして?』


 やるせない思いに苛まれる事になる。


 許したいのに、とてもじゃないが許せない。

 許す事は辛い事だ、許そうと思って許せるものじゃない。

 心が納得しなければ意味がないのだ。


『死ぬまで、いや、死んでも絶対許してなんかやるもんか!!』


 私は時にコントロール出来ない程の怒りの感情に心を支配された。それは怒りだけではない、たくさんの色んな感情の混じり合ったやるせない思いだった。


 誰にも見られたくないと人気のない場所に車を停め、一人で叫びながら髪をかきむしり、自分で自分の体を殴り付けた。時に車のドアやハンドルを拳から出血するまで殴り続ける事もあった。それでもこみ上げる怒りを押さえる事は出来なかった。


 私はそんな心の傷に長い間苦しんできた。


 カウンセリングに通った事もあるが、実際体験した訳でもない人が言う言葉がまったく響かず、逆に私の何が分かるのかとイライラしてしまいどうしても受け入れる事が出来なかった。

 歳を重ねた今ならば、違った風に受け止められると思うけれど、あの当時はどうしても無理だった。


 そんな私は良く空を見上げた。

 晴れの日も曇りの日も雨の日も、まるで救いを求めるように。

 でも綺麗だとは思うけれどそれだけだった。



 私にも歳を重ねて愛する人が出来た。

 彼と同じ趣味を持ちたいと一念発起して教習所に通い、一本橋に苦戦しながら何とかバイクの免許をとった。

 愛する人と一緒に同じ風を感じ、同じ景色を見たい。ただそれだけの為に、私がここまで頑張れるなんて知らなかった。

 悩みに悩んで自分用のバイクを買った。

 それはある意味、人生が変わった瞬間だった。


 それからは二人でいろんな場所へとツーリングに出掛けた。

 たくさんの風景を見て一緒に笑い、その土地の名物料理を食べて美味しいと笑い、たくさんの人達と出会えた幸せで私は笑った。

 そんな大切な家族、新しい仲間とのかけがえのない出会いが私を確かに大きく成長させてくれたのだった。


 職場では仕事を頑張るのは勿論、常に明るく挨拶し笑顔で接する事を心掛けた。それでも一部の人から虐めを受けてしまった事もあった。

 今は何故か妙に年下の同僚達にイジられてしまうけれど、他の同僚達とも概ね関係は良好だと言えるし、仕事にもやりがいを感じている。



 そんな満ち足りた日々が、私の心の傷を少しずつゆっくりと癒してくれたのだと思う。



 そんな年月のたった確か、11月頃だったと思う。

 仕事が終わった帰り道、車を走らせていた私は夕日の美しさに思わず道路脇の空いた場所に車を停めた。車のドアを開け外にでると、空気は冷たく澄んでいて透明だった。

 夕日はオレンジ色の光となりゆっくりと沈んで行く。


 私は『明けない夜はない』という言葉が大嫌いだった。

 希望も何もない時にいつ明けるか分からない夜を、朝を待つのは辛すぎた。いつまで苦しみを耐え続ければいいのか私には分からなかった。

 それならば少しでも虐待の苦しさを、夜の苦しさを楽にして欲しかった。夜は私にとって恐怖であり苦しみそのものだった。


 何故だろう。私は訳もなく胸が熱くなりこみ上げるものを押さえられなかった。


 オレンジ色の光はやがて少しずつ消えていき藍色の空に滲んでいく。その時に『あぁ、夜の闇は漆黒ではないのかもしれない、空の青が濃く深く染まった色が夜の闇の色なのだ』そんな風に思った。


 その瞬間、私にとってはただ辛く苦しかっただけの『夜』に『過去』に確かな意味を『答え』を見いだしたのだ。

 忘れようと心の奥底に閉じ込めていた過去そのものに……。


 とても美しく優しい一時だった。

 涙が溢れて止まらなかった。

 見方一つ、心一つでこんなにも世界は違って見えるのだ。



 ただ虐待に耐えただけじゃない。

 ただ涙を流せなかっただけじゃない。


 そうじゃない、違うんだ!

 頑張った、本当に私は頑張ったのだ!!


 私自身が過去の自分を認めてあげないでどうするのだ。

 きっと、今私が流している涙は過去に流せなかった涙なんだ。

 あの日の私が流したかった涙なんだ。



 私は泣いた。

 ただただ、こみ上げる思いのままに泣いた。



 そうだ、今まで流せなかった分までこれからは心のままに涙を流そう。

 怒りや憎しみ悲しみの涙の代わりに、優しく暖かな喜びの涙を流そう。



 今はあれほど泣かなかったのが嘘みたいに涙もろくなった。

 もちろん、年齢的なものもあると思う、いやむしろそれが一番の理由かもしれない。


 私は涙もろい自分をとても、気に入っている。

 そして、誇りに思っている。




 両親と継母の事をまだ許せてはいない。

 きっと完全に許す日は永遠に来ないだろう。


 でも継母が私に涙ながらに謝罪をしてくれて、それからずっと反省だけではなく努力をしている姿を知っている。


 私にはどうしても憎みきれない思いがある。

 バカだと分かっている。

 どうしてあそこまでされてなお、継母を慕う気持ちを消せないのか。本当に私は呆れるくらいのお人好しの大バカ者だ。



 正解は分からない。

 やっぱり許さないままかもしれない。

 それでも真っ直ぐ自分の心に向き合って、いつか私なりの答えを見つけたいと思っている。



読んで頂いて本当にありがとうございましたm(__)m


今現在、新しい家族と猫達と一緒に田舎でのんびり穏やかに過ごしています。

読んで下さった方に何か少しでも響くものがあればとても嬉しく思います。


改めて、ありがとうございました。


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[良い点] 「私はとても涙もろい」読ませていただきました。良い点は本当に心に刺さる文であることです。 また、作者の方が本当に私の友達と似ていると感じました。重なるところが沢山あり、というよりかはほぼ重…
[一言] とても繊細な問題で、読んでいて存在している辛さが身に刻まれる想いでした。 それでも、夜空に見える自分の気持ちとの邂逅を素晴らしく感じました。 涙もろいというものが、こんなにも優しい感情である…
[良い点] 私は虐待とは無縁でした。実際に虐待がこれほどまで長い期間続き、それに苦しみ耐えている事実に衝撃を覚えました。 [一言] 「助けて」と声に出して言わなければ助けてもらえない。助けてと言っても…
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