異世界生活17日目開始
山田太郎は異世界の生活にだいぶ慣れてきた。朝食を手早く作り、日課となったトレーニングをする異世界に行くまでは全く体を鍛えていなかったが、現代の世界では余り意味がない筋肉と喧嘩の経験を生かせるのは正直嬉しかった。現代社会ではプロの格闘家でなければ戦闘力など何の意味もない。戦うと傷害罪で刑務所行きだ。太郎の素質はほぼ光が当たることのない才能だ。
「ん、電話だ。栗原くんか」
太郎の携帯電話がブルブルと震える。それを素早く取ると太郎は声をワントーン上げて話し出した。
「栗原くん何の用だい?」
「太郎さん大変です。さっきガイルという人が突然現れたんですが、サターナさんという人がクビになったと言ってました。俺達にも再参加しないかと誘われたんですが、大丈夫ですか?」
「な、サターナがクビに? 俺達は大丈夫さ。栗原くん達は平和な日々を過ごしてて。俺達は何とかやってみる」
「そうですか。でも困った時はいつでも呼んで下さいね。太郎さんは恩人ですから」
「うん。いざというときはお願いするよ。またね」
太郎は電話を終えた。それからすぐに冴子から連絡が来た。
「太郎さん大変です。サターナさんがクビになったとフードの男から聞いたんですが、他のバスの参加者がそれに抗議する意味でツアーの参加をやめて全員で太郎さんについていく事にしたようです」
「それは効果的かも知れないね。人数が増えて大変かもだけど、サターナがまた来るまで頑張ろう」
「はい! ではまた深夜に!」
冴子からの電話が終わった後に太郎はしばし考え込んだ。バスの運転手に頼んでみてはどうか。だが、それではアザゼルが怒るだろう。やはり地道にツアーの参加を拒み続けるしかない。
太郎は異世界バスのこれからが気になって物事が手につかなくなっていた。それからその気持ちをリセットする為に買い物に出て行いった。かなり買いすぎてしまった。錬金術師の所に持っていけばいいか。でも、沢山の参加者を連れて行くのも余り良くない気がする。そもそも立ち寄る時間があるのだろうか。
「困っているようだな」
突然異空間が開いてガイルが現れた。
「ああ、困ってる。これを錬金術師の所に届けてくれないか」
「お安いご用だ。これで少しは楽になるか?」
「ああ、とても助かる」
ガイルは荷物を受け取り異空間に消えていった。それからしばらくして戻ってきた。
「お前の頼みを聞いたし、今度は私の願いも聞いてほしい」
「何だ?」
ガイルの表情はフードをかぶっていて読めないが声は真剣だった。
「アザゼルを殺すのを手伝ってほしい。お前達の運命にも必要な事だ。お前が動けば鈴やゆっけや高志も動くだろう。奴を殺す口実は無いが、奴の事だ必ず出てくるだろう。きっとその瞬間になればわかる。その時だと」
ガイルの願いはとんでもない事だった。俺はかなり悩んだ。アザゼルとはそんなに危険なのか。だが、謎の多いガイルと組むのも信用出来ない。
「私には未来が見える。頼む信用してくれ。それではまた」
「ああ、検討してみる」
山田太郎は鈴にその件を伝えるべく電話をかけたが繋がらない。鈴と連絡がついたのは夜中だった。事前にメールで伝えておいたが、穏やかではない。
「太郎くんメールは読んだわ。確かにガイルは未来が見える。でもね、これは危険よ。アザゼルは強い。もうしばらく様子を見ましょう」
鈴さんの声は震えていた。アザゼルを殺すという事はこれほどまでに危険なのか。例え必要な事だとしても。そこまでしなければサターナが戻ってくる事はないという事も暗示していた。深夜になり、異世界バスのバス停に向かう。太郎の足取りは重たい。今日に限って幽霊先輩はやってこず、そのままバスに乗り込んだ。運転手に3000円を支払う。バスの中の空気は重い。
「貴様もサターナの方がいい派か? あのような弱き者を選ぶとは愚かな」
アザゼルは超絶美形だが、それと同じくらい性格が悪い事を暗示させた。超絶嫌な奴という事だ。太郎はアザゼルを無視して奥の席に向かった。鈴とゆっけと高志が険しい表情をしている。挨拶する事もなく、バスの中は終始無言だった。サターナがアザゼルに変わっただけでここまで雰囲気が変わるとは予想外だった。




