歪んだ一本道歪んだ2
2話
「ロレンツ、着いたよ」
アレッタが自身と反対方向に指している指先に誘われて目線を上げればリベラによくありそうなお洒落な喫茶店だ。レンガ造りの二階建ての建物が目の前に聳え立つ。派手過ぎず、地味過ぎない装飾が若者に人気そうな雰囲気が立ち込めさせている。ここか…。
「おいで、早く、早く」
「遊園地に行きたがっている子供かお前は」
ロレンツを手招くアレッタは待ちきれなさそうな目で彼を見てくる。そこまで焦らなくても建物は逃げないよ、と言わんばかりの困り顔でゆっくりと歩き、喫茶店の扉を開いた。左手に直列で並んでいるカウンター席6つに、4つの椅子と1つのテーブルでワンセットに組まれた席が4つほどあり、天井にはシーリングファンが稼働していた。カウンター席の向かい側でタバコを吸いながら編み物をしているボーイッシュな女性が彼らの存在に気付いて軽く会釈する。
「こんにちは、イリスさん」
「いらっしゃいアレッタ、今日は休みの日だしゆっくりしていきな、それにそこの彼はボーイフレンドか?」
黒い髪に朱いからしメッシュをいれた髪に茶色の瞳、赤と黒、白のチェック柄のポロシャツ、青いダメージジーンズ、サンダル姿の女性は一度編み物を中止し、二人の方へと歩いて行った。
「そうで…」「全然違うわ、何一気に進展させているんだよ、この野郎」
ロレンツが肯定した一言を真っ先に遮って否定する。
「そうじゃなかった?」
「惚けんな、俺は漫才しに来たんじゃない」
「そうかい、あんたがロレンツか、うちのアレッタがお世話になっているね」
ん?母親が言うようなセリフだが、アレッタと店主は全くもって似てもいない、養子と引き取り相手の関係なのだろうか。
「わしはイリス、アレッタの養母みたいなものさ」
イリスが握手をしようと片手を差し出したが、ロレンツはその手を握ろうとはしなかった。この人間は信じられる否、信じられる人間に値するのかと延々と考えていたのだ。さっきの晴れ空が顔から消えて曇った表情で見ていたアレッタが怪訝そうな目線を送るロレンツを手首とイリスの手首をつかんで無理やり握手を交わさせる。仲良くしなさいとマジックで書かれたカンペがテープで貼られたような顔がロレンツを見続けた。
「…よろしく、イリス」
「そういえばロレンツは人間不信だものね、でも克服しないと!」
「あのな…くそっ」
何かを言おうとしたが、今は喉の奥で押し殺してやめておいた。何だか、やりたくもないことをさせられる為に背中に押し付けられているような感覚があって不快だった。アレッタがここまで強引に握手までさせる必要なんかあるのだろうか、今日は彼女のリズムと世界に強制的に連れ戻される。
「無理矢理そんなこともしなくてもいいんだよ」
「そうかもしれませんけど」
「あんたって仕事上では器用だけど、人間関係ではとことん不器用だねえ」
イリスがわざとらしい皮肉をかぶせる。
「ま、ゆっくりしていきな」
暇をつぶすように椅子に座って編み物の続きに入った。ちょっとした静寂が2人を過るとロレンツが口を開いて一気にそれを破き去る。
「ところでよ、二人で話したいって言っていたけど…」
「夢の話、自分がどこで何をしたいのかだよ」
しぶとい雑草みたいに根深い悩み話かと思いきや、意外と子供のような話題だった。大人っぽい見た目に反して結構中身が無邪気で子供っぽいみたいなこいつ…。ある程度仲良くなってきたところもあるし、互いを知ることは大事だな。
イリスがコーヒー豆を煎り作った一杯のコーヒーカップに入ったアツアツのコーヒーとパンを二人に差し出した。これは特別にサービスしてくれたみたいだ。それにここの店は初めて来た客にはこうして一杯のブラックコーヒーとパンを味見してもらうのがルールらしい。
「ん~考えたこともなかったな」
脳天に渦巻きマークを浮かべてアツアツのコーヒーに砂糖とミルクを入れてすすり始めていたロレンツの隣で一つの皿にシンプルな盛り付けで乗せられたパンにバターを塗り始める。
「難しく考えることでもないと思うよ、そのままことを口に出せばいいんだし」困ったような顔で頬杖をついているアレッタは無情に考えているロレンツの瞳を見つめていた。
「そうだな」
「他人に必要とされたいことかな…」テーブルの上に両腕をスライドさせて肘と手首の間に額を持ってきて置いておく。恥ずかしそうに口から出して数秒後にアレッタが唇に軽く握った手を付けてクスリと笑った。
「いい夢だね」
「そうか?」疑問形を被せてロレンツはアレッタに言った。
「小さいものでも夢は夢だよ、そこから大きなものに変えていけばいいんだから」
彼女の物差しではその定義が自分の考えていたものよりも遥かに大きく感じる。
「で、アレッタは?」
「いつか地上に出て旅をしてみたいな、地下とは違う景色が見えそうで楽しそうじゃん。」「叶いブツブツブツ…。」小言で付け足した言葉をロレンツは聞き取れなかった。さっきよりも暗いトーンの為、聞くにも聞けなかった質問だ。
「ちょっとトイレに行ってくるね」
「ああ」
「イリスさん、トイレ借りますね」
「いつも使っているじゃないか、何をいまさら畏まっているんだい」
アレッタが喫茶店に配置された椅子4:テーブル:1の組み合わせが立ち並ぶ店内を少し早めに駆け抜ける。トイレの個室に取りけられた扉を開いていく音がした後、店内はさっきまでと雰囲気が様変わりした。
「…ロレンツ」
「何だ?」
「あの子は病弱で小さい頃から部屋に閉じこもっては病が引いていくのを待つしかない日々を送っていたんだってさ、同年代の子と遊べなくていつもうずうずしていたらしくてな…」昔話を始めたと思ったら一時的に話題のカーテンを閉めると再び開始した。「ロレンツ、一つ頼みを聞いてくれないか?」
「ん?」イリスはまっすぐな眼差しを向けて見つめる。
「アレッタの友達として一緒にいてくれないか」
「…もちろんだ、俺が唯一完全に心を開けそうな存在だからな」
「俺は口だけ野郎と嘘は嫌いなんだ。確信はまだないってことだ。おれは裏切られる気持ちも知っている。今更裏切るような真似はしないさ」
安心したような笑みを浮かべてよかったと語り掛けているようだった。編み物を一時中断して椅子から立ち上がり、ロレンツの前でコーヒーを煎り始める。たぶんイリスの分だろう、コーヒーのサービスは一杯までだったから。
「少し話をしてやろう」「何のだ?」
「うちにあの子が来た経緯さ」




