奈落に差す光4
神話に登場する死神の名前を冠する“地下都市タナトス”は謀略渦巻いていた大戦時に逃げ惑う民たちが地下へと逃げ道を作る時に見つけた巨大な洞窟を開拓し、作り上げた都市である。終戦から10年たったころからならず者や地上で居場所を失った者達の拠り所となっており、今なお人が集まってくるのだ。
タナトスの上には“自然都市リベラ”が存在し、大戦により破滅にまで追いやられた自然を救うために植林活動や野菜の屋内栽培、家畜を育てている為他の都市からは台所と比喩されることが多い。リベラとタナトスを繋ぐ通路は大きく二つ。南東区にある洞窟の天井を穿つように続く螺旋階段と廃棄洞窟という大穴である。
廃棄洞窟は例えるならば巨大な屑篭。リベラや他の都市から流れ出てくる廃棄物はリサイクルされるが殆どここに捨てられる。勿論人も・・・。“価値亡き者は捨てられる”という世界の理に従い一か月のうちに1,2人は奥底に落とされ落下時の衝撃でそのまま亡くなる者も少なくはない。生きていたとしても衝撃吸収材が組み込まれた服装を着込んでいた場合やたまたま落ちた地点に固いものがなかったなど要因は色々あるが、生存した人はか細い奇跡の明光を掴めたということだろう。
そしてまた閉ざされた宵闇の中でまた人々の生活の一日が幕をあける。
アパートの角部屋、硬いベッドの上で寝そべっているロレンツは寝ぼけ眼の瞳を起こすようにゆっくりと瞼のシャッターを開いて街灯から放たれる橙色の光を取り入れた。今日も仕事しないとなぁ。
彼は湯沸かし器に50㏄の水を入れて電源を押し、沸騰するまでの間冷蔵庫から取り出したパンにバターを少量表面に塗りつけてオーブンで加熱する。部屋に飾られている時計を見ると針が7時38分を指しておりまだ仕事までは時間はある、ゆっくりしていこう。
トイレのすぐそこに設備されている洗面台にて顔と頭を洗い流す、冷たい流水が枝分かれして支流と化し下の陶器できた洗面台へと流れおり、排水溝へと吸い込まれる。やっぱり寝ぼけた脳味噌を覚ますにはこれが一番効く。あまりに冷たい水に触れる手の皮膚が悲鳴を上げているが構わずに髪を洗浄していく。
「ああ、気持ちいいな」
頭皮から生える毛束の間に爽快感が突き抜ける。
そばに置いておいたバスタオルで顔と頭に付いた大量の水滴を拭い去っていく。ベルを鳴らした音がオーブンの方から聞こえる、パンが焼きあがったみたいだ。首に一部分だけ濡れたタオルをかけて戸を開けば焼け溶けたバターの匂いが鼻腔に飛び込んできた。湯沸かし器に閉じ込められた水分がゴポゴポと激しく湯気を立てている。マグカップにインスタントコーヒーをさらさら流し込み、砂時計を逆さに時の如く鳴る細やかな音が鼓膜を小さく叩いてきた。そこにお湯を入れ溶けたコーヒーの粉末が香りを放つ。
丸皿に乗せたパンに噛り付き、アツアツのコーヒーを喉奥に流し込む。頭の中で今日の予定を振り返る。9時から13時までで仕事は早上がり、南西区にある商店街で買い物をしようか、もうそろそろ冷蔵庫にある食材が尽きそうだ。
「わたしは貴方に興味があるの」
いろいろ考えているうちにあの少女の言葉と容姿の記憶が浮上してきた。興味がある・・・ね、大体俺を知って何の得になるというのだ?益々彼女の考えていることがよくわからなくなる。まあいい、一度奴のことは忘れよう。ロレンツは僅かに乾き始めた髪を掻きむしり再びパンに歯を通した。
・・・。―。
多くの人々でにぎわいを見せている南西区のその一角。ひとつおしゃれなパン屋に少女が入っていく。カランカラン・・・。扉に付けられたベルの甲高い音が響き、お客が来たよとバンダナを頭に巻きつけた年増の店主に呼び掛ける。
「おっ、アレッタちゃんいらっしゃいな」
「こんにちはおばさん」
店主である年増の女性が声をかけたのはこの前ロレンツに話しかけた毛先がカールしている茶色の髪に焦げ茶の瞳をした少女がかつかつと黒いブーツの靴裏を鳴らし、透明なケース越しに焼きたてのパンを眺めている。興味で輝く瞳の奥に何だか不満そうな感情が宿っていることに店主が感付いた。
「どうしたんだい?」
「何がでしょう?」
「いつもとは何か違った表情だったから何かあったのかと思ってね」
「…。まあちょっとですね、今興味ある人がいるのですけど、中々話を聞いてくれないんですよ」
アレッタはいつも来た時に頼んでいるパンを数個を店主に紙袋に包んでもらうと紙袋を抱えながら困った顔で会話を再開する。
「何だい?男かい?青春だね~、おばちゃんには色褪せた青臭さだよ」
「彼氏とかそういうのじゃなくて、純粋にその人に興味があるんです」
「へぇ~、聞かせて頂戴?」
「そうですね…白い髪に藤色の瞳をしていまして…」




