絶望は希望を貪る1
アレッタを救い出して数日後、マフィアの調査により彼女の母親が脳天に風穴をあけられた状態の遺体で見つかった。精神的に参っていたのもありしょうがないだろうと適当な判断で片付けられた。統治して金をむしり取ることに関しては一人前なのに細かい仕事は大雑把に終わらせる神経もどうかしている。
時計の針が目盛の刻まれた円盤でのランニングを繰り返してまた数週間。
アレッタ行きつけのパン屋で買ってきた柔らかくモチモチし食感のパンをロレンツのお気に入りの場所で齧り付く。二人の体のすぐ隣にプラスチック製の容器に入れられた緑色のスムージー。
久々にやってきたタナトスのごみ廃棄処理場だ。不法投棄された電化製品の上に腰を掛けて脚を空中に遊ばせておき、とても食べ物を食べられる雰囲気ある所ではないがピクニック感覚で楽しんでいた。
「美味いな」
ロレンツは口いっぱいに頬張った顔でそう言った。
「でしょ、あそこのおばさんいつも言っているもん、“愛情いっぱいに作ったら食べ物はもっとおいしくなる”って」
アレッタはパンを片手に笑顔を横にいるロレンツに振り播いている。まるで両親や兄弟が作ったものを自慢げに伝える子供のようだ。二人がパンを手や歯でちぎったりするたびに微かな小麦の香りが鼻腔を通して食欲を刺激する。
いつ見ても変わらない橙色の小さな明かりで照らされた景色が虹彩を通して映り込む。
「ねえ、あの時の約束覚えている?」
「…ああ、裏切ることがあれば殺してほしいって言っていたな、どういう意味なんだ?」
「…」
ドシャッ。目の前で倒れ込んだ彼女を見て一瞬固まった。
「おい、アレッタ…?しっかりしろ!おい!」
何度揺すってみても彼女はピクリともしなかった。嘘だろ…おいっ、こんなところで終わってたまるか。真っ先にアレッタを背に担いでラフターの経営している義肢製作整備店に向かっていく、人ひとり背負って走るのはこれが初めてだ。踏みしめる足取りはかなり重い。それでも彼女を生かしたいという一途な思いが脚の動きを止めることを許さなかった。
彼は勢いよく扉を開ける。
「ラフター!!」
仕事の最中だったためか散らかったデスクの上で書類にペンを走らせている様子が見えた。驚きの表情は仮面の下に隠されており首の角度を横に35度回転させる。
「どうし…っ!?」
「アレッタを助けてくれ…」
ロレンツは彼女を背負った状態のまま、ラフターに助けを求めた。自分じゃどうしようもないと思った末の手段だろう。しかし中年の男は眉間を寄せ、腕を組んだままあっさり首を横に振った。
「無理だ、諦めろ」
その一言に対して大声で叫び返す。
「ふざけんな!!少しは真面目に考えてくれ!!」
「真面目に考える必要があるのはお前の方だ!!」
ロレンツの声を凌ぐほどの怒号が辺りの窓ガラスをぶち破る勢いで響き渡る。喉の底から出てきた音量がデカすぎてラフター義肢製作整備店の近所まで聞こえていただろう。あまりの迫力で後ろに仰け反ってしまった。
一息ついて呼吸を落ち着かせたラフターが話始める。
「いいか、こいつを蝕んでいるのは浮き沈みの激しい不治の病だ。それによく言っていたんだがもう永くないんだとよ」
急展開すぎる現実を見せつけられ頭の中が真っ白になる。
「え…」
「小さい頃からこの症状が続いていて元気でいても唐突に命を喰らいつくそうとする。きっとこれが最期の時間だな」
「待ってくれ…」
「よく考えてみろ、ここは不衛生な環境下の上に病院すらない。リベラに行こうともタナトスの住民を受け入れてくれるような医者はいないんだぞ」
生気を完全に抜き取られ顔面蒼白のまま跪いたロレンツからアレッタがはぎとられるようにラフターに連れていかれ、ベッドの上に寝かせていた。
「意識が再び戻るかもしれないが、可能性は低いだろうな。」
ラフターはそう言って二階へと上がっていった。
大きなベッドの上に横たわるアレッタの傍でロレンツは暗い瞳で見守ることしかできなかった。
まだ足りない、彼女と過ごしてきた時間が足りない…。考えろ、考えろ。どうすれば彼女の命を救うことができるのか思考回路をフル回転で動かしていく。だがそれも無駄な足搔き、崩れ落ちた炭鉱に閉じ込められた中で一筋の光を探し求めるようなものだった。
「ちょっと頭冷やしてくるか」
少しばかりか外のひんやりした空気に当たりたくなり一度鉄製の扉を開けて整備店を出ていった。
バタン…重々しい扉が閉まる音と共に作業中のラフターが二階から降りてきた。板に挟まれた書類を片手にペンを耳たぶと側頭部に挟めている。
あれ?ロレンツ…どこ行った?外にいったのか、しかし、アレッタもロレンツに伝えてなかったのか自分の病気の話を。心配させたくないのはわかるが、真実を話しても良かったんじゃないか。
眠っているアレッタの顔を一瞥し作業に戻る。前職の仕事柄、人の死は何度も見てきたため今更どう思うこともなかったがここまで感情が飛び出てくるのは久方振りだ。あいつが死んで以来か…。
工具箱の中に手を突っ込んで作業道具を探っている時に作業に水を差すようにインターフォンの音が鳴った。お客さんだろうか、席から立ち上がり玄関扉へと脚を急いだ。
「はいはい」
ガチャッ、戸を開けたその時だった。
ザシュ!脇腹に刺されたナイフが紅くきらめいている。
「がはっ…」
「お久しぶりですね、ラフターさん。」
ぼろきれの布をグルグル巻いた姿にフード付きのコートを羽織った人物。歪んだ表情の上で狂った眼光が怪しく光った。
「お前は…グリ…」
数発腹を殴られ、脇腹から血を流して倒れるラフターを尻目に眠りについているアレッタの前に立ってニヤッとしていた口角をさらに釣り上げた。
「さて、下拵えを始めましょうか」




