運命の暗転3
「親父?」
見た感じマフィアの格下と思われそうな小汚い黒いスーツに紺色のネクタイがベストの中に入れ込んでいる。白い髪に赤褐色の肌薄紫の瞳。容姿は完全にロレンツそのものだった。顎から生えている白いひげが目立ち年齢を感じさせる。懐かしい風貌、声が小嘗て波に攫われた記憶を呼び出した。
「ロレンツ…無事でよかった…」
バシッ。
触れようとしたその手をあっさりと冷たく振り払った。途端に滾りに滾った憎悪が注がれた油と共に火柱を立てる。
「触るな、俺を独り孤児院に置いてきて今更何の用だ?」
「ちょっと、ロレンツ、久しぶりにお父さんに会えたんでしょ?そんな態度取らなくても」
「クロエ、少し口閉ざしていてくれこれはこっちの問題だ」
いつもとは違う口調に怯んで後ずさりをしてしまう。こんな表情をしたロレンツは見たことがない…。細められた瞼から覗いている突き刺す目線を飛ばしている瞳はガソリンに火のつけたマッチで紅い陽炎を蠢かせていた。
「俺はお前に幸せになってほしくて、だからこそなんだ。幸せを願っただけなんだ」
「母さんが病で死んで、会社も倒産しちまった。俺がこれから辿っていく地獄への旅に付き合わせる気はなかった。こんな父親の元で満足に生きて行けずに人生を腐らせるよりはマシだ思って…」
顎が外れたようにぽっかり開いた口が呆れた表情に変わった時には閉じ切って何かを言う準備に入っていた。
「は…?ふざけんな、願っておいた望みがこれか?息子に地獄の底に落ちてほしかったのか?」父親が出してくる優しい言葉はロレンツにとっては最早偽りに塗り潰されたものにしか見えてこない。
狼狽している彼の父親は引き出しにある言葉を探しだして何を伝えようか必死に模索している。
「違う、話を聞いてくれ…」「今更聞けるかよ…逃げるための言い訳なんか、吐くだけ吐いて満足か?このクソ親父」
クロエは感じ取った。ロレンツは怒りや憎悪のあまり実の父親を拒絶している。
普通は家族に会えば嬉しくてたまらないのだろうけど、彼の過去を聴いたうえでは同情してしまうのも事実。今の話し合いは彼ら二人の問題だ、干渉して水を差すのは申し訳ないと思う。
「…」
「二度とその面だしてくるな」
クロエがロレンツの足取りを辿り、ほんの数センチまで近づいていった。
「よかったの?」
「ああ、これでよかったんだ」
ロレンツは翡翠のパーカーについているフードで恥ずかしそうに顔を隠している。
息子の大きくなった背中が小さくなっていくのを見て膝から立ち姿勢を崩した。
「ディーダ=イングリス、お前の息子相当な反抗期訪れているみたいだが大丈夫なのか?」
「俺はあの子に会いたかったそれだけさ、長年捨て置いた結果として竹箆返しが返ってきただけ。生きているうちにまた会えてよかった…ロレンツ…」
―。
聞き込みを開始して数時間、手掛かりが全くもって見当たらない。南東、北東、北西区を順に回ってきて最後の南西区にて情報調査を開始したばかりの頃、二人は冷たいコーヒーの入ったコップ片手にベンチに居座っていた。
踵を返してアレッタの捜索を再開させた時、ハッとした。この状況が昔あったシチュエーションによく似ているような気がした。完全に立場が逆転しているのだ、負の感情を満足する程に曝け出して冷静になった今なら解るかもしれない。こんな気持ちだったんだ。
ロレンツは両膝に両肘をつき、両手で自分の面を覆っている。色々な感情がミキサーでごちゃ混ぜになっている。父親に対する再開して辛くて甘い思い、アレッタが急に消えたことによる苦い思い。一遍に出現した出来事の情報を切り刻んだデータとして脳内に取り込むことで精いっぱいだった。
クロエは円状に広がっているコーヒー豆が煎られた黒い水面を見つめることしか出来ずにいた。
「はあ…」
彼の深いため息が二人の狭い空間の空気をさらにずっしりと重量感が増していく。この状況を打破しようとクロエが会話を始めた。
「アレッタは無事よ、絶対に…だから元気出して」
なんて無責任な言葉を吐くんだろうと自分でも思っていた。でも少しでも元気づけられればいいと考えて続きの線路を繋げていく。
「…」
無言を終始貫いて淀んだ表情を漸く目の前の景色に向けて広げた。
「そうだよな、あいつが信じてほしいって言ったのに俺が信じないでどうするんだか。ここに来て初めてできた最高の友達を喪って堪るか」
それほど大事な存在が出来たということにクロエは内心醜く火傷痕を残すも嬉しそうな感情が湧いていた。一人立ち上がっているのを見て条件反射で彼女も腰を持ち上げる。
「さて、最期は南西区か」
「そうね」
二人はまた歩み始めた、親友と過ごせる明日を目指して。




