十字架の悪夢5
「…え?」
「目が覚めたかい?ロレンツ」
視線の彼方には焼きこげて大きな跡が残されたグリアの横顔と夜空を覆いつくすように黒い雨雲が空で横たわっている。どうしてこんなところに、なんでこんな時間に…。
多くの疑問が脳内で正解を探して暴れまわっている。その回答はすぐに明らかとなるのは必然であったのかもしれない。グリアはロレンツの怪訝な顔を見やってにやりと笑った。
「先生、ここは廃棄洞窟だよね…何でこんな時間帯に…」
「まだごみ捨ての仕事が残っていたんだよ」
トラックの荷台には何も塵はない、まさか。そのまさかだった。
ぐっ…力強い手と腕でロレンツをトラックの荷台から引きずり出した。
「離して!先生!」
ぎっちり掴まれた左腕は獲物に噛り付くワニの様に決して話してはくれなさそうな感じだ。何で…何で僕を裏切るんだ…僕はただ、ハウスルールに従っていただけなのに…皆や先生と仲良くしていたいだけなのに…。
「哀れだな、ロレンツ。人生の内に二度も捨てられる経験をしないといけないとは」
捨てられる?あのときと同じ気持ちだ。都合のいいように裏切られて切り離されていく感覚、鋏で縁の紐をちょん切られるかのように断ち切ってくる。グリアのいつも愛しいように自分を見つめてくれる瞳が蔑むように鋭く見下している。ロレンツは恐怖と絶望で震えが止まらなかった。いやだ、死にたくないよ、助けて誰か…。
「あばよ、おまえはもううちには不要だ。ゴミは屑篭の中に片付けなければな」
強く握りしめていた自分の右手首をパッと離した。ヒュオオ~。落ちていくにつれて鉄でできた円状の壁が見える面積が大きくなっていく。眼から滲み出た涙が体と進む反対方向に飛んでいき、雨と混じって消えていった。
ドシャア…。廃棄物の上に横たわる。強烈な衝撃が背中に走ったが、服に搭載された吸収材で難を逃れたが、ものすごい痛みが神経を通って駆け巡る。叫び散らしてでも止めたい痛みだったが、今はそれどころではなかった。
「…信じれば裏切られる、捨てられる。なんならいっその事信じなければいい」
天空から降り注ぐ恵みの雨が今では煩わしく感じる。衣を濡らし、流した涙を洗い流していく。
「ん?あれはヒトか?」
洞窟の奥に潜んでいる闇から吐き出された人影は沢山の廃棄物で埋め尽くされた廃棄洞窟の壁際、片腕を失った少年に対して憐れみを帯びるわけでもこんなことになって可哀想と思うわけでもなく、全く違うモノが心の隙間を埋め尽くしていた。
「…。行き急ぎすぎたな、いや無理やりにか。ここで死ぬのもお前も望んではいないだろ」
―。
寂びれて廃れた教会の祈りの間、巨大な十字架とその後ろに天井から床際まではめ込まれた鮮やかに彩るステンドグラス。夢?それともここはあの世か、手早く自分を納得させておいた方が早いと確信して自分は死んだのだと思い込む。
価値が無ければ捨てられる、この世界の理だ。俺は捨てられて当然の存在だったのだ。
救いの手すら身を隠して助けての声も聴いてくれない。
グリアにとってはいつゴミ箱にポイしても可笑しくはなかったのだろう。
奴は俺を嘲笑っていた、許せない、グリアもこんな目に合わせたクソ親父も…。
信じられるものはどこにもない、すべてが紛い物、本心を見せない仮面を被った虚像。
他人なんざ信じられるか…。
俺は教会の十字架の前で握りこぶしを作って血走る眼の鋭く尖らせた視線をステンド硝子にぶつけて割った。ビキ…バリイン!!皮膚を切り裂く破片がそこら中に飛び散る。仕返しに彼は転がっている自分の顔が映っている水面を踏んづけて叩き砕いた。
―。
夢か……!?これは現実世界か、俺は生きている。何故だ、あそこで俺は生涯を終えていたはずだったというのに、氷解しない疑問が水面でぷかぷかと浮いていた。
目が覚めるとそこは作業場のような埃がかかった小汚い部屋の中に彼は居た。「気づいたか…」頭部をタオルで巻いて半目しか開けられない状況になっている男はスッとこっちを見やったのが分かった。「おっ気が付いたのか」「誰だ、お前は…」「おいおい、それ着けてやったのにそりゃねえな」それ?中年のゴリマッチョが指さす先には俺の右腕…。黒い精巧な義手になっていた右腕だ。「!?なんだこれ…」「お前、リベラの出身だろ?」「だから何だ、それを聞いて何の得があるというんだ」「いや、廃棄洞窟落ちてくる奴はリベラからくらいだからな、ようこそ、世界の屑篭、冥界を統治する神の名を冠した都市タナトスへ」
彼は何のことがよくわからなかった。今ある状況が喉を通らず、口の中でとどまっている。窓越しに景色を拝見する。暗い…。夜か?窓を開けて上空を見上げると都市を覆いつくす地盤。ゴツゴツした岩肌が堂々と見下ろしている。
「嘘だろ…。本当に…」
「どうする?お前は居場所を失ったんだ、これからどうしようも…あれ、どこ行きやがった?」
「はあ、はあ、みんなの所に行かないと…心配しているだろうし」
ドンッ
「おい!」
「どこ見ていやがんだ!」
走り続けているうちに冷静になってくる…。どうやって?戻ったところでだ。また先生に落とされるかもしれないというのに?熱く煮えたぎっていた頭が冷えるのをゆっくりと待つ。
一方作業に勤しんでいたラフターは作業部屋の扉がゆっくり開くのが分かった。外からの来訪者は彼、ロレンツだ。
「言ったろ?外に出ても行き場所はないって」
「…」
無言。
「うちで働く条件付きで住まわせてもいいが、その義手を作ってやったのも俺だ、それと助けがなければお前は死んでいたかもしれないな」
「偽善者が…人助けて好感度上げようとしたってそうはいかない」
「偽善者で結構ですっと、というより、俺は単に…」
ラフターの中に1人の女性の姿が浮かびあがった。廃棄洞窟の奥で出会い時を共に過ごしてきた片腕のない女性像。亡くした腕の代わりに付けた黒く厳つい義手を満面の笑みを浮かべて嬉しいと言い受け取ってくれた。
「似たような境遇の奴がいた、それだけだ、それとお前は何を望むんだ?」
「…」
「まあ、そういう話はあとのお楽しみに取っておこうか。俺はラフター=アグローブ、ここの整備店の主だ、お前は?」
「ロレンツ=イングリス」
「ロレンツか、よろしく」
―。
こうして現在に至る。
「…。」「どう思う?どうしようもないこんな俺を」足を組んで座っていたロレンツは彼女の方向をちらっと見て一度立ち上がる、不安そうな表情張り付けた面を拝見して続きを語っていく。「こんな人生翻弄されるくらいならいっその事死んだほうが楽になれたのかもな、価値を絞るだけ絞られて只の残りかすになっちまった、限りなく0に近く少しでも押せば脆く崩れる塔の容だけを成した砂塵。俺には何もないん…」ドンッ背中に圧し掛かる何かに不意を突かれて足が数歩進みそうになるも何とか持ちこたえる。その正体はすぐに分かった。アレッタだ。
「そんなことはない」「0なんかじゃない、ちゃんとあるよロレンツにも…見つけていないだけで探せばあるはずだよ、価値のない人間なんて誰一人いない。それに忘れちゃった?あなたを頼ってくれる人はいるってことを」「アレッタ…」「私は貴方を必要としているし知りたいことは山ほどある、だから死んだ方が良いとか言わないでね」「うん…ありがとう、ありがとう」ギュっと抱きしめる腕と両手、その上に頬を伝っていた雫が静寂の中で飛沫を上げて消えていった。




