歪んだ一本道5
リベラから戻ってきたロレンツは涙袋から溢れ出る滝のような涙を隠すのに必死だった。大の男がみっともない、といった感覚だろう。いつもよりもフードを深くかぶり、その泣き顔が見えないように工夫する。引っ張りすぎて根元である縫い目が破けそうなくらい小さな音がした。
こんなに泣きじゃくったのはあの日以来か…。網膜に焼き付いている未だに消えない傷跡、映していた天空に横たわっている黒き雨雲。
リベラから戻ってきたロレンツは涙が枯れて出てこなくなるのをひたすら待っていた。「…」翡翠色のパーカーに塩辛い液体の粒が落っこちて丸い斑点を作り出す。マジで止まらない、何だっていうんだ。俺は…。アレッタに言い出したことを思い出した。「他人に必要とされたい」…無意識に他人への接触を避け続けていたあまり、自分の願いさえも心の奥に封じ込んでいたのか。
一頻り歩いて街灯が燈れ、溢れそうなゴミが周りに異臭を吐き散らしている屑篭の傍に置かれているベンチに座った。もはや、臭いなどどうでもいい、取り敢えずこの気持ちを落ち着かせたかったのだ。こんな形相でラフターに会ったら何て揶揄われるか、と考えただけで嫌気がさす。塩辛い川流れが渇き、微かに痕が残される。
「ふうー」
一呼吸ついて、顔を上げると、アレッタが俺の表情を覗き込んでいたのだ。幽霊を見たような表情が彼女の網膜に深く刻まれる。「びっくりした…」義手の右手で胸筋の上から心臓を握るように指を立ててパーカーを強く掴んだ。固く動きを止めていた銅像が急に動き出したところを目にしてしまったとも言える表情でアレッタは見てきたと思ったら安心しきって不安で縛られていた表情筋を緩めた。「何時から居たんだ」「結構前だよ、ずっと下向いて俯いていたからさ、何かあったんだろうなって思って」「…普通に話しかけてくれた方が数千倍良かった」「そっか、ごめんね、隣いい?」「いいよ」アレッタは素直に謝った。即座に承諾を得ると真っ先にロレンツのすぐ隣の腰掛を埋め尽くした。ゴミが臭いのか、彼の方に距離を詰める。「…。」鼻をつまんで臭いと嗅覚が悲鳴をあげている動作をする。ロレンツが変わるか?と軽くジェスチャーを送り、アレッタは即座に首を縦に連続で振った。
ゆっくりと腰を上げたロレンツはパーカーのポケットに両手を突っ込んで、猫背の体勢でアレッタの左隣に移動する。アレッタも同時にベンチの右端にずれていった。
「ロレンツ」
「ん?」
口を閉じたままそっけなく返事した彼はアレッタに顔を向けず、視線を立ち並ぶ建物の前を通っていく人々に焦点を合わせず、じっと見つめるだけだった。
「お腹すいたね」
「ああ、今4時半くらいか…」
ロレンツはタナトスからリベラまで結構な距離を歩いてきたのだ、流石にかなりのエネルギーを消費している。その分の埋め合わせはまた後でいいか、軽く腹の虫が鳴いているのをわざとらしく無視した。
「そうだ、夜に俺の家で料理パーティを開こうと思っていたんだが、どうだ?」
「ロレンツ、料理するの?」
「するさ」
キリっと自信ありげな瞳をして答えたロレンツに対して裏を突かれた感覚のギャップがアレッタの心を刺激する。
「なんか以外だね、そういうイメージが全然ないから」
「その時は人間不信が種から目だして一気に果実付けるくらいまで行っていたからな、他人に美味い料理作られるよりも自分でゲテモノ料理作った方がマシだったな、実際作っていたけど」
「うわあ、そこまで行くと流石に見たいし、食べたくなるなぁ~」
胸の前に両手を合わせて料理を口の中で味わってみたいと要望を送っている。
「食べたら消化器官崩壊するぞ」「え、したの?!」瞼を全開まで開ききり、真実を聞いた彼女の大声が彼の鼓膜を強く劈く。うるさそうに顔を歪めて片耳を片手で塞いだ。「数時間トイレとお見合いしていたな」「うぇ~」「今は美味くなったけどな参考書買ってさ」「そこまで酷かったんだ…もしかしてパンの上に生卵とイチゴジャム混ぜて乗せるような感じ?」「限りなく政界に近い例えだな」
一方的な探り合いで過去の記憶から掘り起こした知識のスコップでどんどん掘り下げていく。知ることは楽しい、興味津々で思い出話と今ある現状を語り合う。ロレンツはずっと気になっていたが開けられなかった箱の中身を確認するために箱
「アレッタ、ずっと気になっていたことがある。お前の家族ってどんな人なんだ?」「…。」無言。イリスはアレッタについてあまり家族のことについてはあまり話したがらない子だって言っていたな。親に相当なトラウマでも植え付けられたのか、それとも虐待…。ちょっと場所を変えるか、というより、すぐに座りたくてこの場所選んだっけか本音を言うと臭くてもペンキ塗りたてでもどこでも良かったんだよな。「アレッタ、久しぶりにあそこ行くか」最近忙しくて中々行くことが出来なくなっていたタナトスの西側にある廃棄物の最終処分場だ。久しぶりにあそこに行きたいと考えていた。「うん、いこっか」両手を膝に付けてゆっくりと立ち上がり、腰のあたりに回した右手首を左手で掴んでいる。街灯に照らされている彼女の微笑みが軽く輝きを増したように感じた。俺も行こう…。
南東区からあそこまでも道のりは結構長いものだが、歩くことは好きだから問題なしだった。「懐かしいね」液晶画面が割れてリモコンでどうこうしようと返事をしなくなったTV、雨水を下水場へと流し込んでいたさび付いたパイプを靴裏で踏みしめる。もう使われなくなった躯の残骸たちは電信信号を享受することなく、老朽化で朽ち始めて同じ場所に捨てられたもの達が役割を果たし続けた社畜が過労死するが如く眠りに浸かっている。「うん」「そういえば、ここが最初に出会った場所だったよね、いろいろあったね、最初は私のこと中々受け入れてくれなくてさ、結構アプローチしていたよね」「ストーカー並みにな」「言い方酷いなぁ」「そう捉えても可笑しくなかったぞ」確かにそうだ。実際面識のない人から急に声をかけられた上にしつこく粘着され、追いかけられたのだから。何時までも肩甲骨の辺りへ纏わりついていた視線が様々な可能性での恐怖を感じさせてきた。
だが、「…ここまで友達としての関係が続いたのは久しぶりだな」「?」「言い忘れたが、俺は元々リベラの人間だったんだ」ロレンツは立て続けに口を開いた。「すこし、聞いてくれるか。俺のくだらない昔話を」




